髙橋彩子/水母なら二万の聲を拾うはず

2018-11-10 20:35:28 | インナーポエット
初見の折は推すにためらいがあった。それは「二万」という言葉が東日本大震災後、死者数を示す言葉として多用されてきたからだ。私自身も使っている。心のどこかに〈かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを〉という長谷川櫂の短歌も影を落としている。確かに不用意に「死者二万」とはいうべきでない。死者は二万人であっても一人であっても、その死の軽重に変わりはないからだ。では、詩の言葉と . . . 本文を読む
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