果たして自分が自分を第三者として見られるものかしら

2014-02-15 22:00:00 | 空見屋のスマホで絶句
世阿弥の「離見の見」は、可能か否か。 たとえば俳句を作るとき、写真を撮るとき、それが良い作品かどうかを選ぶとき、自分の中に第三者のクレバーな判断が必要になります。 初心者が陥りやすいのは、自分に甘く、独り善がりになる傾向です。一方ベテランが陥りやすいのは、初心の鮮度や勢いを失い、本来鑑賞者が見つけるべき美点を、作為的に先取りしようと画策しながら、それが機能していないことにあります。 結論 . . . 本文を読む
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