日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

武家の女性とジョジョ

2017-01-25 07:48:02 | 日記
 何故女性は強者である時に、人の性格を馬鹿にする者が多いんだろうか?


見ていると、女性だけの環境も其れは見受けられて、個人の考え方の中にも入り込んでいる様に見える。それは驚くべきことに、その勉強をしている者でさえそれが顕れるのだ。所謂女性の世界で言う性格の同調圧力と言うヤツなんだろうか?違うと思いたい。そう思える様に成ったのは今の学校のお陰だ。


振り返って。少なくとも私はそういうことをしない。私はその個人の行・為・を愚かに思ったり、その結果について軽蔑したりはするが。性格の結果で全て起きているとでもいうのだろうか。それこそ愚かなことだと思う。また最も嫌う行為であり、好きにも成らないだろうが、参考に指せてもらう所は学ばせて頂く。


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 そう考えていると、鬼平犯科長のことが浮かんでしまう。この中に出てくる長谷川平蔵側の女性達が大変魅力的で、恋する。心の在り方を持っているんだろうか。所謂武家の女性ということなんだろうか?品性があり気高いということなんだろうか?ジョジョのリサリサやエリナに感じるものにとても似ている気がする。


そんな事を考えていると、女性性の身体的魅力と内面の魅力に付いて想いに至る。やはり私は身体的魅力は切っ掛けにしか過ぎず、内面に惹かれるんだなっと。それにしても長谷川平蔵の奥さんは好きだなー(微笑)


蛇足 そういえば武家の女性と言う本があったな
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内的感覚の統合20170106-07

2017-01-06 00:00:23 | 日記
前に書いた、「感覚の日本語統合」

http://blog.goo.ne.jp/dark_angel_jam/e/18f1b223ca402ac40c84a3edf540a92c

から言葉の重なりが建築の土塀などに共通感覚があると記録した。

何週間も前から、何故私は昔大工の棟梁に成りたかったのか理解できない感覚だった。幼い日そう思ったのは単純に身近に其れに近い存在を見たからだと自身で納得させていた。


それでも何処か違うような気は時折して、その都度考えては疑問に思い、結論に達せず、そして何故か尊敬する祖父のことを思い、そしてまた幼い日の感覚を思い出そうとして、又、それを深く考えることなく月日が過ぎてしまった。


そして、漸くこの「感覚の日本語統合」を切っ掛けにして分かった。

大工の棟梁とは伝統を受け継ぐ存在であり、自身を情操させる感覚の象徴であったということ。また、それを思い描くときに祖父を思い出していたのは言語も得意であった祖父で日本語に特に興味を持っていたということ、そのこととそこから言葉を連想させていたということ。言葉は伝統を受け継いでいる文化であるということ。つまりは言葉は棟梁の道具であったのだ! 


だから、建てる時に道具がいいかげんだと、神経は磨り減るわ、グラつくわで、建てては崩れ〃でどうしようも無かった訳だ。


何故皆、読むことの処理が早くて、頭に入るのか分からなかったが、自身の内側として漸く腹に堕ちた。これは感覚的には運び入れられたと成るのかな(微笑)


あったっま悪いよな~。高校の頃なんか感覚なんて価値の無いモノなんて思って居たものな・・。

 武田邦彦が、感覚はとても大事だということを言って居て救われた気がしたんだよな。






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