無意識的認知。数学の無意識的認知。
正に此れを探していたんだな。こんな言葉を漸く発見するとはな~。もっと早く見つかって欲しかった気もするが、昔はこの文章の前書き部分を読んでも何の事か全く解らなかったもんな。
数学の歴史を遣る前に一度この本を手に取った事があるんだが、その時は全く意味が解らなかったもんな。それでも長年感覚的に疑問に思っていた事はこの関連に付いての事だった訳で・・。
数学に対する認識が間違って居たものなぁー。長岡亮介の本を読むまでは(追記 本に叫んでしまう程に気付かされて、その後何が必要かと思いに駆られ、全体を体系的に知る必要があると判断し、その後に数学の歴史だものな。)
それでも話をする時に、感覚的では同時に、目の前の現実と共に図形が見えてしまったり、数学を学ぶと考えてもいないのに映像が目の前に展開されたこともあったりし。その時は現実の目の前が見えなくなって、恐怖に駆られたこともあったんだもんな。
無意識の感覚との遊離している状態だったからな。
「数学の認知科学」の本が此れ程スラスラと読んで理解できる様に為ったのは良いことなのだが。。s。
正に此れを探していたんだな。こんな言葉を漸く発見するとはな~。もっと早く見つかって欲しかった気もするが、昔はこの文章の前書き部分を読んでも何の事か全く解らなかったもんな。
数学の歴史を遣る前に一度この本を手に取った事があるんだが、その時は全く意味が解らなかったもんな。それでも長年感覚的に疑問に思っていた事はこの関連に付いての事だった訳で・・。
数学に対する認識が間違って居たものなぁー。長岡亮介の本を読むまでは(追記 本に叫んでしまう程に気付かされて、その後何が必要かと思いに駆られ、全体を体系的に知る必要があると判断し、その後に数学の歴史だものな。)
それでも話をする時に、感覚的では同時に、目の前の現実と共に図形が見えてしまったり、数学を学ぶと考えてもいないのに映像が目の前に展開されたこともあったりし。その時は現実の目の前が見えなくなって、恐怖に駆られたこともあったんだもんな。
無意識の感覚との遊離している状態だったからな。
「数学の認知科学」の本が此れ程スラスラと読んで理解できる様に為ったのは良いことなのだが。。s。