最近幸せだと思う。
働いているときは望む学び、勉強をしたくても出来なかった。
高校の頃入院し奨学金の望みも潰えた。
高校の出だしから両親は協力的で無かった。進研ゼミで不足分を補おうとしていたのに、希望していたモノを受諾していなかった。
出来れば5教科7科目だけど、英語は中学からの延長がいいだろうと、国数理社で特に理科は科学と生物と物理を希望していた。
だが、3ヶ月たっても教材は到着せず。
遂に5ヶ月目に漸く尋ねた。
家の親はやって欲しい事についてお願いしたとしても、断ることがある。
私が必要だと思っていることでも。その一つが昔欲しかった3色ボールペンだった。
だから、伝え方を頼むようにしておけば判断を仰ぐという選択では無いので、どうしても必要という意思が伝わるだろうと思っていた。
だが、それが大きな間違い(初め(え))だった。
成績上位じゃないと、そういうのは取れないだろうと予想していた。
だから、なるべく早く埋めたいと思っていたのに母が「勝・手・」に判断した。
「高いから、頼まなかった。」え!!「やると思わなかったから。」え!!!
予備校は高くて行かせてくれないでしょう。だからそういうモノで努力し頑張ろうと思っていたのに。
更に、現在そのことを問いただしても、覚えすら居ない。最悪だ。
悲惨な中学時代。この問題の根本の母への軽蔑。そして怒り。憤り。
小学時代にどうしても欲しくて、頼んだ3色ボールペン。
それでも買ってくれなくて、ボールペン各2色でいいでしょう、と言われ母の財布から、お金を失敬して、買ってしまったこと。
大人から見ればほんの「些細な額」だろう。
そして「ホンの些細な出来事」だろう。
でも、子供にとってはそういう事で愛情を確認したりするのだ。
これは今なら自分で心理学でも解っていることである。
これは結局使うことが出来なかったが。
叱られると思って居たが、何も反応が無かった。
そのときは良かったとも思ったが、今なら解るがそれは無関心。と言うことだ。
そんなに欲しかったの。というだけ。
大したものでは無いのに。と呟いただけ。
そ・こ・が・。大事なところなのである。
そんな大したものでも無いモノでさえ、買ってくれないと言うことだ。(ヤバイ、これを思い出すと涙出てくるな。。)
そういう所から後から何も期待出来ないと思っていったのかな。
それが、その頼まなかったという事の時に猛烈に頭に湧いてきた。
そして中学時代に英語の先生からのひどい叱責。
その時期の問題の発覚。
怠けているわけではない。心理学の中でやっているから判る。
何らかの理由でというものだ。
先生としては最悪の選択をしたものだと思う。
怠けていると決めつけたこと。
確かに新興住宅地に引っ越してきたが、お金に余裕があるわけでは無かった。
特に自分に対しては。
母が此程までに、共感する能力が無いのは致命的だと思う。
結局、自分で仕事をして貯めたお金で、教材や環境など。学習するのに、不都合な事を改善していった。
ボールペンは母方の祖父に頼んだら本当に良い物を買ってくれた。
それが宝物の一つに成った。大事に取って在ったのに。
「そして今は亡き、父方の祖母に話したら、今適当なのも無いし、一緒に行ってあげられないからっといって2000円もくれた。」
訂正箇所:鉤括弧は願望の記憶の改竄だな。一晩で思い出したのは父が1500円で祖母が500円であったこと。そして言葉のニュアンスは父が暖かかったのと、祖母に貰おうと思ってではなく、何か言って欲しくて話したら祖母が共感を示し、理解し、分ってくれたことが嬉しかったことだった。一番嬉しかったのは祖母だったと言うことだった。やっぱり、おばあちゃん子だったんだな。亡くなったときメチャメチャ悲しく、寂しかったものな。。
当時月に小遣いで400円しか貰っていない自分にとって本当に嬉しかった。
そういう意味が有ったのなら棄てなければ良かったな。
もしかしたら、まだ有るのかな。。アソコニ・・
母のような人と一緒に暮らし、結婚するぐらいなら、死んだ方がマシだし、一人で居た方が余程良い。
母が入院したときに意外な程悲しくなかった。そこには嫌悪する自分しか居なかった。
そういう事が少しは改善され望んだ事が出来るのだから本当に幸せだ。