愛は降る星のかなたに (PART 1)
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(starburst.gif)
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(beachbg.jpg+starsxx.gif+valent6.gif+cdressanim.gif+cleoani.gif)
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ケイトー。。。 なんだかロマンチックなタイトルじゃない!?
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(kato3.gif)
シルヴィーもそう思う。。。
でも、どうして急にロマンチックな気分になたのォ~?
あのねぇ~、僕は急にロマンチックな気分になったわけじゃないのですよ。 この話題は2013年9月14日に書いた次の記事の続きなのですよ。
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(peace01.jpg)
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(peace02b.jpg)
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(peace03.jpg)
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このホテルが麻薬の売人の溜まり場なのォ~?
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やだなあああァ~。。。 シルヴィーはどうして。。。、どうして、麻薬にこだわるのォ~?
別に拘(こだわ)っているわけじゃないけれど、なんだか、やばい雰囲気のホテルじゃない!? なんだか、アメリカの禁酒法時代のアール・カポネが泊まっていそうなホテルじゃないのォ~!
あのねぇ~、実は、このホテルは昔。。。 つうかあああァ、1920年代、30年代には "Cathay Hotel"と呼ばれて世界的に有名なホテルだったのですよ。 その当時のアメリカ映画などにもよく出てきます。 上海市の中心部・外灘(ワイタン、The Bund)に面して建っていて、かつて世界的なユダヤ人の財閥、サッスーン・ファミリーが所有していたビルですよ。
あらっ。。。 ケイトーってぇ、詳しいのねぇ~。。。
僕は歴史にはまっているので、かつてゾルゲ事件を調べたことがある。 そしたら、リヒャルト・ゾルゲの仲間の一人、もと近衛内閣のブレーンで、日中戦争を推進した朝日新聞記者の尾崎秀実や、アメリカ人のジャーナリスト、アグネス・スメドレーなどがこのホテルのバーなどにやって来ては情報を交換していたのですよ。
でも、それが“007 Skyfall”の映画と関係あるのォ~?
あるのですよ。 上海が映画に出てくるのですよ。
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(shaghai90.jpg)
Skyfall 上海シーン
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あのねぇ~、僕は当然のことながら和平飯店(Peace Hotel・旧cathay Hotel)が出てくるのではないか? そう思いながら見ていたのだけれど、出てこなかった。 この20年の間に、上海の中心が外灘(ワイタン、The Bund)から浦東(Pudong)に移ってしまったようですよ。
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(cathay88.jpg)
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映画の中のホテルは浦東にあるホテルです。 しかも、僕が上海に行った当時は虹橋(ホンチャオ)空港に着陸した。 新しい上海国際空港はまだ無かった。
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(shaghai95.jpg)
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(shaghai96.jpg)
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この上の虹橋(ホンチャオ)空港が唯一の国際空港だった。 でも、今では、浦東新区に立派な上海国際空港ができている。
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(shaghai92.jpg)
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(shaghai91.jpg)
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僕が1991年当時、浦東(Pudong)を散歩した時には、高層建築は一つも無かった。 スラム街のような、町工場が密集しているような場所で、どこもかしこも工事中だったのですよ。 もちろん上海国際空港もまだ無かった。 それが20年の間に次のような高層建築ができてしまったのだからビックリしましたよ。
『宮沢百恵』より
(2013年9月14日)
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どうして3年以上も前の記事を持ち出してきたのよ。。。?
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その質問の答は、次のリストを見てもらえば解るのですよ。。。
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(liv61211a.png)
■『拡大する』
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これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の12月10日の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。
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12月10日の日本時間で午後10時24分にYahoo!で検索して ケイトーの「徒然ブログ」にやって来て『愛情はふる星のごとく』を読んだのねぇ~。。。
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■『愛情はふる星のごとく』
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。。。で、「リファラ」の URL をクリックすると どのような検索結果が出てくるのォ~?
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次のような結果になるのですよ。。。
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(yah61211a.png)
■『拡大する』
■『現時点での検索結果』
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あらっ。。。 「尾崎秀実 不倫」と入れてYahoo!で検索したのねぇ~。。。
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そういうことです。。。 7,230件ヒットするのですよ。。。 「徒然ブログ」に投稿した『愛情はふる星のごとく』がトップから2番目に出てくる。
それで“愛は降る星のかなたに”というタイトルを付けて 私をわざわざ呼び出したわけなのォ~?
そうです。。。 いけませんか? シルヴィーが、その記事にも登場しているのですよ。。。
島根県に住んでいる人が読んだのねぇ~。。。
シルヴィーは どうして島根県の人が読んだと判ったァ~。。。?
だってぇ~、「リモートホスト」に shimane と書いてあるじゃない!
シルヴィーは意外とネットに詳しいんだねぇ~。。。?
その程度のことは常識だわよう。。。
確かに島根県からアクセスしたのですよ。。。 島根県の松江市に住んでいる尾崎太郎さんがYahoo!で検索して『愛情はふる星のごとく』を読んだのです。
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(ip16144.png)
■『拡大する』
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もしかして、尾崎秀実さんの親戚の方ですかァ~?
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違います! 本名は出せないから、僕が勝手に付けた仮名です。。。 プライバシーを守らねばなりませんからねぇ~。。。 うへへへへへへ。。。
要するに、太郎さんは尾崎秀実さんが不倫したかどうか? その事に興味があったのねぇ~。。。
たぶんそうでしょう!?
。。。で、ケイトーは、どう思うのォ~。。。?
まず、『ウィキペディア』の次のページを読んでみてください。
尾崎 秀実(おざき ほつみ)
誕生: 1901年(明治34年)4月29日
刑死: 1944年(昭和19年)11月7日
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尾崎秀実は日本の評論家・ジャーナリスト・共産主義者。
朝日新聞社記者、内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員を務める。
近衛文麿政権のブレーンとして、政界・言論界に重要な地位を占め、軍部とも独自の関係を持ち、日中戦争(支那事変)から太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直前まで政治の最上層部・中枢と接触し国政に影響を与えた。
共産主義者、革命家としてリヒャルト・ゾルゲが主導するソビエト連邦の諜報組織「ゾルゲ諜報団」に参加し、スパイとして活動し、最終的にゾルゲ事件として1941年発覚し、首謀者の1人として裁判を経て死刑に処された。
報知新聞記者の父・秀真(ほつま)の子として東京芝伊皿子町で生まれる。
5ヵ月後、父が台湾総督府の後藤新平の招きを受け、台湾日日新聞社漢文部主筆として赴任したことから、台湾で育つ。
台北中学、一高を経て、東京帝国大学法学部を卒業、大学院で1年学んだ。
この前後に共産主義のシンパになるが、運動には携わらなかった。
たとえば、一高時代に森戸事件が起きたが、特に社会運動に参加はしていない。
しかし、大正12年の関東大震災で無政府主義者の大杉栄、伊藤野枝、大杉の6歳になる甥が憲兵隊に殺害された事件に触発され、社会主義研究を始める。
テキストはマルクスの『資本論』をはじめ、レーニンの『帝国主義論』、『国家と革命』であり、中国問題に着目するようになったのはカール・フォーゲルの『目覚めつつある支那』を読んでからである。
上海へ
昭和2年10月から翌年の大阪朝日新聞の支那部に籍を置く。
この大阪赴任中、一高の先輩で日本共産党員の冬野猛夫に会い、影響を受ける。
上海に渡る直前に、一高、東京帝大で同期でドイツ帰りの羽仁五郎から現地の新聞の研究・分析の重要性について教わる。
その後、特派員として昭和2年11月に大阪朝日新聞社上海支局に転勤し、英語とドイツ語に堪能な尾崎は、太田宇之助支局長のもと外交方面を受け持つことになる。
上海滞在中、内山書店に通い、店主の内山完造や、そこに出入りする郭沫若や魯迅、中国左翼作家連盟の夏衍と交際する。
また中国共産党とも交流した。
昭和3年11月、イレーネ・ワイテマイヤーが経営するツァイトガイスト(ドイツ語で「時代精神」の意)書店でアグネス・スメドレーに会い、コミンテルン本部機関に加わり諜報活動に間接的に協力するようになる。
さらに、常盤亭という日本料理店において、スメドレーの紹介で、フランクフルター・ツァイトング紙の特派員「ジョンソン」ことリヒャルト・ゾルゲと出会う。
彼を通じてモスクワへ渡った南京政府の動向についてのレポートが高く評価され、南京路にある中華料理店の杏花楼で、ゾルゲから自分はコミンテルンの一員であると告げられ、協力を求められ、承諾する。
実際に尾崎をゾルゲに紹介したのはアメリカ共産党員で当時上海にあった汎太平洋労働組合(PPTUS)書記局に派遣され、満鉄傘下の国際運輸という運送会社に潜り込んでいた鬼頭銀一である。
出典: 「尾崎秀実」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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「ゾルゲ事件」というのは国際的な事件だったから聞いたことがあるけれど、尾崎秀実がこの事件に関わっていたということは知らなかったわ。
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日本の昭和史では有名な人ですよ。
。。。で、尾崎秀実は マジで不倫してしまったのォ~?
あのねぇ~、尾崎秀実の妻の英子さんという人は秀実の兄の配偶者だったのです。
つまり、兄の妻が亡くなったので、その妻を弟の尾崎秀実が面倒を見るために結婚したということォ~?
違うのですよ。 まだ兄さんが生きている間に弟の秀実さんは兄さんの嫁さんと愛し合ってしまったのですよ。
あらっ。。。 それってぇ、不倫になるのじゃないのォ~?
世間では、そういう風に見られてしまう。
戦前の日本では姦通罪は厳しかったんじゃない?
そうですよ。 不倫は戦前の日本では立派な犯罪だった。 でもねぇ、一族の間の問題だから、あまり派手に裁判で騒ぎだてるわけにもゆかなくて、結局、二人は不倫の果てに結婚することになったのですよ。
要するに、二人は相思相愛の仲だったわけね? でも、尾崎秀実はスパイ罪で投獄されてしまったのでしょう。。。?
そうです。 尾崎秀実は拘置所に入っている間に、こまめに妻子に宛てて手紙を書いたのです。 その手紙を尾崎が刑死してから英子さんが書簡集として出版したのが『愛情はふる星のごとく』という本なのですよ。
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(ozaki13.jpg)
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あらっ。。。 ラブレターを出版したのォ~?
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あのねぇ~、拘置所から手紙を出したのです。 当然、検閲がある。 だから、シルヴィーが期待するようなラブレターは書けないのです。
じゃあ、それ程面白い書簡集じゃないのねぇ~?
でもねぇ~、この『愛情はふる星のごとく』は隠れたベストセラーになったのですよ。 手紙を読むと、あの息も詰まるような戦争中に自分の意志を貫き通して生きる尾崎の姿が見えてくる。 しかも、行間には妻子を思う夫としての尾崎、それに父親としての尾崎の愛情がにじみ出ている。 そういうところが特に女性の共感を得たようです。
あらっ。。。 そうなのォ~? もし英訳が出ているのなら私も読んでみたいわァ~。。。
でもねぇ~、一部では、尾崎は上海でアグネス・スメドレーと情交を重ねていたという人もいるのですよ。
アグネス・スメドレー (Agnes Smedley)
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1892年2月23日 - 1950年5月6日)
アグネス・スメドレーはアメリカ合衆国のジャーナリスト。
中国大陸の近代事情、特に中国共産党に関する著作で知られる。
第一次世界大戦においてはインドの英国からの独立のためドイツ政府からの経済援助を受けながら合衆国内で活動し、世界革命論を促進するコミンテルンのために共に長期間活動している。
コミンテルンから資金援助を受けて対外宣伝活動を行っていた。
スメドレーは1892年にミズーリ州のオスグッドで農家の5人兄妹の1人として生まれた。
10歳の頃コロラド州へ移り、学校へと通いながら家計を助けるために働いていた。
彼女は正規の教育を受ける機会はなかったが、学習に対する興味は失わなかった。
1911年から1912年にかけて、スメドレーはアリゾナ州テンピの師範学校で特待生として学んだ。
学内では学生新聞の編集を行っている。
その後、スメドレーはアーネスト・ブラディン(Ernest Brudin)と結婚し、カリフォルニア州へと移住した。
この地で社会主義の思想に触れた彼女は、6年後に離婚するとニューヨークへと向かった。
ニューヨークではマーガレット・サンガーと共にBirth Control Review誌で働いている。
インド人の共産主義者ヴォレンドラナート・チャットパディア(Virendranath Chattopadhyaya)と関係を深めると、彼とともにドイツへ渡った。
1929年には初の自伝を書き上げている。
チャットパディアと分かれたスメドレーは次なる興味の目標を中国大陸へと定め中華民国の上海へ向かった。
上海ではソビエト連邦のスパイであったゾルゲと親密に親交し、後に彼の協力者となる尾崎秀実を紹介した。
尾崎はスメドレーの著作を日本語に翻訳している。
このような経緯から、マッカーサーの部下であったチャールズ・ウィロビーはスメドレーをソビエトのスパイであると主張していた。
スメドレーはこの主張に対し戦後告訴を試みている。
スメドレーは1930年代に始まった国共内戦と日中戦争の取材を行い、記事をフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングやマンチェスター・ガーディアン紙などへ投稿した。
中国共産党傘下の八路軍へ密着した取材などで詳細なレポートを表している。
1937年には戦場の第一線の取材を離れ、医薬品の供給や総括記事の執筆などを、1938年から1941年にかけては国民党と共産党双方の上層部の取材を行っている。
このような精力的な活動は中国大陸での戦争を取材する外国人記者としては飛び抜けたものであった。
その後アメリカに戻り、第二次世界大戦及び国共内戦における中国共産党への援助に関する活動に従事している。
この間数冊の著作を執筆した。
印税ほ全て社会のために使い、友人の家に間借りするような質素な生活を送っていた。
戦後1947年になり、東西両陣営の間の冷戦が深まる中で、彼女はスパイの容疑をかけられた。
スメドレーの活動も影響してか、アメリカからの支援が減った国民党軍は敗北し台湾島に遷都し、1949年には国共内戦に勝利した中国共産党によって、中華人民共和国が設立された。
その翌年の1950年に、米下院下院非米活動委員会からスメドレーに召喚状が発せられたが、彼女はその日にロンドンに飛び、その晩急死した。
出典: 「アグネス・スメドレー」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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つまり、尾崎秀実さんは上海でアグネス・スメドレーと不倫していたということォ~? それってぇ ヤバいんじゃない!?
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いや。。。 僕は、そういう事はなかったと思うのですよ。
でも、誰が尾崎とアグネス・スメドレーが不倫していたと言いふらしたのォ~?
あのねぇ~、1946年2月、アメリカに在住していたスメドレーを石垣綾子が訪ねた時に、スメドレーは石垣から、尾崎が1944年にすでに刑死していると聞かされたのです。 その時、スメドレーが「私の夫は亡くなっていたのォ~!?」と絶句したと言うのですよ。
石垣 綾子
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(ishigaki90.jpg)
(1903年9月21日 - 1996年11月12日)
石垣綾子は、評論家、社会運動家。
東京生まれ。
自由学園卒業。
1926年米国に渡り、反戦・社会運動に参加する。
のち画家・石垣栄太郎と結婚する。
日中戦争、太平洋戦争中は、日本兵に対する反戦の呼びかけ運動を行う。
1951年にマッカーシズムにより、国外退去となり帰国、1955年「主婦という第二職業論」で「第一次主婦論争」の火蓋を切る。
以後女性問題で活躍した。
その女性論はしかし、裕福な家庭に生まれ優れた能力を持ち理解ある伴侶に恵まれた者のブルジョワ女性解放論でしかなく、むやみと「愛」を強調するばかりだという意見もある。
ほかに、滞米時に交友があった、パール・バックの作品の翻訳、スメドレー伝などがある。
出典: 「石垣綾子」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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尾崎が結婚していることはアグネス・スメドレーは初めて会った頃から知っているのです。 だから、スメドレーが尾崎と結婚するはずがないのです。 また、そのような記録もない。
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でも、石垣綾子はスメドレーが「私の夫は亡くなっていたのォ~!?」と絶句したのを目撃したのでしょう?
あのねぇ~、スメドレーにとって尾崎は東洋人としては他に得がたい友人であり、また同じ志を抱いていた同志だったはずなのです。 それだけに尾崎が刑死したという事を知らされた時のショックは、まさに“自分の夫”が亡くなったような衝撃を受けた。 その気持ちを「私の夫は亡くなっていたのォ~!?」という言葉で表現したのですよ。
つまり、石垣綾子はスメドレーの言葉を文字通りに受け取ってしまったわけねぇ~?
それ以外に考えられないでしょう!
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