続きを書こうと思いながら、なかなか書けませんで。。アイ申し訳ありませんでした。
(本日の快晴の空 裸木が手を伸ばし 空を抱きとろうとしているようでした)
年末に積み残しのないように、この辺で見切り発送したいと思います。皆さまには暮れでお忙しい中、比較的お時間に余裕のある方限定にて?ご覧になっていただければ幸いでございます。
伴淳三郎さんは、1908年山形県のお生まれです。1951年斉藤寅次郎監督、高田浩吉主演の「吃七捕物帖・一番手柄」に出演した折に、「アジャジャーにしてパーでございます」のセリフが大受けしたのだそうである。
それを縮めた「アジャパー」という言葉が、当時大流行したといいます。今で言えば『流行語大賞』を貰えるくらいなものかもしれませんね。
二年後に斉藤監督で、『アジャパー天国』が彼の主役で封切られ、”バンジュン”の愛称で人気者・売れっ子スターとなりました。
松竹で『二等兵物語』シリーズ、続いて森繁久弥さんやフランキー堺さんなどと共演の『駅前シリーズ』が大ヒットしました。とぼけたお笑いに徹した『駅前シリーズ』は、私も子供の頃に何度も見て大笑いした、大好きな映画でした。
喜劇俳優として活躍する一方、シリアスな内田吐夢監督の『飢餓海峡』(水上勉・原作)にも主演していたのでした。コメディアンだけではなく、いわゆる「枯れた演技」もできる俳優、との評価に変わった作品のようです。(では12月16日の続きのはじまり~はじまり~♪)
* * * * * * *
「ぶっこわれ時計が”あゆむ”道」とのタイトルで、伴さんが「あゆみの箱」の会長として精力的に活動されていた、1973頃のインタビューです。
「ぶっこわれ時計」というのは、伴さんがご自分のことをこう形容されていたのでした。「人生、そんな生っちょろいもんじゃない。ワタシはぶっこわれ時計だけど、油差し差しこの道一筋に生きて行きたい」と。
この日はたいへんにダンディーでいらして、一部のスキもないスーツ姿。変わった模様のネクタイを締めておられました。コメディアンという軽い雰囲気はまったくなく、真面目で切れ者の実業家のようにも見受けられました。
。。喜劇俳優であり、またシリアス劇でも性格俳優として一級品と言われています。伴さんの芸域の広さ深さは、奉仕の心や溢れるサービス精神につながっているものでしょうか
伴 サービス精神っていえば、三波春夫さんなんか「お客様は神さまです」なんて。確かにサービスにかけては彼の上を行くべくもないし、あの努力というのはたいしたものです。どっちかといえば、サービス過剰とも言えるかもしれない。
ワタシはそんなことできないけど、微笑を持ってね、接している。見てくれる人は我々から離れないものです。やっぱりアイツはいい俳優だと思われたいから・・
サイン?ハイやりましょう!お話の会に来てくれないか?ハイ行きましょう!タタキ売りの人に、一緒にこれ叩いて売ってくれないかと言われて、そのお金何に使うんですか?・・(なるほどそれなら)ハイやりましょう!って。
。。たとえ”お客様は神さま”でも、コノヤロウ~と思うお客さんはいませんか
伴 それは我慢しなくちゃ。そこがキャリアですよ。「おい、バンジュン」と呼ばれても「ハイハイハイハイ」ってね(笑)バンジュンが伴さんになったり、オヤジ!になる。そういう態度のはたくさんいます。それに合わせるのが「サービス精神」でしょう。
しかし、癪に障るのもいます。私がご飯を食べていると「なんだおぃ、玉子丼しか食えねえのか」とか「おぅ、カツ丼なんか食ってんのか」とかね。いろいろ言われますよ、だけどそれにいちいち腹を立ててちゃいけないんです。
あっちの撮影所で乞食の役をやり、こっちでは汚い労働者役をやっていたりして、自分に還ることがなかなか難しいんだ。楽屋に戻っても、なかなか自分には還れない。そんな時、何か嫌なことがあるとついムッときてね、爆発する場合があるんです。いけないなぁと思います。
。。下積み時代にご苦労されて「役者」とか「芸人」という言葉がお嫌いときいています。その時代を思い返されていかがですか
伴 ”役者・芸人”嫌いじゃないが。。当たり前のことなんだけれどね・・。苦闘時代にはそりゃあ、今の若い人には分からないような”貧乏”をかみしめた階段がありましたから。
。。伴さんの今後の「生きがい観」をお聞かせください
伴 これからもっとやらなければならない事は「ボランティア運動」。今、ボクは金は欲しくない。やっぱり人間としてさ、バンジュンってのはこんな不可思議なことをやてきたんだ、という自分なりのものを残したい。それは倅がいるからだ。金なんか残したくないナ。
我々は五体満足であるということ。定年が来たから隠居して倅の厄介になって、小遣い貰って生活する。そんな生っちょろいもんじゃないと思いますね。ワタシはぶっこわれ時計だけど、油を差して支えていきながらね、この道ひとすじに行きたい。
喜劇俳優は喜劇俳優、政治なんて余計なところへ出る必要はない。やっぱり(映画やTVドラマに)使っていただいた、見た人に良かったねと言われて、調理師に・・それは監督やディレクターやプロデューサーだけど・・調理していただいて、役者として味わいが出るように努力しなくちゃならないと思う。
生きがいのある喜劇俳優として、また社会のために、この砦じゃなくてもう一つ越えた外で、人としてのお付き合いをして行きたい、と。
俳優・芸人としてじゃなく、一個の社会人として認めていただいて「じゃぁ、伴とも話し合いをしてみようじゃないか」と言われるようになりたい、イヤなろう!って今こういう風に思っています。
。。たいへんお忙しい中、ありがとうございました(礼)
* * * * * * *
伴さんは立ち上がって出ていかれるとき、振り返ってニッコリ笑い、よかったら「あゆみの箱」に寄付して行ってもいいんだからね~と冗談のように仰って、頭の中は「あゆみの箱」のことで一杯のようでありました。
お話の内容には、人生哲学的な部分があり、人間的に温かく素晴らしい方だと感じました。バンジュンさんが会長をしておられた時代の「あゆみの箱」が、一番活気があったと後年どなたかが回顧されていました。
1981年にお亡くなりになる時は、若い頃から同志のように苦労をしてきた元妻・清川虹子さんが看病、付き添われたとか。享年73歳。
思えば亡くなられたのはこのインタビューの8年後の事。とてもエネルギッシュ、何事にも前向きだった伴さんの、あの時の活き活きしたお顔やお姿が思い出されます。
寒波の中でも
真紅鮮やかに サザンカ(山茶花)
(本日の快晴の空 裸木が手を伸ばし 空を抱きとろうとしているようでした)
年末に積み残しのないように、この辺で見切り発送したいと思います。皆さまには暮れでお忙しい中、比較的お時間に余裕のある方限定にて?ご覧になっていただければ幸いでございます。
伴淳三郎さんは、1908年山形県のお生まれです。1951年斉藤寅次郎監督、高田浩吉主演の「吃七捕物帖・一番手柄」に出演した折に、「アジャジャーにしてパーでございます」のセリフが大受けしたのだそうである。
それを縮めた「アジャパー」という言葉が、当時大流行したといいます。今で言えば『流行語大賞』を貰えるくらいなものかもしれませんね。
二年後に斉藤監督で、『アジャパー天国』が彼の主役で封切られ、”バンジュン”の愛称で人気者・売れっ子スターとなりました。
松竹で『二等兵物語』シリーズ、続いて森繁久弥さんやフランキー堺さんなどと共演の『駅前シリーズ』が大ヒットしました。とぼけたお笑いに徹した『駅前シリーズ』は、私も子供の頃に何度も見て大笑いした、大好きな映画でした。
喜劇俳優として活躍する一方、シリアスな内田吐夢監督の『飢餓海峡』(水上勉・原作)にも主演していたのでした。コメディアンだけではなく、いわゆる「枯れた演技」もできる俳優、との評価に変わった作品のようです。(では12月16日の続きのはじまり~はじまり~♪)
* * * * * * *
「ぶっこわれ時計が”あゆむ”道」とのタイトルで、伴さんが「あゆみの箱」の会長として精力的に活動されていた、1973頃のインタビューです。
「ぶっこわれ時計」というのは、伴さんがご自分のことをこう形容されていたのでした。「人生、そんな生っちょろいもんじゃない。ワタシはぶっこわれ時計だけど、油差し差しこの道一筋に生きて行きたい」と。
この日はたいへんにダンディーでいらして、一部のスキもないスーツ姿。変わった模様のネクタイを締めておられました。コメディアンという軽い雰囲気はまったくなく、真面目で切れ者の実業家のようにも見受けられました。
。。喜劇俳優であり、またシリアス劇でも性格俳優として一級品と言われています。伴さんの芸域の広さ深さは、奉仕の心や溢れるサービス精神につながっているものでしょうか
伴 サービス精神っていえば、三波春夫さんなんか「お客様は神さまです」なんて。確かにサービスにかけては彼の上を行くべくもないし、あの努力というのはたいしたものです。どっちかといえば、サービス過剰とも言えるかもしれない。
ワタシはそんなことできないけど、微笑を持ってね、接している。見てくれる人は我々から離れないものです。やっぱりアイツはいい俳優だと思われたいから・・
サイン?ハイやりましょう!お話の会に来てくれないか?ハイ行きましょう!タタキ売りの人に、一緒にこれ叩いて売ってくれないかと言われて、そのお金何に使うんですか?・・(なるほどそれなら)ハイやりましょう!って。
。。たとえ”お客様は神さま”でも、コノヤロウ~と思うお客さんはいませんか
伴 それは我慢しなくちゃ。そこがキャリアですよ。「おい、バンジュン」と呼ばれても「ハイハイハイハイ」ってね(笑)バンジュンが伴さんになったり、オヤジ!になる。そういう態度のはたくさんいます。それに合わせるのが「サービス精神」でしょう。
しかし、癪に障るのもいます。私がご飯を食べていると「なんだおぃ、玉子丼しか食えねえのか」とか「おぅ、カツ丼なんか食ってんのか」とかね。いろいろ言われますよ、だけどそれにいちいち腹を立ててちゃいけないんです。
あっちの撮影所で乞食の役をやり、こっちでは汚い労働者役をやっていたりして、自分に還ることがなかなか難しいんだ。楽屋に戻っても、なかなか自分には還れない。そんな時、何か嫌なことがあるとついムッときてね、爆発する場合があるんです。いけないなぁと思います。
。。下積み時代にご苦労されて「役者」とか「芸人」という言葉がお嫌いときいています。その時代を思い返されていかがですか
伴 ”役者・芸人”嫌いじゃないが。。当たり前のことなんだけれどね・・。苦闘時代にはそりゃあ、今の若い人には分からないような”貧乏”をかみしめた階段がありましたから。
。。伴さんの今後の「生きがい観」をお聞かせください
伴 これからもっとやらなければならない事は「ボランティア運動」。今、ボクは金は欲しくない。やっぱり人間としてさ、バンジュンってのはこんな不可思議なことをやてきたんだ、という自分なりのものを残したい。それは倅がいるからだ。金なんか残したくないナ。
我々は五体満足であるということ。定年が来たから隠居して倅の厄介になって、小遣い貰って生活する。そんな生っちょろいもんじゃないと思いますね。ワタシはぶっこわれ時計だけど、油を差して支えていきながらね、この道ひとすじに行きたい。
喜劇俳優は喜劇俳優、政治なんて余計なところへ出る必要はない。やっぱり(映画やTVドラマに)使っていただいた、見た人に良かったねと言われて、調理師に・・それは監督やディレクターやプロデューサーだけど・・調理していただいて、役者として味わいが出るように努力しなくちゃならないと思う。
生きがいのある喜劇俳優として、また社会のために、この砦じゃなくてもう一つ越えた外で、人としてのお付き合いをして行きたい、と。
俳優・芸人としてじゃなく、一個の社会人として認めていただいて「じゃぁ、伴とも話し合いをしてみようじゃないか」と言われるようになりたい、イヤなろう!って今こういう風に思っています。
。。たいへんお忙しい中、ありがとうございました(礼)
* * * * * * *
伴さんは立ち上がって出ていかれるとき、振り返ってニッコリ笑い、よかったら「あゆみの箱」に寄付して行ってもいいんだからね~と冗談のように仰って、頭の中は「あゆみの箱」のことで一杯のようでありました。
お話の内容には、人生哲学的な部分があり、人間的に温かく素晴らしい方だと感じました。バンジュンさんが会長をしておられた時代の「あゆみの箱」が、一番活気があったと後年どなたかが回顧されていました。
1981年にお亡くなりになる時は、若い頃から同志のように苦労をしてきた元妻・清川虹子さんが看病、付き添われたとか。享年73歳。
思えば亡くなられたのはこのインタビューの8年後の事。とてもエネルギッシュ、何事にも前向きだった伴さんの、あの時の活き活きしたお顔やお姿が思い出されます。
寒波の中でも
真紅鮮やかに サザンカ(山茶花)
2008年はたいへん、お世話になりまして、ありがとうございました。
「句写美・1」は、春まで冬眠に入りましたが、
「句写美・2」は、頑張っております。
http://koufuu52.shashin-haiku.jp/
どうぞ、これまで同様にご訪問くださいますように、お願いいたします。
2009年のよいお年をお迎えくださいますように。
句写美じぃじ
悲劇の主人公、勿忘草は、クルクルパ~です。
真紅のさざんかのように美しく咲けないまま
今年も散りそうです♪
お世話になりました。
これ、いまわの台詞ではありません。(笑)
来年もよろしくです♪(ニッコリ♪)
有難う御座います。
どうぞ良いお年を、、、
とんでもございません、お世話になったのはこちらの方です、ご丁寧なご挨拶恐縮です。
今年もあと僅かですが、来年も宜しくお願いします
○○パーだなんで、禁止用語じゃありませんでした?( ´艸`) アジャパー・・特に意味もありませんが。
ステキで几帳面で清潔な勿忘草さんに、来年は”彼女”ができますように~と祈っていますから(ヽ(*^‐^)人(^-^*)ノ)ガンバッテ
来年もどうぞヨロシク!ますます冴えたコメントバックに磨きをかけてくださいね
こちらこそいろいろ「ありがとうございました」
ブックマークに入れてくださったんですね。わぁ~頑張らなきゃ(*o☆)\バキッ!
年末年始、こちらは特に忙しくもないヒマジンなので、ブログは続けます。時々覘いてください、励みになります。来年もお見捨てなきよう。。よろしくお願いします~
「アジャジャー」って、どういう意味なんだろうと気になってますじょw「ジャージャー麺」みたいですね~。。。関係ないわな~
風邪で今夜の忘年会行けなかったじょw
きれいな山茶花に癒されました
寒波の中でこそ咲くさざんかに心ひかれます。
バンジュンさんから学ぶこといっぱいありますね。
自分には厳しくおごらず、謙虚、しかし心は熱く・・・
これぞおとなの男性と思います。
ヒイラギ南天もう花芽を持っているって?
(*_*) マイッタ
花は目立たないけど良い香りが漂って驚いたことがあります。
御縁が広がりこうして空見さんの所に遊びに来れる日々うれしいかぎりでございますぅ。
来年もよろしくおねがいいたしますね~。ドモ\(^_^
そうなんです「アジャジャ-」って、なんだろう??
あの時、訊けばよかったのにね。35年も経ってあとの祭りw。。
風邪が酷いようですね。どうしたんだろう、たいへんだね。でも忘年会へ行って友達に移したら気の毒だから・・行かないで正解ですw残念だけどww
山茶花もがんばっていますじょ。早く風邪が治るように祈っていますよ。ビビアンヌさん来年もヨロシクですじょ
バンジュンさん、今生きていたら100歳くらいかな~?
速いスピードで生きている人だなぁ・・と思っていました。頑張れるだけガンバル人だったような。「全力投球」という言葉がピッタリでしたネ。
今年は一年が長く感じました。norikoさんのような、ステキな人たちともお近づきになれて、ラッキーでした。
ところでヒイラギナンテンのお花、匂いをかぐのをうっかりわすれました。ん~、明日買い物ついでに、又公園まで行って確認したいです(←ビョーキかにゃ?^^)コメントありがとうございました