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俳優の伴淳三郎さんを取材した日は、たまたま「あゆみの箱」チャリティショーの当日だった。
日比谷の宝塚劇場で午後3時というお約束だったが、伴さんはなかなか現れてくれなかった。私の前に新聞社の取材が入っていて、私の後も取材が詰ってオシテいるらしい。
リハーサルと準備で、とにかく息が上がるほどのご様子だったが。。立ち働いている若きスタッフさんたちには、いちいち立ち止まっては労いの言葉をかける伴さん、その姿はたいへんエネルギッシュであり、映画とは違って新鮮かつ印象的なものであった。
私とカメラマンが悄然と待っていると、伴さんはあたふたと忙しない足取りで歩いてこられ、学校の教室のようなガランとした空き室を見て「おう、まぁここでもいいだろう~さぁさぁどうぞ」と招じ入れてくれた。
教室の古めかしい机と椅子に向かい合って座り、それはさながら。。豪放磊落な先生とやたら緊張する生徒の二者面談である(笑)
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。。「あゆみの箱」や「一声運動」をお始めになったキッカケを教えてください
伴 昭和14年に初めて渡米した時、ハリウッドの俳優たちがある死刑囚の助命嘆願運動をしていた。デモ行進しながらプラカード掲げて。その姿を見て、あ~すばらしいなぁ、と思った。
その当時の日本では、活動写真の役者といえば・・まだ社会的に地位も意識も低かったが、アメリカじゃ違ってた。
そこで、芸能人である前に社会人であるという認識を新たにしたんだ。僕はこれじゃいけない、社会人になろうと思った。
今タレントタレントって、足るのか足らないのか知らないけれど(笑)そういう低い芸能界の風潮に染まらなかったのを、僕は唯一の誇りにしている。
。。社会福祉活動をやられていて、失礼ですが損得感情が出る時はございませんか?
伴 アンタ、損得というようなことを考えたらできないでしょ~そうでしょ!「あゆみの箱」を森繁クン(俳優の森繁久弥氏)あたりとやり始めて、それは本当に子供たちが可哀想だったからだ。
最初はそんな子供たちのこと、全然知らなかった。ところが東宝の川島雄三という監督さんが亡くなられる時、あの方は体は麻痺して五体満足でなくとも、頭はカミソリの様に切れた偉い人だった。
その川島さんが「俺は何も言えないけど伴ちゃん、こういう子供たちも居るという事をよく目で耳で知りなさい」と言われてね、そして初めて知ったんだ。
谷間に落っこちて陽の当らざる子を、どうして政治は見ないのか!国の福祉行政ってのはヒデェもんだな~と思ったよ。今でこそチャリティだのボランティアだのと盛んになってきたが、まだまだ、顕微鏡で見りゃ恐ろしいもんだ。
人間っていうのは常に互いに助け合わなければならない。「人」という字はホラ、互いに支えているでしょ。自分一人だけいい子になって生きようったって、そうはできないですよ。
僕は「遠くとも歩む道ある倖せ」という言葉が好きだ。僕のチャリティのサインの「しあわせ」という字はにんべんの付いた「倖せ」、もう十五万枚くらい書いてるな~まだ少ないもんですよ。
マジックで書いて捨てられると嫌だから、毛筆で書いて印鑑も押して、しつこいくらいだ(笑)忙しい忙しいと言ってもね、探せば間(ま)はあるもんだよ。
☆慌しい時間の中で、インタビューはあと少し続きます<1973年4月>(次回に続く)
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周りは田んぼと畑と道路しかない”真の闇”の世界に 突如イルミネーション出現!
都会の豪華版とは比べるべくもございませんが 田舎はこんな感じですヨ~って^^
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/a0/ecaab95fcccd8e59a94efc591985b22d.jpg)
もちろん、森繁久弥も好きです。
知床に行った時、ユースホステルで「知床旅情」合唱しました。
ピリカに似た女性と5日間くらい旅しました。
実家が京都で、しばらく文通が続いていました。
今頃どうしていることでしょう。
もう少し北に行けば空見さんに会えたかも知れません。
「遠くとも歩む道ある倖せ」
よい言葉ですね。胸に刻んでおきます。
「人」というより、「人間」として歩いて行きたいです。
人は人間より「間抜け(まぬけ)」ですから・・・(笑)
イルミネーション、きれいですね。
華やかでないのがいいです。
ボケが入り間抜けですが
ぼんやりと頭のてっぺんで光ってます♪
知床、行ったことがありません^^
いずれにしても似たようなところに住んでいましたのでネ。。もっと北上していたら、可愛らしい小学生の私が居たかも~
先ほどから年賀状のデザインなどを考えているのですが、あまり進みません。牛に引かれて・・闘牛場!?^^
コメントをありがとうございました
そちらも光っているのですか?自家発電?^^エコですね!イルミネーションを電飾として
本日作の一句→電飾の皓々と輝し冬ざるる (空見)
粛々と年末に向かって、ワタクシメは真面目に働いております。コメントをありがとうございました
ぼくも、年末までに一度は夜に出かけないといけないかな、そんな気になってきますね。
寒いのは嫌いなんですが…。
イルミネーションもどんどん進化していますね!
TVニュースでもたくさんの名所を見かけますが、競うように、夜を欺くばかりの美しさです~
この人工美はどこまで行くのでしょう。クリスマスまでは盛り上がるのかな?^^
夜の寒いのは、ホント耐えられません~星空を見る時は割りと耐えるんですが・・(≧∇≦)/
コメントをありがとうございました
水面に映る光がすてき・・・
イルミネーションの適度な華やかさが私も好きです。
バンジュンサン、大きな方だったんですね。
そのような方に急接近なさった空見さん!
またまた空見さんの一端を見せていただいたような気がします。
ますます空見さんの魅力にとりつかれそうです!
続きが楽しみ~。ドモ\(^_^
いよいよせわしなくなってきました!年の瀬ですね。
気ばかり焦って物事が進みませんヾ(@^▽^@)ノ あはっ!ナントカナルさ~と思うのですが
バンジュンさん、素顔はニコリともしないジェントルマンでした。役者さんは、画面の役柄とはまったく違うようです。過去の資料を探ていましたら、一番大事な
いろいろ褒めていただいて、がっ!恥ずかしくて穴にもぐりこみたい心境です。が・・たいへん有難く嬉しいコメントでした。テンキュウー
心温まるとともに、一社会人たれという
伴淳さんの思いが背をたたくようです。
さて、空見さん。このような機会を持つ
お仕事をされていたのですね。そのこと
にもへ~っと感じ入りました。まあそれ
以上の事には深入りする必要はないです
が..。色々な人と出会える。やっぱり
ブログ仲間の交流って楽しいなぁ。
さすがに30数年前のことですから、当時お会いできた方々も故人になられていらっしゃるようで。。
自分の記録として書いています。資料を調べてみると、自分の思い違い、記憶違いも多々ありまして
日本海岸沿いで育って、今は日光の山を見て暮らしています。いつの日にか日本海へ~と思いますが、新潟や佐渡にも行ってみたいですね。その節はヨロシクです。o@(^-^)@o。ニッコリ♪