日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

群れの歪み   20201117

2020-11-16 19:36:06 | 日記
 偶然なのか何なのかとも思ったが、偶然ではないであろう、武田邦彦も以前のブログで、他人が何故自分ではないのだろうという初めて話す事として動画の中で話されていた。下の動画はそのことを話されている動画ではないがそんな事を思い出した動画である、さらに言えばTwitterでも。


そこで何が偶然なのかと言えば群れに付いて思いを馳せて居た。初め統計概念から、次第に朧げにどうも群れ全体に歪みがあるのでは無いかと思い始めたところで、ああそう言えば暗黙に慶応医学部で意図的に在籍している人に精子や卵子を提供しているということを思い出し、それから一般の事で全般的に何か試験内容も何か偏りがあり、それを助長しているのでは無いかと思い始めていた処に、心当たりの様なものを思い出したと言う事だった。


心当たりというのは小学時代のことであったが、様々な不定形を指定の図形を幾つ使っても良いのでその中から選びながら完成させるというものであった。その課題が次第に増えて行き150個位に最終的に為るのだが、そこでいつも私は初めは10位以内位だったが終いには1・2位くらいになり遂にには量の多い問題は1位に成る様になってしまったそれは初めは疲れたがその後は量は多いのに全く疲れなくなった。

そういう問題からわかる通り、教育学習形態にそういうモノに接続させた道と言うのか、指針と言うのか、方向性と言うのかを踏まえた教材の様なモノが不足していたと言う事。なぜそれを思うのかと言えば最近になって買った復刻版の「チャート式幾何学 復刻版」をみて此れだと言うのを感じたと言う事。

状況的に、苦悩し追い詰められている時でも当時直感的に感じ、感覚だけはあることで、学習している時に何か不足している事だけは解り、それを補うモノを探して、学校から帰ってから永遠と探し続けて居た不明なもの。漸く解ったという事か。

群れの歪みからの発生か。文字優位の人身の多さという事か。





幸福の杖1:コロナの夜明け
コメント
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