日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

髭を生やした教授1

2014-01-14 00:05:09 | 日記
自分にとって大事だと思っていなかった映画。グッドウィルハンティング。


自分の好きな映画の二つ目とも言える作品。自分が何故好きなのか全く分からない。疑問という題名に相応しい事柄でもある。



当時は全く分からなかった。でも、涙ぐみ、涙を堪えて居たことは覚えている。当時も同じ場面だったような気もする。現在は泣いてしまった…


それはあの髭を生やした教授である。だから、早く爺さんに成りたいと思ったのかもしれない。それがどういう存在か知らずに。


なぜ日本には無いのかと当時は憤り、怒りにも近い感情を持っていた。


それでも主人公に共感して居たのだと思う。あんな才能はないと思うが(微笑)面接の場面での対応も似たものがある。難しいけどやって見ます的な(笑)


価値観が非常に近い。彼女との場面でも、きっと「私のこと・・・」と言われたら、恐らく同じ様に言ってしまうだろう。当時だったら確実。でも、現在は知識があるからとは思うが。


それでロビンウイリアムズを気にしていたのだろうか。


最後の手紙に書いてある笑が好きだ。それ故その種の笑が一番好きなのだろうか。


大学の教授の前で泣を流してしまった事がある。他にももう一人誰かいた気がするが、どうしようもなく涙が止まらなかった経験が・・。


あんな経験は初めてだったな・・・


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それにしても、何故印象深い映画なり時代劇の主人公の女性は医学生を志望するのか甚だ疑問だ(笑)何か一般然とした共通認識の様なモノがあるのだろうか⁇


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赤子らと日野原重明先生

2014-01-10 17:18:34 | 日記
 妹の子らが又家に泊まりに来るのか。なかなかキツイ。


原因は妹の腰痛に原因があり、ヘルニアにになってしまって、手術するレベルに成るまで悪化してしまったらしい。


私から言わせればそれはそうだろうという感じ。高校時代から、腰が悪くてヘルニアになりかけていたのに、更に4人も子供を出産したんだから。女性医学でやったお話に拠れば、日本人の体で健康な状態では3人が限界らしい。それ以上になると何らかの問題が生じるとか言っていた。


まあ、その授業の単位はテストに出た所が、ちょうど抜けたところだったから落としたんではあるが(笑)あれは絶対教授が仕組んだとしか思えない。(苦笑)わざわざその部分が中心のテストなんてあるか。まあ、女性についてのはなしだったから、ふぅ~ん。という感じで真剣に聞いていないような所はあったことは否めないが(苦笑)それに躊躇いのある時期だったからからな・・。
 
  

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それにしても本能的欲求がどうにか為らないものか。食欲に睡眠欲に安全欲求に排泄欲求に所謂性的欲求。


日野原重明先生の言われていたとおりだと思うな。自由に使える人間の時間なんてほんの僅かだという話。



上に述べたような事を抜いて行動すると、3時間かそこらという話。あとは満腹を少々感じるか、腹が減ってくるという話。



昔の委員長はだから少ししか食べなかったんだな・・。女の子っていうのもあるんだろうけど。それに食べない方が頭がよく回るらしいしな・・。本能的に知っていたのかそれとも教わったのか・・。
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恐怖の概念。相応しく混乱のまま

2014-01-07 17:08:03 | 日記
 最近、良く考える恐怖という概念。


人間の根源的な感情の一つであると思う。進撃の巨人でもそのことが一つのテーマであろう。


だが、私の感覚で一番近いのはshadow skillというアニメであった。それ故に始めて大人買いしてしまった作品であるが、この中でも恐怖が描かれていた。当時は何故感動したのか分からなかったが、此れは武士道の精神に近いということが後に分かる。


真剣の刀を前にしたときの人の心境が良く顕している様にも思う。此れは拳銃などでは感じることが出来ないのでは無いだろうか。良く切れる刀を見たことがあるがあれは本当に良く切れる。当てただけで切れてしまうのだ。


心理学で棒などは自分の体の一部として脳が感じる感覚があるというが、それに近いと思う。自分の体の一部として動き反射し反応するのだ。正にカラダの一部ということに成るのだろう。


私が思うに拳銃はどこまで行ってもカラダの一部になりえないと思う。その構造がそれを物語っている。確実にその部分を殺傷出来るというわけでも無い。その反応でハンマーが叩く作用により発射と成ったりするが、幾つもロス的な感覚があるように思う。不発もあるだろうし、詰まりもある。そして距離もある。自分の体の一部なら、絶対に外す事はありえない。ダメージを負って居ないなら動かなく成ることもありえない。


内的な話に戻ると実体験では喧嘩の時などではそういうものもある。前半で触れた一歩前へというあの一歩という表現が良く顕している様に思う。


有名なモノでは流浪に剣心の天駆ける竜の閃きという技だが、あれは単純に描いているが、あの部分が特に大事な部分だと思うし感じる。
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