漱石とグールド@鹿児島
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デンマンさん。。。 夏目漱石とグレン・グールドが鹿児島で会ったことがあるのですか?
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二人が鹿児島で出会うはずがないだろう!?
だってぇ、タイトルを見れば誰だって そう思いますよ。。。
だいたい二人が生きた時代が違うじゃないか!。。。 グレン・グールドが生まれた時には、夏目漱石はすでにあの世の人だったのだよ。。。
それなのに、どういうわけで、思わせぶりなタイトルを付けたのですか?
その質問に答えるには、まず次のリストを見て欲しいのだよ。。。
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■『拡大する』
■『Sōseki & Glenn Gould』
これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で8月7日の午前11時41分から午後3時15分までのアクセス者の記録なんだよ。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。
8月7日の午後1時30分にGOOGLEで検索して『Sōseki & Glenn Gould』を読んだネット市民がいたのですねぇ~。。。
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■『Sōseki & Glenn Gould』
これは英語で書いた記事ではありませんか? アメリカ人かカナダ人が読んだのですか?
実は、鹿児島に住んでいる加茂真由美(かも まゆみ)さんが読んだのだよ。。。
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真由美さんは、もしかしてハーフかなんかですか?
いや。。。生粋(きっすい)の日本人だよ。。。
真由美さんは鹿児島で何をしているのですか?
鹿児島国際大学の国際文化学部で英語・欧米文化コースをとっているのだよ。。。
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なるほどォ〜、真由美さんは英語・欧米文化コースをとっているので英語を読むのが苦にならないのですねぇ〜。。。
そうなのだよ。。。それに高校時代に交換留学生としてアメリカに1年間留学したことがある。。。
。。。で、どうやって記事を見つけたのですか?
次のように検索したのだよ。。。
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■『拡大する』
■『現時点での検索結果』
真由美さんはSōseki Glenn Gould 徒然 と入れて GOOGLE で検索したのだよ。。。
真由美さんは「徒然ブログ」の常連さんなのですか?
そうなのだよ。。。高校生の頃から僕のブログを読んでくれている。。。
。。。で、いったい漱石とグールドの何を知りたいと思って記事を読んだのですか?
実は、真由美さんはこの英語の記事を前に読んだことがある。。。その時に「グールドの貴重な記録(Glenn Gould Off the Record)」というYouTubeのクリップを観たのだけれど、その時観たクリップをもう一度見ようとしたのに見つからない。。。それで、上の記事を探して読んだというわけだよ。。。
真由美さんが探していたクリップとはどのクリップですか?
次のクリップだよ。。。
つまり、この事を言うために、わざわざオイラを呼び出したのですか?
もちろん、そればかりじゃないのだよ。。。オマエもグレン・グールドについて書いていたことを思い出したのだよ。。。
マジで。。。? デンマンさんは意外に記憶力がいいのですねぇ〜。。。オイラが忘れているのに、覚えているのですか? いったい、オイラがどのようなことを書いていたのですか?
次の長たらしい文章だよ。。。
A.18 Coda (Glenn Gould)
この頃の私は、symphony orchestra や近代のピアノの音に反感を感じるのであるが何故であ ろうか。私も、矢野暢が書いたように(20 世紀の音楽‐意味空間の政治学)、W.A. Mozart に ennui を感じるときが多い。Mozart や Beethoven のような限られた作曲家の作品を、無難だと勘 違いをして、だしに使って金儲けをしている現代の演奏家を何処まで信じたものか。これは言い 過ぎなのか。しかし、他の人はああ弾くけれど私はこう弾く、という発見なしに、新たに演奏、録 音などをする意味があるのであろうか。同じ作曲家の同じ作品の同じような演奏が溢れ返ってい るいるではないか。中村紘子がトロントで演奏した後に、ああいう標準的で優等生的で完璧な演 奏が、現在、何かの意味があるのか、という批評が Toronto Star に掲載されていた。また、ここ、 トロントで、G. Gould の名を冠した、<Glen Gould – Bach Competition>が J.S. Bach の生誕 300 年を記念して開催されたが、これは、Gould が納得する催しであろうか。生前、彼が斯様な 競技だけでなく演奏会そのものまでを否定するに到ったことは、周知ではなかったか。彼の遺族 の意向は如何にあったのか。それとも、遺族の意向も、そんな程度であったのか。ちなみに書け ば、この contest の審査員の一人として、日本から園田高弘が招聘されていたのであるが、その 昔、彼について、園田は W. Backhaus は斯くの如く弾く、W. Kempf は斯くの如く弾く、などと弾 き分けるのは巧いが、彼自身は、一体、どう弾きたいのか分からない、といった批評が海外にあ ったことを、本人は知っていただろうか。一体、音楽は何処に行くのだろう。
私は、比較的に楽譜の上での正確さに関心がいく方だと思う。しかし、考えてみれば、例えば 、A. Honegger の<<Symphonie No. 1>>を聴きながら、その音楽の或る処がどうなっている かが気になるときに、LP/tape/CD があるのにも拘らず、先ず先に楽譜を調べるのは、非常識で はないものの、本末転倒の片手落ではないか、と気がついた。この作品にしろ、A. Roussel の< <Symphonie en sol mineur>>(Op. 43)にしろ、何か暴力的な響きがある。これは、これらの作 曲家たちの折衷的な作曲技法の結果ではないか、とも思ってみたのであるが、では、同じく折 衷的な作曲家、F. Martin や L. Dallapicola の作品には、そのような響きは聴こえない。どのよう にして、そのような響きが出るのかは、楽譜を調べれば理解できるか、と思ったのであるが、何故 、彼らがそうするのかは、やはり作品を聴くにしくはないではないか。彼らの伝記などを読んでも 毒にも薬にもならないであろう。何故そうするかということは、結局は、作曲家の心理、主張、選 択の問題であろう。それらを彼らと暗黙の共感を共にするには、具体的な演奏を聴くことを通し てでしか了解できないのではないか。要は、何処まで演奏家を信用するかにもある。A. Schiff が 、楽譜を見ながらピアノを弾いているのと、暗譜して弾いているのとでは、結果に影響を及ぼす ほどに感じが違う、と言っていた。音というものは、それほどまでに、繊細に形や姿を変えるので ある。暗譜の苦手な私は、J.S. Bach の<<Das Wohltemperierte Klavier>>は楽譜無しでは 弾けないので、楽譜を見ながら LP を聴いたり、楽譜なしで聴いたりして試してみたのであるが、 聴き手の立場にしても、確かに印象が違うのである。いや、聴こえる音についての意識が変わる 、と言った方が正確であろう。私は、Bach の作品では、むしろ、作曲技法の方に関心を抱いて いたはずだと思っていたのであり、彼の場合には、それが故にも、さほど本質的ではないにしろ 、それにしても、無視できない相違があるのである。Post-Webern の作曲家、例えば、P. Boulez は、音のそうした形や姿を、そこまでコントロールできるのであろうか。それ以前に、Bartókpizzicato や timpano の glissando は西欧の伝統音楽の優位の追放、放棄であったのか。一体、 音楽は何処に行くのだろう。
Vincent d’ Indy の<<Symphonie sur un Chant Montagnard>>を、R. Casadesus の演奏と P. Entremont の演奏で聴いた。いや、実は、後者を聴いて、そのディジタル録音の LP の響き に疑問をもったので、こちらの pubilic library から前者の tape を借りてきて自分の耳を確かめた のである。いや、驚いた。骨董品と言っても誇張ではないような古い録音の tape の方が正確な 音程で響くのである。後日、たまたま、ヴァイオリニストの佐々木美子が我が家に来たので、その LP を聴かせたところ、あの何ごとにも控えめな彼女が、平均率の平均率ねぇ、との的確な表現 で反応したものである。ディジタル録音に、せめて、平均率程度の正確さがあればまだしもであ る、ということか。一体、音楽は何処に行くのだろう。
昔、私が、P.I. Tchaikovsky の<<Symphony in E minor>>のヴィオラのパートを奏いていた とき、こんな杜撰な書法での第三楽章の楽譜では、ソロイストだって、ろくすっぽ奏けやしないだ ろう、と毒づいたことがあった。だがしかし、ソロイストとオーケストラのメンバー(複数)は、確かに 、負っているリスクが違う、ということは、私も認めるところである。つまり、如何なる協奏曲でも、ソ ロイストが、そのリスクにチャレンジし、それを克服する姿に感動することがあっても、オーケストラ に同じことを感じることは稀であろう、ということである。指揮者なんぞは何も奏いていやしない。 指揮者だけが脚光を浴びるのは、彼らに対する過大評価ではないか、とも考察している。A. Rubinstein が指揮者が指揮台の上で踊るのは良くない、と皮肉っていたのを私は憶えている。 それでも、私は、指揮者には指揮者の役割があろう、と思っているのである。実際に、指揮者が 変ると、こうも不思議なまでに音楽が変る、ということは経験ずみであるが故である。その指揮者 の一人、N. Marriner は、以前、第二ヴァイオリンの主席であったと聞くが、彼は、世界の何処の コンセルヴァトワールに於いても、オーケストラの第二ヴァイオリンの技術を教えていない、との 批判をしていた。やはり、下積みを経験した人は、言うことが違う。しかし、やはり、ソロイストにな りそこなった人が、仕方なしにオーケストラの中でゴロついている、ということか。一体、音楽は何 処に行くのだろう。
蛇足 (コーダ): やはり、自分で音楽をする他はないか。
著者: 太田将宏
初版: 2006年10月
改定: 2014年 5月
A.18 Coda 『後奏曲集』より
デンマン注: 太田将宏が会費を滞納したようで上のリンク先は削除されてます!
掲載サイトそのものが消滅したようです。
いつも思うのだけれど、どうして英語やドイツ語やラテン語をそのまま日本語の文章に残すわけ? そういうことをするから出版社から出版を断られるのだよ。。。そのくせカタカナにしてある外国語もある。。。中途半端なんだよ.。。
そういう枝葉末節なことはどうでもいいのですよ。。。どういうわけで上の文章を持ち出してきたのですか?
グレン・グールドのことが次のように書いてあるのだよ。。。
ここ、 トロントで、(1985年に)グレン・グールド の名を冠した、<グレン・グールド ー バッハ コンペティション>が ヨハン・セヴァスティアン・バッハ の生誕 300 年を記念して開催されたが、これは、グールドが納得する催しであろうか。
生前、彼が かような競技だけでなく演奏会そのものまでを否定するに到ったことは、周知ではなかったか。
彼の遺族の意向は如何にあったのか。
それとも、遺族の意向も、そんな程度であったのか。
確かに、グールドが競技だけでなく演奏会そのものまでを否定するに到ったことは、周知の事実なんだよ。。。でも、それはグールドの個人的な意見であって、すべての人がそれに従う義務はない。。。
それが言いたいために、オイラの長い文章を持ち出してきたのですか?
そうだよ。。。コンペティションも演奏会も決して悪い事じゃない。。。嫌なら出なかればいいだけのことだよ。。。それをすべての人に押し付けるのは基本的人権の無視なんだよ。。。
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【レンゲの独り言】
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ですってぇ~。。。
では、バッハの曲を「紐パンツ」のゴムで演奏した面白い人がいるので、その演奏を聴いてみてください。。。
ええっ。。。 「そんなバカバカしい演奏を聴かせるな! もっと他に面白い話しをしろ!」
あなたは、私に、そのような口調で命令するのですか?
分かりましたわ。。。
これまで、太田さんはデンマンさんに さんざ馬鹿にされたので
そのお返しをしたのですわァ。
だから、太田さんは次のサイトで抗議録を公開したのです!
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■『実際の抗議録』
(デンマン注:しかし太田将宏が上の抗議録を掲載したサイトは消滅してしまいました!)
デンマンさんも上の抗議録を読んで ムキになって反論しています。
■『嘘を書く日記』
太田さんはこれに対しては反論ができないのか、それ以降 無言で通しています。
でも、そのうち忘れた頃にまたコメントを書き込むかもしれません。。。
あなたは、どう思いますか?
とにかく、ネットには “めちゃキモい”人たちがウヨウヨしています。
太田将宏さんは、まだ良い方ですわ。
中には、まるで得意になって、愚かな事をして遊んでいる オツムの足りない人たちがたくさん居ます。
また、見かけは普通のブログでも、悪徳スパマーが手を変え品を変えて 悪徳サイトへ誘い込もうとしています。
スパムコメントで褒められると、ついついその気になって、
相手のブログへ飛んでゆき、お返しに、あるいはお礼にと思って
読者に登録してしまったりするものですわァ。
どうか スパマーの思う壺にはまらないでくださいね。
悪徳スパマーは悪徳サイトへ誘おうと
てぐすね引いて待っているのですから。。。
悪徳サイトを利用して、
メールアドレスで登録したりすると、
あなたのメールアドレスは第3者や第4者に売られてしまう危険性があります。
あなたは、そのようなスパム・コメントや 成りすましスパマーには
騙されないと思い込んでいるでしょう?
でもねぇ~、もしかすると騙されているかもよ。。。
とにかく気をつけてくださいね。
次回も、さらに面白い話題が続きます。
あなたも、どうか、また記事を読みに戻ってきてください。
では。。。
(hand.gif)
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