日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

目に見えないモノたち

2017-03-18 23:38:01 | 日記
 英語で考えを書く練習をしたくならない。理由を考えていた。感覚的に気持ちが悪くなるというのか、どういうことなのだろう。所詮は道具に過ぎないのに。

原因が最近まで解からなかったが、精神汚染される感覚になってしまうからだろうか?と思うようになった。

これに関係することとして、人の愛と謂うものに付いても同様のことがいえるのでは無いかと感じるようになった。

何故かといえば、人は人から生まれてくるのが当たり前のことであるが、これは誰しもが母をモチ父をモチ産まれ出る。

書くと当たり前のようにも思えるが、それは自分の事だけに目を向けた場合だけの事で、それが自分を己を知った上で第三者ではなく、当事者でありながら、第三者的視点として観る行為を行えるのは子孫を残すという場合というこになる。


此が、自分中心だけに見た場合で、もう一つが抽象的なモノに付いて。これは自分を認識した上で、目に見えないが確かにあるモノの存在がもたらすとこという現象。人との繋がりを紡ぐという行為によって産み出されて繋がる。あるいはそれが無い事でも生じる現象もあることで社会学講義で話されていたが、それが幻想でも、違法でも、合法でもただの結果として残るモノという話。

此に関連することが精子提供サイトなるものがあり、実際に行われているということ。これは米国にもある精子バンク或いは卵子バンクなるもモノが合法的にあるらしいが、合法違法という概念が崩壊する現象だと思う。それは実際の身体の行為があろうと無かろうと、どうでもいい問題の様にも思えてくる事柄の性質にも思える。


結果正しいとされる行為によって、制限され繋いでいけないという現象が生じるが、所謂生物の淘汰というヤツに成ってしまう。


多くの自分達が当たり前の様に親を持ち、誰しもが当たり前の様に思うが、実はそうではなく、多くの自分達が消えて逝く中で残されて往ったモノ。

自己中心になって征くと、生物としては淘汰されるという事を運命付けられている。


それはまるで本当に集団の魚やボルボックスという群というものの様に本当に見える。はぐれると酒に呑まる行為という風に。武田邦彦の話が響くな・・。

蛇足 そういえば此に近づく為の記事を何処かで書いた気がするけど何処だったかな。。


コメント
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