日本語と太田将宏(PART 1 OF 3)
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デンマンさん、 どういうわけで“日本語と太田将宏”というタイトルにしたのですかァ~?
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オマエは“日本語”がどういうものか全く理解していないのだよォ~。。。
まさかァ~。。。! オイラは日本で生まれて33歳になるまで日本で生活していたのです。。。 そして、小さな小さなソフトウェアの会社ですけれど、そこで課長にまでなったのですよ。。。 オイラが“日本語”がどういうものか? 全く理解していないというデンマンさんは、独断と偏見でモノを言っているのですよ!
あのさァ~。。。 僕はオマエと違って独断と偏見でモノを言うことはないのだよ。。。
つまり、“日本語”がどういうものかオイラは全く理解していないという証拠があるのですかァ~?
あるのだよ!。。。 証拠も無く 「太田将宏は日本語がどういうものか 全く理解してない!」と言ったら、オマエは僕を“誹謗・中傷、名誉毀損”でバンクーバーの地方裁判所へ訴えるだろう?
もちろんですよ。。。 オイラは優秀な弁護士を雇ってデンマンさんを訴えるつもりです!
オマエが、そのような愚かな事をしないように、ここに証拠を出すから じっくりと読んでごらんよ!
言葉 - この世話がやける手段
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F. M. 様
ご無沙汰をしております。お元気でご活躍かと思われますが、その後、F. M. さんは如何お過ごしですか。引退は、まだ遠いことなのでしょうか。F. M. さんの近況を知らせて頂けませんか。
…(中略)…
以前に、F. M. さんから、私は読者に親切でないから、と書かれてきたのですが、他の人からも指摘されたことに外来語をカタカナで書かないこともあったのでしょう(私も一方では、ドストエフスキーについて書くときに限って、ロシア文字を書けないので、カタカナを使わざるを得ない、という不徹底さがあり、残念に思っていますが、しかし、日本で働いていたときでも、外来語がラテン文字である限りは、alphabetを混えて技術書を書いておりました。
別に誰からもひんしゅくをかいませんでしたが、皆が呆れて諦めていたのでしょう)。日本では、何故か、英語では、二重母音を長母音(例を挙げればきりがないのですが、informationをインフォメーション)などの理解できない慣例が多く、ドイツ語では母音が続かないときの子音は無声音であるはずなのに(例として、Burgmuelerをブルグミューラア、また、この例では最後のアは不要でしょう)、などの妙な慣習(更なる例として、Schweizerをシュワイツァー、ドイツ語でのwは英語やフランス語のvの発音)が観られますね。
漢字、平仮名、カタカナ、アラビア数字混じりの現代の日本文で、何ゆえalphabetだけが忌避されるのか疑問に思いませんか。
また、Los Angelesをロスなどといって粋がっている輩もおりますが、Losというスペイン語起源の単語は、英語で言うならばtheにすぎなく(但し、男性複数名詞用の定冠詞)、Los Angelesとは、もともとがThe Angelsの意味であるぐらいのことは、alphabetを使っていたならば、そして、最低限の想像力があるならば、推測できてしかるべきことではないでしょうか。
また、ロスアン…ではなく、ロサン…であるべきということにも敏感にならざるをえないですね。
当方での日本人を見ていても、そうした疑問を抱いております。
日頃、言葉そのものについて無神経であるから外国語の習得にも苦労するのですね。
そういえば、F. M. さんのsiteを読んでいたとき、W.A. Mozartの<<Requiem>>を「モツレク」などと言語不明瞭意味不明瞭に略すのを批判しておられましたが、日本では、それに限らず、品の無い造語が氾濫しているではないですか。
こうした若輩に迎合するから、新仮名使い当用漢字の夏目漱石や谷崎源氏などの、低きに合わせた日本文化に堕落しつつある、と思われませんか。
私は、親切ではありたいのですが、迎合はしたくないので私の著作を出版できなかったということで、それでは出版を諦めよう、という心境でした。
此処で、今、また、F. M. さんが、私たちの学生時代に、太田君の妥協は妥協のうちに入らないよ、と言っていたことを思い出しております。
もっと重要なことは、これは日本人には限らないのですが、しかし、とりわけ日本人は、自分が曖昧に考えていたことを誰かが適切に表現し、書いてくれたことに同感、共感、評価するに留まることが多いですね。
彼我の違いを悦ばない、余所者を受け付けない、誰々の論理は理解できる、ではなくて、誰々の気持ちは分るわぁ、といった類です。
それが故に、言葉に於いても彼我の差には敏感になれなく、それどころか自分の母国語ででさえ曖昧になり、更に、思考能力の低下をもたらしているのではないでしょうか。
また、そこでは、自分が賛成するかしないかはさておいての他者の論理の自立、論理の終始一貫性なんぞは等閑に附される傾向が無いでしょうか。
それは理屈だよ、理屈に過ぎない、などと言う人は、生涯なんらの自らの論理体系も形成せずに終るのではないでしょうか。
それでは、ドストエフスキーの小説の登場人物(例えば、<<カラマーゾフの兄弟>>のイワンなど)の思い、自分は、ぎりぎりのところ、こうとしか考えられないけれど、それでは自他が辛すぎる。
むしろ自分が間違っていたらならばよいのだが、のような煩悶、苦悩、願望の弁証法の片鱗も理解できないでしょう。
私は、傲慢な私に戻ったようです。
しかし、日本人の謙遜、謙譲のgestureというものは、多くの場合、何のこと無い、自己保身にすぎないのではないでしょうか(それは、当方の世間、世界では通じない甘えですので、二、三を除いては、こちらの日本人との付き合いは無くなってきました)。
私は、何もかも此方の方がよいとしているわけではありませんが、傲慢になったついでに書きますと、私は、私が書き続けた著作には、高い水準で、日本では、いや世界では始めての見解が此処彼処に読みとれられる、と自負しているのですが、反面、読み手から反応が少ないのは私が浅学で夜郎自大だからかなのだろうか、と小心な私は一方で首を傾げておりますが、如何でしょうか。
以上、私の近況でも少しだけ書こうと思って始めたのですが、大分長くなってしまいました。よい年末年始をお過ごしください。
太田将宏 (2009年12月20日)
『言葉 - この世話がやける手段』 108ページ
デンマンさんはオイラの著作集を手当たり次第に読んだのですか?
あのさァ~、オマエは“著作集”という言葉を“本”のつもりで使っているけれど、言っておくけれど、オマエはこれまでに一冊の本も出版したことがないのだよ!
でも。。。、でも。。。、オイラの著作集は事実上、出版された本と同程度の価値があるのです!
価値がないのだよ! だから、僕はオマエの原稿を読んで、出版すべき原稿ではないと思ったのだよ。。。 これは僕だけの意見じゃない! ボイジャーの社長・鎌田純子さんにも オマエの原稿は本にすることを断られたのだよ! とにかく、オマエの原稿を読んだのは僕を含めてごく一部の人間だけなんだよ!
どうしてオイラの原稿は たくさんの人に読まれないのですか?
上の文章を見れば、すぐに解るだろう? とにかく、オマエの文章は読みづらいのだよ! 外国語の単語がやたらに散りばめられている! しかも、読む人の立場になって書いてないから、長々と、ダラダラと一つの文が長いのだよ! しかも、改行が少ない! 本と違って、ネットではスペースがたくさんあるから、読み易いように改行するのだよ! 要するに、オマエの原稿が素晴らしいと思い込んでいるのはオマエだけなんだよ!
そうでしょうか?
上の文章を読んでも、それはすぐに理解できる。。。 それが、自惚(うぬぼれ)と言うか、オマエの傲慢で独りよがりな性格なんだよ! オマエは I. A. に成りすまして次のようにも書いていた。
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デンマン注:
スピーカーをONにして 上の写真をクリックしてください。
太田将宏が ばあさん(I.A.)に成りすまして笑います。
別窓が開きます。
この男はオツムの回転が鈍いので
笑うまでに少し時間がかかります。
とにかく、虫唾(むしず)が走るようなうウザったい笑いです。
あなたも笑えますよ。 (爆笑)
Identity theft をなさった
デンマンこと加藤明様へ
コメント記入者: I. A.
2015-12-07 07:10:55
貴方、デンマンこと加藤明様の愚にもつかないくだまきと私たちの整然とした記述による貴方への説得の試みを較べるならば、読む人が読めば判然と分かる、というのが分からないのがmoron(この英語の言葉お判りですか? でなければ辞書を引いて下さい)の貴方なのですね。
また、太田さんは労作である七つの著作を書きおえてるのですが、貴方には何が残っているのですか。貴方には見ても読んでも恥ずかしくなるようなwebsitesしか無いではないですか。
私たち三人が書いているのを太田さんが書いているとの妄想、更に「証拠がある」などとの勘違い、貴方こそが「恍惚の人」(この意味お判りですか?)ではないでしょうか。
それどころか、貴方は、「ギャハハハハハハ」などと相手にされるだけで大喜びする老人、まさに精神に異常をきたしている老残ではないか、と疑われても仕方がないような人なのですね。
繰返しますが、太田さんは私たちのadviceを受けて貴方なんぞの相手などしていらっしゃりませんよ。
いつぞや名前なしのcommentで「このようにして、デンマンこと、加藤明は自慰にふけっているのではないでしょうか?」、と書いたのは、私、I. A. ですよ。それでも、恥ずかしげも無く、またまた[最後に、ぎゃはははははは。。。] ですって。
やはり異常ですね。こういう精神異常者は、(デンマンこと加藤明様にふさわしい下品な言葉ですが)やけくそになって馬鹿笑いをしている時でも、そのおなかの底の暗いところでは歯ぎしりをしている、と聞いたことがありましたが、デンマンこと加藤明様はいかが?
I. A.
『相変わらず馬鹿か?(PART 1)』のコメント欄より
(2014年9月14日)
オマエは止せばいいのにI. A. に成りすまして“太田さんは労作である七つの著作を書きおえてるのですが、貴方には何が残っているのですか”と書いている! 自惚れも、傲慢も、ここまでやるとたいしたものだよ! (爆笑)
オイラは、それほど自惚れが強く、傲慢でしょうか?
だってぇ、そうだろう!? オマエは自分で“太田さんは労作である七つの著作を書きおえてるのです”と書いているけれど、そもそもオマエの文章は出版するには、日本語らしい日本語で書かれてない!
“日本語らしい日本語で書かれてない”とは、どういうことですか?
あのさァ~、“日本語”というのは次のような言語を日本語というのだよ!
日本語
日本語は、主に日本国内や日本人同士の間で使われている言語である。
日本は法令によって「公用語」を規定していないが、法令その他の公用文は全て日本語で記述され、各種法令(裁判所法第74条、会社計算規則第57条、特許法施行規則第2条など)において日本語を用いることが定められるなど事実上の公用語となっており、学校教育の「国語」でも教えられる。
使用人口について正確な統計はないが、日本国内の人口、および日本国外に住む日本人や日系人、日本がかつて統治した地域の一部住民など、約1億3千万人以上と考えられている。
統計によって前後する可能性はあるが、この数は世界の母語話者数で上位10位以内に入る人数である。
表記
現代の日本語は、漢字・平仮名・片仮名を用いて、常用漢字・現代仮名遣いに基づいて表記されることが一般的である。
アラビア数字やローマ字(ラテン文字)なども必要に応じて併用される。
出典: 「日本語」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つまり、現代の日本語は、漢字・平仮名・片仮名を用いて、。。。表記されることが一般的なんだよ! 要するに、特別な場合を除いて出版される日本語の本の本文中には、アルファベットを書いてはならないのだよ!
でも、アルファベットが本文中にある本はたくさんありますよ。
それは外国語の学習参考書だよ! 日本人を対象に外国語以外の一般的な話題について書いてある本の中には注釈と参考資料のページ以外にアルファベットは出てこないのだよ! ところが、オマエが書く文章にはカタカナで書くのが普通の外国語でも次のようにアルファベットがそのまま書き込まれているのだよ!
(すぐ下のページへ続く)