犬の話(PART 1)
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デンマンさん、どうして急に 犬の話 を取り上げるのですか?
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小百合さんはワンワンが嫌いなのですか?
もちろん好きですわ。。。 デンマンさんも私が秋田犬を飼っていたのを知ってるでしょう?
知ってます。。。 でも、子供が好きで犬を飼ったけれど、あとで近所に迷惑をかける犬になって、犬が嫌いになったという人もいますよ。。。
うちの犬は近所に迷惑をかけませんでしたわ。。。
そうですか。。。 実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次のエピソードに出くわしたのですよ。。。
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空知(そらち)
4年前の夏、母が自殺した。
アパートから自宅にかけつけたけれど、母の顔は見なかった。
泣き続ける家族を冷静にながめながら、「バカなことを」と思っただけだった。
がっくりと肩を落とした父の代わりに、私が喪主を務(つと)めた。
真夏の青空に立ち上る火葬場の煙をぼんやりと見つめながら、私はただ「暑いな」とつぶやいただけだった。
(中略)
どんなときでも涙を見せない私は、どう考えても“かわいい女”ではなかった。
「お前はひとりでも生きていける女だよ」
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いつも相手にそう言われて恋は終わる。
何度も同じ言葉で失恋するから、私は案外その言葉が気に入っていた。(略)
5回目の恋が終わった日の帰り道、動物病院の横を通りかかると、
そこに「子犬(フレンチブル)あげます。おとなしく、あまり鳴きません」という張り紙があった。(略)
写真をみると、どう見てもかわいい犬とは言いがたい。
これがいわゆる「ブサイク犬(けん)」と言うのだろうか。
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私は、そのまま通りすぎた。(略)
泣かない女と鳴かない犬ーーーいいコンビだ。
そう思うと、つい笑ってしまった。
1週間経っても、2週間経っても、その張り紙はそのままだった。(略)
あと2日、この張り紙があったら、私が「ブサイク」を引き取ろうーーーそう心に決めた。(略)
「ブサイク」は無事に私のもとにやってきた。
いつまでも「ブサイク」と呼ぶのもかわいそうなので、(略) 私は「空知」と名付けた。(略)
空知は散歩に行くとき、かならずボールをくわえて出かける。
公園に到着すると、そのボールを私の前にポトリと落として、投げろと催促する。
前足を地面につけ、おしりを高くあげて、シッポを左右に軽く振る。
それは空知の「遊んで!」というポーズだった。
(中略)
ある日、いつものように空知と私は追いかけっこを楽しんでいた。
気がつくと、空知が私を追いかけてこない。
振り向くと、遠くから何かが走りよる音が聞こえた。
1匹の大型犬が私と空知めがけて、一目散に走ってきたのだった。
それは一瞬の出来事だった。
大型犬は空知の首に噛みつくと頭を左右に振った。
まるで獲物をしとめたライオンのように。
空知は短く悲鳴をあげた。
大型犬が次に向かったのは、ボールを手にした私だった。
空知は立ち上がって私の前に立ち、大型犬に向かって牙をむいた。(略)
しかし、空知の身体は、鮮血で真っ赤になっていた。
私は動けなかった。
“不意打ち”を食らって“固まる”私。
いつもは気にもとめずにランニングををしている人たちが、私の代わりに空知を動物病院へ運んでくれた。
(中略)
病院に着くと、私は横たわった空知に触れて、空知の顔におでこをつけた。
「ごめんね、空知……。 痛い思いさせちゃったね。 ボール投げ、もうできなくなっちゃたね。 あれ、ホントに楽しかったよ。 ごめんね、空知……」
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しばらく黙っていた獣医が、ゆっくりと話し始めた。
「泣いていいんですよ。そういうときは思いっきり泣くんです。
人間は泣くことで、痛みやつらさを減らすことができるんですから」
となりにいた看護師が、私の背中をゆっくりさすってくれた。
あたたかい手で何度も背中をさすられているうちに、私はのどが締めつけられるように苦しくなり、やがて涙がこぼれてきた。
私は泣いた。
「思い切り泣くんです」
その言葉が、なぜだかとてもつらかった。
つらくてつらくて、私は泣いた。
(中略)
長い長い入院生活を終えて、空知は元気になって私のところに帰ってきた。
私と空知の生活がまたはじまった。
泣くことは大切だ。
悲しいときは誰にどう思われようと、大声で泣くんだ。
それでいいんだ。(略)
私はそのことを初めて知った。
空知がそれを教えてくれた。
ありがとう、空知。
ずっといっしょにいようね。
(94-107ページ)
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真とイラストはデンマン・ライブラリーより)
『犬から聞いた素敵な話』
著者: 山口花
2013年10月2日 第8版第21刷発行
発行所: 東邦出版株式会社
上のエピソードを読んで、デンマンさんは大声で泣いたのですか?
いや。。。 別に大声で泣くほど感動したわけではないのですよ。。。
だったら、どうして、上のエピソードを持ち出したのですか?
次の箇所を読んだ時に小百合さんの顔が思い浮かんだのですよ。。。。
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4年前の夏、母が自殺した。
アパートから自宅にかけつけたけれど、母の顔は見なかった。
泣き続ける家族を冷静にながめながら、「バカなことを」と思っただけだった。
がっくりと肩を落とした父の代わりに、私が喪主を務(つと)めた。
真夏の青空に立ち上る火葬場の煙をぼんやりと見つめながら、私はただ「暑いな」とつぶやいただけだった。
私の母は自殺しませんでしたわァ~。。。
知ってます。。。 ただ、お母さんのお葬式の時には、小百合さんは涙を流さなかっただろうなァ~。。。 と、思ったのですよ。。。
失礼なア!。。。 つまり、デンマンさんは、私が 血も涙もない冷酷な女だと思っているのですかァ~?
いや。。。 別に、小百合さんが特に血も涙もない冷酷な女だとは思ってません。。。 でも、母親と娘の間には、往々にして確執があるのですよ。。。
私と母の間にどのような確執があるとデンマンさんは妄想したのですか?
やだなあああァ~。。。 僕を呪い殺すような、ギラついた眼差(まなざ)しで睨(にら)み付けないでくださいねぇ~。。。 僕は、一般論として言っているのですから。。。
そのようには聞こえませんわァ~。。。 なんとなく、私と母の間に冷たい空気が流れていた! その事を示唆(しさ)するような言い方に聞こえましたわァ~。。。
それは、小百合さんの考えすぎですよ。。。
要するに、私が「大声で泣くような“かわいい女”になれ!」と言うつもりで、上のエピソードを持ち出してきたのですかァ~?
いや。。。 そういうつもりで、上のエピソードを持ち出してきたのではありません。。。
じゃあ、何のつもりで、あてつげがましいような話を持ち出してきたのですか?
やだなあああァ~。。。 そのように僕の素直で率直な気持ちの中に悪意を見出すような言い方は止めて欲しいのですよ。。。
デンマンさんがムカつかせるような事を言い出すからですわァ~。。。
あのねぇ~、かつて小百合さんと“愛犬と神さま”について語り合ったことがあるのですよ。。。
そのようなことがあったかしら。。。?
小百合さんが忘れてしまうのも無理はありません。。。 今から かれこれ8年前になります。。。 ここに書き出すから読んでみてください。。。
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ごめんね、あかり。
おかあさんはあかりを置いて先に逝きます。
ソックスが生きているうちはソックスが私のかわり。
あかりを見守ってくれるよ。
そして、ソックスも、いつかはあかりより先に逝くでしょう。
そのとき、私はいよいよ念願の風になります。
いつかあかりは私を風みたいだってほめてくれたよね。
あれ、かなりうれしかった。
ちょっといたずらな風が吹いたら、私がそばにいると思ってください。
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それからもうひとつ。
『犬との10の約束』は覚えてくれてる?
あれにはつづきがあります。
それは約束ではなくて、『虹の橋』という詩です。
ソックスが先に逝ってしまったあとで読んでみてね。
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『虹の橋』
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動物は、死んだあとに虹の橋と呼ばれる場所で暮らします。
そこは快適で満ち足りているのですが、
ひとつだけ足りないものがあります。
それは特別な誰か、
残してきてしまった誰かがそこにはいないこと。
それがさびしいのです。
草原で遊び回っている動物たちのうち
一匹が突然遊ぶのをやめ、遠くに目をやります。
一心に見つめるその瞳は輝き、
からだはかすかに震えはじめます。
その子は突然草原を飛ぶように走り出します。
あなたを見つけたのです。
あなたとあなたの特別な友だちは
再会のよろこびに固く抱き合います。
そして、あなたを心のそこから信じているその友だちの瞳を覗き込みます。
あなたの人生から長い間失われていたけれど、
心からは一日も離れたことのなかったその瞳を。
じゃあ、元気でね。
芙美子 母より
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真とイラストはデンマン・ライブラリーより)
200-201ページ 『犬と私の10の約束』
著者: 川口 晴
2008年2月25日 第11刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋
子を持つ母親とすれば、やはり子供を置いて先に逝くことを考えて本当に身を切られるようにつらかったでしょうね。 しかも、子供はまだ10代の娘というのだから。。。なおさら後ろ髪を引かれるような思いでしょう。
そうだと思いますわ。 あかりさんはまだローティ-ンで、しかも一人っ子だったでしょう。。。お母さんはマジで心残りだったでしょうね。
冒頭のエピソードはあかりちゃんの12歳の誕生日のことです。 その日、お母さんがゴールデン・リトリーバーの子犬をあかりちゃんにプレゼントするのだけれど、子犬を家に連れて帰るときに倒れて入院するのですよ。
膵臓でしたよね?
そうです。。。あかりちゃんのお父さんはお医者さんなのだけれど、膵臓がんがかなり進行していたのにも気づかなかった。 結局、手遅れで、あかりちゃんのお母さんはあの世に逝ってしまう。 あかりちゃんは子犬の名を「ソックス」とつける。 可愛がって育てたのでソックスはあかりちゃんになついて大きくなる。 それでもやがてソックスが10歳になる頃に急に体が弱って、ソックスもあの世に逝ってしまう。
なんだか本当に可哀想ですね。
あかりちゃんとお父さんで犬小屋を始末している時に、奥の方に封筒に入った書き置きが見つかる。 その書き置きがすぐ上で引用したものです。
ところで、どうしてまた上のエピソードを持ち出してきたのですか?
僕はたまたまジェームズ・へリオットさんの本を読んでいた。
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この上の本ですか?
いや、英語の本です。
『God is Near』という短編なのですよ。
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次のように始まるのです。
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The card dangled above the old lady's bed.
It read GOD IS NEAR but it wasn't like the usual religious text.
It didn't have a frame or ornate printing.
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It was just a strip of cardboard about eight inches long with plain lettering which might have said "No smoking" or "Exit" and it was looped carelessly over an old brass gas bracket so that Miss Stubbs from where she lay could look up at it and read GOD IS NEAR in square black capitals.
There wasn't much more Miss Stubbs could see; perhaps a few feet of privet hedge through the frayed curtains but mainly it was just the cluttered little room which had been her world for so many years.
The room was on the ground floor and in the front of the cottage, and as I came up through the wilderness which had once been a garden I could see the dogs watching me from where they had jumped onto the old lady's bed by the window.
And when I knocked on the door the place almost erupted with their barking.
It was always like this.
どのようなことが書いてあるのですか?
もう長いこと寝たきりのスタッブスおばあさんと、彼女が可愛がっている犬と猫の物語なのですよ。 おばあさんの寝室のベッドの枕もとの壁には昔、ガスランプが灯(とも)っていた。 今では使っていないけれど、ガス管の端が突き出ている。 それにボール紙が掛かっていて、それにはおばあさんの手書きで"GOD IS NEAR"と書いてあるのですよ。
敬虔なキリスト教徒なのですか?
少なくともスタッブスおばあさんは神を信じているのです。 そのおばあさんの寝室からは窓を通して、わずかばかりの外界しか見ることができない。 でも、見上げるとボール紙に書いた"GOD IS NEAR"がいつでも目に入るというわけなのです。
スタッブスおばあさんは犬と猫を飼っているのですか?
そうなのです。 犬が5匹と猫が3匹ほど飼われていたと思います。 もう長いこと飼われていたので人間の年で言えば、ちょうどスタッブスおばあさんのように皆、年寄りなのですよ。 でも、ヘリオット先生が呼ばれてペットの健康を調べに行くと、まるで大好きなお客さんを迎えるように犬たちが声を張り上げて「ワンワンワン。。。」と歓迎するのです。
。。。で、スタッブスおばあさんも癌で亡くなるのですか?
癌ではないと思うのだけれど、長いこと寝たきりだし、そろそろ神様のお迎えが来ると自分でも覚悟しているのですよ。 でも、一つだけ気がかりなことがある。 いつもは悲しさだとか愚痴などをこぼしたことがなく、たいていニコニコとヘリオット先生を迎え、ペットのことで楽しく語り合うのだけれど、ある日スタッブスおばあさんは、いつになく心配げにヘリオット先生に尋ねるのですよ。
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ヘリオット先生。。。次は私の番だと思いますのじゃ。
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どういう。。。どういう意味ですか?
あのう。。。今夜、ヘリオット先生が診察してくださったのに、愛犬のベンがあの世に逝ってしまいましたじゃ。 それで、次は、とうとう私の番になるだろうと思いますのじゃ。 私には判るのですよ。。。先生。。。
そのようなことはありませんよ。 ベンが亡くなってしまったので、おばあさんは落ち込んでいる。 だから、そんな風に考えてしまう。 誰だって同じような目に遭(あ)えば、気持ちが落ち込んで不吉なことを考えるものですよ。 そのようなことはありませんよ。
いいえ、先生。。。私はなにも死ぬのが怖くて言ってるのじゃありましぇん。 あの世は、この世よりも素晴らしいと思える。。。ずっと以前からそんな気がしていますのじゃ。
(長い沈黙)
先生。。。でも、一つだけ気がかりなことがありますのじゃ。
その気がかりな事ってぇ。。。いったい何ですか?
先生。。。残されるワンちゃんやニャンニャンのことを思うと私はとても恐ろしくなるのですじゃ。
どうして、そう思われるのですか?
だってぇ、先生。。。私はあの世に逝けば両親や兄弟に会える。 でも。。。、でも。。。残されたワンちゃんやニャンニャンとは。。。
あの世に逝っても、この愛犬と愛猫には会えないと言うのですか?
その通りですじゃ。
どうして、そのようにお考えになるのですか? 誰が、そう言ったのですか?
だってぇ、先生、世間ではそう言いますがなァ。 動物たちには魂(たましい)がありません。 だから、魂のない動物たちはあの世に逝けん。 そやから、私はこのワンワンやニャンニャンに永遠に会えませんのじゃ。 それを思うと、死んでも死にきれませんのじゃ。
おばあさん。。。そのようなことはありませんよ。 愛犬たちも愛猫たちも我々と同様に愛することができます。。。その意味では愛犬も愛猫も我々と同様に魂を持っていると言えますよ。 我々となんら変わりがないじゃありませんか!
先生は、ホンマにそのように思うとるんですか?
もちろんですよ。
私は眠れない夜に、あの世に逝くと、もう永遠にワンワンやニャンニャンに会えないかと思うと、悲しくなって。。。恐ろしくなって。。。もう眠るどころではありませんのじゃ。
そんなことは決してありません。 あの世に逝かれても、またこの愛犬や愛猫に会えますよ。
本当に。。。?
私は絶対にそう信じているのです。
本当ですか?
私は心からそう信じていますよ。
(デンマン意訳)
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最後にヘリオット先生にこのように言われて、スタッブスおばあさんはやっと心が平穏になるのですよ。
。。。で、その後おばあさんは安らかにあの世に逝かれるのですか?
そうです。 町の人の噂にスタッブスおばあさんが逝かれたということを聞くとヘリオット先生は残された犬や猫たちのことが気になって、おばあさんの世話をしていたお手伝いさんの家に行くのです。
残された犬や猫たちはどうなったのですか?
お手伝いさんが引き取って世話していたのですよ。 ヘリオット先生の姿を見ると、まるで以前のように元気に吼えて犬たちは先生を迎えたのです。
デンマンさんもあの世があると信じているのですか?
あの世もこの世も区別がないと僕には思えますね。
どういうことですか?
つまり、犬や猫や我々も亡くなれば土に返るだけの話ですよ。 それだけのことです。
。。。じゃあ、神さまも信じていないのですか?
いや。。。僕は神様を感じますよ。
あらっ。。。デンマンさんでも神さまを感じることがあるのですか?
ありますよ。
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あのねぇ~、僕はカナダの極北、イエローナイフに2年ほど滞在したことがあるのですよ。
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僕の住んでいたアパートから5分も歩くと上の写真のような原野が見えてくる。
オーロラもしばしば見たのですか?
見ましたよ。 色がついていることは、ごく稀でした。 燻(いぶ)し銀のように鈍く光っていて、それがヒラヒラ、ヒラヒラと大きなカーテンが目にも留まらぬ速さで揺らぐようにして夜空を踊っているように見える。
私も一度見てみたいですわ。
息詰まるほどの沈黙に、もしかすると死の世界ってぇ、こんな感じではなかろうか? なんてぇ、ふと思ったりもしたものですよ。 でもねぇ~、どのように静寂で人っ子一人居ない原野で夜空を見上げていても地球は信じられないほどの速さで太陽の周りを回っているのですよ。 その速さのことを考えたことがありますか?
どれくらいの速さで地球は太陽の周りを公転しているのですか?
なんと秒速 29.78 km ですよ。 東海道新幹線の最初の「ひかり号」の最高速度が時速220kmです。 秒速になおすと、たったの 61メートルですよ。
つまり、地球は「ひかり号」よりも 488倍も速く太陽の周りを回っている。 信じられないほどの速度ですよ。 地球が誕生して以来。。。、少なくとも人類の歴史が始まった以来、ずっとこの速さで太陽の周りを回っている。 それなのに、人類の歴史が始まって以来一度として他の物体と衝突したことがない。 地球上では毎日、何千という人が交通事故で死んでいるのにですよ。。。、これを一体どう考えたらよいのか?
つまり、宇宙には惑星が衝突しないようと気を配(くば)っている交通整理のお巡りさんが居ると。。。?
そうですよ。。。そんなことをイエローナイフで考えていた頃、その宇宙のお巡りさんを神として感じたものですよ。 うしししし。。。
『愛犬と神さま』より
(2012年8月4日)
つまり、母と娘の死に別れのエピソードと、おばあさんとペットたちの生き別れのエピソードを持ち出してきて、結局は、人間にとってもペットにとっても神様は、宇宙のお巡りさんだと言いたかったのですか?
そうです。。。 いけませんかァ~?
(小百合さんは、呆れて無言!)
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(すぐ下のページへ続く)
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