蛸と表現の自由(PART 1)
とんかつの聖地へ
あともどりがきかない味がある。 いったん思い出すと困り果てる。 たとえば、とんかつ、焼き鳥、鮨。
この三つばかりはいったんスイッチがはいってしまうと代替えがきかず、軌道修正がむずかしい。
きょうはとんかつのスイッチがはいった。 いや、予感はあった。
(中略)
空腹のとき電車に乗っていると、おなじような現象に襲われることがある。
(とんかつ、食べたい……)
三つ四つさきの駅に、好みのとんかつ屋がある。 その味が舌のうえに飛来する。 ぐーっと耐えたのち、辛抱たまらん。
電車が止まった瞬間に腰が浮き、開きかけたドアのあいだをすり抜けて息も荒くホームに降りたつ。
ひとまず動悸をしずめると、つぎつぎやってくる味の記憶。 まず喉の奥のほうに香ばしい匂い、はげしい熱、ちくちく舌を刺す感触。 喉の奥、舌のつけ根、まんなか、舌の先。 歯ぐき、歯の裏側。 いじわるに滲み広がっていき、ひたひた、ひたひた伝染してゆく。 こんがり金いろの衣。 ピンク色の肉。 揚げたてのふくよかな香り……
身をよじりながら責め苦に悦ぶわたしは、巨大な蛸に吸いつかれた北斎漫画の主人公だろうか。
とはいえ、そんな歓喜の渦に巻きこんでくれる味にはおいそれと出合えない。 だからこそ、掃除機片手に喉をかきむしったり、電車からホームに飛び出してみたりする。
(中略)
「燕楽(えんらく)」のとんかつはラードで揚げる。 それも、内臓のまわり、腸間膜から抽出されたふわふわまっしろの新鮮なラード。 それを鍋いっぱいに溶かしてつくった揚げ油なのだ。
豚肉は山形の三元豚(さんげんぶた)の霜降り。 パン粉は、ホテル仕様の食パンでつくる生パン粉。卵は宮城県栗駒高原の自然卵……
いや、「燕楽」のとんかつにこんなうんちくなどかえって失礼というものだ。 たとえおなじ素材を使っていたとしても、この店のこの揚げかたでなければ、あの味になるはずもない。
カウンターの外から、一部始終を眺める。 ふわりと生パン粉をまぶされた厚い肉が、てらてら光って揺れるラード油のなけへ滑りこむ。 ずん、と爆(は)ぜる重い音。 しかし、あわてず低めの低温のなかでそのまんま。
触らずいじらず、こちらが心配するほど放置する。 3分は経ったろうか、ようやくひっくり返されたその片面は、うっすら優しげなきつね色に染まっている。
(注: 写真はデンマン・ライブラリーより
赤字はデンマンが強調)
57 - 60ページ 『焼き餃子と名画座』
著者: 平松洋子
2009年10月13日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 アスペクト
『言葉狩りと欺瞞』に掲載
(2011年7月24日)
デンマンさん。。。どうして蛸と表現の自由が関係あるのですか?
あのねぇ~、上に引用した文章が含まれている記事『言葉狩りと欺瞞』がアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/barclay/)で、また未公開にされてしまったのですよ。
マジで。。。?
その証拠を見せますからじっくりと見てください。
あらっ。。。ホントですわね。 また言葉狩りされたのですか?
違うのですよ。
言葉狩りされたのでないなら、どうして未公開にされたのですか?
上の文章の中に貼り付けた葛飾北斎の「蛸と海女」の絵が“amebaの健全なサイト運営にふさわしくない表現”と見なされて記事が未公開にされてしまったのですよ。
でも、どうして言葉狩りでないと判ったのですか?
あのねぇ~、実に簡単なことですよ。 言葉狩りであれば禁止語をプログラムの中で指定して自動的にチェックすることができるのです。 例えばアニセンのブログのように。。。
もし、禁止語が使われているならば、投稿した時に上の画面のようにその時点で禁止語をチェックすることができる。
アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/barclay/)でも、そのようにして禁止語をチェックしているのですか?
当然そうしているでしょうね。
でも、禁止語チェックには引っかからなかったという証拠でもあるのですか?
ありますよ。 投稿の時には禁止語チェックには引っかからなかった。 だから、僕の記事は正常に表示されたのですよ。 その時の画面をソフトカメラで撮っておいたから見てください。
あらっ。。。マジで表示されていますわね。
。。。でしょう!?
つまり、デンマンさんの記事『言葉狩りと欺瞞』が表示されてからアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の管理人さんが画面を見て“amebaの健全なサイト運営にふさわしくない表現”と見なして記事を未公開にした、とデンマンさんは断定するのですか?
それ以外に考えられないでしょう?
でも、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)のメンバーは200万人以上居ると言うではありませんか?
そうらしいのですよ。
一つ一つの記事を管理人さんが画面を見てチェックするなんて不可能ですわよ。
だから、僕のブログはアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の管理人にマークされているのですよ。
マジで。。。?
それ以外に考えられないでしょう!?
そうですわね。 これまでにもデンマンさんの記事はアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/barclay/)で、ずいぶんと未公開にされていますものね。
そうでしょう!? だから、蛸と「表現の自由」が関係あるのですよ。
つまり、葛飾北斎の「蛸と海女」の絵が“amebaの健全なサイト運営にふさわしくない表現”と見なされたのですか?
それ以外に考えられないのです。 でもねぇ、他のサイトでは全く問題なく表示されているのですよ。 次のリンクをクリックして読んでみてください。
■『言葉狩りと欺瞞』
(2011年7月24日)
そうですわね。。。問題になりそうなものは葛飾北斎の「蛸と海女」の絵しかなさそうですわね。
でしょう!?。。。だから、僕は問題になるのではないかと思って海女にパンツを穿かせたのですよ。
あらっ。。。ピンクのパンツはデンマンさんが描き込んだのですか?
そうですよ。 芸術が理解できない愚かな管理人が必ず一人や二人居ると思ったのですよ。 (微笑)
つまり、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の管理人さんが、その芸術が理解できない愚か者だとデンマンさんは断定なさるのですか?
いや。。。僕は断定しませんよ。
どなたが断定なさったのですか?
あのねぇ~、僕はたまたま『モナ・リザと数学』という極めて興味深い本を読んでいたのですよ。 その本の中に次のような面白いエピソードが書いてあった。 小百合さんも読んでみてください。 笑えますよ。
世紀の偽造事件
今からおよそ60年前、これらハイテク技術がまだ誕生してまもない頃であったにもかかわらず、驚くべき偽造事件が暴かれたので紹介しよう。 この事件には、贋作した画家が自ら偽造を告発し、専門家が彼の告発を否定するなど、多くの皮肉がふんだんに込められている。 物語の主人公は、戦前のオランダの画家ハン=ファン・メーヘレンである。 彼は画家としてもかなり優秀であったが、それ以上に贋作を制作する才能に卓越していた。
(中略)
ロッテルダム美術館で丁重に展示されていた「フェルメールの屈指の名作」と謳われた《エマオのキリスト》も自分の作品だと主張したが、この真偽の検証は高度な放射性同位体測定技術が開発される20年後まで待たなければならなかった。
...分析の結果、はたして作品は17世紀のものではなく、20世紀に制作されたものだと確認された。
この事件には、多くの因果応報や皮肉がつまっている。 まず第一に、評論家や専門家を欺くために周到な計画を立ててこつこつと努力を重ねたハン・メーヘレンは、今度は逆にそれらの作品が贋作であると専門家たちを自ら説得する羽目になってしまった。 二番目に、ハン・メーヘレンのことを「才能がたりない」と酷評した評論家たちは、同じ人物の作品だったにもかかわらず、稀代の天才フェルメールの作品としてそれらの贋作を絶賛しながら受け入れてしまっていた。 三番目に、ハン・メーヘレンは反逆罪の疑いが晴れたものの、今度はフェルメールの署名を偽造した罪で有罪判決を受けることになった。 四番目に、有罪判決を受けたにもかかわらず、ハン・メーヘレンは「ゲーリングをペテンにかけた男」としてオランダの国民的英雄になった。 五番目に、ハン・メーヘレンは1年間の懲役刑に服する直前に心臓発作で亡くなってしまった。 そしてきわめつけは、ゲーリングが支払った偽フェルメールの代金はすべて偽札だったのである。
(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)
200 - 202ページ 『モナ・リザと数学』
著者: ビューレント・アータレイ
2006年5月1日 第1刷発行
発行所: (株)化学同人
この上のエピソードとアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の芸術が理解できない愚かな管理人さんと関係があるのですか?
もちろんですよ!
ハン・メーヘレンのことを
「才能がたりない」と
酷評した評論家たちは、
同じ人物の作品だったにもかかわらず、
稀代の天才フェルメールの作品として
それらの贋作を絶賛しながら
受け入れてしまっていた。
つまりねぇ、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の芸術が理解できない愚かな管理人は、言ってみれば贋作を天才フェルメールの作品だと認めてしまった評論家と同じように愚かな事をしているのですよ。
そうでしょうか?
だって、そうでしょう!? 葛飾北斎の「蛸と海女」の絵は芸術作品として認められている。 その証拠に『焼き餃子と名画座』の著者である平松洋子さんは次のように書いている。
身をよじりながら
責め苦に悦ぶわたしは、
巨大な蛸に吸いつかれた
北斎漫画の主人公だろうか。
あのねぇ、もし葛飾北斎の「蛸と海女」がポルノであるならば、平松洋子さんはこの絵のことを本の中で書かなかったに違いないのですよ。
でも、それは平松洋子さんの個人的な意見だと思いますわ。
あのねぇ~、確かに平松洋子さんの個人的な意見ですよ。 でもねぇ、それが世界的に認められている葛飾北斎の漫画に対する評価なのですよ。 それに対してアメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の芸術が理解できない愚かな管理人は“amebaの健全なサイト運営にふさわしくない表現”と断定している。
でも、そのように解釈する権利がアメーバ・ブログの管理人さんにはあると思いますわ。
もちろんですよ。 でもねぇ~、アメーバ・ブログ(http://ameblo.jp/)の芸術が理解できない管理人は愚かで教養のない馬鹿者としてネットの世界の記録に残るのですよ。
そうでしょうか?
あのねぇ~、小百合さん。。。過去にもそのような事例があるのですよ。
マジで。。。?
小百合さんのためにここに書き出しますよ。 じっくりと読んでみてくださいね。
(すぐ下のページへ続く)