芸術とブルックリン (PART 1 of 4)

「松本竣介の絵が人生を変えた」
大川美術館に来たのは松本竣介の作品を見るためである。 松本は1930年代から40年代にかけて、橋や運河や工場など、それまでの画家が見向きもしなかったものに目を留め、静謐で透明感に溢れる都市風景を描いた。 36歳で亡くなったので作品の数は多くはないが、特異な存在だ。
(中略)
コレクションのきっかけとなった《ニコライ堂の横の道》を見たいと思った。

《ニコライ堂の横の道》 松本竣介
この絵に出会わなければ美術館は誕生しなかったと言っていいほど、大川氏の運命を左右した絵だ。
商社に勤めていた1963年頃、画商が一枚の絵を持って会社に訪ねてきたという。 だれもが暗いと言って買わなかった売れ残り品を、絵キチの変わり者で知られる大川さんなら買うかもしれないと持ってきたのだった。
「一目見るなり、はっとなった」と大川氏はそのときを振り返る。
「それまで細々と買い集めてきたどの絵ともちがったんです。 言葉にならない衝撃が体の中を駆け巡って、画家の名は知らなかったけれど、即決しましたよ。 値段は20万ほどで、一介のサラリーマンには大変な買い物だったけれど、逡巡する間もなかったです」
(中略)

《都会》 野田秀夫
野田はアメリカで活躍した社会派の画家で、《都会》はブルックリンの庶民街をモチーフにしたものだ。 肉体労働する男と赤ん坊に乳をあげる女が、風景の両サイドに大きく描かれている。 社会のありようを俯瞰しようとする意図がありありとしている。

《街》 松本竣介
一方、竣介の《街》はそれに比べてもっと叙情的で多重的だが、おそらく野田の絵に出会ったとき、こんな風に描けるものかと新鮮な驚きに打たれたのではないか。 街が喚起するさまざまなことが、サイズや遠近を無視して重ねられている。 この方法なら自分の感じたことをたくさん描き込めると思ったに違いない。
だが、しばらく夢中になったこの方法は1940年代に入ると姿を消し、《ニコライ堂の横の道》や《運河》のような無人に近い風景にとって代わる。

《運河》 松本竣介
(中略)
戦時とは生き方を選べない時期である。 癌の宣告を受けるのに似て、運命を何者かに握られ、どう努力してもそれを変えられない。 そういう時期にこのような静謐な風景を描けたのは不思議なように思えるが、よく考えてみると納得できる。
表通りには軍人が闊歩し、兵隊がうごめき、士気を鼓舞するプロパガンダがあふれていたはずだ。 戦争という不可避の事態に右往左往する人の姿が、いやがおうにも目に入っただろう。 そういう生々しい情景を遠ざけるように、彼は建物だけが屹立する風景を切り取っている。 人から自立している橋や建物や運河や堤防を見ていると、まるで生きているようにしっくりと気持ちに馴染んでくるのを感じていたのではないだろうか。
おそらく戦時下の街を歩きながら竣介は充実したときを過ごしていたのだ。 未来にむかってどんな計画も立てられないと悟ったとき、街の細部が親密感を持って迫ってきた。
(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)
40 - 45ページ
『あの画家に会いたい 個人美術館』
著者: 大竹昭子
2009年5月25日
発行所: 株式会社 新潮社

ケイトー。。。どういうわけで芸術とブルックリンが結びついたの?

あのねぇ~、上の文章を読んで人と絵の出会いについて考えさせられたのですよ。
人と絵の出会い。。。?
そうですよ。。。 1963年の20万円といえば、庶民にとって大金だったのですよ。 僕が行田市立行田中学校の生徒だった当時、小堀校長先生は自転車で通勤していたのですよ。 他の先生も皆、自転車やバスで通勤していた。 それなのに、音楽の20代の平教員が中古のホンダの乗用車を7万円で買ったという噂が生徒の間に流れて、陰では生徒がその先生をコケにしていましたよ。 とにかく、中古であろうと乗用車で通勤していたのは、その先生だけでしたからね。
それと上の絵と関係あるの?
ありますよ。 僕がその音楽の先生だとして、小川氏が買ったという《ニコライ堂の横の道》を20万円を出して買うだろうか? 先生は買わなかったと思うし。。。、いや、買えなかったでしょう。 僕も絶対に買いませんよ。
つまり、ケイトーにとって《ニコライ堂の横の道》の絵は20万円を払う価値がないと思うの?
7万円でも1万円でも僕は買いません。
どうして。。。?
小川氏の同僚が言ったように「暗い絵」ですよ。。。見ているだけで気持ちが滅入ってしまいそうな絵ですよ。 それなのに小川氏は、なぜ20万円も出して買ったのか?
ケイトーは、その事が気になったの?
そうですよ。
。。。で、なぜ小川氏は20万円も出して買ったとケイトーは思うの?
あのねぇ~。。。野田秀夫さんが描いたという《都会》が紹介されている。

《都会》 野田秀夫

この絵を見てね。 僕はブルックリンが懐かしくなった。

ケイトーはブルックリンで暮らしたことがあるの?
トロント大学の学生の頃、夏休みに僕の愛車・フォードのピントでアメリカ大陸を初めて横断したのですよ。 トロントからカナダ国道1号線でバンクーバーへ、そして、その帰りアメリカ側を通ってノースダコタからシカゴ、そしてニューヨーク、それからブルックリンに落ち着いて、しばらく過ごしたのですよ。 その時のことを記事にも書いたのですよ。
酷暑のブルックリン

それで、ブルックリンって、どこにあるのでござ~♪~ますか?

あれれぇ~。。。卑弥子さんも知らないのですかぁ~?
アメリカにあるのだと思うのでござ~♪~ますわぁ。もしかしてカリフォル二アですか?
僕にはとっては東京や大阪ぐらいに馴染みのある名前なんだけれど、知らない人にとっては、確かにアメリカのどこかの町と言うように聞こえるかも知れませんよね。

ブルックリンと言うのはニューヨーク市の5つの区のうちの1つなんですよ。
その5つの区とは。。。?
ブロンクス区、ブルックリン区、マンハッタン区、クイーンズ区、スタテンアイランド区の5つです。ブルックリンと言う名前はオランダの都市ブルーケレンから名づけられた、と言われています。このブルックリン区が一番大きくて250万人が住んでいるのですよ。上の地図では左上にマンハッタン区が見えます。右上に見えるのがクイーンズ区ですよ。
ピンクのところがブリックリンでござ~♪~ますか?
そうです。僕が夏の3ヶ月滞在していたのはブルックリンの南部、地図では下の方ですよ。ベッドフォード・スタイベサント地区と言って、アフロ・アメリカン、つまり、黒人がたくさん住んでいるところです。
それで、どんな雰囲気なのでござ~♪~ますか?
メールの中で書いたジョージのエピソードを書き出しますよ。雰囲気が伝わってくると思います。
ジョージの自由
アメリカは自由な国ですよね。
アメリカに行ったことがありますか?
僕はブルックリンで3ヶ月ほど暮らしましたが、面白かったですよ。
もう、随分前になりますがね、とても暑い夏の3ヶ月でした。
僕は安アパートが建ちならぶ黒人街に部屋を借りたんですよ。
とにかく毎日が、うだるような馬鹿暑さだったです。
「おお~ィ、ジョージよおお!どうでもいいけれど、バカ暑くってしょうがねえじゃねえかよ!」
僕は向かいの部屋に住む馬鹿でかい黒人の男に怒鳴ったものですよ。
彼は図体はでかいのですが、いたって気の良い優しい奴だったです。
「オマエは、アホか!夏は暑いのに決まってんだよ!」
彼も、向こうの部屋から、頭にきたように怒鳴り返しました。
「日本でもよ、夏は蒸し暑くって、オレは、だから、抜け出してきたんだぜ、でもよ、このブルックリンの暑さは気違いじみてるぜ。ジョージ、何とかならねェのか?」
「このクソ暑いのは、オレのせいじゃねえ。そんなに怒鳴ったところで涼しくならねエンだ!黙ってろ!」
「ジョージ~~!クソ暑くって黙っていられねえから、喚いてんだ。暑くってストレスがたまってどうしょうもねえや!何とかしてくれえ~~~!」
「そうか、せっかく日本から暑さを逃れてやってきたんだから、まあ、ォメーのために一肌脱いでやるか。」
ジョージはそう言ってくれました。
「オイ、ちィいせ~のォ、ちょっとオレに付いてこいや。」 ジョージはそう言うと馬鹿でかいスパナを持って外へ出て行きました。彼はカー・メカニックでした。
何ォするのかと不思議に思いながらあとをついて行ったら、消火栓のそばまで行って、でかい図体をわななかせて、消火栓の出水口を開け始めたんです。
ところが、もうかなり古くなったと見えて、さびついていたのでしょう。彼のバカチカラでやってもなかなか開かないんですよね。
それで、彼も頭にきて、消火栓の頭をぶち壊してしまいました。水がジェットになって噴出しましたよ!もう辺りが水浸しです。
でも、子供たちが喜んで飛び出してきましたね。パンツ一丁になってもうお祭り騒ぎです。もちろん、僕も加わりました。
(すぐ下のページへ続く)