写真は鬼怒川温泉(小佐越駅周辺)裏道↓鬼怒川にささやかにかかる隠れ橋?から見えた日没の様子です。
市井には偉い人がたくさん居るんだよなぁ、とつくづく思う。私は寡聞にして存じ上げなかったが、元灘高教師・橋本武さんは、独特の国語教育法で、多くの優秀な生徒を世に送り出したという。
橋本先生が使う教材は、中勘助の『銀の匙』一冊だけだった。あとは自作のプリント。これだけで中学三年間の授業を行った。本人も「突飛な授業」と呼ぶこの教育は、後に生徒たちの「学力の背骨」となり、何十年も心に残った。
その授業は、ひとつひとつの言葉の意味を深く掘り下げ、凧の話が出てきたら凧を作って揚げてみる、という徹底したものだった。もちろん授業の速度はきわめて遅く、何の役に立つのか!と言われた。しかし彼は「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなります」と返した。
五十年間の教職を辞してからも、乞われては繰り返し『銀の匙』を講じた。神奈川県知事・黒田祐冶、東大総長・濱田純一など、教え子たちは各界に広がり、橋本先生の『銀の匙』の授業は、いまも語り継がれている。(9月11日没、101歳) 信念の教師に合掌
そういえば・・私の中学にも、教科書を一切使わない社会科の先生が、ある日突然どこからか赴任してきました。教わる内容は、田舎の中学生相手には難解だったような気がします。授業はほとんど覚えていないのですが、先生の真剣な表情や、迫力ある授業のシーンは映像として思い出せます。
悪ガキどもが偵察をかねて借家に訪ねて行くと、「おお~よう来たなぁ」と、満面のそれは優しい笑顔で迎えてくれるのでした。あばら家ともいえる先生のお住まいは、いわゆる「貧乏人の子沢山」状態でシッチャカメッチャカ、我々は帰る道々、ちょっと先生の生活の心配など、話し合ったりしたものでした。他にもインパクトのある先生は多かったと思います、今となれば古き佳き時代でした。