日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

数学とGHQの刷り込み洗脳教育か 20180908

2018-08-26 01:25:43 | 日記
 ある事柄について思うことがある。

それは武田邦彦もどういう意味か分からない言葉であると話していた事柄。原爆の碑に書かれている言葉についてで、「過ちは繰り返しませんから」という言葉である。


この言葉について、幼い頃のハッキリと覚えている記憶と繋がることを思い出す。


小学学生時代のある時に、全国の学校を回っているという,手に重篤そうな怪我を負った被爆者が来た。


当時も、この人の話が私達に話すことで、何の意味があるのか。今いる私達に話す意味が分からないという思いを抱きながら話を聞いた。


この人の話は今から内容を鮮明には思い出すことも出来ない、自分の主観的な話ばかりで、話を聞いた後でも意味がないと思った。


そして最後にこの石碑の言葉である。石碑の言葉を選ぶのに関わったということだけは興味を惹かれた。


この言葉の意味でマイナスの意味とプラスの意味があるのだろうと、予測を立てて、後で聞いてみたがその何方でもないという。はぁ~?って感じで、結局その人が言うには「相手にその心境に成って欲しい」という心持ちだった。


なんなんだコレはという感じを当時抱いた。しかも、その言葉を継ぐ時にあまり話したくない様な雰囲気も漂わせていた。奇妙な感じは今も憶えている。


結局話しを聞いたことは無駄な話だったという印象だけが残り、もっと合理的で理論的に考えるのは大人達じゃないのか、という印象を当時の私は思っただけで他は、私の頭には腕がどうとかという話だった程度しか残らなかった訳である。


そこで違和感を抱いていた二つの内の一つで、解決し感じる事ができた長岡亮介先生の話と繋がる訳である。


感じた事の話で「数学の二つの心」から線形性というのを漸く理解し感じる事ができたのは長岡亮介教科書でというのが大きいが、その後に初めて感じた不思議な感覚から、内面で確信的に数式と直接繋がる様になった訳である。


そこから、この言葉の奇妙さの認識は√のそれと符合している。


こういう事が中々解らない様にしているのは数学教育の失敗じゃないだろうかという思いと、敢えてそうして日本人を混乱させている。

このことは以前何処かの記事で書いた気がするが、GHQの刷り込み洗脳教育である。
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対数積分基礎  その二 追記修正20180916

2018-08-23 14:33:50 | 日記
 対数について誤認していたなぁ~。やっぱりかという印象で恥ずかしくもあり、仕方がないかと半分諦めの様な気持ちもある。何をといえば誤って理解していたのは唯単に、逆からみるとどうなの程度のことで、それで乗数が分かるんだ程度の認識。 多分に不足していた認識だった。


正しくはそれを見ていくと何が分かることなのか?を理解することだった。 詰まりは表しているのは2つが決まると逆が決まることで何が嬉しいのかということで、これによって線形に置ける乗数がわかる。端的に言えば線形性に置ける様々な密度を表していたということ。


こういう理解が数学がよく解る人は直ぐに観て理解するんだろうか? どうなのか全く分からないが。


教科書を見てみるとそれを深く理解するのに必要な指数関数を殆どやっていないようだ。更にはそこでの指数関数不等式と方程式を合わさっている問題も教科書では触れられて居ない様だ。これじゃあ深い理解が深まらないよねぇ~という思い。それと、教科書を観て思い出した感情があって、それを記述するならば浮かぶことは当時サラッと触れてだけで、なにか不足している感覚があったという思いを同時に思い出している。英語の所為で進みたい学校にも行けなかったからな・・。それも思い出すが・・。


こういうことって、友人に進められた参考書のこれで解るやチャート青にも載ってないんだよなぁ。こういうことこそ乗せるべきだと思うんだけどな・・。


こういうこともGHQの工作の残滓なのかな。。 此の様な事が重なって大学数学が訳が分からなく成るんだろうな・・。東大出身教授も学校で証明などを詳しく説明しなかったもんな・・。おかしいなぁ~って思ってしまったんだもんな。


このことは長岡亮介の「数学者の哲学+哲学者の数学」でも触れられているんだよな。このことを大学講義で知り得て、哲学と数学が密接に繋がっているなら、何がそれを感じさせるものなんだろうかと、思って長岡亮介に文章を送った後に、この本が出ているんだよな。それもあって、この本も宝物になって繋がっているのかもな。
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生じる複数の現象

2018-08-19 23:53:26 | 日記
 何故か8月5日過ぎあたりから、アカメが斬る!のオープニングが頭に流れ始めた。しかも、その音楽が流れているのに、ブラートがタツミに託すシーンの映像が浮かぶのだ。そのシーンが何故かジョセフ・ジョースターが承太郎に託すシーンとも。通常こういう場合、このそのものの音楽を聞けば頭から離れてくれて消えるのだが消えない。

 コレってもしかして例の何時ものヤツ何じゃないのかなんて思いもあったが、特別なニュースなんかも無いしと、更にはそう思いたく無いという思いとが交錯し考えないようにしていたのだが、それが13日に亡くなったというニュース。聞きコレだと確信するに至る。

つまりは声優の石塚運昇さんが亡くなったという、信じたくないニュースを知るに至る。

https://gigazine.net/news/20180817-unsho-ishizuka-passed-away/


そして、このニュースの後ピタリと頭の中に流れていた音楽が止まる。

海外のジェームズ・ブラウンも何故かジェームズ・ブラントの話の年代が違うものと言うイメージが運転中に突然頭の中に浮かび、なんなんだコレはというふうに戸惑ったんだよな。


こういう、遠隔なものと、近距離で外側にミえるものと、テレビ越し映像でもミえる現象と、自分の現象と人の中に映像がミえる現象とがあるんだよな。どういうことなんだろうか。。
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アカメが斬る!と日本の懊悩

2018-08-09 19:55:21 | 日記
 アカメが斬る!に付いて、あまり当時は思ってもいなかったが、それぞれの人物キャラクターが、人にとって象徴的な人物であったんだなと気付かされる。エスデスに関してだけは当時も気付いてはいたが、他の人物については分からなかった。


一番分かりやすいエスデスから行くと、己が死んでいる人物ということ。苦しすぎてと言っても良いだろう。

マインは自分自身の為に生きているという意味。

レオオーネは自分を生まれ変わらせたということその意味。

ラバーは字が違っても人にとっての愛。いい意味でも悪い意味でも。

シェーレは剥かれるその時までのモノという意味。

ブラートは昔ながらの硬い変わらぬモノとも,それともかけて刀とも掛けている。

それを受け継ぐタツミは立身と掛け立身流剣術とも掛け,更には立身出世とも掛けているのだろうとも思える。

そしてサヨは小夜だろうし始まりの予感と共に,小さき事のイエヤスと共にの素朴さの生み出すものの様にも思える。

そして,イエヤスは家康だろう。これは日本が独立して、一応の平和江戸時代の象徴。序盤で死ぬ姿と,そして事実を語る姿も歴史と言う事実を語る姿と,そして格好の良いとはどう言う事かと言うのを示して,というより明示して気力と言うのか精神性を感じさせながら,身体はとうに死んでいて逝く。というのが見事な演出で,江戸時代の美しさと匂いを感じさせると言う素敵さだ。

此れが何だか以前書いた國體を想像させる。

このアカメが斬る!が混乱しているにほんと、本来の日本と別の選択をせざるを得なかった懊悩と重なる。


それ故に、頭の中でここ最近頭の中で、アカメが斬る!のsky reach が響き続けているのか。
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対数積分基礎 その一

2018-08-06 00:08:26 | 日記
対数の積分が関係してくるとは思わなかったなぁ~。ポロポロと所々が抜け落ちて端切れの様な穴の所を埋めて行くと理解の仕方が本当に間違っていたと認識させられるのが恥ずかしい。


仕方がない家庭環境と学校環境でもあり精神的におかしくもなっていたし、病気で入院もしたし、更には自分自身でも5つを超える時が6つから7つ8つか、それ以上は認識も出来ない状態で、そのようであったようだし、思考しなければ為らないことが何処まで増えるのか当時はもう、自暴自棄と投げやりの中間のような心境でもあったしな。。


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