「小熊座」8月号〈小熊座の好句〉より/高野主宰選評

2019-08-24 15:39:09 | インナーポエット

 

 

 

 


         サイゴンの西日が背に憑依する  神野礼モン



 平成25年5月NHK学園の企画でベトナムを訪れた。ベトナムの歴史に触れたり、ベトナム戦争の爪痕を目にしたりすることが目的の旅であった。途上、チャンパ王国のグエン王朝遺跡やホイアンの日本橋、そしてベトナム非武装地帯を見学した。
チャンパ遺跡にはベトナム戦争の銃弾跡が生々しく残っていた。かつての軍事境界線のヒエンルオン橋にも足を運んだ。周辺は非武装地帯とはいえ空爆を避けるため地下に防空壕が掘られ、当時、住民はそこで暮らしていた。産室もあったと記憶している。ヒエンルオン橋のたもとでは戦争で使用された枯葉剤後遺症による先天障害の子が物乞いをしていた。ベトナム戦争はまだ終わっていないと実感した。


 最終日はホーチミン市の観光。旧南ベトナム大統領官邸の屋上には大統領が官邸脱出の際使用したものと同様のヘリコプターまで置いてあった。旅行後半を案内してくれたガイドの若者は、ここはホーチミン市ではなくサイゴン市だと語気を強めた。サイゴンは言うまでもなく南ベトナムと呼ばれた頃の市名。今でもこの名を親しみを込めて使う人が多いようだ。彼の姉二人は1975年のサイゴン陥落の際、ボートピープルとなりアメリカを目指した。上の姉は無事渡ることができたが、下の姉は途中で亡くなった。自分は日本へ行き日本語を学びたいと熱を込めて語っていた。この句のサイゴンの西日は実に多くのことを迫ってくる。ベトナムが二つに分かれた原因はフランスやアメリカに多くあるが、戦中の日本軍の侵略も少なからぬ影響を与えている。ベトナム戦争を日本人も忘れてならないのだ。ベトナムを訪ねて6年が過ぎた。しかし、サイゴンの西日は、この句の作者同様、私の背中にも未だ憑依したままだ。


 




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