La Campanella(PART 1 OF 3)
『小百合物語』の原点
デンマンさんは、私がレンゲさんのような
ロマンチックな女だと期待しているようですが、
私は、そのような女っぽい女ではないのですゥ。
主人は私のことを「中性脂肪」だと言います。
つまり、女っぽくない脂肪の塊だと。。。
『夢とロマンの軽井沢 (2008年7月19日)』より
小百合さんは夫から「中性脂肪」と言われて悲観して自殺した訳でもない。
もちろんでござ~♪~ますわ。もし、小百合さんが自殺していたら、デンマンさんとの再会もなかったはずでござ~♪~ますから。
つまり、小百合さんは夫の言ったことを半分は聞き流していたのですよう。
要するに、旦那さんが言ったことを半分だけ受け止めていたのでござ~♪~ますか?
そうですよう。
どうしてデンマンさんに、そのような事が分かるのでござ~♪~ますか?
小百合さんは次のように書いていましたよう。
(13年間)バーナビーで夏休みを過ごすことは 毎年私の支えの時間でした。
あの古い家は、夏休みで休むというより
ペンキ、芝のクローバむしり、
りんごの木の手入れ、
玄関まで高く長い階段のペンキはがしや、
しばらくみがかないガラス、
シミだらけのじゅうたん、
BASEMENTはランドリーのホコリとくもの巣、
行けば、掃除ばかりの家に大変でしたが
また戻りたいと思っていました。
ここには、「中性脂肪」だと言われた妻が、鏡子夫人とは異なり「行動」を起こしている。つまり、夏の期間、夫と離れてバーナビーの“山の家”で過ごしながら、家事をやり、子育てをして自分にだって“女らしいことができる事”を行動して自分で確かめているのですよう。
その事を、小百合さんは“(心の)支えの時間”だったと言っている訳なのでござ~♪~ますか?
そうですよう。「中性脂肪」のエピソードを読んで、小百合さんのメールを読み返した時に、僕は小百合さんが心の支えを見出すために“山の家”を持ったような気がしたのです。
そうでしょうか?
漱石の孫の房之介さんがおばあちゃんの鏡子夫人の事について“太母的なものを感じた”と書いているように、もし、小百合さんの子供たちが成人してから小百合さんのバーナビー時代の事を振り返って書けば、“母は充分によい妻であろうとしたし、子供にとって充分に良き母親でした”。。。このように子供たちは書くだろうと、僕は信じていますよう。
『夫婦関係 (2008年8月2日)』より
デンマンさん。。。1年以上前の記事を持ち出してこられましたが、今日のタイトルはフランス語でござ~♪~ますか?
いや。。。イタリア語ですよう。
そのイタリア語と『小百合物語』の原点が関係あるのでござ~♪~ますか?
話せば長くなるのですよう。卑弥子さんは次のような諺を聞いたことがあるでしょう?
風が吹けば桶屋が儲かる
風が吹くと土埃が目に入る。
すると目を悪くする人が増える。
そうなると、いつもの仕事はできなくなるから、
三味線でも抱(かか)えて家々の玄関前で歌でも歌って
お金や食べ物をもらって歩こうという気になる。
それで三味線が売れるようになる。
三味線の胴には猫皮が使われている。
それで猫が減って、鼠が増える。
そうなると、鼠が桶をかじって穴を開ける。
だから、桶屋に注文がくる。
それで、風が吹くと桶屋が儲かる。
もちろん、聞いたことがありますわよう。でも今どき、風が吹いて目が悪くなって、いつもの仕事ができなくなったからと言って、三味線を抱えて家々の玄関前で歌を歌ってお金や食べ物をもらうなんて事をする人は居ませんわよう。第一、江戸時代でもないのに三味線が弾ける人なんて1000人のうちで一人か二人ぐらいですわ。
うん、うん、うん。。。確かにそうですよう。一つ一つの連鎖が起きる可能性は、おそらく、どれも1%もないでしょう。
つまり、「風が吹けば桶屋が儲かる」というお話は“ありえない話”と言うことでござ~♪~ますわね。。。んで、La Campanella と『小百合物語』の原点が関係ある、と言うデンマンさんのお話も、こじつけのようなお話なのでござ~♪~ますか?
僕が長々と説明すれば、卑弥子さんはきっと「風が吹けば桶屋が儲かる」ような話ですね、と言うだろうと僕は思ったのですよう。
でも、あたくしはまだ、その説明を伺っておりませんわ。それよりも、La Campanella と言うのは、どういう意味でござ~♪~ますか?
Campanella はイタリア人が発音すると、“ネ” にアクセントを置いて “カンパネッラ” と言います。でも、日本語では、普通「カンパネラ」と書きますよう。意味は「小さな鐘」です。
大きな鐘は。。。?
campana(カンパーナ)が普通の鐘の意味で使われます。一語で大きな鐘を意味する単語はないようです。
。。。んで campanella と言うのは、どのような鐘でござ~♪~ますか?
この上の写真の三角屋根の中にあるような洋風の鐘や、お寺で鳴らしている和風の鐘、それに、木魚の横に置いてある「チ~♪~ン」も、すべてカンパネラです。
要するに、「鐘」が付けばイタリア語では campanella でござ~♪~ますか?
そうですよう。それに対して、campana というのは「吊り鐘」、「金管楽器のベル」、「シンバル中央部のドーム部分」を言うようです。campana はイタリアでは6世紀ごろから使われた言葉です。
なぜ6世紀なのでござ~♪~ますか?
■『ヴィーナスがギリシャから
イタリアへ行ったという話』
あのねぇ、ヴィーナスもギリシャからやってきたように campana も語源はギリシャ語なのですよう。古い時代の鐘は、金属板を折り曲げて作られていた。そう言う訳で campana(カンパーナ)は、 kampto(折り曲げる)、または kampoulos(折り曲げられた) に由来しています。
それで、あのォ~。。。campanella (小さな鐘) が『小百合物語』の原点と関係あるのでござ~♪~ますか?
いや。。。「小さな鐘」は『小百合物語』の原点とは全く関係ないのですよう。
それなのに、こうしてクドクドと campanella が 「小さな鐘」であることを説明したのでござ~♪~ますか?
聞き流せば良いものを卑弥子さんがクドクドと尋ねるから、僕もクドクドと説明したまでですよう。うししししし。。。
分かりましたわ。。。んで、『小百合物語』の原点と関係ある campanella とは、どのようなものでござ~♪~ますか?
音楽ですよう。
campanella が音楽と関係あるのでござ~♪~ますか?
そうですよう。 実は、La Campanella というのはクラシックの曲の名前です。
ラ・カンパネッラ
ラ・カンパネッラ (la Campanella) はフランツ・リストが作曲した6曲から成る『パガニーニによる大練習曲』の第3番嬰ト短調。
日本語では「ラ・カムパネッラ」「ラ・カン(ム)パネラ」、「ラ・カン(ム)パネルラ」などとも表記される。
Campanella とはイタリア語で「鐘」を意味している。
その名の示すとおりニコロ・パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番ロ短調(Opus 7)、第3楽章のロンド『ラ・カンパネッラ』を主題にリストが作り上げた。
この作品の前にリストはすでにこの主題を用いて、イ短調のピアノ作品『パガニーニの「鐘」によるブラヴーラ風大幻想曲』を1831年から32年にかけて作曲している。
彼はこの作品を改作し、『パガニーニの主題による超絶技巧練習曲』の第3番変イ短調とした。
有名な超絶技巧練習曲とは別の作品である。
この版ではパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調(Opus 6)、第3楽章のロンドの主題も用いている。
最終版である『パガニーニによる大練習曲』の第3曲は今日最も有名な版であり、異名同音の嬰ト短調で書かれている。
リストが最初にピアノ曲に編曲したカンパネラはあまりにも難しすぎるために、やや簡単にしてあるのが現在の譜面である。
前2版の『パガニーニによる超絶技巧練習曲』も非常に技巧的で、リスト以外の人間には弾きこなせないと言われるほどの超難曲であり、録音に成功しているピアニストは、作曲から約170年経っている2009年現在で僅か4名のみである。
そのため、最終版では他のピアニストにも弾けるように難易度を落としている。
軽快な速度で演奏され、1オクターブより広い音程を含む跳躍がある。
全体として、器用さ、大きい跳躍における正確さ、弱い指の機敏さを鍛える練習曲として使うことができる。
最大で15度の跳躍があり、この跳躍を16分音符で演奏した後に演奏者に手を移動する時間を与える休止がないまま2オクターブ上で同じ音符が演奏される。
ほかにも薬指と小指のトリルなどの難しい技巧を含む。
ラ・カンパネッラは他の作曲家・演奏家によっても再編されており、フェルッチョ・ブゾーニによるものなどが有名である。
この曲の演奏者としても名高いピアニスト:
あ行
(中略)
は行
フジコ・ヘミング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デンマンさん。。。日本語では普通「カンパネラ」と書かれるとおっしゃっていましたけれど、上の説明では「カンパネッラ」と書いてござ~♪~ますわ。
そうですよう。でもねぇ、よく読むと「カンパネラ」でも書かれると書いてあるでしょう。
だけれども、表題に「カンパネッラ」と書いてありますわ。
あのねぇ、日本人の中にもイタリア語にハマッテいる人とか、イタリア語にかぶれている人が居るのですよう。そういう人は、どうしてもイタリア語の発音に近いようにカタカナで書いてしまうのですよう。
つまり、上の説明を書いた人はイタリア語にかぶれているのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。日本語でなら、「カンパネラ」と書いた方が次数も少ないし、すっきりしているのですよう。でもねぇ、僕はどのように書こうとも、こだわりません。「カンパネラ」でも「カンパネッラ」でも、オツムの中では La Campanella を思い浮かべるでしょうからね。このイタリア語が思い浮かぶように書けば問題はないのですよう。
。。。んで、どうして、この曲をデンマンさんは、取り上げる気になったのでござ~♪~ますか?
■『結婚行進曲 (2009年11月23日)』
実は、11月23日の記事の中でも紹介した太田将宏老人の書いた本を読んだのですよう。
デンマンさんは太田将宏老人とは絶交したのでしょう?
いや。。。僕の方から絶交したのではなく、太田老人は頑固で一度思い込んだら、なかなか思い込みを変えないのですよう。
つまり、太田老人が誤解からデンマンさんを絶交したとおっしゃるのでござ~♪~ますか?
そうですよう。
(すぐ下のページへ続く)