政治への中正道という選択
菅さんは本当に駄目だな~。自民党の安部もおかしかったけど菅さんもこれほどとはな~。なんというか,自分の思想的capacityを超えると,理系が基本の頭の人って必ず頓珍漢なことを言うんだよな~不思議と。
それが基準がずれる原因だったりしてしまう。
そういう面では恐らく,小泉潤一郎は文系型思考をベースにしている人だと思う。平安奈良時代では文系の書物ができる人が重要視され,今で謂う科学者的な扱いがされていた。もちろんそういう人が自然と政治の世界へ言ったりするのは当然の成り行き。
いまでいうなら,一番の政治家向きは,文系でありながら,理系志向のひとではないだろうか。
中正道と嘉納治五郎もいっているではないか。これ最近知りましたが,でも,ああ・・やっぱりかというところであります。
ユダヤで然り。孔子然り。兵法の山鹿素行・孫子然り。ダーウィン然り。ヴェイユもそうじゃなかったか?。と,色々なもので中道が説かれる。日本の諺にも無かったかな・・?
人は簡単に視野が狭く為ってしまう。偏狭というやつかな。
年を経ってくれば仕方ないところはあるが,それでも私は柔軟でいたい。
そのことを知っているが,それを選択しないという選択。
これが本当の自分らしいという姿じゃないだろうか。
そういう面では言語に関してもそれはいえるんじゃないだろうかというのが私の考えである。
英語は音声表記という形に特化している。GHQは戦後日本語を止めさせよう図った。日本語は言葉が多すぎるからというのが彼らの理由らしいが。
実際は日本語は優れている言語だと思う。意味語と音語がバランスよく混ざっているから,先ほど述べた事柄につながるからである。
日本が簡単に外国文化を取り入れられたのは言語特性故じゃないだろうかと最近よく考える。
by 三宗 | 2010/09/10 01:42 | Comments(0)