デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

サヨナラニッポン

2023-07-29 03:37:24 | 病める日本・高齢化社会

 

サヨナラニッポン

 


(dairen14.jpg)


(dairen15.jpg)


(dairen64.jpg)


(sylvie500.jpg)




ケイトーも、ずいぶん前に サヨナラニッポン した一人よねぇ~?


(kato3.gif)

そうです。。。でもねぇ~、僕がサヨナラニッポンした当時の日本は、経済大国の真っ最中だったのですよ。。。実際、当時は、技術や才能を持った人が不足して、大手の会社や工場では人手不足だった。。。僕は、大学の情報工学の研究室にいたのだけれど、先輩が研究室にやって来て、ナショナルソフトという松下産業が100%出資していたソフトウエアの会社に引き抜かれて、入社試験を受けずに松下産業の正社員になったのですよ。。。

あらっ。。。それってぇ不正入社じゃないのォ~?

そうですよ。。。コネで入社したのですからね。。。メディアで問題になるのを避けるために、翌年の正社員入社試験に上司の命令で、大阪の枚方にある松下産業本社まで横浜から出張して入社試験を受けに行ってきました。。。

試験に落ちたらどうなるのォ~?

あとで問題にならないために人事ファイルを作るための形式的なものですよ。。。だから、試験に合格しなかったとしても、退社する必要がなかった。。。

それってずるいことよねぇ~。。。

でも、それほど必要な人材が不足していたのですよ。。。日本経済大国を維持してゆくためには、必要な人材は入社試験などは度外視して、大学や研究所から引き抜いてきたのです。。。

それなのに、どういうわけでサヨナラニッポンしたのォ~?

僕は海外に出てゆく夢を持っていた。。。それで、海外雄飛の資金を貯めるためと割り切って働き始めた。。。とにかく、当時はクレージーだった。。。平日の残業は1.5倍、休日出勤は2倍の時間給。。。普通の社員の年収の3倍は稼ぎました。。。若くて独身だから、休日出勤にも率先して働きました。。。中には家庭を持っている中年の平社員もいたけれど、過労で入院してしまった。。。それほど仕事に追われていた。。。

そう言われてみると、日本には過労死で亡くなった人がたくさんいたわよねぇ~。。。

そうです。。。東大を出て電通に入社したエリート女子社員・高橋まつりさんが、上司の嫌がらせもあって、過労でノイローゼになって自殺したという事件がありました。。。

 


(dentsu05.jpg)



 



こういう事は海外に住んでいる私達には全く理解が出来ないわァ~。。。



日本が経済大国であった時代にも、色々な社会問題を抱えていたのですよ。。。そういう事もあって、3年働いて金をためて、会社を辞めて僕は海外へ出ていったのですよ。。。一生は一度限り、世界を見てみたいと思ったわけです。。。

それで最終的にバンクーバーに落ち着いたというわけねぇ~。。。

そうです。。。ここバンクーバーでシルヴィーにも出会ったわけですよ。。。

。。。で、最近、サヨナラニッポンするのはどういう人達なのォ~?

僕は全く知らなかったのだけれど、ユーチューブで「人間ドキュメント」の動画を探していたら、たまたま次のビデオクリップに出くわしたのです。。。

 


(dairen14.jpg)



 



ビックリしましたねぇ~。。。経済大国から転がり落ちて、中国にも追い抜かれたという話は聞いていたけれど、大学や専門学校を卒業した人が仕事を探しても、まともな仕事がないので、中国の大連に日本語だけで仕事ができるコールセンターのオペレーターになるために出かけてゆくというのですよ。。。



中国がアメリカについでGDPで2位になったというのは聞いたことがあるけれど、大連という都市はそれほど発展している都市なのォ~?

北京や上海を抜いてGDPではトップだというのです。。。

 



大連市

 


(dairen00.jpg)

 

大連市(中国語: 大连市、英語: Dalian City、旧名:ダルニー市、英語: Dalniy City)は、中華人民共和国遼寧省の南部に位置し、中国五つの「計画単列都市」の一つで、15個の「副省級都市」の一つである。

中国東北地方随一の港口・工業・観光都市であるのみならず、中国政府指定の東北アジア国際航運センターかつ、東北アジアの有数の国際金融・交通・物流センターである。

大連市は東経120度58分~123度31分、北緯38度43分~40度10分にまたがり、この緯度付近には日本の仙台市、アメリカ合衆国のサンフランシスコ市、ワシントンD.C.、ギリシャのアテネ市がある。

大連は東北、華北、華東地域が世界各地とつながる海上の門口であり、最も重要な港、貿易、工業、観光都市である。

大連市は北半球の温暖地帯-ユーラシア大陸の東海岸にあり、気候は海洋性の特徴も兼ね備える暖温帯大陸性モンスーン気候に属し、冬は厳寒ではなく、夏は酷暑でもなく、四季がはっきりしている。
年間平均気温は10.5℃、年間降水量は550~950mm、日照時間は2500~2800時間である。

1990年代の改革開放経済のもと、中国東北部の中でも特に目覚しい経済的発展を遂げている

外国企業、特に日本企業の進出が著しい。

 


(dairen15.jpg)

 

三菱電機東芝(撤出済)三洋電機ニデックCANONマブチモーター三島食品アイリスオーヤマTOSTEMOMRONローム富士ファイン池宮印刷大連フレッシュ食品サンケン日本微型電機原田工業北興ハーネス北村閥門スター精密大連大陽日酸気体富士電機山営化成岩谷産業YKKYKK APセイコーTOTO一広タオル三井森包装三洋制冷コニカミノルタジェイテクト大連三協旭計器富士塑料紀伊塑料大連富士発英グンゼ親和測定大連中村精密TDKリョービ大連三越精密部品大連藤洋鋼材出光栗田工業最上世紀ミツバ 旧: 自動車電機工業日清製油クリエートメディックJMSKISCO
その他多数が進出している。

 

情報産業

大連市は1990年代からIT産業育成に力を入れており、西郊の大連ハイテクゾーン(大連高新技術産業園区)と 大連ソフトウェアパーク(大連軟件園)に集中している

華信グループ、海輝グループ、東軟グループなど中国のIT企業の開発拠点があるだけでなく、世界のソフトウェア開発・情報サービス(データ入力・コールセンター・業務引き受けなど)関係の企業も多く進出している。

日系企業の代表は、Panasonic、SONY、NECなどがある。

その他の外資系企業では、IBM、DELL、Hewlett-Packard、ORACLE、CSK、ALPINE、OMRON、Trial Company、NHST(NHNの子会社)、SAP AG、Genpact、MPGその他多数が進出している。




出典:「大連市」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



20歳から49歳が中心に年間10万人が海外に流出しているというのですよ。。。1日平均して270人が仕事を求めて海外へ出てゆく。。。2007年から2008年にかけて、過去20年で最多だったと言うのです。。。

 

(dairen13.jpg)

 



しかも、日系企業までが中国の経済大国の恩恵にあずかろうと 4、308社が大連に進出しているのですよ。。。

 


(dairen15.jpg)

 



日本に仕事がなくなるのもうなずけるわねぇ~。。。4、308社が大連に進出しなければ、日本国内に、それだけの仕事があるわけだから。。。



そういうことですよ。。。で、大連に渡った若者たちは日本語で仕事ができるコールセンターのオペレーターとして働いているのです。。。

 


(dairen12.jpg)

 



上のビデオでは、ここで働いている37歳の張替禎史(はりがえ さだふみ)さんを紹介しています。。。大連にやって来て この上のコールセンターで働き始めて3年目になるというのです。。。

 


(dairen16.jpg)

 



張替さんは結婚しているのォ~?



独身です。。。

 


(dairen17.jpg)

 



日本では、京都の大学で仏教史を専攻して博士号まで取得したというのですよ。。。



大学で助手として働かないのォ~?

日本は人口の減少で、大学生の数も減りつつある。。。だから、当然、教職員の数も少なくなる。。。そういうわけで張替さんが就けるポストも少なくなるわけです。。。具体的なことは張替さんは言わなかったけれど、研究者や教育者の道は諦めたというのですよ。。。

仏教史の博士号では、大学の先生になる他には使い道がないわよねぇ~。。。

そういうことですよ。。。それで、サヨナラニッポンしたのです。。。

 


(dairen28.jpg)

 



同じ職場に、日本語がペラペラな25歳の王さんがいて、王さんがメールで日本語を教えて欲しいということがきっかけで張替さんは彼女と付き合い始めた。。。

 


(dairen31.jpg)

 



中国の大卒者は2年以内に転職する人が70%もいるのですよ。。。カナダでも、夜学に通ってスキルアップして、たいてい3年から5年の間に、より良い職場、より良い給料を求めて転職します。。。僕もトロントでコミュニティ・カレッジに通い、最初のコンピューター・プログラマーの仕事についてから、2年で、よりよい職場と給料を求めて、イエローナイフの準州政府の財務省で財務書類のコンピューター化の仕事に就いたのです。。。そこも2年で辞めて、バンクーバーに出てきて経営コンサルタント会社で働くようになった。。。そこも2年で辞めて、ランガラ・カレッジでコンピューター・サイエンスの講師として働くようになった。



ケイトーの場合は、ちょっと転職のしすぎよねぇ~。。。

シルヴィーだって、エアカナダのキャビン・アテンダントの仕事を辞めて、大学に再入学して小学校の先生になったよねぇ~。。。

でも、ケイトーのように度々転職したわけじゃないわ。。。

 


(dairen33.jpg)


(dairen32.jpg)


(dairen34.jpg)


(dairen38.jpg)


(dairen39.jpg)

 



王さんは張替さんと付き合うようになってから、張替さんがスキルアップもしないで、日本語だけを使って仕事をしていることに違和感を感じ始めたのですよ。。。なぜなら、王さん自身、コールセンターの仕事をずっと続けるつもりはない。。。彼女の友達は「今は北京で泣いているけれど、(やがてスキルアップして良い仕事を見つけて)ニューヨークで笑うのよ」と言う。。。王さんも、そのつもりでスキルアップしようと思っている。。。



王さんが このコールセンターに勤めたのもスキルアップした結果なわけぇ~?

そうですよ。。。日本に行ったこともないのに、これだけペラペラに日本語が喋れるようになったのは、一生懸命に勉強して日本語力をつけたのですよ。。。王さんは、さらにスキルアップして、3年以内には、もっと良い職場と給料を求めて転職するつもりなのですよ。。。そういうわけで、王さんは張替さんの煮えきらない生き方に不安を感じているのです。。。

この話の後で、元警察官の38歳の飯田悟さんを紹介しているわねぇ~。。。

 


(dairen40.jpg)

 



経済繁栄している大連に渡っても、いいことばかりがあるわけじゃないということを伝えるために、この番組の制作者は飯田悟さんを紹介したと思うのですよ。。。

 


(dairen41.jpg)


(dairen43.jpg)


(dairen44.jpg)


(dairen45.jpg)


(dairen46.jpg)

 



飯田悟さんは定職に就いてないで生活を切り詰めながら暮らしている。。。でも、日本よりは生活しやすいと言うのです。。。



コールセンターの仕事も、結局、性格的に合わないので辞めてしまったのでしょう!? つまるところ、飯田悟さんは大連で仕事に就きやすいスキルを持ってないのねぇ~。。。

そうらしいのですよ。。。この取材のあとで、飯田さんは安アパートを引き払って姿を消してしまった。。。取材者が後で知ったことには、飯田さんは上海へ仕事を見つけに行ったらしいというのです。。。このあとで、いわば苦難の道を克服した成功者として紹介したのが明田智典(あけだ とものり)さん。

&nbsp


(dairen47.jpg)


(dairen47b.jpg)


(dairen47c.jpg)

 



この時、明田さんは、大連大学付属中山病院に入院中だった。。。過労が原因で倒れてこの病院に運び込まれたと言うのです。。。明田さんは従業員3人の小さな会社を経営しており、この時、病室でノートパソコンに向かって社員に連絡していたのです。。。



いったい、どういうわけで大連にやって来たのォ~?

 

(dairen48.jpg)



明田さんは東京で大学を卒業したあと広告制作会社を立ち上げたのですよ。。。

 


(dairen49.jpg)


(dairen50.jpg)

 



リーマンショック(2008年)後の不況で多額の借金を抱えて倒産。。。妻には逃げられてしまった。。。その後で再就職した会社で大連の新規事業を任されて中国に渡ったというわけです。。。

 


(dairen51.jpg)

 



しかし、わずか4ヶ月後に、会社は事業を撤退することを決定。。。明田さんは職を失ってしまった。。。



踏んだり蹴ったり。。。泣きっ面にハチねぇ~。。。

リーマンショックは、世界的に大きな波紋を投げかけたからねぇ~。。。そのあおりを喰って倒産したり職を失った人は運が悪かったとしか言いようがないですよ。。。

でも、明田さんは、それにもめげずに大連で小さな会社を立ち上げたのねぇ~。。。

 


(dairen54.jpg)

 



そうです。。。日本の顧客のウェブサイトを構築する仕事です。。。本来ならば日本語が達者な従業員を雇いたいのだけれど、普通の給料の少なくとも2倍は出さねばならないので、それは断念。。。そのために、コミュニケーションが上手く取れずに、仕事がなかなかはかどらない。。。

 


(dairen55.jpg)


(dairen56.jpg)

 



日本と違って、中国人は中国では残業しない!

 


(dairen59.jpg)


(dairen60.jpg)

 



これだけの苦労をするのだったら、日本へ帰って会社を立ち上げた方が良かったんじゃないのォ~?



でも、日本では口に出せないほどの苦労をした。。。だから、日本に帰りたくないという思いが強かったのですよ。。。

 


(dairen61.jpg)


(dairen63.jpg)

 



だから、明田さんは、背水の陣で頑張ったのですよ。。。

 


(dairen64.jpg)

 



半年後に取材者が明田さんの会社を訪ねると3人だった社員が8人に増えていた。。。安くて丁寧な仕事が日本の仲介会社に認められて注文が増えたと言うのですよ。。。



これまで苦労した甲斐があったというわけねぇ~。。。

そういうことです。。。確かに、大連は経済が上向きなので、その恩恵をこうむって、今のところ日本よりも生活しやすいかもしれません。。。でもねぇ~、例えばコールセンターで日本語を使って働くことは、日本人ならば誰でもできるかもしれない。。。だけど、コールセンターで働いている日本人の話を聞くと、とても生きがいを感じるような職場じゃないのですよ。。。

ケイトーだったら、日本にいられなくなった時に、大連のコールセンターで働く気になれる?

日本での仕事がなければ、大連に行くでしょう。。。でも、コールセンターで一生を終える気にはなれませんよ。。。やはり、王さんの友達じゃないけれど、「今は北京で泣いているけれど、(やがてスキルアップして良い仕事を見つけて)ニューヨークで笑うのよ」と言うでしょうねぇ~。。。

じゃあ、ケイトーは、もう日本に帰らないのォ~?

日本に帰ったら苦労するだけですよ。。。畳の上で死ねないかもしれない!。。。今は、バンクーバーで これまでの人生で一番幸せです。。。お金の心配もないし、カナダにやって来てから一度も医者の世話になってない! シルヴィーのような楽しい女性に囲まれて100歳を越えるまで生きられるのではないか!? 健康で長生きできそうです。。。



(laugh16.gif)


【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。

貴方は、デンマンさんのように お金の心配もなく、100歳を超えて健康で長生きできそうですかァ~?

ええっ。。。 「そんなことは、どうでもいいから、他に、もっと楽しいことを話せ!」

あなたは、そのように強い口調で私にご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。

シルヴィーさんが出てくる面白い記事は たくさんあります。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。

 


(sylvie500.jpg)



『空飛ぶスパイ』

『愛情はふる星@ベトナム』

『ヒラリーと塩野七生』

『ケネディ夫人@インドネシア』

『究極の大前研一批判本』

『フェルメールの謎』

『女に文句を言う女』

『あなたの祖国』

『宮沢りえ@韓国』

『正しい戦争』

『ゴールデンシャワー』

『死刑廃止』


(mh370a.jpg)

『かまびすしい』

『今、新たな戦前』

『クレオパトラ@アラビア』

『政府は嘘をつく』

『犬と人間と戦争』

『未来予測』

『知られざる悲劇』

『量子活動家』

『アンネの運命』

『10次元の世界』

『ポーランドの犬』


(jump009.jpg)

『熟女ヌード@デンマン』

『ロッキード事件の真相』

『政府と役人と嘘』

『ジュンガル』

『地球温暖化は避けられない』

『国際平和連合』

フェ』


(cleopara2.jpg)

『ネットの主要言語』

『中国人がアメリカを発見した』

『2000年前の光通信』

『習近平皇帝』

『習近平@フランス』

『チャールズとダイアナ』

『マグダラのマリアの真実』


(superm3.jpg)

『ソロモンとキリスト』

『AIは危険か?』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事



平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(himiko92.jpg)

■ めれんげさんの『即興の詩』

■ めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
(bagel702.jpg)

■ "JAGEL - Soft Japanese Bagel"


(linger65.gif)

『センスあるランジェリー』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(beach02.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』



(rengfire.jpg)


(byebye.gif)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JFK暗殺の証拠

2023-07-29 02:46:54 | ミステリー
 

JFK暗殺の証拠

 


(jfktime.jpg)


(jfk105.jpg)


(jfk102.jpg)


(sylvie500.jpg)




(sylviex.jpg)

ケイトー。。。どういうわけで急に JFK暗殺の証拠 を取り上げるのォ~?


(kato3.gif)

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


(goo22-06-01.jpg)


『拡大する』

『JFK 証拠隠滅』

『海外美女 新着記事』

『ピンクと桃色』


 



これはGOOの僕の「デンマンのブログ」のバンクーバー時間で6月1日の午前4時11分から10時11分までの6時間のアクセス者の棒グラフと日別・週別のランキングの記録ですよ。。。アクセス元ページ の1番に注目して欲しい。。。



あらっ。。。「#JFK」で検索 したネット市民がいたのねぇ~。。。

そういうことです。。。リンクをクリックすると次の検索結果が出てきます。。。

 


(tag22-06-01.jpg)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

『JFK 証拠隠滅』


 



つまり、検索したネット市民は検索結果のトップに出てきたJFK 証拠隠滅 を読んだのねぇ~。。。 



そういうことです。。。ケネディ大統領暗殺は1963年に起きた事件なのだけれど、半世紀過ぎた今だに関心を持っているネット市民が多いのですよ。。。

『JFK 証拠隠滅』というタイトルに惹かれて記事を読んだのねぇ~。。。

そういうことです。。。

。。。で、どういう証拠が隠滅されたのォ~?

実は、この証拠隠滅に関する興味深いドキュメンタリーを観たのですよ。。。

 


(lib21-12-15b.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』


 



上の映画は次の本の内容に沿って制作されたのです。。。

 



Mortal Error

(致命的なエラー)


 


(mortal10.jpg)

 

致命的なエラー:(JFKを殺した銃弾)は、ボナー・メニンガーによる1992年のノンフィクションの本で、狙撃兵、ガンスミス、弾道学の専門家であるハワード・ドナヒューによる、シークレットサービスのエージェントがジョンF.ケネディ大統領を実際に殺した銃弾を誤って発射したという理論を概説している。
この本は、St Martin's Pressからハードカバー、ペーパーバック、オーディオブックで出版された。

ドナヒューは、11人の招待された射手と狙撃兵の1人として射撃の再現に参加した後、ジョンF.ケネディの暗殺に興味を持った。
ドナヒューは自身の調査によると、ケネディの頭を撃った弾丸は、実際には米国シークレットサービスの特別捜査官ジョージ・ウォーレン・ヒッキー・ジュニア(1923年3月24日ー2005年2月25日)によってAR-15から発射されたものだった。

大統領の車両の直後の車にAR-15ライフル持っていたジョージ・ヒッキーが乗っていた
射撃事件は次の手順で起こった。

最初のショットが発射された後、ヒッキーは完全に向きを変え、教科書保管棟の6階でオズワルドを目撃した。
彼の向きを変えた頭部は、ジェームズ・アルトヘンスによるAP写真に記録されている。

 


(jfk103.jpg)

 

ヒッキーは座席の下のAR-15に手を伸ばし、安全装置を外して銃を持ち上げた。
セカンドショットはオズワルドが発砲し、大統領とテキサス州知事のジョン・コナリーを襲った。
大統領の車とヒッキーを乗せたフォローアップ車が急にスピードアップした。

これは、シークレットサービスのエージェントであるクリント・ヒルによって証言されている。
車の床ではなく座席のシートの上に立っているために不安定なヒッキーは、車の加速により後退し始め、AR-15の引き金を引く。
その瞬間、銃はケネディに向けられ、弾丸は彼の頭の後ろに当たった。

ドナヒューの説は、ボルティモア・サンのレポーターであるラルフ・レパートによる調査で支持された。
1977年、レパートはドナヒューの理論を2つの記事で発表した。
この記事は、5月1日 日曜日と次の日曜日に掲載された。
2番目の記事には社説が付いていた。

 

反響

この本への反応はまちまちです。
AP通信のジェームズ・バルダッキは、ドナヒューの「巧妙さ」が彼のJFK暗殺の理論をもっともらしいものにしたと述べた。

ジェームズ・バルダッキはこの本を賞賛し、「メニンガーは物語を、細部の急増の中で決して解き放たない鋭さと流動性で解釈する」と述べた。

デビッド・ピエトルサは、暗殺をマフィア、CIA、またはFBIに結び付けていないため、ドナヒューの理論を異常だと結論した

ハミルトン・スペクテイターは、本書は「問題の核心を付いていない」と批判した。

出版前の注文は100,000を超えましたが、この本は当時ほとんど影響を与えませんでした。
メニンガーは2013年に、ドナヒューの理論が「陰謀論者とウォーレン委員会の支持者の両方に等しく嫌われていた」ためかもしれないとコメントした。

ドナヒューは1999年に亡くなった。
『JFK スモーキングがん』のドキュメンタリーで、彼の娘のコリーン・ドナヒュー・ローレンゼンは、彼の作品がほとんど興味を起こさなかったことに父親が驚いたことを覚えている。

彼の死の時、ドナヒューは同じトピックに関する別の本に取り組んでいた。

2013年、オーストラリアのジャーナリストで元警察の刑事であるコリン・マクラーレンは、ドナヒューの理論を検証し、支持する。
「JFK:The Smoking Gun」というタイトルの本を出版し、ドキュメンタリーを制作した。

 

訴訟

1992年に本が出版される前に、出版社と著者の両方がヒッキーに連絡を取り、彼の意見を聞く機会を提供した。

1995年、ヒッキーは、モータルエラーでなされた主張をめぐってセントマーチンズプレスを訴えた。
訴訟は、ヒッキーが本の最初の出版後、出版社に対して提訴するのに時間がかかりすぎたという理由で、1997年に最終的に却下された。

ペーパーバック版が出版されたときにヒッキーは訴訟を再提出し、その後、1998年に非公開の条件でセントマーチンズプレスと和解した.

 (デンマン訳)




出典: 「Mortal Error」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




 



ケイトーは、このドキュメンタリーを観て、ケネディ大統領の致命傷は米国シークレットサービスの特別捜査官ジョージ・ウォーレン・ヒッキー・ジュニア(1923年3月24日ー2005年2月25日)によってAR-15から発射された弾丸によるものだと確信したのォ~?



そうです。。。上のドキュメンタリーを見たらそれ以外に考えられないのです。。。本でも、ドキュメンタリーでも間違って弾丸がケネディ大統領の後頭部に命中したと言うことになっているけれど、間違うはずがないのですよ。。。そういう偶然があろうはずがない!。。。しかも、ジョージ・ヒッキーはもともと車の運転手として6ヶ月前に大統領のパレードに参加することに決まった。。。他のエージェントが前日、夜遅くまでバーで酒を飲んでいたのに、彼は仲間に加わってないのです。。。

つまり、もともと大統領暗殺の使命を帯(お)びていた、とケイトーは思うのォ~?

そうです。。。デビッド・ピエトルサは、暗殺をマフィア、CIA、またはFBIに結び付けていないため、ドナヒューの理論を異常だと結論した、と書いてあるけれど、ドキュメンタリーでは、CIA,FBI,ペンタゴンの要人が、大統領の検死に立ち会って、特にシークレット・エージェントが証拠を隠滅しようと躍起(やっき)になっているのです。。。このことからも、暗殺は前もって計画されており、特にCIAが暗殺直後から証拠隠滅に躍起(やっき)になっていたのですよ。。。

つまり、映画ではCIAとFBIも暗殺に絡(から)んでいたのねぇ~。。。カバーアップしようとしたのねぇ~?

そういうことです。。。

例えば。。。、具体的にどういうことをしたのよ?

大統領の後頭部の大きな傷跡の写真を撮った写真家のフィルムをエージェントはすべて押収した。。。その後、そのフィルムは証拠隠滅の対象になった。。。行方不明で、未だに見つかってない!。。。更に、オズワルドの銃が打った銃弾が大統領の致命傷だという新たな証拠を作るために、オズワルドが使ったとされる銃の弾丸の破片をレントゲン技師に渡して、それを頭部に付着してレントゲンを取るようにシークレット・エージェントが命令しているのですよ。。。

つまり、CIA, FBI, ペンタゴンの要人も大統領暗殺に絡んでいたのねぇ~。。。?

そうです。。。検死はテキサスの法律では、現地、ダラスで行われなければならないのだけれど、CIAのエージェントが拳銃をちらつかせて、ワシントンで行うと宣言して、強引に大統領の遺体をエアポートに運び出したのです。。。ワシントンで行われた検死も異常な状況で行われた。。。

 



ケネディ大統領の検死

 


(jfkautopsy.jpg)

 

ケネディ大統領の検死は、1963年11月にアメリカ合衆国メリーランド州ベセスダのベセスダ海軍病院で行われた。
検死は東部標準時1963年11月22日金曜日(暗殺の日)午後8時ころに始まり、東部標準時1963年11月23日土曜日午前12時30分ころに終わった。

ワシントンD.C.地域の検死病院の選択は、未亡人ジャクリーン・ケネディによって行われた。ケネディ大統領が海軍士官であったために、彼女はベセスダ海軍病院を選んだ。

ケネディ大統領の暗殺につづいて、シークレット・サービスは、より大きな計画の可能性を懸念し、リンドン・B・ジョンソン大統領に、ホワイト・ハウスに戻ることができるようにパークランド記念病院を離れてラブ・フィールドに行くよう促した。

しかしながら、ジョンソンはケネディの死亡の証拠なしにそうすることを拒否した。
ジョンソンは午後1時30分ころにエア・フォース・ワンに戻ったし、その後まもなく、マクジョージ・バンディとウォルター・ジェンキンスから電話があり、すぐにワシントンD.C.に戻るよう助言された。

彼は、自分はジャクリーン・ケネディなしではダラスを立ち去らないであろう、彼女はケネディの遺体なしで立ち去らないであろう、と答えた。
『Esquire』によると、ジョンソンは「美しい未亡人らの放棄者として記憶されたくなかった」。

ダラス郡の検死官アール・ローズは、ケネディ大統領が死んだと宣告されたという言葉を受け取ったとき、外傷室の向かいの廊下を挟んでパークランド病院の自分のオフィスにいた。

彼は廊下を横切って、ジャクリーン・ケネディと司祭が占めていた外傷室に行った。
彼は大統領への最後の典礼を管理するために呼ばれていた。

そこで、ローズはシークレット・サービスのエージェント ロイ・ケラーマンとケネディの主治医ジョージ・バークレー海軍少将に会った。
バークレーは検死を行なう時間はないと彼に言った。
なぜならジャクリーン・ケネディは夫の遺体なしではダラスを離れないから、遺体はすぐに空港に届けられることになっていた、と言った。

ケネディ大統領暗殺のとき、アメリカ合衆国大統領の謀殺は、どの連邦組織の管轄下にもなかった。
ローズは反対し、テキサス州法は、遺体を取り除く前に死後検査を行なうことを自分に要求していると主張した。

ローズがケネディの補佐官らと議論したとき、熱い応酬が続いた。
ケネディの遺体は棺の中に置かれ、ジャクリーン・ケネディを伴って車つきのガーニーで廊下を運ばれた。
ローズは、棺をだれであれ動かせないようにするために地元警察官1人と共にに病院出入り口に立っていると報告された。

ロバート・カロの『The Years of Lyndon Johnson: The Passage of Power』によると、大統領補佐官らは「文字通りローズを押し込み、その警察官は建物から出るために脇にどかされた」。

『Journal of the American Medical Association』とのインタビューで、ローズは、自分は緊張を悪化させるのは賢明でないと感じて身を引いた、と述べた。

 

死亡証明書

ケネディの主治医ジョージ・グレゴリー・バークレー海軍少将は、11月23日に死亡診断書に署名し、死因は頭蓋骨への銃創であると述べた。
彼は、頭部の致命傷を「衝撃時に頭蓋骨の断片化と頭蓋骨の3つの粒子の剥離を引き起こし、脳の右半球の浸軟を引き起こすタイプの粉砕」と記述した。

彼はまた、「2つ目の傷は、3つ目の胸椎のレベルあたりで後背部に発生した」と述べた。
ダラス郡の治安判事Theron Wardが12月6日に署名した2つ目の死亡診断書は、ケネディは、「(1)身体の中心近くで右肩のすぐ上と、(2)後頭部の右中央に1インチ、の2つの銃創の結果として」死亡したと述べている。

 

検死中にいた人員

検死中のさまざまな時間に存在する要員のリスト、公式職務付き、Sibert-O'Neillレポートリスト、HSCAリストから取得された。
弁護士ヴィンセント・ブグリオシ、『Reclaiming History: The Assassination of President John F. Kennedy』の著者からも取得された。

医療人員と助手

公式の検死署名者
Commander(海軍中佐)J. Thornton Boswell, M.D., MC, USN: Chief of pathology at Naval Medical Center, Bethesda
Commander(海軍中佐)James J. Humes, M.D., MC, USN: Director of laboratories of the National Medical School, Naval Medical Center, Bethesda. Chief autopsy pathologist for the JFK autopsy. Officially conducted autopsy.
Lieutenant Colonel(陸軍中佐)Pierre A. Finck, M.D. MC, USA: Chief of the military environmental pathology division and chief of the wound ballistics pathology branch at Walter Reed Medical Center.

その他の医療人員

John Thomas Stringer, Jr: Medical photographer
Floyd Albert Riebe: Medical photographer
PO(海軍下士官)Raymond Oswald, USN: Medical photographer on call
Paul Kelly O'Connor: Laboratory technologist
James Curtis Jenkins: Laboratory technologist
Edward F. Reed: X-ray technician
Jerrol F. Custer: X-ray technician
Jan Gail Rudnicki: Dr. Boswell's lab tech assistant on the night of the autopsy
PO(海軍下士官)James E. Metzler, USN: Hospital Corpsman 3rd Class
John H. Ebersole: Assistant Chief of Radiology
Lieutenant Commander(海軍少佐)Gregory H. Cross, M.D., MC, USN: Resident in surgery
Lieutenant Commander(海軍少佐)Donald L. Kelley, M.D., MC, USN: Resident in surgery
CPO(海軍一等兵曹)Chester H. Boyers, USN: Chief petty officer in charge of the pathology division, visited the autopsy room during the final stages to type receipts given by FBI and Secret Service for items obtained.
Vice Admiral(海軍中将)Edward C. Kenney, M.D.,MC, USN: Surgeon general of the U.S. Navy
Dr. George Bakeman, USN
Rear Admiral(海軍少将)George Burkley, M.D., MC, USN: The president's personal physician
Captain(海軍大佐)James M. Young, M.D., MC, USN: The attending physician to the White House
Robert Frederick Karnei, M.D.: Bethesda pathologist
Captain(海軍大佐)David P. Osborne, M.D., MC, USN: Chief of surgery at Bethesda
Captain(海軍大佐)Robert O. Canada, M.D., USN: Commanding officer of Bethesda Naval Hospital

法執行機関/セキュリティからの非医療人員

John J. O'Leary: Secret Service agent
William Greer: Secret Service agent
Roy Kellerman: Secret Service agent
Francis X. O'Neill: FBI special agent
James "Jim" Sibert: FBI special agent, assisting Francis O'Neill

追加的軍事人員

Brigadier General(空軍准将)Godfrey McHugh, USAF: US military aide to the President on the Dallas trip
Rear Admiral(海軍少将)Calvin B. Galloway, USN: Commanding officer of the U.S. Naval Medical Center, Bethesda
Captain(海軍大佐)John H. Stover, Jr., USN: Commanding officer of the U.S. Naval Medical School, Bethesda
Major General(陸軍少将) Philip C. Wehle, USA: Commanding officer of the U.S. Military District of Washington, D.C., entered to make arrangements for the funeral and lying in state.
2nd Lieutenant(陸軍少尉)Richard A. Lipsey, USA: Jr. aide to General Wehle[30]
1st Lieutenant(陸軍中尉) Samuel A. Bird, USA: Head of the Old Guard.
Sr CPO(海軍上級一等兵曹) Alexander Wadas: Chief on duty




出典: 「ケネディ大統領の検死」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




 



検死の立会人を見ても、あんな狭い部屋に30人以上の関係者が立ち会っているのですよ。。。普通、検死というのは、せいぜい2人か3人でやるものです。。。しかも、FBIとCIAがのエージェントが5人も立ち会っている!。。。ケネディ大統領は、すでに死んでいるのだから護衛する必要はない!。。。護衛するとしても、検死室の内部にいたらじゃまになる!。。。護衛するならドアの外で監視するべきですよ!。。。異常です!



証拠隠滅のため?

ドキュメンタリーでは、CIAのエージェントが検死に立ち会って証拠隠滅のために動いているのです。。。

でも、上のドキュメンタリーは、公開された当時あまり評判にならなかったようねぇ~?

そうです。。。なぜなら、暗殺をマフィア、CIA、またはFBIに結び付けていないため、ドナヒューの理論は、あまり説得力がなかったのですよ。。。だから、オリバー・ストーン監督作品の『JFK』ほど評判を呼ばなかった。。。

 


(lib21-12-19.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』


 



暗殺後、大統領になったジョンソンとFBI長官のフーバーとの間で次のような会話が取り交わされていたに違いない。。。

 



(johnson2.jpg)

長官、ひどいことになりましたなァ~。。。 この事件をいったいどのように処理するつもりですか?


(hoover2.jpg)

あんたも、“タナボタ”でアメリカの大統領になれたわけだ。。。 これまでにもアメリカの大統領が暗殺されたと言うことはあったけれど、まさか第2次世界大戦のあとになってから、アメリカで大統領暗殺がおこなわれるとは、わしも思ってもみなかったよ。 とにかく、アメリカの権威が失墜するかどうかの瀬戸際だから、あんたも、心してかかる必要があるよ。

それで、真犯人は突き止めたのですか?

いや。。。 真犯人のことは、あんたも知らない方がいいだろう。。。

でも、大統領として、私も知る必要が。。。

いや。。。大統領だからこそ、あんたは知らない方がいい。。。 知っている人が増えれば増えるほど、アメリカの権威は失墜するのだから。。。

しかし、“オズワルド単独犯行説”で世間は収まりますか?

収まるか収まらないかは、今後の成り行きしだいさァ。。。 でも、オスワルドがソ連に居たということは、冷戦を絡(から)ませるいい口実になると思うよ。 ソ連の KGB の犯行を匂わせることができるからね。

しかし、長官、暗殺が起きた11月22日から27日までの6日間で行われたギャロップ(Gallup)の世論調査では52%がオズワルドの単独犯行ではなく、グループによる犯行だと。。。つまり、何らかの陰謀があったと主張する者も多いのですよ。

だから、今後、そういう考え方を改めさせるために、我々が努力しなければならないわけさァ。 “オズワルド単独犯行説”で押し通すのだよ。

どのようにして。。。?

実は、FBIの詳細な公式報告をアメリカ国民に公表することで事件の調査を終了するつもりだったのだよ。 ところが、11月25日に テキサス州の司法長官がケネディとオズワルドの死をめぐる事実関係を糾明する査問会議を行うことを発表した。 翌日には、合衆国上院が調査特別委員会を設置することを発表。 そして翌27日には 合衆国下院が独自に特別委員会の設置を発表した。

それだけ、大統領暗殺の衝撃が大きかったということですよ。

まあ、そういうことなのだが。。。 実にやりにくいよ。

しかし、長官、犯人とされたオスワルドが警察署内で殺されるという異常な展開。。。、そして動機も背後関係も一切謎のままですからね。。。、うやむやに済ませるわけにはゆかないでしょう。 だから、一応、長官の意見を入れて、私も11月29日に暗殺事件の調査を大統領直属の委員会を設置して早急に行い、国民の間に広がる疑惑や不安を払拭することに決めたのですよ。

そうすべきだよ。。。 そうすることによって上下両院の独自調査を延期させることができるからね。。。、テキサス州の調査も大統領直属の委員会に資料を提出させるべきだよ。。。

分かりました。。。で、委員長は誰に。。。

連邦最高裁判所長官アール・ウォーレンがいいだろう。。。 彼ならば、何かと操(あやつ)り易いからねぇ~。。。




『ケネディ暗殺の謎』より
(2017年5月15日)


 



つまり、FBI長官のフーバーさんは真犯人グループを知っていたのねぇ~。。。



もちろんですよ。。。FBIのエージェントを検死剣に立ち会わせているのだから。。。ケネディ暗殺には2つの陰謀が絡んでいたのです。。。 ケネディ大統領を暗殺する陰謀。。。それに、ジョンソン大統領直属のウォーレン委員会で真実を隠す陰謀ですよ。

でも、その証拠があるのォ~?

もちろん、僕には、証拠となるものには手が届かない。。。 でもねぇ~、状況証拠なら、たくさんありますよ。 まず、ウォーレン委員会で扱われたすべての資料は、1964年に ワシントンDCにある国立公文書館に保管されてしまった。 しかも、それまでに公開されてない資料は75年間、つまり、2039年まで封印されることになった。

どうして。。。?

だから、アメリカの権威を保つためですよ。 もしも、ソ連のKBGが陰謀をめぐらせてケネディ大統領を暗殺したとしたら、75年間も資料を封印する必要など全くないのですよ。。。政府の一部が絡んでいるからこそ関連資料を完全極秘にして保管する必要があるのです!

今でも、ウォーレン委員会で扱われたすべての資料は封印されたままなのォ~?

いや。。。 “75年間封印される”という理不尽さを 1991年にオリバー・ストーン監督が"JFK"という映画を作って、訴えた。 

 


(jfk001.jpg)



 



この映画で、“ケネディ大統領暗殺の陰謀”が、再びマスコミで騒がれるようになったのですよ。。。この映画ではペンタゴンでタカ派の高官が集まって、ケネディ大統領をなんとか「除外」しようと謀議している場面が出てくるのです。。。それを目撃した「ミスターX」が映画の主人公であるニューオーリンズの地方検事ジム・ギャリソンに話すのです。。。



。。。で、連邦政府の高官や国会議員たちは どうしたのよゥ?

映画が公開された翌年(1992年)に、“陰謀説”を掲げてマスコミで騒ぐ民衆をなだめるために「JFK記録に関する法律(the JFK Records Act)」というのを作って、できるだけ多くの資料を公開するようにしたのです。

それで、ほとんどすべての資料を公開したのォ~?

いや。。。 伏せておくべき資料はやっぱり公開されなかった。 2017年までに、一部の極秘資料は公開された。。。 でもねぇ~、“ケネディ大統領暗殺研究家”が喉から手を出したいほど欲しい資料 1,171点は CIA によって、今でも封印されている。。。

じゃあ、やっぱり、真の犯行グループがいるのねぇ~。

いずれはっきりするでしょう。。。

。。。で、ケイトーは、その犯行グループのメンバーは誰だと思っているのォ~?

もちろん、すべてのメンバーについて僕が解るはずがありません。。。 でもねぇ~、その黒幕が誰かは容易に想像できます。

その黒幕ってぇ、いったい誰なのよォ~?

ちょっと次の記事を読んでください。

 


ケネディ政権


(jfk002.jpg)

 

ケネディ政権には、国家の安全保障を委ねられるにふさわしい「最も聡明にして賢明な者たち」が結集しているとされた。
国家安全保障担当大統領補佐官には、ハーバード大学の学長を努めたマクジョージ・バンディが、また国防長官にはフォード社長からロバート・マクナマラが起用された。
「若いながらも、当代切っての」と謳われた逸材が綺羅星のように居並んでいた。

だが、大統領が核戦争の淵に立たされたとき、縋(すが)るようにして頼ったのは、ワシントン政界の奥深く棲むフクロウといわれた老政客(ロバート・ロベット翁)だった。

 (中略)

すでに空軍を中心に軍部は不穏な動きを見せていた。
ペンタゴンでは、キューバへの空爆の準備を着々と進めていたのだった。
大統領の最終的な命令が下れば、直ちに爆撃機を発進できるように空爆目標の選定もほぼ終わっていた。

……主戦論の中核にいたのが、空軍参謀長、カーティス・ルメイだった。
この主戦派は、かつてドイツと日本への戦略爆撃を指揮し、空の英雄と呼ばれていた。
戦後もアメリカ空軍に君臨して、膨大な軍事予算を握り、多数の国防族議員まで要して巨大な政治集団を形成していた。


そのため、ジョン・F・ケネディは、カーティス・ルメイを頂点とする空の制服組を抑えるため、ロベット翁の隠然たる政治的権威を必要としたのだった。

 (中略)

ジョン・F・ケネディは、軍部の空爆論を抑えて、海上封鎖に傾いていった。
キューバへの海上航路を遮断し、ソ連がこれ以上のミサイルを持ち込むことを断じて許さないという決意を示そうとしていた。
だが、空からの奇襲を強く主張する空軍を率いるカーティス・ルメイは、武力行使に同調しない大統領に詰め寄った。

「私は大統領とは違い、キューバを爆撃しても、ソ連がベルリンを攻撃することはないと考えております。
 空爆を断念することは、ミュンヘンの宥和主義とおなじくらい悪しき選択です」

ミュンヘン宥和主義。 ケネディ一族に対して毒を含んだ物言いだった。
1938年のミュンヘン会談で、イギリスはチェコスロバキアのズデーテン地方をヒトラーに分け与えることで一時の平和を保とうとし、それが第二次世界大戦に道を開いてしまったといわれた。
当時駐英大使だったケネディの父ジョセフは、このミュンヘンの宥和主義を支持したと批判されていたからだ。
だが、カーティス・ルメイの挑発をしりぞけて、大統領は海上封鎖に心を決めていた。

「諸君の見解は尊重する。 なぜ、海上封鎖を選択するのか。 それは全面核戦争へのエスカレーションを避けなければならないからだ

ジョン・F・ケネディがこういい残して退席したあと、将軍たちが若き大統領をあしざまに罵る様子が「ケネディ・テープ」に録音されている

(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)




107 - 111ページ
『葡萄酒か、さもなくば銃弾を』
著者: 手嶋龍一
2008年6月4日 第3刷発行
発行所: 株式会社 講談社

『シルヴィーとケネディ夫人』に掲載
(2011年6月15日)


 



主戦論の中核にいたのが、空軍参謀長、カーティス・ルメイだった」と書いてあるけれど、この人物が黒幕ですよ。 「戦後もアメリカ空軍に君臨して、膨大な軍事予算を握り、多数の国防族議員まで要して巨大な政治集団を形成していた」ということですからね。。。



この将軍は自国の大統領まで暗殺するような精神を持った人なのォ~?

自分の考えに固執して、例え大統領だろうが、国のためにならないと思えば暗殺も辞さないというタイプですよ。 ウィキペディアにも次のように書いてある。。。

 


カーチス・ルメイ

 

キューバ危機勃発時には、キューバ空爆をジョン・F・ケネディ大統領に提案したが却下された。
ルメイら空軍首脳部は圧倒的な兵力でソ連を屈服させることが可能であると思っていた。
実際にはキューバ危機の時点ですでにキューバに核ミサイルが数十基配備済みであったことは、第三次世界大戦を招きかねない完全な見当違いであった。

ベトナム戦争では空軍参謀長の任にあり、「(北)ベトナムを石器時代に戻してやる」と豪語して北爆を推進した。
なお、北爆が開始された1965年に除隊した。

 

退役後

1965年2月に退役。1968年には、ベトナム戦争の推進を支持し、人種差別的な綱領を掲げた前アラバマ州知事、ジョージ・ウォレス大統領候補とともにアメリカ独立党 (American Independent Party)の副大統領候補として出馬するが落選。
1990年10月1日没。

 

評価

ルメイの行為は、多くの罪の無い民間人を殺戮したことに加え、貴重な文化財(寺院・仏閣・城郭など)を灰燼に帰す結果をもたらしたために、特に対日作戦について、前任者であるハンセル准将と違い、一部政治家、文化財研究家からは強く非難されている。

特に日本では、ルメイは残虐な無差別戦略爆撃の父として評価が定まっている

右派においてもアメリカに批判的な者の場合、小林よしのりのように、著作で批判的に取り上げる例がある。
また、ルメイに近い戦勝国で計画を進める側の立場にあったマクナマラも『フォッグ・オブ・ウオー』で「勝ったから許されるのか?私もルメイも戦争犯罪を行ったんだ」とも述べている。

しかしルメイの立場から見れば、その戦略はあくまでも戦争において敵の損失を最大化させるという爆撃部隊における合理性と効率を追求したものであるという。


(lemay2.jpg)

ルメイ自身は「アメリカが敗戦するなら自分は戦争犯罪人として処せられる」と述べている。

また、ドイツ本土への爆撃に赴く搭乗員に対して次のようにも述べている。



(atombomb.jpg)

君が爆弾を投下し、そのことで何かの思いに責め苛まれたとしよう。
そんなときはきっと、何トンもの瓦礫がベッドに眠る子供のうえに崩れてきたとか、身体中を炎に包まれ『ママ、ママ』と泣き叫ぶ三歳の少女の悲しい視線を、一瞬思い浮かべてしまっているに違いない。
正気を保ち、国家が君に希望する任務を全うしたのなら、そんなものは忘れることだ。




ドイツ空襲の意見を聞かれて
『戦略・東京大空襲』
E・バートレット・カー著・大谷勲訳


(注: 赤字はデンマンが強調
写真はデンマン・ライブラリーより)

出典: 「カーチス・ルメイ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



どうですか?。。。シルヴィーもルメイ将軍がケネディ暗殺に裏で動いたと思いませんかァ~? 



でも、黒幕がルメイ将軍だったというのは、あくまでもケイトーの推測よねぇ~。。。

これまでの状況証拠を見ても、黒幕はルメイ将軍以外には考えられない。

CIAに封印されている資料が 2023年までに公開されるようねぇ~。。。そうなったら、いづれ解明されるわねぇ~。。。

いや。。。 最も重要な極秘資料は公開されないはずです。。。

どうして。。。?

黒幕がルメイ将軍であるという証拠は、すでに隠滅されてるから。。。




初出: 2022年6月11日



(laugh16.gif)


【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。

あなたは、デンマンさんが説明したように、黒幕がルメイ将軍であるという証拠は、すでに隠滅されてると思いますか?

ええっ。。。「そんなことはどうでもいいから、もっと楽しいことを話せ!」

あなたは、そのように強い口調で私にご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわァ~。。。

では、シルヴィーさんが出てくる面白い記事のことでも。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。

 


(sylvie500.jpg)




『オセロの失敗』

『サン・ラザールの裏路』

『「夜と霧」を観た?』

『虫酸が走る』

『大空に乾杯』

『ターバンを巻いた少女』

『美しい日本語を探して』

『アダムとイブのバナナ』

『宮沢りえ@サンタフェ』

『ネットの主要言語』

『中国人がアメリカを発見した』


(cleopara2.jpg)

『2000年前の光通信』

『習近平皇帝』

『プーチンの復讐』

『ペンタゴン・ペーパー』

『南米の富士山』

『ダンケルク』

『無実の罪』

『殺人光線』

『ロッキード事件すごい』

『注目の悲劇』

『核戦争』

『1910年の飛行レース』

『エンペラー習近平』


(sunwind2.gif)

『暗殺@GOO』

『テロとの戦い』

『マリアのミイラ』

『パナマ文書』

『南京事件』

『古代文明人』

『海の文明人』

『CIAの暗躍』

『特異点の世界』

『JFK 証拠隠滅』

『トランプ@スキャンダル』

『フェーリア・モール』

『使い捨てファッション』

『万物の理論』

『カラル遺跡』

『アレン・ダレス』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事



平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(himiko92.jpg)

■ めれんげさんの『即興の詩』

■ めれんげさんの『極私的詩集』

Jagel - Soft Japanese Bagel
(bagel702.jpg)

■ "JAGEL - Soft Japanese Bagel"


(linger65.gif)

『センスあるランジェリー』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(beach02.jpg)

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』

■ 『今すぐに役立つホットな情報』



(rengfire.jpg)


(byebye.gif)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする