芭蕉/やがて死ぬけしきは見えず蟬の声

2021-09-10 20:57:55 | モブログ〰空見たことか

 

 

 

 

 

 

 

 

野澤節子/ころりころりと蟬が死にをり磨崖仏

 

 

加藤かけい/蟬死にても生きても同じひややかさ

 

 

 

 

 

屍に蟻がビッシリたかっている↑8月の落ち蝉(無惨なようだがこれも自然の循環の一つ)🦜

 

 

その場で見て名前のわからない植物は結局後回しになってしまっている↑その時点ではアキノキリンソウか❓️と思ったが…違うかもしれない~(訂正"オオアワダチソウ")~ある日知らない道で、こちらも見たことあるような実だったが…よく考えたら色の付く前のソヨゴ(冬青)だった↓ブログを調べたら赤い実は10年前くらいに1度見ていた😅おそらく10月後半には美しい赤い実になるのだろう 🥀

 

 

七本桜の交差点近くに大きな馬頭尊碑が建っている↓下には飾りをつけてもらった馬の浮き彫り絵も見える🦄こういう絵のものは初めてだ、かなり珍しいと思う、シャンシャンとカワイイ鈴の音まで聞こえてきそう~🥨

 

 

 

 

 

 

 

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (青萄)
2021-09-11 20:42:50
あら?せっかく力説したコメントだったのに↑推敲って字を間違えてたわ、アハハ🥵
それにしても…俳人は特に欲張りだから、次こそはもっといい句が詠めるかも~って思うと死ねないんだよきっと🐸
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Unknown (青萄)
2021-09-11 00:02:57
プロの俳人たちの寿命は不思議と長い。今時100才でも驚くことはない。そこにある種の摂理というものさえ感じる。俳句は巷間言われるボケ防止ではなく、ボケる暇がないほど常時頭を使わなければならないからだ。
詳しい説明は省くが、若い高校生や大学生などは、千本ノックのように句作するらしい。その中から能力のあるものが飛び出すのだ。まるで促成栽培の井原西鶴だ。
彼(西鶴)はパフォーマンスやイベントとして矢数の句作をしたわけだが、当時のトレンドとして俳句を選んだが、どうも俳句が好きだったとは思われない。むろん芭蕉のことは嫌いではなかったが、西鶴が常にみつめていた人は…近松だったということ。
矢数俳句には限界がある。推考が為されないためどれだけ作っても完成形にならないのだ。
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