ず~っと前からご紹介したい本があった。しかし、パソコンの横に、ず~っと置かれていたこの本。

『生命(いのち)の不思議』という、生命科学者である柳澤桂子さんの、壮絶闘病エッセイである。
闘病記というのは、巷にけっこうあるのだが、この方の場合は、激烈な身体症状があるのに、病名がつかないという、複雑な事情があった。
コロンビア大学大学院修了。三菱化成生命科学研究所主任研究員。また、家族を抱える主婦でもあった柳澤さんが、その後の人生30年間、誰にも理解されない病気と、孤独に戦い続け、しかしついに奇跡的な回復を遂げた記録である。
病名が分かっている病気、治療法がほぼ確立されている病気、これなら、対処のしようもあるだろう。
病名がはっきりせず、従って治療法もなく、周囲にも理解されにくいという四面楚歌の中で、彼女は寝ている窓枠から見える自然の流れに、せめてもの心癒される日々を、送っていたようだ。
病名が分からず、悩んでいる人は多いだろう、と私は思う。その不安がために、憔悴に拍車をかけることもあり、病状はさらに悪くなるような気がする。世間に認知されるということが、まず、第一に必要なことなのだろう。
本の解説には。。。
激痛と戦いながらも花に進化の神秘を思い、窓の外に輝く月から宇宙へ思いを馳せてきた。
遺伝、臓器移植、尊厳死から、音楽の喜び、神秘体験まで考察するサイエンス・エッセイ。。。と。
柳澤さんのエッセイ「認められた病」から。。。
その病気は、私を30年間苦しめた。病気そのものも辛いものであったが、診断がつかないために、医療者から受けた苦痛の方が大きかった。
「私の心がけが悪いから」「生活態度が悪いから」。医師からそのようにいわれるたびに、私は、自分を責めた。
病は悪化の一途をたどり、私は何も飲み込めなくなった。痛みと苦しみにさいなまれながら、家族をも巻き込んで生活が破綻していくなかで、私は中心静脈栄養で生かされることに疑問をもった。
私が「点滴のチューブをを抜いてほしい」といったところから、事態は急展開をする。私の苦痛を取り除けるO医師に、出会ったのである。坑鬱剤と坑けいれん剤の服用で、私は痛みや苦しみから救われた。
寝たきりの状態から起きられるようになった。しかし、これはあくまで対症療法であり、なぜ効いたのかという疑問は、私の心のなかで次第に大きくなっていった。
(…この後、別の医師から、柳澤さんは一通の手紙を受け取った)
S先生は、私が「認められぬ病、現代医療への根源的問い」に書いた症状から、ご自分の研究しておられる”周期性嘔吐症候群”(厳密には周期性ACTH・ADH放出症候群)に違いないと思って、お手紙をくださったのである。
この30年の間、これだけはっきりと、私に病名を告げてくださった医師はいなかった。症状が改善される薬が見つかった上に、病名までもはっきりしてきた。奇跡というのは、こういうことをいうのだろうと思わずにはいられなかった。。。このように柳澤さんは、記述されている。
ここまで頑張りぬいた彼女の生命力こそ、称賛されるべきものではないだろうか、と私(トーコ)は、まぶしいほどの輝きに感動していた。
彼女の、理性と知性と探究心。そして、自然への畏敬の念と、それを優しくみつめる眼差し。何よりも、へこたれない強さに、憧憬と、羨望さえ覚えていた。
ふと、日常のなかでおごりたかぶっていた自分を、反省する。調子に乗り、落胆し、自己不信に陥り、また思い定めて初心に還る、という、気がつけば、そのくりかえしを、延々とやっている気がする。
空見ろトーコのモットーであった”感謝と謙遜”は、どこへいったのだろうか。あぁまた、…忘れていたのだ。
やっと外を歩けるようになった柳澤さんは、こうも仰っている。。。「散歩では、空を眺めることを忘れてはいけない。どこまでも深い青い空や、ぽっかり浮かんだ白い雲や、日が今沈もうとしているところを見逃す手はない」と。
落ち込んだここから、また始めればいいさと思っていたら、最近ブログお友だちになった「シナモン日記」さんちでも、こんなご本を紹介されていました。
寺山修司/著「わけもなくさみしかったら」より。。。郵便局に 日曜日があるように 幸福にだって 休暇が あるのです
☆シナモンさん
トーコの勝手にリンクごめんなさい~、ありがとう~~!
では、昨日雨の中で撮った、縁起が良いらしい?「万作の花」を、見てくださいませ。あらら。私のようにボヤケテ俯いていますね・・


人気ブログランキング
よろしかったらポチッとお願いします(気の毒に愛と勇気だけがトモダチさ)

『生命(いのち)の不思議』という、生命科学者である柳澤桂子さんの、壮絶闘病エッセイである。
闘病記というのは、巷にけっこうあるのだが、この方の場合は、激烈な身体症状があるのに、病名がつかないという、複雑な事情があった。
コロンビア大学大学院修了。三菱化成生命科学研究所主任研究員。また、家族を抱える主婦でもあった柳澤さんが、その後の人生30年間、誰にも理解されない病気と、孤独に戦い続け、しかしついに奇跡的な回復を遂げた記録である。
病名が分かっている病気、治療法がほぼ確立されている病気、これなら、対処のしようもあるだろう。
病名がはっきりせず、従って治療法もなく、周囲にも理解されにくいという四面楚歌の中で、彼女は寝ている窓枠から見える自然の流れに、せめてもの心癒される日々を、送っていたようだ。
病名が分からず、悩んでいる人は多いだろう、と私は思う。その不安がために、憔悴に拍車をかけることもあり、病状はさらに悪くなるような気がする。世間に認知されるということが、まず、第一に必要なことなのだろう。
本の解説には。。。
激痛と戦いながらも花に進化の神秘を思い、窓の外に輝く月から宇宙へ思いを馳せてきた。
遺伝、臓器移植、尊厳死から、音楽の喜び、神秘体験まで考察するサイエンス・エッセイ。。。と。
柳澤さんのエッセイ「認められた病」から。。。
その病気は、私を30年間苦しめた。病気そのものも辛いものであったが、診断がつかないために、医療者から受けた苦痛の方が大きかった。
「私の心がけが悪いから」「生活態度が悪いから」。医師からそのようにいわれるたびに、私は、自分を責めた。
病は悪化の一途をたどり、私は何も飲み込めなくなった。痛みと苦しみにさいなまれながら、家族をも巻き込んで生活が破綻していくなかで、私は中心静脈栄養で生かされることに疑問をもった。
私が「点滴のチューブをを抜いてほしい」といったところから、事態は急展開をする。私の苦痛を取り除けるO医師に、出会ったのである。坑鬱剤と坑けいれん剤の服用で、私は痛みや苦しみから救われた。
寝たきりの状態から起きられるようになった。しかし、これはあくまで対症療法であり、なぜ効いたのかという疑問は、私の心のなかで次第に大きくなっていった。
(…この後、別の医師から、柳澤さんは一通の手紙を受け取った)
S先生は、私が「認められぬ病、現代医療への根源的問い」に書いた症状から、ご自分の研究しておられる”周期性嘔吐症候群”(厳密には周期性ACTH・ADH放出症候群)に違いないと思って、お手紙をくださったのである。
この30年の間、これだけはっきりと、私に病名を告げてくださった医師はいなかった。症状が改善される薬が見つかった上に、病名までもはっきりしてきた。奇跡というのは、こういうことをいうのだろうと思わずにはいられなかった。。。このように柳澤さんは、記述されている。
ここまで頑張りぬいた彼女の生命力こそ、称賛されるべきものではないだろうか、と私(トーコ)は、まぶしいほどの輝きに感動していた。
彼女の、理性と知性と探究心。そして、自然への畏敬の念と、それを優しくみつめる眼差し。何よりも、へこたれない強さに、憧憬と、羨望さえ覚えていた。
ふと、日常のなかでおごりたかぶっていた自分を、反省する。調子に乗り、落胆し、自己不信に陥り、また思い定めて初心に還る、という、気がつけば、そのくりかえしを、延々とやっている気がする。
空見ろトーコのモットーであった”感謝と謙遜”は、どこへいったのだろうか。あぁまた、…忘れていたのだ。
やっと外を歩けるようになった柳澤さんは、こうも仰っている。。。「散歩では、空を眺めることを忘れてはいけない。どこまでも深い青い空や、ぽっかり浮かんだ白い雲や、日が今沈もうとしているところを見逃す手はない」と。
落ち込んだここから、また始めればいいさと思っていたら、最近ブログお友だちになった「シナモン日記」さんちでも、こんなご本を紹介されていました。
寺山修司/著「わけもなくさみしかったら」より。。。郵便局に 日曜日があるように 幸福にだって 休暇が あるのです
☆シナモンさん

では、昨日雨の中で撮った、縁起が良いらしい?「万作の花」を、見てくださいませ。あらら。私のようにボヤケテ俯いていますね・・



人気ブログランキング



医療側の哲学にもよるのでしょうが、「病名のつかない症状」は、医師として病気と認めない。
「気のせい」とか「一種のストレス」とか言って逃げてしまいます。
医療者に、「医術はまだまだ発展途上」という謙虚な認識を持って欲しいと、私も思います。
通常の場合、「患者は嘘を訴えない」のです。
ところが医師は、自分のノートに診断名の書いていない症状は、「気のせい」とか「ウツ」とかで片づける。
分からないとは言えない立場もあるでしょうが、もっと「人間の不思議」に対して、謙虚であるべきと思えてなりません。
トーコさんは、「感謝と謙虚」を忘れたのですって?
そのようには見えませんよ。
むしろ、自分と激しく向き合っているように見えます。
そのことが「謙虚」なのではないでしょうか。
私のような生意気なフアンに対し「そんなこと、分かって言っているのよ!」と、叱咤が跳びそうですね。
戦争に行って、東京で・・・、
いや、こんな話ではないですね。
万作という花、しらなかったもので、つい・・・。
きれいな花です。トーコさんみたいだぁ。
従って「症候群」のつく病気はたくさんあります。
一番呼びやすい名前だからでしょうか?
昔、父が急に倒れて入院しました。
なかなか原因が分かりませんでした。
担当医に「原因は何ですか?」と聞いても「いろんな薬を投与して原因を調べている。すぐには分からない。
その薬が効かなかったら、また違う薬で調べるしかない」
と分かったような分からないことをいわれました。
結局、原因不明のまま、帰らぬ人になりましたが、診断書には「心停止」と書かれていました。
医療とはそんなものかと思いましたが、実際にはどうだったのか分かりません。
マンサクは「豊年万作」からもきているようです。
「まず咲く」から「マンサク」になったというのが、一般的ですね。
「写真が少しボヤケている・・・」
「ヤ」があってよかったです。
まして病名が解らないと、治療のしようがありません。
この医学が発達している現代でも、まだまだ解らない病気があると思います。
この方は救われて良かったです。
私も若い頃、具合いが悪くてぐずぐずしていた頃があいました。
夫には、シャキッとしろと怒られましたが、
いつも医者には『自律神経失調症』といわれていました。
今も丈夫ではありませんが生きています。ラララ!
本文に出ていらっしゃったS先生は、こう述べています。「昔から言い古された教訓だが、医者は患者から病気を学ぶ」と。
このような立派なお医者さんも、おられるのですね。私は、そのことにも感動を覚えました。
S医師が、柳澤さんの病名を特定できた事に関して、このようにも書かれていました。
「周期性嘔吐症候群は、小児から成人に至っても、うつ病という広大なスペクトラムを持つ疾患、へと繋がる可能性を秘めています。柳澤氏の30年におよぶ苦悩の体験に加え、自分を客観視できる冷静な目と、新しい情報に関する鋭い感性が、私に本症のコペルニクス的な展開をもたらしてくれたのである」と。
コメントと応援クリック、ありがとうございました
万作じいさん、”豊年だぁ万作だぁ”という訳でしょうか
昨日は雨が降っていたもので、このように花びらが開いていますが、普通は、紐のような細い黄色の十文字、みたいな花びらなのです。
車で通りがかったので、路駐して、携帯を濡らしながら撮りました。(←ドーダ理論?)
応援クリックもありがとうございまし
ホント、弱っているトーコです。これ以上、弱いところを突かないように。。。きゃはっ!
写真が白っぽいですね。違うのにすれば良かった~。
ボヤケテイルし。まったく、写真選びも、テキトーなトーコです。(←怒らないでね)たぶん、次回は気をつけますデス
コメントと応援クリック、ありがとうございました。感謝と謙虚、感謝と謙虚。今はそればかりです
そうですね。一時期はなんでも「自律神経失調症」だって。。。
まぁ、広い意味ではそうなりますけどね(笑)
私なんかもお医者さんには、よく分からない、と言われました。不定愁訴?なんでもありです
昔は、「家庭の医学」が愛読書でしたから。あはっ!
かずこさんも、がんばり屋さんだなぁ。見習わなくてはね。
コメントと応援クリック、ありがとうございました
病気との闘い…
命と今戦っている先輩が一人いるんです。
昨年、クリスマスの日に余命1年の宣告を受けた先輩。
でも、僕に笑いながらこう言ったんです。
朝まで家族と泣き続けたけれど、生きる望みが0になったんじゃないと、もう一度自分に勇気をかき立てた。
絶対に復活をしてやる!って。。
すべての理化学療養を拒否して、病院から退院して、今、自然治癒力で治そうと自分の命の存続へと挑戦が始まったんです。
僕も応援者として、気持ちの支援に参加しています。
必ず復活されることを信じています。
熱っぽく語った友達が一冊本を貸してくれて読みましたし、
テレビでもおみかけしたかな
進化している医療ですが、難病と言われている病名の多いこと
私の周りに、家族に難病指定を受けた方、4人も居ます
柳澤さんのように奇跡が起こることを願ってやみません
自分の身にもいつそのようなことが降りかかるか
先のことはわからないわけですから
周りの方、そして日々の何気ないことを大切に思って
毎日を過ごせたらと思っています