かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 172(中国)

2019-02-23 18:29:28 | 短歌の鑑賞
    馬場あき子の外国詠22(2009年10月実施)【紺】『葡萄唐草』(1985年刊)
    参加者:Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:渡部 慧子 司会とまとめ:鹿取 未放


172 上海の苦悩重厚なりし日の魯迅の椅子も古りて沈黙す

      (レポート)
 「故郷を知るためには、異郷をさまよわねばならない」とはリルケのことばだが、上海の近隣、浙江省紹興市生まれの魯迅は、明治維新を遂げ、アジアにおける先進国であった日本に留学する。
リルケの言葉を証するように、魯迅は租界によって列強に蝕まれていた自国を認識するに至り、医学から文学に転向する。民衆の啓蒙のため魂に訴える文学の道を選ぶのである。帰国後は文学革命運動に加わり、論争の修羅に身を挺しながら、「狂人日記」「阿Q正伝」を発表する。
 「上海の苦悩重厚なりし日の魯迅」とは、先述の状況下の上海人民の貧困や精神の退廃など、さらにそれを切実に感じていたこと、また彼個人の作家としての内的苦悩をもさしていよう。誰も座っていない「椅子」をつつめる虚の空間とは実に不思議なもので、さらにそれが「古りて」いたとは、過ぎた時代や、不在の人を、様々に想像させていい素材である。中国と日本には、日清・日中の両戦争があったが、国交正常化を経て、今、一旅行者として、そこに立つ作者の胸中に万感迫るものがあったことであろう。(慧子)

     
      (当日意見)
★現代の中国を見ていると、魯迅の思想が現実に生きていないが、馬場訪問時も既にそうであった。
 中国の現状を重く受け止めた結句で、「古りて沈黙す」が効いている。(藤本)


      (まとめ)
 1983年、初めての海外旅行で中国を訪れた際の訪問先に魯迅記念館がある。その記念館の魯迅が座っていた椅子を眺めながらの感慨。魯迅は1936年没しているので、馬場たち一行が訪れたのは没後50年ちかく経ってからである。藤本さんの意見に賛成である。魯迅が格闘していた長い苦しい時代から50年、その頃の社会的政治的状況が解消したとは言い難く、更に重苦しい問題が加わっている現代、魯迅の苦闘の結果はあまり効果を発揮してはいないようだ。新しい時代の課題を解決するには新しい思想が必要なのだが魯迅を引き継いで発展させてくれる人間はいるのだろうか。そんな重い問いが「魯迅の椅子も古りて沈黙す」には籠もっているのだろう。(鹿取)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馬場あき子の外国詠 171(中国)

2019-02-22 20:23:11 | 短歌の鑑賞
    馬場あき子の外国詠22(2009年10月実施)【紺】『葡萄唐草』(1985年刊)
    参加者:Y・I、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:渡部 慧子 司会とまとめ:鹿取 未放


171 長江の彼方より春は来るといふ雨はれて上海の桃ほころびぬ

     (レポート)
 上海は江南と呼ばれる長江下流の南部に位置し、気候温暖な地として知られている。ちょうど杜牧の「江南の春」という七言絶句があり、それを念頭にしての掲出歌ではないだろうか。中国の春は桜ならぬ桃が喜ばれ、中国人の憧憬としての桃源郷を、私達もよく知るところだ。おりしも「雨はれて」よろこばしく当地上海を讃えるべく「桃ほころびぬ」と詠いあげたのだ。(慧子)
       江南春
    千 里 鶯 啼 緑 映 紅
    水 村 山 郭 酒 旗 風
    南 朝 四 百 八 十 寺
    多 少 楼 台 煙 雨 中

 
         (当日意見)
★上海への挨拶歌である。「長江の彼方」と言って場所を限定しなかったところも良い。(慧子)
★きれいすぎる。先生らしくない。(T・S) 


         (まとめ)
 1983(昭和58)年3月30日から4月4日まで朝日歌壇選者として訪問した馬場にとって初めての外国旅行である中国での作。馬場の中国旅行は3回、その旅行日程と旅行詠掲載歌集を馬場あき子全集別巻などより抜粋する。

○1983(昭和58)年3月30日~4月4日
  上海(魯迅記念館、玉仏寺など)
  杭州(西湖、六和塔、霊隠寺、拙政園、獅子林など)
  蘇州(西園、虎丘斜塔、上海など)
○1985(昭和60)年4月27日~5月3日
  蘇州、西安、北京
○1998(平成10)年
  シルクロード(ウルムチ、トルファン、敦煌、莫高窟、天山など)

■『葡萄唐草』   1985(昭和60)年11月   立風書房
「紺」13首
■『雪木』     1998(昭和62)年7月      角川書店
「向日葵の種子」11首
■『飛天の道』   2000(平成12)年9月      砂子屋書房
「飛天の道」21首
       「李将軍の杏」18首
       「砂の大地」21首

 異国に初めてやってきたわくわく感が、大づかみな景の捉え方と弾むようなリズムから伺える。
まさに憧れの土地への挨拶歌で、土地褒めとして長江、桃の花をたたえている。そういうわけでT・Sさんの「きれいすぎる」という非難は当たらない。レポーターが引いた漢詩「江南の春」の書き下し文は次のとおり。(鹿取)

      江南の春
   千里鶯啼いて緑紅に映ず
   水村山郭 酒旗の風
   南朝 四百八十寺(しひやくはつしんじ)
   多少の楼台煙雨の中

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馬場あき子の外国詠 63(アフリカ)

2019-02-21 15:37:19 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠7(2008年4月実施)
  【阿弗利加 3 蛇つかひ】『青い夜のことば』(1999年刊)P171~
  参加者:泉可奈、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:T・S      司会とまとめ:鹿取 未放


63 笛吹けど踊らぬ蛇は汚れたる手に摑まれてくたくたとせる

     (まとめ)
 汚れたる手、にリアリティがある。いかにも蛇使いを業としている人の手だ。蛇も疲れ切ってストライキをしたい時があるのだろう。「くたくたとせる」だから病気だった可能性もあるが、ストライキととって飼い主に抵抗を試みる蛇と解釈した方が、アフリカ一連の最終歌としてふさわしいように思われる。(鹿取)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馬場あき子の外国詠 62(アフリカ)

2019-02-20 19:17:50 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠7(2008年4月実施)
  【阿弗利加 3 蛇つかひ】『青い夜のことば』(1999年刊)P171~
  参加者:泉可奈、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:T・S      司会とまとめ:鹿取 未放


62 アフリカの乾ける地(つち)にとぐろなすもの飼ひならし老いゆくは人

     (当日意見)
★この蛇使いには、他になりわいの道がないのだ。(Y・S)


     (まとめ)
 眼前の蛇つかいを見ながら、ふっとこの老い人の生活を思っている。アフリカの過酷な風土で長年蛇を調教しながら生きてきた人間、あくどいようでもそれは生活の為である。その点では憎い顔をした蛇使いながらそこはかとない悲哀があり作者の同情がある。蛇と直接言わないで61番歌( すべらかにとぐろなす身を解く蛇のいかなれば陽に涼しさこぼす)を受けて「とぐろなすもの」と言っているところが面白い。結句も「人は老いゆく」となだらかに用言で止めず、体言止めで人を強調したところにも作者の思いが出ている。「アフリカの乾ける地」という生きる場の提示が、下句をよく活かしている。(鹿取)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馬場あき子の外国詠 61(アフリカ)

2019-02-19 19:03:42 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠7(2008年4月実施)
  【阿弗利加 3 蛇つかひ】『青い夜のことば』(1999年刊)P171~
  参加者:泉可奈、N・I、崎尾廣子、T・S、Y・S、
       藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
  レポーター:T・S      司会とまとめ:鹿取 未放


61 すべらかにとぐろなす身を解く蛇のいかなれば陽に涼しさこぼす

      (当日意見)
★どうしたら人に好かれるようになるのか。(慧子)
★慧子さんの意見では、「いかなれば」とそぐわない。とぐろを解いてのびのびと一本になったか ら涼しいのだ。身に負うのではなく解いたことで涼しさを感じている。(崎尾)


      (まとめ)
 袋から掴み出されて笛の音に合わせて身を解いていく場面であろうか。ぐるぐるととぐろを巻いていた蛇が、一本となってくねりながら陽に向かっていく時、涼しさをこぼすように作者には感じられたのだろう。とぐろを巻いて怒っているかに見えた蛇が、その身をゆったりとほどくときに見せる涼しさ、その推移が「いかなれば」という疑問を呼びこんでいるのだろうか。「陽に」とあるから笛に合わせて踊る夜の場面ではない。そういう場面を想像しての歌だろうか。(鹿取)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする