日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

弓とシャーロックホームズ

2022-04-25 08:39:07 | 日記
 弓の話の「ツルネ 風舞高校弓道部」早気の物語をみて、此れは正に私もであったなという感じがする。早気という言葉一つ取っても文化を感じさせる。

言葉に付いて縷々思い浮かび不勉強を感じるが、それよりもその先のこの事から答えを示していた事だったのだと唐突に思った。正射必中というこの言葉にこれかと響いた。

何処が正射であるのかという事と更には此れにも型というものが成り立っている。技芸事でもそうだろう風姿花伝と分析所も漸く手に入れたので多分間違いは無いだろう。

そして此れも恐らく数学認知と繋がる事だろう。その筋を辿った先にあった筈の姿に思いを馳せる時にシャーロック・ホームズの冒険を読んだ中学時代当時を思い出した。

そしてこの本を読んだ時に彼らがどういう人種であるのかという事を音に感じて、上で述べた早気の事が「今」起きているんだという事を感じて何かしなければという思いにさせはしたが、学校という場所に存在するものの筈が存在しないという事だけは認識させられた。その思いからも何故か一人で放課後に学校に残りたくなって特別棟に居た事があり当時は何故か分からなかった。

そして気の向く侭に足が運び向く武道館と呼ばれるものには行ったが存在している筈のものは無く剣道だけがあり此れでは無いなという確信だけはあった。それはその筈でもっと俯瞰したその場の己の在り方を求めていたのだから。

 今思えば当然で外形的なモノがまず最初に分かれて態の者と待の者に分かれるのだから。そして元々に待の者は態の者よりも先ず少ないとは昔から謂われているそうで、6:4か7:3だそうで時代に依って変わるという。

当時は何故ないんだろうという思いにさせたが、此れも前述した事が関係していたんだなと今は確信を以て、当時は推測を以ての思いから、武道の充実は日本文化にとって改めて重要だよなと言う思いに至る。

此れは「道」を尊ぶ日本文化が道徳にも通じている事だからと今は言えるんだが。三つ巴の関係の禅と仏教と神道の三者三様な関係が日本精神に影響を及ぼしているという事で自身がどの関係位置にあるという事が決まってくるのだろう。
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真正面と繰り返し

2022-04-22 00:44:42 | 日記
 外国語言語の取得は環境の影響が一番多いとは調査結果が出てはいるが本当に苦悩であった何が正しくて何が正しくないのか。その面で小倉弘の本は役立っている。

自分の事が解っていないと何も判断できないという事にはなるが、幼い頃から色々と嵌められてきた私。その一つの医者からお墨付きのどうせ早期に死ぬというなら将来に何の望みもないじゃんという思いにもさせたこと。

では嵌められない様にするにはどうすればいいのかということ。私は物事に対して真正面から取り組む事を積み上げる重大さなのかなと考えている。

勿論に積み上げ用としてその通りに為らず崩れる事もあるだろうが、問題が起こってもその崩れる所までで済むという事になる。西洋社会はそれが出来ていないから同じ事を繰り返している様に思える。

 その事実として西洋社会は100年以上支配層に良い様に弄ばれて来たことは事実であるし。だが100年以上という事はその100年が生じる以前に多くの事が生じている訳で。

 私が知っている事は明治時代が全て虚構であったという事と徳川将軍が暗殺されたという事。
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図形と混乱と炉端の話と

2022-04-17 23:56:33 | 日記
 しばらく前から思っていた通りのやっぱりなという心情。図形の問題は自分の思考を組み上げていく上で必須だなという所か。

 本当にいまさらだよなぁーという残念さと悔しさというべきなのか。歪められた結果だもんなという所もあるし、自分の事が見えていなかったというのもあるし、大人を信じてしまったというのもあるし、問題は何だったんだろうかと考えても無意味そうな事を考えてしまう。

 当時でも戦争に負けたという事に成っているから、何かしらの事は起こっているだろうとは思っていたが何処にもその事に付いて言及が無いという。当時の私としては非常に奇妙な状態だったから何処がソレ何だろうかという事が解らないと言うのが問題だと思っていた時に友人に話した経験はあったが、誰も何を言っているのか解らないといって取り合って貰えなかったという状態。

 これが小学生時代だもんな。もちろんこれ程には客観的な話し方では無くて主観的な話が中心の話し方にはなるのだが誰かは解っても良いものなのに。

 そんな折に祖父の兄で本家家長である伯父さんとの話が数年で何回かに渡って話せた時に色々と通じたんだよな。そういう話が父にも父の兄弟にも誰にも勿論祖母にも通じなくて祖母には祖父だったら解っただろうけどと口々に数人の伯父にも言われて前述の家長と話すことに為ったんじゃないかな今思えば。

 そう言えば家長と暫く話しているときに、唐突に私が弟と話している様だと。詰まりは祖父の幼い時と話している様だと言っていたんだよな。祖母も私が一番祖父に似ていると言っていたし。

当時の家長が自分が亡くなったら、私に家長を譲りたい的な事を言ったが、小学生時代の私には冗談だと思ったものだが、もしかしたら思いは本気だったのかもなと言うのが実際の所なのかもな。
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価値観の転換と谷崎

2022-04-10 07:27:13 | 日記
 谷崎潤一郎の小説は何故か読み進められなかった。昔読んでみようと思って手に取り数頁読んだだけで読めなくなった。

読もうと思えば読めるものだが何だか中に入ってきて直視したくない、当時は何故だか読むのが早過ぎるという感覚にさせられ、それが何なのか解らなかったがそれを「100分で名著」で概観を掴み認識する。

それは欲望についてということだけれども精神的に拒否しているという意味だったのだろうか。それとも自身の性質所以なのか。

そうすると矢張り発達の状態からみる様になってしまい何時頃だろうかと考えてしまう。思い返すと手に取ったのは21-22歳の頃だったか。

そう思うと相当に遅いな我ながら苦笑してしまう事柄だけど。心理臨床に寄ると過去を振り返る時期だという事でこんなことを書きたくなったのかな。

精神的に積み上げてきたモノが全て間違って居たと思ったのが、高校時代に入院して2度目の死ぬ事を感じた時だったと思う、そして精神的な全てが無くなった思いだった。

今の価値観の転換という課題で、その意味では間違いない。だから早過ぎると思ったんだろうか。
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米国教育使節団報告書と変化と奇妙さと

2022-04-06 10:21:34 | 日記
 この本は嫌がらせかと思えてしまうな。今迄は文字と行間が3.0mmだったのに、資料という所の「米国教育使節団報告書ー聯合国最高司令官に提出されるー」には文字と行間が2.0mmに変更とかかなり見難いし。

片目が乱視だから尚更に知らない漢字の詳細が分からないし。それじゃなくても文字と行間3.5mmから変わった時にはこんな少し変わっただけでも見へ方や読み易さに変化があるんだなんて衝撃を受けたのに更に文字が小さくなって片仮名語のショックを使いたくなってしまうよ。

文字や行間などが読み難さを生じてしまうから最近はkindleを試しに読むときも使っていたから殆ど違和感は感じる事が無かったんだけど、本の中途で文字の大きさと行間を相当量変えられると此れ程に精神に来るモノなんだな初めて感じる事だよ。数学の認知科学の本でも此れ程に文字は小さくないんだけどなぁ。

この部分だけ文字と行間を狭くするのには意味があるんだろうか。父は足りなく為ったからじゃないかと言うが、初めからこれだけの分量を収録するのは解っているんだから必要とする紙面計算して解っている筈だろうしそうじゃ無ければおかしい、余りにもお粗末という事になってしまう。

本当に奇妙だな。何なんだろうな。

疑問に思うことは記録出来たという事で投稿の目的は達しているが。
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