日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

数学からの復元感覚 20190114 0203追記

2018-12-28 01:40:53 | 日記
 前回の続きと言える数学の歴史。此れの学習を進めてみると成る程と言う感じを覚える。


感覚としてだが、数学の歴史を学び進めてみると、人間が留まっている状態での思考経過と過程が、発展的に表現され、問題に対して、どの様な経過を辿って来たのかが徐々に、海図を見つけて見方が分からなかった物を見る感覚で例えるなら、消えていた地図を火で炙ったら出てきている様なそんな風なモノに感覚の中では海図の感覚と重なる。


その感覚は楽しむものとして置いておいて(笑) そのこととは別にもう一つ思ったことは以前「刺されて刺すこと」 https://blog.goo.ne.jp/dark_angel_jam/m/201506 で書いたが女性たちの誤った認識の正体が、この数学の歴史を学んでいる過程で分かってきた気がした。


以前証明されていないのだろうかと書いたが、実は数学で証明されていたのだ!!


なる程なぁ~と明確な確信は今回はあるが、以前書いた記事の時では曖昧にしか説明できなかったから、途中から聞いていなかったものな、(私に(追加))質問した女性(苦笑)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

対数関数とデュープス

2018-12-15 00:05:01 | 日記
 対数関数に付いての理解すべき深度については以前書いた。ソレを踏まえた上で、その事を理解してみると、人にとって、大きい意味の対数とはどういう意味に為るのだろうかと思った。


以前書いたことはそれを正しく認識することに留まって居たと思う。多くの人がその先へは行っていないんじゃないかと文章などを見ると思える。これもGHQのWIGPの影響なのか解らないが。


そうした事を前提として先へ進んでみると、この事は人の認識状態の事何じゃないだろうかということに行き着く。ある二つの事がある場合について、最大でも人はこの様な認識の仕方をするというということを言っているのではないだろうか。


おそらく祖父が生きていたらこんな風に言うんじゃないだろうかという事を想像させる。


此処まで来れば、自分のモノの一つになった気がする。


感覚との統合が起こったから解るんだな。もう一つ数学の歴史学習しているが、成る程と納得させる事柄とも重なる。数学に限らず歴史は物事の対数的理解なんだなーっと言うことも理解させる。


この事を考えてみると、世界で議論されているCOPなどの環境問題などの西洋人の議論は敢えて間違った方へ誘導しているのか、分からなくて、結果的にそういう風に工作活動になってしまっているのか疑問にも思う。


最近興味を引いている戦略の話のものではデュープスというらしいが(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする