数学史を学習する過程で、図形問題の大事さを認識する至っている。
確かに私は幾何学に対して、何故か本当に苦手意識があった。何故なのだろうかと自身を振り返ってみても、ある所までは本当に何も考えなくても簡単にできた筈なのに、おかしいなという思いと、何か欠けて居る思いと共に、自分の資質への猜疑心も抱いてしまう様に為っていた。
何故なのか。と再び問うて。
自身の認識の方法としては理解した時には必ずと言って良い程、図に示したり、概念図を自分なりに纏めたりして、確かなものとしてるのにと。
けれども、そういう幾何学などには苦手意識があるのはどういう事なのかと自分の中では釈然としなかった。
そこで一度、徹底的に遣ってみようという思いもあり、更には積分には絶対的な揺るがぬ基礎も必要であるし、大学の友人M氏も、以前同じ課題に突き当たっていたので、何かしらの課題があるのだろうと思って居た。
そこで、数学史を学習して居る中でも重要さを痛感するに至り、学習を進めて居たが、何とよく見ると記述に2003年に、学習指導要領が改変していて中学時代から変更になっているではないか。それが具体的に反映されるのは1-2年後としても、友人も、私もその被害者だったという事が分かる。改めて過去の教科書を見直してみると、統一的な図形理解が得られず、更には論理的な構成にも為って居ず、絶対に必要な、座標と図形の融合問題が片鱗もない。此れの論理的な過程に付いても勿論ない。。
何たることだ。我々日本人に対して思考の自由さ、即ち思考の翼を奪うの行為が、戦後の共産工作なのか、GHQなのかに、為されていたこと。それに依って私自身も含め日本社会に、感覚と分離された論理性が益々無くせられていたとは思わなかった。
確かに私は幾何学に対して、何故か本当に苦手意識があった。何故なのだろうかと自身を振り返ってみても、ある所までは本当に何も考えなくても簡単にできた筈なのに、おかしいなという思いと、何か欠けて居る思いと共に、自分の資質への猜疑心も抱いてしまう様に為っていた。
何故なのか。と再び問うて。
自身の認識の方法としては理解した時には必ずと言って良い程、図に示したり、概念図を自分なりに纏めたりして、確かなものとしてるのにと。
けれども、そういう幾何学などには苦手意識があるのはどういう事なのかと自分の中では釈然としなかった。
そこで一度、徹底的に遣ってみようという思いもあり、更には積分には絶対的な揺るがぬ基礎も必要であるし、大学の友人M氏も、以前同じ課題に突き当たっていたので、何かしらの課題があるのだろうと思って居た。
そこで、数学史を学習して居る中でも重要さを痛感するに至り、学習を進めて居たが、何とよく見ると記述に2003年に、学習指導要領が改変していて中学時代から変更になっているではないか。それが具体的に反映されるのは1-2年後としても、友人も、私もその被害者だったという事が分かる。改めて過去の教科書を見直してみると、統一的な図形理解が得られず、更には論理的な構成にも為って居ず、絶対に必要な、座標と図形の融合問題が片鱗もない。此れの論理的な過程に付いても勿論ない。。
何たることだ。我々日本人に対して思考の自由さ、即ち思考の翼を奪うの行為が、戦後の共産工作なのか、GHQなのかに、為されていたこと。それに依って私自身も含め日本社会に、感覚と分離された論理性が益々無くせられていたとは思わなかった。