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(50代日記と栃木県民日記でがんばっています)
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前回までのあらすじ。。。子供のころ、病弱で学校にも行かず、家で寝ていた私に、よくお昼
ご飯を食べさせてくれた、いとこのコッコ姉さんのお話です。
コッコ姉さんには、姉が三人いた。上から二番目のお姉さんは、その辺でも有名な小町娘で、
お金持ちの家の御曹司に見初められ、熱烈ラブコールされてお嫁に行ったという。
貧乏な家の茶の間で、多くの兄弟姉妹が丸いちゃぶを台囲んで、押し合いへし合いしながら
ご飯を食べていた環境から、広いダイニングテーブルで銀のナイフとフォークで食事をするとい
う環境になったのである。
たまに、本家の家の前の路上に、黒塗りでピカピカ光る自動車が止まっていた。シーちゃんが
帰ってきているんだね、と近所の人が話していた。美人が幸いして、親も左団扇だわねぇ~、
と。
私は、お客さんが来ているので、そんな時は本家に近づかない。シーちゃんが、どんな人なの
かも知らなかった。が、ある時、本家からお呼びがかかって、私と母が本家に行くと、そこに噂
の美人はいたのだ。
はじめて見る、シー姉ちゃん。真っ赤なダリアの花を思わせる女性(ひと)だった。華やか!!
もともと暗めの茶の間が、明るく輝いている。周囲にいる人たち、皆が笑顔。シー姉ちゃんも、
はじけるように笑っていた。上から下まで、なにもかもお洒落で素敵。今考えると、オーラのよ
うなものが、その存在全体から発散されていた気がする。
性格も良いらしく、ちょうど皆がそろったから、これから写真館で写真を写しましょうよ~!、
と発案して無邪気にはしゃいでいる。母が、私は化粧もしていないし、こんな普段着だから
と言えば、叔母さん大丈夫よ!、白粉も口紅も私が持っているから、コレ使って、と差し出す。
んじゃ、少しはマシな格好をしてくるからチョット待って、と言い、急いで家に戻って、私は服
を着替えさせられ、コッコ姉ちゃんたちも、キャアキャア言いながら、口紅を取り合ったりして、
大騒ぎ。
そうやって、写真館で写した写真が、今も手元に一枚ある。シー姉ちゃんは満面の笑み。皆は
神妙な顔つきである。私は、ボーッとしているような、あるいはフラッシュに驚いているような、
妙な表情をしていた。
顔の系統からいえば、コッコ姉ちゃんもシー姉ちゃんの流れだろうと思う。しかし、あまりにも
地味なのだ。いつも化粧もしないし、服だって、勤めていた工場の作業用上着を、家にいる時
だって、無頓着に着ている。
コッコ姉ちゃんを観察していると、うちの兄を好いているのが分かる。私に兄の事をいろいろ
聞きたがるし、たまたま家に兄がいると、すご~く嬉しそうで、「コウちゃん、コウちゃん(兄の
仮名)、今度さっ、映画連れてってよね。ぜったいだよ、約束ねっ!」と言って、ルンルンで帰っ
ていく。
兄は、いつも適当に返事をしていた。コッコ姉ちゃんの事は、従姉弟(いとこ)としてしか
見ていないのである。その上、その頃の兄は、自分の進路や将来のことについて、はげしく
悩んでいたのだ。だから、映画の約束は、ほとんど反故にされたようである。その度に、落胆
するコッコ姉ちゃんが、とても可哀想だった。
私の空想の中では、もしかして、兄とコッコ姉ちゃんが結婚できたら、私の本当のお姉ちゃん
になるのだから、もっと絵を描いてもらったり、甘えたり、困っている事を相談したりできるのに
なぁ、と思っていた。いとこ同士で結婚ができるのかどうかは、子どもだから分からなかったが。
。。。しかし、あくまでも、自分のご都合主義でものを考えていたのが、姑息である(笑)
そうこうしている内に、兄は隣の市の職業訓練校で学び、手に技術をつけて、東京の会社に
就職も決まり、上京していった。その後私たちも、引越しをして、本家にはあまり行かなくな
っていた。それでも時々、仕事の帰りなどに、コッコ姉ちゃんが遊びに来て、絵を描いてくれて
いた。
いつも、コウちゃんから手紙きた?コウちゃんは東京でどうしてる?元気でがんばってるの?
と、私に聞いていた。何か気がかりや心配があったのかな。。。
その後、7年ほど経った頃だったろうか。コッコ姉ちゃんが、気のすすまないところへ嫁に行き、
すぐに赤ん坊が生まれたので、泣く泣く辛抱して口うるさい舅・姑に仕えている、という風の
便りが届いた。
コッコ姉ちゃん、なぜそんな嫌な人の家にお嫁に行ったの?皆に、嫁き遅れるから早く嫁に
行け!って言われたの?・・・可哀想なコッコ姉ちゃん。。。
もしかして、兄がいつか東京から帰ってくるのを、待っていた?でも、兄は一度も帰ってこな
かったね。もう、何の約束もないのに、漠然とコウちゃんを待っていてもしかたがないんだ、
って諦めたの?
私のこんな想像は、きっと間違っているに違いないが、もしも、コッコ姉ちゃんがそんな悲しい
思いをしていたのだとしたら・・・。私は、きちんとサヨナラの挨拶さえしていなかった事を、はじ
めて悔やんだ。そして、苦しい環境の中で、歯を食いしばって耐えているコッコ姉ちゃんを
想って、泣いたのだった。
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ご飯を食べさせてくれた、いとこのコッコ姉さんのお話です。
コッコ姉さんには、姉が三人いた。上から二番目のお姉さんは、その辺でも有名な小町娘で、
お金持ちの家の御曹司に見初められ、熱烈ラブコールされてお嫁に行ったという。
貧乏な家の茶の間で、多くの兄弟姉妹が丸いちゃぶを台囲んで、押し合いへし合いしながら
ご飯を食べていた環境から、広いダイニングテーブルで銀のナイフとフォークで食事をするとい
う環境になったのである。
たまに、本家の家の前の路上に、黒塗りでピカピカ光る自動車が止まっていた。シーちゃんが
帰ってきているんだね、と近所の人が話していた。美人が幸いして、親も左団扇だわねぇ~、
と。
私は、お客さんが来ているので、そんな時は本家に近づかない。シーちゃんが、どんな人なの
かも知らなかった。が、ある時、本家からお呼びがかかって、私と母が本家に行くと、そこに噂
の美人はいたのだ。
はじめて見る、シー姉ちゃん。真っ赤なダリアの花を思わせる女性(ひと)だった。華やか!!
もともと暗めの茶の間が、明るく輝いている。周囲にいる人たち、皆が笑顔。シー姉ちゃんも、
はじけるように笑っていた。上から下まで、なにもかもお洒落で素敵。今考えると、オーラのよ
うなものが、その存在全体から発散されていた気がする。
性格も良いらしく、ちょうど皆がそろったから、これから写真館で写真を写しましょうよ~!、
と発案して無邪気にはしゃいでいる。母が、私は化粧もしていないし、こんな普段着だから
と言えば、叔母さん大丈夫よ!、白粉も口紅も私が持っているから、コレ使って、と差し出す。
んじゃ、少しはマシな格好をしてくるからチョット待って、と言い、急いで家に戻って、私は服
を着替えさせられ、コッコ姉ちゃんたちも、キャアキャア言いながら、口紅を取り合ったりして、
大騒ぎ。
そうやって、写真館で写した写真が、今も手元に一枚ある。シー姉ちゃんは満面の笑み。皆は
神妙な顔つきである。私は、ボーッとしているような、あるいはフラッシュに驚いているような、
妙な表情をしていた。
顔の系統からいえば、コッコ姉ちゃんもシー姉ちゃんの流れだろうと思う。しかし、あまりにも
地味なのだ。いつも化粧もしないし、服だって、勤めていた工場の作業用上着を、家にいる時
だって、無頓着に着ている。
コッコ姉ちゃんを観察していると、うちの兄を好いているのが分かる。私に兄の事をいろいろ
聞きたがるし、たまたま家に兄がいると、すご~く嬉しそうで、「コウちゃん、コウちゃん(兄の
仮名)、今度さっ、映画連れてってよね。ぜったいだよ、約束ねっ!」と言って、ルンルンで帰っ
ていく。
兄は、いつも適当に返事をしていた。コッコ姉ちゃんの事は、従姉弟(いとこ)としてしか
見ていないのである。その上、その頃の兄は、自分の進路や将来のことについて、はげしく
悩んでいたのだ。だから、映画の約束は、ほとんど反故にされたようである。その度に、落胆
するコッコ姉ちゃんが、とても可哀想だった。
私の空想の中では、もしかして、兄とコッコ姉ちゃんが結婚できたら、私の本当のお姉ちゃん
になるのだから、もっと絵を描いてもらったり、甘えたり、困っている事を相談したりできるのに
なぁ、と思っていた。いとこ同士で結婚ができるのかどうかは、子どもだから分からなかったが。
。。。しかし、あくまでも、自分のご都合主義でものを考えていたのが、姑息である(笑)
そうこうしている内に、兄は隣の市の職業訓練校で学び、手に技術をつけて、東京の会社に
就職も決まり、上京していった。その後私たちも、引越しをして、本家にはあまり行かなくな
っていた。それでも時々、仕事の帰りなどに、コッコ姉ちゃんが遊びに来て、絵を描いてくれて
いた。
いつも、コウちゃんから手紙きた?コウちゃんは東京でどうしてる?元気でがんばってるの?
と、私に聞いていた。何か気がかりや心配があったのかな。。。
その後、7年ほど経った頃だったろうか。コッコ姉ちゃんが、気のすすまないところへ嫁に行き、
すぐに赤ん坊が生まれたので、泣く泣く辛抱して口うるさい舅・姑に仕えている、という風の
便りが届いた。
コッコ姉ちゃん、なぜそんな嫌な人の家にお嫁に行ったの?皆に、嫁き遅れるから早く嫁に
行け!って言われたの?・・・可哀想なコッコ姉ちゃん。。。
もしかして、兄がいつか東京から帰ってくるのを、待っていた?でも、兄は一度も帰ってこな
かったね。もう、何の約束もないのに、漠然とコウちゃんを待っていてもしかたがないんだ、
って諦めたの?
私のこんな想像は、きっと間違っているに違いないが、もしも、コッコ姉ちゃんがそんな悲しい
思いをしていたのだとしたら・・・。私は、きちんとサヨナラの挨拶さえしていなかった事を、はじ
めて悔やんだ。そして、苦しい環境の中で、歯を食いしばって耐えているコッコ姉ちゃんを
想って、泣いたのだった。
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私も、元気な頃、狙った獲物は特攻精神で・・・
でも撃墜されキズだらけ・・・すぐに治りますが(笑)
コッコ姉さんは、優しくって綺麗な人なんだ。
だから、トーコさん家族を懐かしんでいますよ。
お兄さんとは、白い糸だったけど、
幸せに老けてほしいですね。
ダリアのシー姉ちゃんとあまりにも対照的ですね。
シー姉ちゃんはそのまま幸せにお暮らしになったのかしらね。
コッコ姉ちゃんの話もっと続けてほしいです。
トーコさんは私より、10歳以上お若いけど
こういう話を知っているんだ!!
胸がジ~ンとして、一気に読みました。
ほぉ~、立ち直りが早いんですねそれは素晴らしい
すべて、7才の子どもが見た記憶です。違っているかもしれませんが、意外と動物的勘で、的を得ているかも、ですよ
そうね、先のことは分からないけど。。。
シー姉ちゃんはこの時、生きるか死ぬかの大病をした後だったけど、ご主人はじめ皆が優しくしてくれて、無事復活を果たした。
そんなたいへんな時も、シー姉ちゃんはニコニコ笑って、健気で可愛かったんだね。きっと、”運”をよびこむタイプなんだね。
コッコ姉ちゃんは、サバサバしていて、シッカリ者で堅実で潔癖症だった。嫁さんにするには、こっちがいいと思うけど、男も見る目がないんだね。見た目、綺麗な花の方に行ってしまうんだよ~~
だいたい昭和30年代前半から、中頃にかけてのお話です。
私自身はこの辺りが、一番頭がハッキリしていた気がします。かずこさんは、この時期はもう大人に近かったのですね
田舎の方だから、面白いような時代遅れの話、まだ記憶がいっぱいありますよ。
コッコ姉ちゃんのことを、思い出しながら書いていたら、不覚にも涙が出てきてしまってね。。。