ヘンデルと自殺(PART 1)
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(handel01.jpg)
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(bill008.jpg)
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(ireba03.jpg)
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(laugh16.gif)
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(ohta03.png)
デンマンさん。。。、ヘンデルと自殺というような不吉なタイトルに、どういうわけでオイラをお呼びになったのですかァ~?
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(kato3.gif)
オマエは不満なのォ~?
オイラの知る限りヘンデルは自殺してないし、だいたい自殺という退廃的・自虐的な行為に対して、オイラは嫌悪感を抱いているのですよ。。。 できれば、こういうタイトルに呼び出して欲しくありません。。。
でも。。。、でも。。。、オマエが書いた記事の中にヘンデルと自殺が出てくるのだよ。。。
マジで。。。?
信用しないのなら次の記事を読んでごらんよ。。。
1.3 Georg Friedrich Händel (1685 – 1759)
魔が差す、という表現が日本語にはある。旧約では、その魔も神から来るのである。
さて主の霊はサウルを離れ、主から来る悪霊が彼を悩ました(サムエル記上16章14節)。
そうした神の気紛れの系譜は、カインからエフタ、サウルからさらに、新約にいたって、あの<生まれてこなかった方がよかった>聖イスカリオテのユダ(草子地:書き間違いではない。彼はイエスに選ばれた人間であった。)に至る。
次の日、神から来る悪霊がサウルにはげしく臨んで、サウルが家の中で狂いわめいた――(サムエル記上18章10節)。
Oratorio in three acts <<Saul>>を作曲したG.F. Händelもまた気紛れであった。その気紛れさかげんをこぼした、この作品の台本作家Charles Jennensの手紙が残っている。それによると、Händelは<Hallelujah>を第一幕第一景の終りから、オラトリオの最後に移そうと頑張った、とのことである。JennensがHändelを説得できたのは幸いであった。この作品は<<Saul>>であって<<David>>ではないからである。
さてサウルが家にいて手に槍を持ってすわっていた時、主から来る悪霊がサウルに臨んだので……(サムエル記上19章9節)。(草子地:これら三回の旧約からの引用は、私の性格が執拗であるからではない。しつこいのは旧約の神である。)
旧、新約を通して、自殺の記事が見られるのは、サウルと聖イスカリオテのユダの場合のみである。Jennens-Händelの作品に於いては、サウルの自殺は間接的に語られるだけで、無割礼の者に殺される、という彼の怖れの言葉は語られてはいない。また、神から来る悪霊、という言葉もでてこない。この旧約中で最も陰惨な記述の中で、私が最も心引かれるサムエル記上28章20-25節は、無論、省略されている(草子地:この処は、直接に旧約を参照されたい)。否、むしろ、僅か二年のサウルの治世に、旧約がこれだけの章節を割いている事の方が驚きであろう。
超越を前にして、人間の側に選択の主体性があるか否かの深刻な命題は、人間の思考し得る論理全ての集合に入っていない、と私は考える。この問題を考えようとすると、即座に、集合論の矛盾に陥るからである。数学ですらもまた、自然にあるものの発見ではなく、人間の思考技術に於いての発明である、と私は思うようになって来ている。
人の心の奥深い処に何が潜んでいるかは、私自身も暗がりのような自分の心の底を覗き込もうとしたが、分り得ないものである。自分のことは自分が一番知っている、というのは嘘ではないか。尤も、自分より他人の方が知っている、という訳でもないけれど。一方、<我が内なる道徳律>などは、少なくとも、私に関しては、考えられない。しかし、こうした不安の無い人は、業が浅いか、無神経、無自覚、無頓着のどれかではないか。
<<Saul>>は1738年の作であり、<<Jephtha>>は1751年の作品である。かのHändelにして、旧約の本当の物凄さに近づくのには12年を要した、ということか。ちなみに記すと、あの有名な<<Messiah>>は、1741年の作品である。それにしても、一つの作品を理解する為には、その作品の背景を知る必要がある、等とひとは気軽に、考えなしにいう。
<<Saul>>、<<Messiah>>と<<Jephtha>>に共通しているのは、各々が皆、三部構成であり、第三部がepilogueの趣をもっている事である。
<<Saul>>について言うと、acompagnatoというrecitativeとairの中間のような語りの形態を採用していることがある。これは、それだけを取り出せば、recitativeよりは音楽的な表出に於ける可能性があるか、とも思われる反面、少なくとも、この作品では、全体を一本調子のトーンで塗り潰している、といった印象を拭えないとも私は感じている。Recitativeとairの対比が鮮明ではないからである。
しかしながら、MerabとMichalの性格づけは、音楽の上でも良く振り分けられているではないか。特に、後者は、何か、<<Jephtha>>のIphisを予想する、されるところがあって興味深い。Jennensは苦情を言っていたが、Händelは、No. 21のrecitativeでcarillonsを使ったそうである。
それはそうと、Händelの作品では、オペラではなくオラトリオであっても(enter)とか(exit)などとのト書きが多いのが面白い。何故だろうか。
蛇足(コーダ):
サムエル記等の成立はソロモン以後、女性の手、想像されるのにソロモンの王女の一人による編纂を経ている、という説があった。これも興味深い。
9-10ページ
『間奏曲集―主題なき変奏-作品 2』より
デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!
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あのさァ~、いつも思うのだけれど、オマエの文章はとっても読みづらいのだよ! 英語やドイツ語やフランス語やイタリア語やラテン語が入り混じっている。。。
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デンマンさん! 人のことは言えませんよ! デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ。。。
それは、オマエの極めて個人的な見解だと思うのだよ! むしろ独断と偏見だと言っていい。。。 僕の記事は、日本語が解る世界のネット市民の 多くの皆様に読まれているのだよ!
134ヵ国のネット市民の皆様に読まれていることを自慢したいのですか?
いや。。。 自慢したいわけじゃない! オマエが「デンマンさんの文章だってぇ、長くて読み始めると、じきに飽きてしまうのですよ」と言ったから、僕の長い記事でも まめに読んでくれる常連さんが居る、と言いたかったまでだよ。。。 とにかく、オマエの文章は読みづらいので、多くの人が上の文章を読み飛ばしたと思うのだよ。。。
マジで。。。?
僕だってぇ、読みたくなかった。。。 でも、この記事を書く都合があるので、次のように読み易くして読んだのだよ。
1.3 ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル
(1685 – 1759)
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(handel02.jpg)
魔が差す、という表現が日本語にはある。
旧約では、その魔も神から来るのである。
さて主の霊はサウルを離れ、主から来る悪霊が彼を悩ました(サムエル記上16章14節)。
そうした神の気紛れの系譜は、カインからエフタ、サウルからさらに、新約にいたって、あの<生まれてこなかった方がよかった>聖イスカリオテのユダ(草子地:書き間違いではない。彼はイエスに選ばれた人間であった。)に至る。
次の日、神から来る悪霊がサウルにはげしく臨んで、サウルが家の中で狂いわめいた――(サムエル記上18章10節)。
オラトリオ<<サウル>>を作曲したヘンデルもまた気紛れであった。
その気紛れさかげんをこぼした、この作品の台本作家チャールズ・ジェネンズの手紙が残っている。
それによると、ヘンデルは<ハレルヤ>を第一幕第一景の終りから、オラトリオの最後に移そうと頑張った、とのことである。
ジェネンズがヘンデルを説得できたのは幸いであった。
この作品は<<サウル>>であって<<ダビデ>>ではないからである。
さてサウルが家にいて手に槍を持ってすわっていた時、主から来る悪霊がサウルに臨んだので……(サムエル記上19章9節)。
(草子地:これら三回の旧約からの引用は、私の性格が執拗であるからではない。しつこいのは旧約の神である。)
旧、新約を通して、自殺の記事が見られるのは、サウルと聖イスカリオテのユダの場合のみである。
ジェネンズとヘンデルの作品に於いては、サウルの自殺は間接的に語られるだけで、無割礼の者に殺される、という彼の怖れの言葉は語られてはいない。
また、神から来る悪霊、という言葉もでてこない。
この旧約中で最も陰惨な記述の中で、私が最も心引かれるサムエル記上28章20-25節は、無論、省略されている。
(草子地:この処は、直接に旧約を参照されたい。)
否、むしろ、僅か二年のサウルの治世に、旧約がこれだけの章節を割いている事の方が驚きであろう。
超越を前にして、人間の側に選択の主体性があるか否かの深刻な命題は、人間の思考し得る論理全ての集合に入っていない、と私は考える。
この問題を考えようとすると、即座に、集合論の矛盾に陥るからである。
数学ですらもまた、自然にあるものの発見ではなく、人間の思考技術に於いての発明である、と私は思うようになって来ている。
人の心の奥深い処に何が潜んでいるかは、私自身も暗がりのような自分の心の底を覗き込もうとしたが、分り得ないものである。
自分のことは自分が一番知っている、というのは嘘ではないか。
尤も、自分より他人の方が知っている、という訳でもないけれど。
一方、<我が内なる道徳律>などは、少なくとも、私に関しては、考えられない。
しかし、こうした不安の無い人は、業が浅いか、無神経、無自覚、無頓着のどれかではないか。
<<サウル>>は1738年の作であり、<<イェフタ>>は1751年の作品である。
かのヘンデルにして、旧約の本当の物凄さに近づくのには12年を要した、ということか。
ちなみに記すと、あの有名な<<メサイア>>は、1741年の作品である。
それにしても、一つの作品を理解する為には、その作品の背景を知る必要がある、等とひとは気軽に、考えなしにいう。
<<サウル>>、<<メサイア>>と<<イェフタ>>に共通しているのは、各々が皆、三部構成であり、第三部がエピローグの趣をもっている事である。
<<サウル>>について言うと、伴奏付朗唱とアリアの中間のような語りの形態を採用していることがある。
これは、それだけを取り出せば、朗唱よりは音楽的な表出に於ける可能性があるか、とも思われる反面、少なくとも、この作品では、全体を一本調子のトーンで塗り潰している、といった印象を拭えないとも私は感じている。
朗唱とアリアの対比が鮮明ではないからである。
しかしながら、メラブとミカルの性格づけは、音楽の上でも良く振り分けられているではないか。
特に、後者は、何か、<<イェフタ>>のイーピスを予想する、されるところがあって興味深い。
ジェネンズは苦情を言っていたが、ヘンデルは、作品21の朗唱でカリヨンを使ったそうである。
それはそうと、ヘンデルの作品では、オペラではなくオラトリオであっても(入場)とか(出場)などとのト書きが多いのが面白い。
何故だろうか。
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蛇足 (コーダ):
サムエル記等の成立はソロモン以後、女性の手、想像されるのにソロモンの王女の一人による編纂を経ている、という説があった。
これも興味深い。
(赤字はデンマンが強調)
9-10ページ
『間奏曲集―主題なき変奏-作品 2』より
デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!
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オイラが書いた上の文章のどこにデンマンさんはムカついたのですかァ~?
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いや。。。 ムカついたわけじゃない。。。 でもさァ~、僕にはヘンデルが作曲した上のどの曲を聴いても、素晴らしいとは思えない!
それは、デンマンさんがクラシックに対しての音楽的感性が欠けているためです。。。
確かに、僕はクラシックが苦手なのだよ。。。 でもなァ~、バッハの≪G線上のアリア≫は素晴らしいと思う。。。
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(back91.jpg)
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この曲はクラシックが解らない人でもいいと言うのですよ。。。
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つまり、オマエは僕のことを“クラシック音痴”だと馬鹿にしたいわけねぇ~。。。?
そんな事より、どうしてデンマンさんは自殺に拘(こだわ)るのですか?
オマエが「サウルの自殺」について書いたからだよ!
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(saul01.jpg)
ブリューゲルは聖書に題材をとった作品をいくつか描いている。
この「サウルの自殺」もその一つである。
ブリューゲルはこの絵を「サムエル記」の記述をもとに描いた。
サムエル記には、イスラエル人とペリシテ人の戦いが描かれている。
この闘いはペリシテ人が圧倒的に優勢だった。
彼らはイスラエル人サウルとその子供たちを追い詰め、子どもたちを殺した後、サウルにも重傷を負わせた。
サウルはペリシテ人の手にかかって死ぬよりは、従者の手で刺殺されることを望んだが、従者が恐れ憚って応じないので、自分で地面に剣を突き立て、その上に身を投げ出すようにして自殺した。
その光景を見た従者もまた、主人の後を追って自殺したのだった。
(デンマン注: その場面は上の絵の左側に描かれている。)
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サウルは、このようにして自殺したと言われているのだけれど、僕はどのような自殺に対しても 命を粗末にする行為だとして認めたくはない。。。
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でも、それは理想論で、現実には、自殺してしまう人は多いのですよ。。。 特に、日本では毎年1万人近い人間が自殺している。。。
確かにその通り、僕にとって衝撃的だったのは、高橋まつりさんの自殺だった。
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高橋まつりさんの自殺がそれほどデンマンさんにとって衝撃だったのですか?
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オマエの娘は二人ともカナダで小児科の女医さんになって、オマエから離れてアメリカの総合病院で働いているけど、その娘たちが自殺したら衝撃だろう?
当たり前でしょう! でも、うちの娘は絶対に自殺するようなことはありません!
どうして、オマエは、そう断定するわけぇ~?
だってぇ~、命を救う医者になったのですよ! 自分で命を捨てるような愚かな事はしませんよ!
確かに、医者が自殺したら笑いモノになるかもねぇ~。。。 (笑)
。。。で、デンマンさんは高橋まつりさんの自殺からどのようなショックを受けたのですか?
あのさァ~、オマエも知っていると思うけれど、最近 僕は「現実主義者」と名乗る“馬鹿の見本”とコメントのやり取りをしているのだよ。。。
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(fool911.jpg)
■『現実主義者 馬鹿の見本』
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デンマンさん! 東大を卒業した高橋まつりさんと比較するために このドアホの事を取り上げるのですかァ~?
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そうだよ。。。
止めてくださいよう! ヘンデルという格調高い作曲家についてデンマンさんと語り合おうというのに、この偏差値30台のお馬鹿を持ち出したら、オイラたちの対談が台無しになるじゃありませんかア!
あのさァ~、オマエの気持ちはよく分かるよ。。。 でもなァ~、この二人を比較しないと僕の“自殺論”が先へ進まないのだよ。。。
分かりました。。。 デンマンさんが そう言うならば仕方がありません。。。 この馬鹿の話を聞きましょう。。。
この愚か者は「生きる価値のないクズの廃人」だと自分で認めて悲観しているのだけれど、決して自殺しようとしない。。。 もちろん、僕はこのアホに「自殺しろ!」と言ったことはない! また、自殺すべきでないと思っている!
東大を出た高橋まつりさんが自殺して、偏差値30台のクソ大学を出て、「生きる価値のないクズの廃人」だと自分で認めて悲観している「現実主義者」と名乗る男が 生きている。。。 どうして、こういう違いが生まれてくるのですか?
夕べ寝ずに考えたのだけれど、ついに僕の自殺論仮説を導き出したのだよ。。。。
その自殺論仮説とは。。。?
内爆・外爆自殺説(Implosion-Explosion Suicide Theory)と言うのだよ! 分かりやすく図に示すと次のようになる。
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(suicide3.png)
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たとえば、オマエの場合、日本で人間関係をこじらせて職場にいられなくなった。。。 しかも、どの会社へ入社しても人間関係をこじらせてしまって退社してしまう。。。 普通の草食系の繊細な日本人ならば、パワハラやイジメに遭って悲観して自殺してしまうのだよ。。。 ところが、オマエは日本の社会では結局、日本的な人間関係の柵(しがらみ)があるので、見切りをつけてカナダに移住したのだよ!
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つまり、オイラは日本社会や職場に対する怒りや不満を外に爆発させることで、つまり、海外に雄飛することで解決したと言うのですか?
その通りだよ。。。 ところが、高橋まつりさんの場合、会社を辞めればいいのだよ! 東大卒のまつりさんならば、電通にしがみついている必要はない。。。 おそらく転職の口はいくらでもあったに違いない!
つまり、セクハラやパワハラ、イジメや仕事のプレッシャーを自分の内側に閉じ込めて、結局、自分が悪いのだと悲観して、自滅(自殺)してしまったのですねぇ~。。。
そういうことだよ。。。
だけど、“馬鹿の見本”の「現実主義者」は自分で「生きる価値のないクズの廃人」だと認めていながら、なぜ自滅(自殺)しないのですか?
なぜなら、怒りや不満やストレスを自分の内側に向けないで、外側に向けて、相手の心を傷つけるようなコメントを書いて、その負の感情を発散させているからだよ。。。 自分の怒りや不満を他人のせいにして、本来ならば反省すべきなのに 他人を傷つけることで怒りや不満を発散させている。。。
なるほどォ~。。。 それで、ネット市民に嫌われ、憎まれ、恨まれながらも、しぶとく生きているのですねぇ~。。。
そうとしか、考えられない!
。。。とすると、デンマンさんの場合も、人間関係に破綻して、オイラと同じようにカナダに移住したのですか?
いや。。。 僕は大学紛争や佐藤首相訪米反対運動、新宿駅騒乱事件やウチゲバ、浅間山荘事件に揺れている日本に幻滅して海外に雄飛したのだよ。。。
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(laugh16.gif)
(すぐ下のページへ続く)