日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

公に問うこと。

2017-07-28 18:21:41 | 日記
 爺さんのことに思いをよく馳せるが、聞いた話では帰ってきてからは学校でよく人の相談に乗っていたということらしい。今迄あまり意識して来なかったが、そういう気質はあったと言うことなんだな。それが現代ではこういう形に為るということか。そういう事を批判的に聞いていたからな。。本来はその行為者の心の内を聴くことなんだろうな。。好きだったものに触れてみるしかないよな。


 そこで気になってしまうのはNHKで放送されていた教育の問題点の話。此れについての指摘で受けていない者の不公平感が出るとか、そんな指摘は私がどう在るべきか語れば、それは当然であるといえる。

それは学びたいという志と矜持それに対する対価という関係のことを言いたいのだろうが、多く学び社会に貢献できる人材が増えるのは社会の活性化にも為るし、誰もが望んでいる可処分所得からの養育費の低減や、希望を次世代へ求めることで社会継続性を保つためにあるのであって当然の帰結であると言える。それをしないのであれば人は殺したって良いし、今しか無いのであれば、倫理そんなもの存在なんかしない。一切無だと言っているんだから誰が死のうと殺されようとなんの意味も無い。数学の0の話に似ている様にも思える。0に何を掛けたって変わらない、足したって足した分しか変わらない。


  また報酬にしても成果が高くて多く人が集まるものならば、それによって誠を行うものが、残って行き全体として報酬も下がっていく。それこそが既得権益の打破ではないのか。何を言っているんだ。


 根本的な社会構築をするべきではないのかな。帰納的に考え実行する政治の求め方を祖母はそういう様なことを語っていた。昔の人の話として。


蛇足 私がここに書くことで、どれだけ頒布されるのかは分からないが、私が出来るのはこう言う風に私が思うことを公に問う事だけだ。

コメント
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