日中のスパーマーケットは、たくさんのお年寄りが買い物に来ている。外に仕事に行っている女性以外の主婦も、もちろん多いのだが、見渡すかぎり、高齢者が多いのが特徴的である。
今日は、お天気も悪く、外も暗いので、私の話も少し暗めになりますが、どうか皆さま、ご勘弁、ご辛抱くださいませ。
おおむね、おばあさんお一人、時々おじいさんお一人、もいらっしゃるけれど、ご夫婦連れもかなりいらっしゃる。
田舎ゆえ、車が必要不可欠なので、おじいさんは運転手として、必ずついていらっしゃるらしい。二人で相談しながらの、食材の買出し。いっけん微笑ましいような気がするが、そこにも修羅のドラマがある。
リタイアして十数年という感じの、気弱そうなおじいさんに、居丈高にふるまうおばあさんが、結構よくいるのだ。見ていて、たいへんに気分が悪い。ああ、この老夫婦も、またか、と思う。
(おそらく?)若い頃に、仕事で家庭を顧みなかった夫の、典型的な老後がそこにある。妻は、長年耐えてきた不平不満を、この時とばかりに晴らしてでもいるかのようだ。
家事や、料理の事、買い物の事など、日常の家庭生活の流れというものが、何ひとつ分かっていない夫を、見下し、嘲笑し、優越感にひたる顔、顔、それは醜い顔。
ああ、嫌だ。こんなふうには、私はなりたくない、と思う。
いくら不器用な夫でも、根気よく教えれば、立派に独り立ちできるだろう。家事も、料理も、買い物も。妻側が、先に死ぬことを考えれば、教えておくことが”愛情”ではないのか。などと、ひとごとながら、気になってしまう。私がいないと、あの人は駄目なのよ~!、は考え違いというものだろう。
一人暮らしのおばあさん、一人暮らしのおじいさん、どちらもシャキッとして、凛々しく、清々しい。
一人で生きるということの、”怠けちゃいけない姿勢”を感じる。むろん、そんな人はまだ少数かもしれないけれど、孤独と向きあい、自分を律する智慧を持っている。こんな人には、誰もが応援してあげたくなるものだ。
私の親たちの世代では、「離婚」というのは、はなはだしく”不名誉”なことであった。どんな理不尽な相手であっても、一生がい添い遂げるのが”美徳”とされていた、らしい。
親族の中で、周囲の離婚した人間を軽蔑しながらも、嫌いな夫と、無事に添い遂げた人がいた。しかし、お墓だけは別にしたのだ。先に夫が亡くなったので、お骨は、先祖代々のお墓に入れた訳だが、その後、自分は新たにお墓を作って、そこに入るようにしていた。
それほどまでに…と、私は思った。むしろ、「離婚」すれば良かったケースではないのか、などど余計なお世話が、頭をよぎったほどだ。
佐江衆一の「黄落」という小説の中で、おばあさんが少し耄碌してきて、一緒にいるおじいさんを「知らない男が、私のお部屋に来て、私を怒鳴るのよ~。助けて~」と、お嫁さんにすがって、騒ぐシーンが出てくる。
これまで普通に、たいした波風もなく、暮らしてきたような老夫婦であった。すでに初老のその息子は、この事態に驚愕する。母は、これほどまでに、父を嫌っていたのか、と。
母の心は、若い娘時代に戻っていた。長男のお嫁さんを、自分の実母だと思い込んでいる。「お母さん、お母さん!あそこの、あの変な男がね!」と、訴える。
長男が「あの人は、あなたの旦那さんなんだよ。しょうがないなぁ、お母さんは。忘れちゃったのかい?」と言えば、「嘘よ、そんな嘘言わないで!私はね、結婚なんか、一度もした覚えはないのよ。さぁ早く、あの変な男を、つまみ出してちょうだい!もう、顔を見るのも嫌」、と。
おじいさんは、「ふん。馬鹿者が。くだらないことを言いやがって…」、と素知らぬ顔で、一心に何かを食べ続けているのだ。妻を長年、小間使いの如くアゴで使ってきた、尊大な夫の姿が、見え隠れする。
おばあさんは、母と信じて疑わないお嫁さんから、決して離れないので、夜はお嫁さんがおばあさんと一緒に寝ることになった。それで、おばあさんの気持ちが落ち着くのを、少し待つことにしたのだった。
このように、「結婚」とは、不可解である。男と女は、死ぬまで一緒にいても、分かり合えないものなのかもしれない。何か、恐ろしい気もする。娘にいわせれば、お母さんの話を聞いていると、ゲッソリして結婚する気もなくなるわ~、などと言われてしまうけれども。。。
まぁ、そのくらい怖がらせておけば、結婚に浮かれて、あまりに過剰な期待?をしなくなり、かえって良いかも、などとうそぶいている私は…いつだって”反面教師”の母親である。そっと、「生きることを怠けちゃいけない」と、自分につぶやいてみる。
(常に行動を共にする、健気なガチョウの夫婦)
人気ブログランキング ポチッ!とお願いします現在14位辺りにおります(合掌)
今日は、お天気も悪く、外も暗いので、私の話も少し暗めになりますが、どうか皆さま、ご勘弁、ご辛抱くださいませ。
おおむね、おばあさんお一人、時々おじいさんお一人、もいらっしゃるけれど、ご夫婦連れもかなりいらっしゃる。
田舎ゆえ、車が必要不可欠なので、おじいさんは運転手として、必ずついていらっしゃるらしい。二人で相談しながらの、食材の買出し。いっけん微笑ましいような気がするが、そこにも修羅のドラマがある。
リタイアして十数年という感じの、気弱そうなおじいさんに、居丈高にふるまうおばあさんが、結構よくいるのだ。見ていて、たいへんに気分が悪い。ああ、この老夫婦も、またか、と思う。
(おそらく?)若い頃に、仕事で家庭を顧みなかった夫の、典型的な老後がそこにある。妻は、長年耐えてきた不平不満を、この時とばかりに晴らしてでもいるかのようだ。
家事や、料理の事、買い物の事など、日常の家庭生活の流れというものが、何ひとつ分かっていない夫を、見下し、嘲笑し、優越感にひたる顔、顔、それは醜い顔。
ああ、嫌だ。こんなふうには、私はなりたくない、と思う。
いくら不器用な夫でも、根気よく教えれば、立派に独り立ちできるだろう。家事も、料理も、買い物も。妻側が、先に死ぬことを考えれば、教えておくことが”愛情”ではないのか。などと、ひとごとながら、気になってしまう。私がいないと、あの人は駄目なのよ~!、は考え違いというものだろう。
一人暮らしのおばあさん、一人暮らしのおじいさん、どちらもシャキッとして、凛々しく、清々しい。
一人で生きるということの、”怠けちゃいけない姿勢”を感じる。むろん、そんな人はまだ少数かもしれないけれど、孤独と向きあい、自分を律する智慧を持っている。こんな人には、誰もが応援してあげたくなるものだ。
私の親たちの世代では、「離婚」というのは、はなはだしく”不名誉”なことであった。どんな理不尽な相手であっても、一生がい添い遂げるのが”美徳”とされていた、らしい。
親族の中で、周囲の離婚した人間を軽蔑しながらも、嫌いな夫と、無事に添い遂げた人がいた。しかし、お墓だけは別にしたのだ。先に夫が亡くなったので、お骨は、先祖代々のお墓に入れた訳だが、その後、自分は新たにお墓を作って、そこに入るようにしていた。
それほどまでに…と、私は思った。むしろ、「離婚」すれば良かったケースではないのか、などど余計なお世話が、頭をよぎったほどだ。
佐江衆一の「黄落」という小説の中で、おばあさんが少し耄碌してきて、一緒にいるおじいさんを「知らない男が、私のお部屋に来て、私を怒鳴るのよ~。助けて~」と、お嫁さんにすがって、騒ぐシーンが出てくる。
これまで普通に、たいした波風もなく、暮らしてきたような老夫婦であった。すでに初老のその息子は、この事態に驚愕する。母は、これほどまでに、父を嫌っていたのか、と。
母の心は、若い娘時代に戻っていた。長男のお嫁さんを、自分の実母だと思い込んでいる。「お母さん、お母さん!あそこの、あの変な男がね!」と、訴える。
長男が「あの人は、あなたの旦那さんなんだよ。しょうがないなぁ、お母さんは。忘れちゃったのかい?」と言えば、「嘘よ、そんな嘘言わないで!私はね、結婚なんか、一度もした覚えはないのよ。さぁ早く、あの変な男を、つまみ出してちょうだい!もう、顔を見るのも嫌」、と。
おじいさんは、「ふん。馬鹿者が。くだらないことを言いやがって…」、と素知らぬ顔で、一心に何かを食べ続けているのだ。妻を長年、小間使いの如くアゴで使ってきた、尊大な夫の姿が、見え隠れする。
おばあさんは、母と信じて疑わないお嫁さんから、決して離れないので、夜はお嫁さんがおばあさんと一緒に寝ることになった。それで、おばあさんの気持ちが落ち着くのを、少し待つことにしたのだった。
このように、「結婚」とは、不可解である。男と女は、死ぬまで一緒にいても、分かり合えないものなのかもしれない。何か、恐ろしい気もする。娘にいわせれば、お母さんの話を聞いていると、ゲッソリして結婚する気もなくなるわ~、などと言われてしまうけれども。。。
まぁ、そのくらい怖がらせておけば、結婚に浮かれて、あまりに過剰な期待?をしなくなり、かえって良いかも、などとうそぶいている私は…いつだって”反面教師”の母親である。そっと、「生きることを怠けちゃいけない」と、自分につぶやいてみる。
(常に行動を共にする、健気なガチョウの夫婦)
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我が家の親父もいばりくさって、母親に迷惑をかけることしきりです。
こんな状態では、母親の苦労が絶えません。
まさに、トーコさんのおっしゃるとおりだと思いました。
さて、これを自分の身に置き換えてみますと、やはり老後は同じようになるような気もします。
男と女、所詮他人同士だったのですから、仕方が無いのでしょうか。
歳をとるのが怖くなってきます。
最後のガチョウの写真を見たときに、ハッとさせられました。
家の中に飾っておけば、家庭円満になるような気がしました。
先週、長野県のある村に行きました。
社会福祉協議会が運営している、認知症になった人達をケアするグループホームを見学させていただいたんです。
とても恵まれたホームで、皆さん穏やかにお暮らしでしたが、あるおばあさんがなんとも可愛らしくて!!
その辺の子どもよりずっとずっと可愛くて、童女って
こういう人を言うんだと思いました。
お話もしっかりできるし、掃除機もかけてたし、食事も食べこぼさず、
仲間の惚けたおじいさんのお世話をさりげなくこなし、
職員さんにとっても感謝されていました。
お顔から一瞬も笑みが消えることが無いくらい、にこにこしていて、
こちらまでつられて微笑んでしまう。
この方のどこが惚けているのかしらと思ったけど、それより、
どういう生き方をしたらこんなに菩薩様みたいに微笑みの中で生きていけるのかしら?と。
あのお顔を見れただけで、片道4時間かけて行ったかいがありました。
うちの両親がそう。
30年近く前に肝ガンで入院して、45日後に父は
亡くなりました。母はホッとした顔をしました。
毎晩のように父は酒乱になり母を蹴ったり叩いたり
したものだから、そういう顔になるのもいたし方ないかも知れません。
今でも母は叩かれた記憶が(半分ボケてますけど)
鮮明に甦ってくるみたいです。
「なんで離婚せんかったと?」と訊くと、「子供の
ことば考えたらでけんかった」と言います。
それに現代ほど女が旦那に離縁状を叩きつけるのは
容易でなかったと思います。
山の食材を仕入れるためです。
(食材といってもほとんどツマミですが・・・)
朝食は毎日作っています。
料理は子供の頃からやっていました。
魚は自分で選びます。
夫婦といえども他人ですね。
掃除、洗濯も別々にやる時があります。
口でいうより自分でやったほうが早いからです。
明日から上高地に行きます。
バスがないので歩いて入ります。
どんな出会いが待っていることでしょう。
読んでたんですが、
ツッコミどころが見つからなくて。
うちでは何もかも妻に依存してます。
朝食昼食夕食すべて作ってもらいます。
経済面は私じゃなんにもわかりません。
妻にべったりです。
好きで結婚したのですから、
他人ではありません。
親兄弟以上の関係です。
それじゃあ年とって困るぞ、と
Samyさんなんぞからツッコマレますが、
何も「保険」みたいな人生を考える必要は
まるっきりないと私は思う。
妻に対する愛情は
25年分の厚みがあります。
私は友達はいらない。
妻一人がいればいい。
そのうち何とかなるじゃろう?
やっかいな問題提起だったのに、よく真摯に答えてくださいました。感謝します。
心がけの問題、とバッサリいわれれば、そうかもしれませんが、やはり感情のある人間同士、そうセオリー通りには、いかないだろうなぁ、と思います。
諍い合いたくは、当然ありませんが、男と女、本当に分かり合えるのか?となると、疑問もあります。
人の振り見て吾が振り直せ、などといいますから、お互い、せいぜい気をつけましょう。
ガチョウの写真は、ほのぼの~、でしょ!(笑)一生懸命、エサを探して食べています。ゆずり合うこともなく、羨むこともなく、淡々と、嘆かず、自分が探し出せた分のエサに満足して、この夫婦はいつも一緒です。つがいの鳥に、教えられることが、多々ありますよ。
コメント、ありがとうございました(合掌)
そうですか、長野県のグループホームを見学してきたのですか。今、分からなくても、年老いて分かってくる事だって、あるのかもしれませんね。
その童女のようなおばあさん、まるで、天使みたいです。
この前見た新聞に、終末ケアのお医者さんのエッセイみたいなものが載っていましたが、のっちさんが会ったおばあさんのような、とっても良い「ニッコリ」のお話でした。
どんな辛い治療でも、終わった時に、必ずニッコリと笑ってくれて、医療関係者さんたちが、ずいぶんとこころ癒され、助けられたそうです。そのおばあさんは、結局亡くなった訳ですが、あの天使のような笑顔は、いつまでも忘れられない、と先生は仰っていました。
のっちさん!私たちも、そんなおばあさんになりたいですね。ホントに良い経験をされました。今後の事、応援していますよ!
コメント、ありがとうございました(合掌)
昔は、どんな男性と結婚しても、女性からは別れられなかったのですね。死別か、夫から離縁される以外は、「離婚する」などという発想も、あまりなかったようです。
殺されるような身の危険を感じても、運の良いひとは「縁切り寺」に駆け込めたでしょうが、普通は、我慢の一生だったと思います。
酒乱の人は、お酒が入っていないと、比較的おとなしいのです。お酒が入ると、日頃抑えていた、すべての鬱憤が出るのでしょうね。うちの親も、スエツグさんのところと、同じでした。
そんなこんなの、長い年月でした。子供の頃の私は、父親の死を願うような、悲惨な子どもだった。でも、父は丈夫な人で、米寿近くまでの長生きでしたよ(笑)母は、65歳で亡くなりましたが。。。
まだまだ、男性上位の社会ですが、こと夫婦に関しては、女性上位のようです。男性が、早々と戦線離脱したのかな?(笑)難しいですね、結婚生活って…。
コメント、ありがとうございました(合掌)
昼間のスーパー、お年寄りが多いです。まぁ、私も年寄りのぶるいですけれど(笑)
山小屋さんのように、自立している夫は、めずらしいですよ。あ、でも、最近はそうでもないかなぁ~。
リタイアした人で、奥さんは遊び呆けていて、旦那さんが主夫しているお宅、知っています。誰が見ても、奥さんはやりたい放題。連絡ナシに朝帰りでも、旦那さんは、文句ひとつ言わないそうです。
世間は広いのですね。ケースバイケースなのでしょう。まぁ、私がその奥さんの夫なら、迷わず離婚しますけどね。あはは。
明日は、上高地ですか?月間4~5回は山ですね。年間、50回ですから。羨ましいかぎりです。行ってらっしゃい~
コメント、ありがとうございました(合掌)
あはは。まぁ、kiriyaさんから見れば、世間の夫婦は、アホでしょうね。
”kiriyaさんの幸せ”には、誰も、文句のつけようがありません。すごいですね、たいしたものですね、と言うしかありませんよ。
>親兄弟以上の関係です。
>私は友達はいらない。
>妻一人がいればいい。
ここまで断言できる人に、はじめてお会いしました(←いや、実際に会った事はないけれど)
なるほど、kiriyaさんに「保険」など、無意味です。そのまま、突っ走ってください。陰ながら、応援させてください
コメント、ありがとうございました(合掌)