武田邦彦の何処かの動画でも段階ではなく物事の種類、詰りは列によって整理するという方法もあるという話を聞いたことがる。正に私はその列による整理に寄って、大幅に頭が整理されるという性質を持つ面が特に顕著である様だ。
特に私は物を勉強する時に、多くの練習を必要としない。そのものの性質を捉える事に、特に集中する必要があり、時間も掛かるがそちらに注力する必要がある。
その性質を捉えると大抵は一度で済むことは多くある。その一度で済まない場合はそのものを誤って性質を理解している事が殆どだ。
この感覚は何時頃あっただろうかと思い出すときに、やはり数学であったなと納得感を覚える。その時期は数学というか算数の時期であったが、小学校時代の図形のお試しの課題と称するものを男性の教諭が児童たちに試していたもので、小学校のある年代だけ担当する専従の先生だったそうだ。
その男性の教諭は「ある法則性がある様な気がして成らない」という風な事を今で言えば語っていて、その男性教諭の思いで出題された課題を次々と解いていくいう問題だった。その課題が以前投稿したかもしれない図形の性質や推測の他に解いている時間を問う問題だった。
そのテストで当時のクラス数から考えても記憶から考えても450人弱内で、クラスで一位の学年で一番の成績になってしまった事を記憶している。当然先生からは驚かれて、僅差の人は1人で少し遅れる人は数人しか居なかったらしく、先生から何故そんなに答えが解って解けるんだという事を質問されたのを今でも憶えている。
そんなところからも性質に注力する事は大事なんだなと改めて確信と決意もつにも至る。最近知ることに為ったが、それは心理学の指数診断の指標そのものだったのだと解るんだよな。
追記 この指標っていつ頃から導入されているものなんだろうか。勉強不足だな~。
特に私は物を勉強する時に、多くの練習を必要としない。そのものの性質を捉える事に、特に集中する必要があり、時間も掛かるがそちらに注力する必要がある。
その性質を捉えると大抵は一度で済むことは多くある。その一度で済まない場合はそのものを誤って性質を理解している事が殆どだ。
この感覚は何時頃あっただろうかと思い出すときに、やはり数学であったなと納得感を覚える。その時期は数学というか算数の時期であったが、小学校時代の図形のお試しの課題と称するものを男性の教諭が児童たちに試していたもので、小学校のある年代だけ担当する専従の先生だったそうだ。
その男性の教諭は「ある法則性がある様な気がして成らない」という風な事を今で言えば語っていて、その男性教諭の思いで出題された課題を次々と解いていくいう問題だった。その課題が以前投稿したかもしれない図形の性質や推測の他に解いている時間を問う問題だった。
そのテストで当時のクラス数から考えても記憶から考えても450人弱内で、クラスで一位の学年で一番の成績になってしまった事を記憶している。当然先生からは驚かれて、僅差の人は1人で少し遅れる人は数人しか居なかったらしく、先生から何故そんなに答えが解って解けるんだという事を質問されたのを今でも憶えている。
そんなところからも性質に注力する事は大事なんだなと改めて確信と決意もつにも至る。最近知ることに為ったが、それは心理学の指数診断の指標そのものだったのだと解るんだよな。
追記 この指標っていつ頃から導入されているものなんだろうか。勉強不足だな~。