縄文人と弥生人は惹かれあう?(PART 1)

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デンマンさん、縄文人と弥生人は惹かれあうのですかァ~?

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そう言う人たちがいるのですよう。。。
でも、現在、縄文人だとか弥生人はいないでしょう?
確かに、縄文人は2、500年以上も前に生活していた人ですからねぇ~。。。 純粋な縄文人は、今の日本にはいませんよ。。。
。。。ということは、縄文人の血を多く受け継いでいる人と、弥生人の血を多く受け継いでいる現代人が惹かれ合うということですかァ~?
早い話が、そう言うことなのですよ。。。
でも、どうして急に、そう言う話を持ち出してきたのですか?
実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。
縄文人と弥生人は惹かれあう!?

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この結婚情報システムで本当に結婚できるのか?
【発明の名称】人と人の好き嫌いに関する生物科学的反応の規則性を応用した結婚情報提供システム
【特許権者】 高畑忠夫
【権利状況】 権利存続
【公報種別】 特許公報
【特許番号】 特許4758460
【請求項 1】
好き嫌いに関する『生物科学的反応』の
客観的普遍的規則性を活用した
結婚情報提供システムであって、
……外面的形質を「タイプ」、……年齢・学歴・職業などを
「タイプ以外」として、データベースに、……人ごとの
識別コードで特定して入力し、全登録者識別コード群の
中から「タイプ以外」の希望条件のうち、その人の希望する
「必須のもの」をクリアーし、かつ、
本人の好みのタイプに合う
パートナー候補の識別コード(群)を
コンピューターにより検索・抽出するものであり、
……パートナー候補の識別コード(群)を、
「タイプ以外」の希望条件も加味して
検索・抽出する一方、どう方法を逆用して
「好みのタイプの人」の方から……逆検索してもらうことを
特徴とする、結婚情報提供システム。
(228ページ)
縄文系や弥生系は本当に惹かれあうのか?
この規則性を極めると、冒頭で説明した「日本人の二重構造論」に見られる「縄文系」(J系)と「弥生系」(Y系)のふたつに分類されるという。
日本人の二重構造モデルを結婚情報システムに応用しようなんていうアイデアは画期的だ。 (略)
高畑さんが実際に調査したところ、J系とY系が互いに引き合い、J系同士とY系同士が互いに反発しあう関係にあることがわかったという。
(234ページ)

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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
『すばらしき特殊特許の世界』
著者: 稲森謙太郎
2014年2月4日 初版発行
発行所: 株式会社 太田出版

あらっ。。。 結婚情報システムを考えて特許を取った人が居るのですわねぇ~。。。

そうなのですよう。。。 「縄文系」(J系)と「弥生系」(Y系)が互いに引き合うという規則性を活用して結婚情報提供システムを考え出したのですよ。。。
。。。で、現在 実際に、ビジネスとして、このシステムが利用されているのですか?
上の本によると、まだこのシステムはビジネスとして実際に使われてないそうです。。。
そのうち、そう言うシステムができるということですか?
そうなるかもしれないのですよ。。。
このシステムを考えた動機は どういうことだったのですか?
あのねぇ~、最近の日本では少子高齢化が進んでいるでしょう。。。
確かに、結婚しない人が多くなっているし、結婚しても子供を生まないカップルも増えていて、少子高齢化に拍車をかけているようですわァ~。。。
だから、政府も対策を立てているのですよ。。。 少子化対策担当大臣が置かれるようになったのも、その対策のひとつです。。。
そう言われてみると、街では合コンだとか、お見合いイベントが けっこう催(もよお)されていますわァ~。
でも、だからといって、カップルがたくさん誕生しているようには見えない。。。
それで、この特許を取得した高畑さんはカップルを効率よく増やすために、このシステムを考え出したのですか?
そうらしいのですよ。。。
。。。で、そもそも「縄文系」(J系)と「弥生系」(Y系)は、どのように決められるのですか?
本には次のように書いてありました。。。 一部だけど、紹介します。。。
縄文系・弥生系の主な半定基準
縄文系の顔:
小顔 丸顔 二重瞼 下がり目 横顔は中高で彫が深い
耳垢: 湿型 ネットリ
背丈: 低い
タイプ例: 吉永小百合

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弥生系の顔:
大顔 面長 一重瞼 上がり目 横顔は平面的
耳垢: 乾型 パサパサ
背丈: 高い
タイプ例: 岩下志麻

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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
235ページ 『すばらしき特殊特許の世界』
著者: 稲森謙太郎
2014年2月4日 初版発行
発行所: 株式会社 太田出版

あらっ。。。 吉永小百合さんは縄文系なのですか?

そうらしい。。。
でも、マジで縄文人と弥生人は惹かれあうのでしょうか?
あのねぇ~、そもそも日本人を縄文系と弥生系に分けることも、問題があるのですよ。。。
。。。と言うとォ~。。。?
いろいろな説があるのです。。。
縄文人と弥生人
近年、福岡県糸島半島の新町遺跡で大陸墓制である支石墓から発見された人骨は縄文的習俗である抜歯が施されていた。
長崎県大友遺跡の支石墓群から多くの縄文的な人骨が発見されている。
さらに瀬戸内地方の神戸市新方遺跡からの人骨も縄文的形質を備えているという。
ただ、福岡市の雀居(ささい)遺跡や奈良盆地の唐古・鍵遺跡の前期弥生人は、渡来系の人骨だと判定されている。
つまり、最初に渡来系が展開したと考えられている北部九州や瀬戸内・近畿地方でさえ、弥生時代初期の遺跡からは渡来系の人と判定される人骨の出土数は縄文系とされる人骨より少ない。
そのことから、水田稲作の先進地帯でも縄文人が水稲耕作を行ったのであり、絶対多数の縄文人と少数の大陸系渡来人との協同のうちに農耕社会へと移行したと考えられる。
一方、1960年代になると金関丈夫が、山口県土井ヶ浜遺跡や佐賀県の三津永田遺跡などの福岡平野の前・中期の弥生人骨の研究から、弥生時代の人の身長は高く、さらに頭の長さや顔の広さなどが中国大陸の人骨に近く、縄文時代人とは大きな差があると指摘し、縄文人とは違った人間が朝鮮半島を経由してやってきて、縄文人と混血して弥生人になったと考えた。
その後の調査で、前述のように中国山東省の遺跡から発掘された人骨との類似も指摘されている。
また、埴原和郎は、アジア南部に由来する縄文人の住む日本列島へ中国東北部にいたツングース系の人々が流入したことにより弥生文化が形成されたとの「二重構造モデル」を1991年に提唱した。
埴原は、人口学の推計によれば弥生時代から古墳時代にかけて一般の農耕社会の人口増加率では説明できない急激な人口増加が起きていることから、この間、100万人規模の渡来人の流入があったはずだとする大量渡来説も提唱していた。
佐原真は福岡平野・佐賀平野などの北九州の一部で、縄文人が弥生人と混血した結果弥生文化を形成して東に進み、混血して名古屋と丹後半島とを結ぶ線まで進み、水稲耕作が定着したとしている。
出典: 「弥生人」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

つまり、縄文人と弥生人については、いろいろな説があるのですわねぇ~。。。

そうなのですよ。。。 まだ、はっきりと定説があるわけじゃない! 混血しているから純縄文人に近い日本人、純弥生人に近い日本人が居るわけですよ。。。 だから、縄文系、弥生系と言っても、次の図に見るように幅広い分布になっているはずです。。。

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なるほどォ~。。。

それに、J系同士とY系同士が互いに反発しあうというのも疑問ですよ。。。
どうしてですか?
だってぇ~、小百合さんと僕は祖先が百済から日本に避難民としてやって来た弥生系日本人なのですよ。。。
デンマンの祖先は百済からやって来た

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僕の家は徳川時代には忍城下で“木のくりもの屋”をしていた。僕の祖父の代までこれが続いて、大正時代に作品の品評会があって、これに出品して埼玉県知事からもらった2等賞の賞状が家宝のようにして2階の床の間に飾ってありましたよう。つまり、僕の祖父は腕のいい木工職人だったのですよう。家にも祖父が作ったと言う置物がたくさんありました。僕のオヤジが行田市の博物館にすべて寄付したようです。

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それで徳川以前はどうだったのでござ~♪~ますか?
後北条氏に仕えていた騎馬武者だった。 つまり、『更級日記』の作者が見たと言う騎馬武者の末裔(まつえい)だったのですよう。
つうことわあぁ~。。。デンマンさんの遠い祖先は百済から逃げてきた難民だったのでござ~♪~ますわね?
難民と言うと響きは悪いけれど、唐と新羅の連合軍と戦った騎馬隊の一員だった訳ですよう。
それで、戦いに負けて百済の国が滅びてしまったので仕方なしに日本へ逃れて来たと言うことでござ~♪~ますか?
そう言う事ですよう。
。。。んで、デンマンさんのご実家には家系図が残っているのですか?
そんなモノは残っていませんよう。
。。。んで。。。、んで。。。、どうして上のような事を、さも史実のように言うことができるのでござ~♪~ますか?
僕の体の中にある DNA に僕の祖先から伝わっている遺伝子が刻み込まれているからですよう。
その。。。その遺伝子って。。。いったい、どういうモノでござ~♪~ますか?
“海外飛躍遺伝子”ですよう。 うしししし。。。
つまり、デンマンさんの遠い祖先は戦い敗れて百済から“海外”である日本へ渡ってきた。それから、京都に下って行ったけれど、生活の糧を得るためには畑仕事でもして食料を得なければならない。でも、近畿地方には土地がないので開拓団に入って関東まで落ちていったのでござ~♪~ますか?
そうですよう。
でも、結局、後北条氏に仕えたけれど、秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅びると、騎馬武者から“くりもの屋”になって忍城下でお店を開いたのでござ~♪~ますか?
その通りですよう。
。。。んで、その“くりもの屋”が大正時代まで続いて、デンマンさんの代になると、1400年近く眠っていた“海外飛躍遺伝子”が眠りから覚めて、デンマンさんは34カ国を放浪した末に、カナダに安住の地を求めて定住した、と言う訳でござ~♪~ますか?
全く、その通りですよう。。。うしししし。。。どうですか?。。。これが、僕のつむぎだした壮大な叙事詩ですよう。

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。。。んで、小百合さんの祖先も百済からやって来て武蔵国に定住したのでござ~♪~ますか?

そうですよう。おそらく、百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったけれど、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって一緒に武蔵国まで行ったのですよう。
どうして、そのような事が分かるのでござ~♪~ますか?
小百合さんの実家は館林にあるのですよう。僕の実家から車で20分から30分ですよう。目と鼻の先ですよう。
そのような近くに住んでいたのにデンマンさんは日本で小百合さんにお会いした事は無かったのでござ~♪~ますか?
不思議な事に小百合さんと僕が初めて出会ったのはカナダのバーナビー市で小百合さんが13年間借りていた“山の家”だったのですよう。

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バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。

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この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に小百合さんが借りていた“山の家”があるのですよう。

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この家でデンマンさんは10数年前に小百合さんと初めてお会いになったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。次のように小百合さんの“山の家”の応接間で会ったのですよう。

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これって、またデンマンさんがコラージュしてでっち上げたのでござ~♪~ますわね?
確かに、上の写真は僕がでっち上げたのだけれど、現実でもねぇ、僕は、こうやって小百合さんと会ったのですよう。
でも、どうして小百合さんの祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たと分かるのですか?
小百合さんの DNA にも“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですよう。僕と同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、小百合さんは佐野からカナダのバーナビーに渡ったわけですよう。そして僕と“山の家”で出会ったのですよう。
ただ、それだけの事でござ~♪~ますでしょう?
ただ、それだけじゃないですよう。ちょっとジューンさんの言ったことを思い出してくださいよう。

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こんにちは。ジューンです。
袖触れ合うも他生の縁
(そでふれあうもたしょうのえん)
聞いたことがあるでしょう?
なかなか味わいのある諺ですよね。
袖が触れ合うようなちょっとしたことも、
前世からの深い因縁によって
起こるものである、と言う事です。
わたしは、初め、“袖触れ合うも多少の縁”
だと思ったのですわ。うふふふふ。。。
つまり、袖が触れ合ったのは、
全く偶然ではなくて、少しは
そうなる運命にあったのよう。。。
私は、そのように思い込んでいたのです。
でも、「多少」じゃなく「他生」だと。。。
「他生」というのは「前世」の事だと、
デンマンさんに教わったのですわ。
調べてみたら、「他生」とは
「前世」と「来世」の事を言うのですって。
上の諺では、文脈から
「前世」となる訳ですよね。
この世の事は「今生(こんじょう)」と言うのです。
そう言えば「今生の別れ」と言う語句を
何度か耳にしたことがありました。
仏教の輪廻(りんね)と
関係のある諺なのでしょうね。
わたしは英語には、この諺は
無いと思っていたのですけれど、
調べてみたら、次のようなものがありましたわ。
A chance acquaintance
is a divine ordinance.
Even a chance meeting is
due to the karma in previous life.
つまり、「偶然の出会いは神の定め」
と言う事なのです。
多分、日本の諺を英訳したのでしょうね。
カナダでは耳にしたことがありませんわ。

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『デンマンの祖先は百済からやって来た』より
(2010年8月4日)

つまり、弥生系同士も引き合うとデンマンさんは言いたいのですかァ~?

そうです。。。 いけませんかァ~。。。
そういう事を言うと、ここまで読んできたネット市民の皆様が白けるのですわァ~。。。
そうでしょうか?
デンマンさんは、意外にノ~天気なところがあるのですわねぇ~。。。 J系同士とY系同士が互いに反発しあうというのも疑問です。。。 そう言いながら、その証拠に私とデンマンさんが弥生系で、お互いに引き合うと言っても、これを読んでいるネット市民の皆様は、“へ~、そうなんだァ~”と、半分、ウザイと思いながら、呆れているのですわァ~。。。
ちょうど、友達の家に招かれて、家族旅行のホーム・ムービーを見せられたときのようにですかァ~?
そうですわァ~。。。
あのねぇ~、とにかく、昔から“縁は異なもの妙なもの……”と言われているのですよう。。。 結局、縄文系であろうが、弥生系であろうが、惹かれ合う人は惹かれ合うし、反発する人は反発するのです。。。
要するに、縄文系だとか弥生系だとかは関係ないのですか?
はっきり言ってしまえば、そう言うことなのですよ。。。
だったら、どうして、縄文人と弥生人は惹かれあう?というタイトルにしたのですか?
だから、結局、縄文系であろうが、弥生系であろうが、惹かれ合う人は惹かれ合うし、反発する人は反発する、と言いたかったまでですよ。。。 うへへへへへへへ。。。

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(すぐ下のページへ続く)