日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

hideのroket diveと川崎の殺された少年

2016-02-19 00:13:21 | 日記
 中学時代のバスケ部の時に心の心境はhideのroket diveの心境だった。というか全般的に中学時代はROKET DIVEだったと思える。


川崎の亡くなった少年と同じく引っ越し、そして家庭の問題、そして小学校からの愛犬も死、学校で教師との問題、学友との問題そして部での問題。多くのことが同時に重なりそして無くなり、不足したときだ。音も失いイヤホンでしか聴けなかった。


ただ幸いなのか不幸なのかSNSはなかった。彼の場合も難しい立場だっただろう事は容易に想像は出来る。キョウダイは救いとなるのだろうか?


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この曲の様に二面の揺らぎを感じている事だろう。平静であるものとRoketと。思春期の深い感覚へとよく謂われる深い谷底に墜ちる様な向かうことになる...
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学習感覚の調律から同調20160210

2016-02-09 09:58:48 | 日記
 何故もっと早く気付かなかったんだろうな。英語の感覚ってヤツ。英語が伊藤和夫を中心に考えて居たときの判断だからだろうか。その時教えてくれた先生は短文の積み重ねから偏差値70越を行ったと話してくれた。


勿論個人差があると話してくれていた。結局何が真実であるのか判らなくなり文法と練習をやれば自然とに落ち着いた。


最近漸く英語に対する黒い靄みたいのが取れて来た。世間に流布している多言語学習成るものに、カナ確率という概念があるらしい。確かにアテはまる部分もあろうが、自分じゃ無かったな。


やっぱり感覚に合わせなければ駄目だったな。結局、英文学習を理論的な学習感覚に合わせなければ成らなかったんだな。結局は漢字感覚だったんだな。もっと早くに気付きたかったな・・。
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螺旋階段20160204

2016-02-02 02:08:40 | 日記
 学ぶに連れて段々と数の様相を呈してきたと思える。けれども不思議と何ら迷いもない。本心から望むと言うことはこういう事なのだろうかな。



敢えて言えば感慨はあると言えばある。数字が段々と面白く成ってきたことだ。物理ではあったが数学で面白いと感じたことは無かった。数のそれは大学に入って面白くないなって感じ高等に成ると面白くないのかなって感じ始めていた。


けれどもそれは分野が拡大したときに、対応がとれない不安定さから感じるモノだったんだと理解できた事だ。 


内容の面でも外容でもである。ここでは外見ではなく外容を使いたいと思う。外見ではないのは制御するという事を強調したいからである。


これは脳の構造的な健全性にとって大事なことだということ。これは楽観脳と悲観脳にも通じる。


思えば自分で療法を試みていたともいえるのかもしれない。
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