
どなたかのブログを拝見した時、こんな言葉があった。
「幸せは探すものではない。幸せは気づくものだ」と。
自分が勝ちとるのか、あるいは向こうからやってくるのか、とにかく「幸せ」はどこかにあるもので、それが既定の事実であり、話の前提ででもあるかのように、普通は考えてしまっている。
しかし、本当は「幸せ」はアナタのすぐ隣にあって、ただ気づかないだけ。だから、早く気づいて!そういうことだろうか。うーん、なかなか納得しやすい言い方だなぁ、と感心したりして。。(笑)
ある有名俳優さんのお母様が、たいへん長生きをなさっていた。
それを、息子である俳優さんが「幸か不幸か、母は長生きしてくれて・・」と言った。ふざけているのではない、なかなかシリアスで複雑な表情だった。
彼は、母親を看護できない、忙しい仕事を持つ妻と離婚し、全力で母を看てくれる女性と再婚した。それで彼も、母親の身の回りの心配をすることもなく、自分の仕事に専念できるというのだろう。
「幸か不幸か」という言い方に、私は少し驚いたのである。それは人前で発言して、笑って見過ごされうる程度のイイグサなのだろうか。
この人の心の中にあるのは「母は長生きして幸せだ。が、私はその介護問題で悩み、妻と離婚までして、新たに別の人と再婚をする羽目になった。母の長生きは嬉しいけれども、(私にとっては)不幸の種でもあるのだ」ということではないのだろうか。あるいは全く外れているかもしれないので、違っていたらごめんなさい。
ここで、私のブログ師匠筋の、もの作りにこだわる鞄職人さんのところで、たまたま良いお話を目にしたので、ぜひぜひ紹介させていただきたく(たむたむさん、勝手に転載申し訳ございません!いつものように優しく笑って許して~、るるる~(^^♪)という訳で↓以下は、たむたむさんのブログより抜粋しました。
丁度、私が愛読している「ビッグコミックオリジナル」に、素晴らしい詩が載っていたので、
皆さんにも紹介したいと思います。詩は「玄米せんせいの弁当箱」というコミックに載っていました。
。。これは、全てのもの作りに通じます・・・
ある、小学校の校長先生が、
「生徒がお互いに自分で作った弁当をもちより、それをみんなで食べる」
という「弁当の日」を始め、
その「弁当の日」を卒業した最初の六年生に贈った言葉です。
「弁当を作る」
あなたたちは“弁当の日”を二年間経験した最初の卒業生です。
だから十一回“弁当の日”の弁当作りを経験しました。
「親は決して手伝わないでください」
で始めた“弁当の日”でしたが、どうでしたか。
食事を作ることの大変さが分かり、
家族をありがたく思った人は優しい人です。
友達や家族の調理のようすを見て、
技を一つでも盗めた人は、自ら学ぶ人です。
こまやかな味の違いに調味料や隠し味を見抜いた人は、
自分の感性を磨ける人です。
旬の野菜や魚の、色彩・香・触感・味わいを楽しめた人は、
心豊かな人です。
一粒の米・一個の白菜・一本の大根の中にも「命」を感じた人は、
思いやりのある人です。
食材が弁当箱の納まるまでの道のりに、
たくさんの働く人を思い描けた人は、想像力のある人です。
自分の弁当を「おいしい」と感じ、「うれしい」と思った人は、
幸せな人生を送れる人です。
シャケの切り身に、生きていた姿を想像して、
「ごめん」が言えた人は、情け深い人です。
登下校の道すがら、稲や野菜が育っていくのを嬉しく感じた人は、
慈しむ心のある人です。
“弁当の日”で仲間が増えた人、友達を見直した人は、
人と共に生きていける人です。
家族が手伝ってくれそうになるのを断れた人は、
独り立ちしていく力のある人です。
「いただきます」、「ごちそうさま」が言えた人は、
感謝の気持ちを忘れない人です。
家族が揃って食事をすることを楽しいと感じた人は、
家族の愛に包まれた人です。
谷宮小学校の先生たちは、
こんな人たちに成長してほしくって2年間取り組んできました。
おめでとう。
これであなたたちは、“弁当の日”をりっぱに卒業できました。
松下義男(魚戸おさむ・北原雅紀・著「玄米せんせいの弁当箱」より)
「食育問題が~!」などと騒ぐよりも、淡々と自分で自分の食べるお弁当を作れば、何か良い事が起こりそうなのですね。そう、大事な「幸せ」に気づくかもしれません。
お弁当作りを苦手としている私などは、今までみすみす「幸せ」を逃がしていたのかもしれません。ひーー・・・反省。少しはガンバッテみるがいいわ自分、ってね。あははっ


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しかし、「介護を頼むため」というのはいただけません。
「真剣に介護に努めていた人に愛が移った」というように思っておりました。
介護をしない女房よりも、母親に尽くしてくれている女性が良くなるのは自然。
あの俳優は儲けたってことなのではないでしょうか。
元の奥さんに、辟易していたのではないでしょうか。
そう幸せなんて、こんな所から感じるものかも知れません!
とても良い詩を載せてくれてありがとう!
この頃は幸せを感じることを忘れていました・・・
自分を映す鏡のようで「イヤイヤながら」とか「面倒くさい」とか「作りゃいいだろ」がありありと弁当に表れます(笑)
「お弁当の詩」は素晴らしいですね。
こんなにも沢山の気づきが隠されていたとは・・・
明日も弁当作りですが・・・この詩を読んだ後だけに、ちょっと豪華かも
…まあそう言いつつも、仕事や生活をしていれば、人と関わらない事なんてあり得ないのですけどね。
お弁当も食材を作る人や採る人がいて、作った人がいて、それで食べられる訳ですから、やはり誰かの手を借りないと出来ない…子供もそうですが、その親世代もそれに気がついているか?そんなのお金が解決するなんて思っていないだろうか?
それもそうだが、どれだけの小学生がお弁当を作れるか?娘が小学生の頃、お湯を沸かすくらいしか出来ない子供はざらにいました(その頃娘は料理出来てました…プチ自慢入ってます(笑))
「幸か不幸か」はその人でないと解らない事もあります。亡くなる時には「お前のお陰でいい人生だった」(♪さだまさし/「関白宣言」)と言いたいですね(笑)
胸打たれました。
昨日、今日と俳句が入っていませんね。^^
利尻は雨が降り続き寒い日でした。
トーコさん、またね~~
あの「幸か不幸か・・」発言は、理解が及ぶ範囲内でしたか?
うーん、私は少し違和感を感じましたが。。
結婚するときから、彼女は子どもを持ちたくない、と言っていましたね。いわんや、姑さまの介護は望むべくもないことでしょう。
そういう夫婦の形態があっても良いのだろう、と思っていましたが。いろいろと考えさせられる問題でしたね。
親を看てくれる姿に惚れる。ではその親が亡くなったら、また別の人に惚れる、などということがなければいいのですが・・
ブログ更新されていたので、良かった~元気になられた~!、と嬉しかったですよ
どんな人にも使命や美点があるのですよね。それに気づいてあげるのが、優しさというものかもしれません。
感謝しているのに、素直に言葉に出てこなくて、私は四苦八苦しています。あー、もっと素直になれーー、自分よ!デス(笑)
コメント、ありがとうございます。嬉しかった~
ホント、毎日のお弁当作り、タイヘンですね!
お料理がすごーく好きな人、ならどうってことないのかもしれませんが、そうでもない身にはプレッシャーが・・
先日は知り合いの方の、小学生の娘さんが遠足で、そこのお料理上手のママちゃんが、やたら早起きして超豪華版弁当を作り、それをたまたま娘が見て、自分にはとってもできなーーい、と落ち込んでおりました。
私だって、できなーーい^^; nunkikiしゃんは、頑張ってね
個風さんは素敵な女性と結婚できて、ラッキーでしたね
娘さんも、よくご飯を作るようで、羨ましいです。うちの娘は、(言っちゃあ悪いんですけど)めっちゃ下手です。どうも家事全般に向いていないようなのです。
なので、あなたは仕事の方でもっと頑張りなさい、と言ってあげていますが^^; (ちょっと苦しいわね~)
コメント、ありがとうございました
今日は寒いです。けど、明日は30度とか。ひぇ~
利尻の山はまだ残雪でしたね。なかなか天候が好転しなくて、ヤキモキ致しますけれども。
天気に文句を言っても、しかたありません。そのおかげで、自然が素晴らしいのですものね。
ありがとうございました