世阿弥の「離見の見」は、可能か否か。
たとえば俳句を作るとき、写真を撮るとき、それが良い作品かどうかを選ぶとき、自分の中に第三者のクレバーな判断が必要になります。
初心者が陥りやすいのは、自分に甘く、独り善がりになる傾向です。一方ベテランが陥りやすいのは、初心の鮮度や勢いを失い、本来鑑賞者が見つけるべき美点を、作為的に先取りしようと画策しながら、それが機能していないことにあります。
結論を急ぐと、自分で自分を律することは誰にとっても非常に難しい、ということでしょうか。
まぁ少々抽象的な物の言い方をしていますが、このへんの行ったり来たりをくり返しつつ、独自の「創造性」なるものは生まれて行くのかもしれません。
獣のみ通す堅雪踏みはせぬ 空屋