長谷川素逝/しきりなる落花の中に幹はあり

2021-05-31 16:48:30 | 青萄の第六絶滅期俳句Ⅱ

 

 

 

 

 

地面を真っ白に散りしくエゴの花…見上げる枝にはみっしりともう実ができかけてもいる 季語で落花となれば桜のことではあるのだが…エゴの落花も見事なり

 

 

 

 

ノムラモミジ

 

 

 

 

トリアシショウマ

 

 

木下闇にシャガの花↓

 

 

 

 

 

 

落花に湿る落陽の秋津島/青萄

 

 

 

 

 

 

 


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Unknown (青萄)
2021-05-31 21:17:47
『方丈記』を書いた鴨長明は、集中的に災難にみまわれた体験者である。
23歳「安元の大火」、26歳「治承の辻風」、同年「福原遷都」、27歳「養和の飢饉」、31歳「元暦の大地震」、この全てがごく近い京阪地区での出来事である。
災害も多く、人も信用できず、望みの持てない世の中でどう生きればいいのか…長明は少欲知足、自給自足的な生き方を模索する。
それまでは平安貴族のような生活だったが、「もしなすべき事あれば、すなはちおのが身をつかふ」「もし歩くべき事あればみづから歩む、苦しといへども、馬鞍牛車と、心を悩ますにはしかず」と。
しかし『方丈記』のラストでは…自分がここまで語ってきた固い信念さえも、執着ではないのか?と疑問を投げ、ゆらぎを吐露しているのが清々しくもある。
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