日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

数学と性質と記憶と

2022-01-21 17:55:31 | 日記
 武田邦彦の何処かの動画でも段階ではなく物事の種類、詰りは列によって整理するという方法もあるという話を聞いたことがる。正に私はその列による整理に寄って、大幅に頭が整理されるという性質を持つ面が特に顕著である様だ。

特に私は物を勉強する時に、多くの練習を必要としない。そのものの性質を捉える事に、特に集中する必要があり、時間も掛かるがそちらに注力する必要がある。

その性質を捉えると大抵は一度で済むことは多くある。その一度で済まない場合はそのものを誤って性質を理解している事が殆どだ。

 この感覚は何時頃あっただろうかと思い出すときに、やはり数学であったなと納得感を覚える。その時期は数学というか算数の時期であったが、小学校時代の図形のお試しの課題と称するものを男性の教諭が児童たちに試していたもので、小学校のある年代だけ担当する専従の先生だったそうだ。

その男性の教諭は「ある法則性がある様な気がして成らない」という風な事を今で言えば語っていて、その男性教諭の思いで出題された課題を次々と解いていくいう問題だった。その課題が以前投稿したかもしれない図形の性質や推測の他に解いている時間を問う問題だった。

そのテストで当時のクラス数から考えても記憶から考えても450人弱内で、クラスで一位の学年で一番の成績になってしまった事を記憶している。当然先生からは驚かれて、僅差の人は1人で少し遅れる人は数人しか居なかったらしく、先生から何故そんなに答えが解って解けるんだという事を質問されたのを今でも憶えている。

 そんなところからも性質に注力する事は大事なんだなと改めて確信と決意もつにも至る。最近知ることに為ったが、それは心理学の指数診断の指標そのものだったのだと解るんだよな。

追記 この指標っていつ頃から導入されているものなんだろうか。勉強不足だな~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

数学観の激変と精神の受容   20220214

2022-01-04 09:15:53 | 日記
 見えないもの観るとという事でも第一段は書いた。

https://blog.goo.ne.jp/dark_angel_jam/s/%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%84%E3%82%82%E3%81%AE

この中で書かれていること以外の事に付いても他にあったなという思いにもさせる。言語自体も見えないものであったなという事。他にもという形では書いた、感覚の所だろか。

端的に求めると、統計に論理に記号に形で型に性質に現象に。

この挙げていたものを理解と体性感覚として掴むのは大変な困難が伴った。尊敬する祖父の言葉一つ一つに示唆深いものはあるが、その肝心の細かい所までは本人が亡くなってしまったあとであったので尋ねようがない状態。

それでも、私が一番祖父に似ているという事は大好きだった祖父の妻であった、祖母が確信して言っていた。それから祖母意外の伯父にも言われたことがある。

なので示唆的な手掛かりは示唆の解説される説明通り明示されはいないが、指し示す様と言うのが正にであり、自身の似た存在であると言え、かつ私よりは優れているのは間違い無い存在からの啓示とも一般的には呼ばれるものだろうが、その通りに確信するには至る。

それを用いた状態で言語を学ぼとする場合は何が必要で、何が必要ないのかが、確信をもって選択できる。これまでの混乱が噓の様に明確に解る。


何を優先すべきかというより、「何が優先であるか」という事。私の場合は感覚であるということ。

学んできた結果でもあるのだろうが、数学観の激変と自分は普通では無いと受け容れた精神だろうか。昔伯父と父が普通について盛んに話していたことを思い出してしまう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする