ロマンと悪妻再び
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デンマンさん。。。、ロマンと悪妻再び ということは、かつて「ロマンと悪妻」を取り上げたことがあるのですか?
あるのですよ。。。2008年7月31日に投稿した記事です。。。
あらっ。。。14年前の記事ですわねぇ〜。。。
そうです。。。
検索して記事を見つけたネット市民が居たのですか?
そうなのです。。。次のリストを見てください。。。
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■『拡大する』
■『ロマンと悪妻』
これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で12月2日の午後10時47分から翌日、3日の午前2時7分までのアクセス者の記録です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。
あらっ。。。 12月3日の午前1時13分に YAHOO!で検索して ロマンと悪妻 を読んだネット市民が居たのですわねぇ〜。。。
そうです。。。実は、下関市に住んでいる篠原沙莉奈(しのはら さりな)さんが読んだのですよ。。。
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沙莉奈さんは下関市で何をしているのですか?
サラリーマン家庭の専業主婦ですよ。。。
専業主婦の沙莉奈さんが、どういうわけで午前1時13分にYahooで検索してロマンと悪妻 を読んだのですかァ〜?
あのねぇ〜、沙莉奈さんは見合いで結婚したのですよ。。。ところが最近、旦那が沙莉奈さんの過去を色々と詮索するようになったと言うのです。。。
なぜですか?
沙莉奈さんは、上の写真で見てもすぐに分かるように けっこう美人なのですよ。。。だから、旦那は見合いで結婚した時には、すごい美人に巡り合わせたと喜んでいたのですよ。。。ところが、結婚してからしばらくすると不審な電話がかかってくるようになった。。。沙莉奈さんに尋ねると「間違い電話だわ」と言う。。。旦那が出ると、無言で切れる。。。相手の電話番号を調べると、公衆電話からかけているのですよ。。。
それで沙莉奈さんが かつて付き合っていたボーイフレンドからの電話に違いない、と旦那は思うようになったのですか?
そういうことです。。。
。。。で、実際はどうなのですか?
事実、かかってきた電話は、かつて沙莉奈さんが付き合っていたボーイフレンドなのですよ。。。でも、彼は競輪・競馬にハマっており、将来一緒に家庭を持つような人物ではない、と見極めて別れたのです。。。その時、結婚相手は見合いで決めようと沙莉奈さん決めたのです。。。
じゃあ、一応、見合いで決めた旦那というのは、将来性のあるサラリーマンなのですか?
そうです。。。東京の有名な私立大学を出て、現在は地元の水産会社で営業課長を務めているのです。。。販路拡大のために、現在、ヨーロッパに2週間ほど出張しているのですよ。。。
つまり、沙莉奈さんは、過去のことを隠して結婚したことに後ろめたさを感じているのですか?
そういうことです。。。それで、自分は悪妻ではないのか? 考え始めるとなかなか寝付けないので、起きてパソコンの前に座ってYahooで検索して記事を読んだというわけですよ。。。
。。。で、上のリストのリファラのリンクをクリックすると、どのような検索結果が出てくるのですか?
次のページが表示されます。。。
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■『拡大する』
■『現時点での検索結果』
■『ロマンと悪妻』
12,600件ヒットするのですよ。。。トップから3番目に「徒然ブログ」の ロマンと悪妻 が出てくるのです。。。
沙莉奈さんは、「徒然ブログ」の常連さんなのですか?
そうです。。。どうして沙莉奈さんが「徒然ブログ」の常連さんだと小百合さんは思ったのですか?
だってぇ、「徒然」を加えて検索しているではありませんかァ〜。。。
なるほどォ〜。。。確かに、言われみれば、小百合さんがそう思うのも当然な事です。。。
。。。で、沙莉奈さんは、記事を読んでなにか救いになることでも見い出したのですか?
見い出しました。。。小百合さんも読んでみてください。。。
人を理解するという事は
とっても難しいということ…
ここで明らかなのは、漱石の人間認識がとぎすまされた結果、人間同士の相互認識などまったくあてにはならないものだということだけを最後に見出しているような、そうした、冷徹な懐疑主義だけである。
漱石は、人間関係の生臭いまでの悪臭の中に身をさらしながら、それらを裸にしてみせ、しかもその裸にされた人間たちがいかに不可解であるかについて、いうならば懐疑しているのである。
人間は裸にしてみればみるほど信じがたいももだという認識が、『明暗』を通じて流れる認識の基調である、といっていい。(183ページ)
残された唯一の解決は、行動による溝の否定でしかない。そして漱石は、そこに次第に近づきながらも、その究極的な答えを見出すことなしに『明暗』を中絶して死なねばならなかったのであった。実際には、漱石が溝の克服として行動の世界を見出していたかどうかということも、決して明らかであるわけではない。ただ、認識自体の不確実性を『明暗』においてのごとく究極的に検討しつくせば、残るものとしては認識の否定でさえある行動のみだということが、想像されるばかりである。(184ページ)
事実、ここでは人間の無力さは、ただに、作中人物同士が互いに相手を知りつくすことができないという点においてのみならず、それら作中人物たちの創造者たる漱石自身が、自分の生んだ作中人物たちを知りえず、彼らの行為を一種驚きの目をもって見ているごとく思われる点で、ほとんど完全に表現されているのである。
何度も繰り返して書いたように、漱石の晩年の作品において次第に澄んでくるのは彼の現実観察の眼だけであって、それは澄めば澄むほど、現実の暗い襞の中にひそんでいる醜悪な部分を明るみに出すことしかできなかった。したがって彼は死ぬまで、本質的な散文作家のみが辿る皮肉で苦しい道すじ、己の描き出す世界の醜さに堪えきれずして澄んだ心境を求めながら、心境の澄むことは、逆になおいっそう深く現実の裏面観察へしか彼を追いやらないという、皮肉な道すじを辿り続けねばならなかったのである。(185ページ)
『拝啓 漱石先生』 著者: 大岡信(おおおか まこと) 出版社: 株式会社世界文化社
1999年2月10日 初版第一刷発行 ISBN: 4-418-99503-X
評論家の書くモノって分かりにくいのですよねぇ~。どうしても観念論的になって、理屈を捏ね回しているように見える。
デンマンさんだって、理屈を捏ね回すじゃござ~♪~ませんかア。
僕はできるだけ具体的に書こうとしているのですよう。その方が分かり易いから。でもねぇ、評論家の書くモノって、どう言う訳か難しい言葉を使って、難しい言い回しで、日常的な具体例を書いてくれない。なんとなく文章がもったいぶった哲学的な感じを受けるのですよう。分かるようで分からない。そういうのが評論家の書き方だなあああぁ~。。。僕は、そう思うことが多いのですよう。
それで、上の文章のどこが分かったようで分からないのでござ~♪~ますか?
次の部分ですよう。
残された唯一の解決は、行動による溝の否定でしかない。
実際には、漱石が溝の克服として
行動の世界を見出していたかどうかということも、
決して明らかであるわけではない。
残るものとしては認識の否定でさえある
行動のみだということが、想像されるばかりである。
もちろん、書いている大岡信さんは理解しているつもりなんでしょう。でも、読んでいる僕には「行動」と「認識の否定」が、具体的にどのように結びついているのか全く分からなかった。
つまり、大岡さんが具体的に分かり易く書いていない、とデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?
その通りですよう。僕は結構、英語の本をたくさん読んでいるのだけれど、いつも感心させられるのは、具体的な例をたくさん引用して分かりやすく書いてある。同じような題材について書いてある本を、日本語と英語の本で比較するとき、僕はいつも日本語で書いてある本に具体例が乏しい事に気づくのですよう。
そう言うものでござ~♪~ましょうか?
最もはっきりした例が教科書ですよう。英語の教科書は日本語で書かれた教科書の2倍から3倍の厚さがあります。大学生の時に使った「解析理論」と言う数学の教科書は、読んでもさっぱり分からなかったのだけれど、英語で書かれた「解析理論」は具体的に書かれていたので良く理解できた。現在はどうなのか良く知らないけれど、20年ほど前はそうだった。先生の言っている事が英語で良く分からなかったけれど、教科書を読むと良く理解できたものですよう。
。。。んで、「行動」と「認識の否定」の関係がデンマンさんには理解できないのですか?
良く分からなかったのですよう。でも、上の小百合さんのメールを読んで急に閃(ひらめ)くモノがあった。
その閃いたモノのって。。。どのようなモノでござ~♪~ますか?
だから、今日はその事を書こうと思い立ったのですよう。
分かりましたわ。さっそく話してくださいましな。
分かり易く説明するために、まず次の文章を読んでください。
「どんな人のところへ行こうと、嫁に行けば、女は夫のために邪(よこしま)になるのだ。そういう僕がすでに僕の妻をどのくらい悪くしたか分からない。自分が悪くした妻から、幸福を求めるのは押しが強すぎるじゃないか。幸福は嫁に行って天真(てんしん)を損われた女からは要求できるものじゃないよ」(『行人』<塵労>五十一)
この言葉は、事実上『行人』一巻を閉じる役目を果たしているが、これこそ漱石の会得した新しい認識を示すものであると私は思う。なぜならばこの言葉は、一郎があれほど意識的に求めた「絶対」の境地などという観念的世界のものではなく、行動の世界のものだからである。ここには、浮薄(ふはく)さを切り捨てた、きびしい愛情がにじみ出ている。
一郎は初めて行動を発見し、予感していると私には思える。いうならば、この方向だけが、彼に「絶対」を把握させるものであろう。なぜならば、行動は行動者から自意識を否応なしに剥奪するからであり、彼を一個の、実在する無に化するからである。そしてそのことは、彼がなす行動が常に絶対的なものであることを意味するからである。(151ページ)
一郎はお直から逃れることではなく、お直の内部にまで進み入ることによってのみ、彼が観念的に希求した絶対的存在の彼自身の中での生動(せいどう)を感じえたであろう。彼らは実際、互いに愛しうるし、互いに互いの仕方で相手を精一杯愛しているのである。それを妨げているのは、奇妙なくらい、愛している女に対して臆病な一郎の態度だったのだ。それは彼の場合、自分自身に対して臆病であることにほかならなかった。彼は自分に対して消してメスをふるいはしなかったからだ。それゆえ、右に引いた一郎の言葉は、彼にとってまったく新しいものだったのである。
そして同時に、漱石の新しい出発を予感させるものでもあったのである。(152ページ)
『拝啓 漱石先生』 著者: 大岡信(おおおか まこと) 出版社: 株式会社世界文化社
1999年2月10日 初版第一刷発行 ISBN: 4-418-99503-X
ここでも「行動」が具体的にどのような「行動」なのか説明がない。
そうでござ~♪~ましょうか?
そうですよう。
一郎はお直から逃れることではなく、
お直の内部にまで進み入ることによってのみ、
彼が観念的に希求した絶対的存在の
彼自身の中での生動(せいどう)を感じえたであろう。
この“お直の内部にまで進み入る”ことが「行動」なのだろうけれど、具体的にどう言う事なのかが書いてない。おそらく、大岡さんは、“そんなことぐらい読者が勝手に考えろ!難しい事じゃないよ!”と思ったのでしょうね。そう言う所が観念的だと僕は言いたいのですよう。
つまり、ミーちゃんハーちゃんの読者の立場になって分かり易く書いてない、とデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?
その通りですよう。この大岡さんの話の進め方が実に観念的に僕には映る。そのために、第一部を読んで僕は本を投げ出す気になってしまった。つまり、読みながら、“うん、うん、うん。。。なるほど。。。なるほど。。。”と、相槌を打ちながら読み進めることができなかった。良く分からない観念的な話に出くわして、そこで同じ箇所を何度か読み返して理解しようとする。でも、具体的なことが書いてないから、すっきりと理解できないままで読み進むと、また観念的な箇所に出くわして、良く分からない。こう言う事が何度か続くとムカついてきて、本を投げ出したくなってしまう。僕の言おうとしていることが卑弥子さんにも分かるでしょう?
でも、著者はすべての読者の要求に応じる事などできませんわ。
すべての読者の要求に応じろと僕は言っているのではないのですよう。もっと具体的に書いたらどうかと言っているのですよう。
。。。んで。小百合さんのメールが、その「行動」の具体例なのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。僕は小百合さんのメールを読み返して閃いたのですよう。
だから、どのように。。。?
つまり、小百合さんは次のように書いていた。
デンマンさんは、私がレンゲさんのような
ロマンチックな女だと期待しているようですが、
私は、そのような女っぽい女ではないのですゥ。
主人は私のことを「中性脂肪」だと言います。
つまり、女っぽくない脂肪の塊だと。。。
『夢とロマンの軽井沢 (2008年7月19日)』より
つまり、小百合さんと夫の関係は、『行人』の中であれば、一郎とお直、現実世界であれば漱石と鏡子夫人の関係に極めて似ている。
■『拡大する』
そうでしょうか?
僕は、小百合さんの旦那の事はメールと投稿から判断するより仕方がないけれど、『行人』のシチュエーションを借りるならば、小百合さんは一郎の立場で行動を起こしているのですよう。
どのように。。。でござ~♪~ますか?
(13年間)バーナビーで夏休みを過ごすことは 毎年私の支えの時間でした。
あの古い家は、夏休みで休むというより
ペンキ、芝のクローバむしり、
りんごの木の手入れ、
玄関まで高く長い階段のペンキはがしや、
しばらくみがかないガラス、
シミだらけのじゅうたん、
BASEMENTはランドリーのホコリとくもの巣、
行けば、掃除ばかりの家に大変でしたが
また戻りたいと思っていました。
ここには、「中性脂肪」だと言われた妻が、「認識の否定」のために「行動」を起こしている。つまり、夏の期間、夫と離れてバーナビーの“山の家”で過ごしながら、家事をやり、子育てをして自分にだって“女らしいことができる事”を行動して自分で確かめている。
その事を、小百合さんは“(心の)支えの時間”だったと言っている訳なのでござ~♪~ますか?
そうですよう。「中性脂肪」のエピソードを読んで、小百合さんのメールを読み返した時に、「行動」と「認識の否定」の関係が、このように閃いたのですよう。
『ロマンと悪妻』より
(2008年7月31日)
ここまで読んできた沙莉奈さんは、救いになることをマジで見出したのですか?
見い出したのですよ。。。つまり、人を理解するということは、とっても難しいのですよ。。。
それは、上の文章を読まなくても、当然の事ですわァ〜。。。
でも、落ち込んでいた沙莉奈さんには、文字を見て、改めてそう実感したのですよ。。。沙莉奈さんは、「元カレ」とはきっぱりと別れて、旦那と家庭を築こうと真面目に尽くしているのですよ。。。でも、旦那は、なぜか沙莉奈さんの過去にこだわっているのです。。。
だから、沙莉奈さんは、どうしようとしたのですか?
「夫が小百合さんのことを、女らしくない中性脂肪の塊だ」という小百合さんの上の手記を読んだわけです。。。
それで。。。?
「中性脂肪」だと言われた小百合さんが、「認識の否定」のために「行動」を起こしている。つまり、夏の期間、夫と離れてバーナビーの“山の家”で過ごしながら、家事をやり、子育てをして自分にだって“女らしいことができる事”を行動して小百合さんは自分で「女らしい妻」であることを確かめている。。。
沙莉奈さんも、同じような行動に出ようとしたのですかァ〜?
そうです。。。旦那は、沙莉奈さんが「元カレ」とヨリを戻すのでは無いか?…そう疑っている。。。夫に尽くしている自分のことを旦那はどうして分かってくれないのだろうか? 沙莉奈さんは、そう思っている。。。
妙な電話がしばしばかかってくるので旦那さんが疑うのも無理のないことですわァ〜。。。上の記事を読んで沙莉奈さんは、どうしようとしたのですか?
沙莉奈さんは、小百合さんのようにカナダで別荘を借りて「夫につくす女らしい妻であること」を証明する事はできないけれど、「元カレ」とヨリを戻す気持ちがないことは、気長に日々の行動で理解してもらうよりないと悟ったのですよ。。。つまり、陰日向(かげひなた)なく、夫に尽くすより他に仕様がないと。。。
でも、それってぇ〜、あまりにも男主体の考え方ではありませんかァ〜? 沙莉奈さんに、「元カレ」とヨリを戻すつもりがないにも関わらず、旦那がしつこく疑うのであれば、離婚してしまえばいいのですわァ〜。。。
でも、それって、あまりにも短絡的な考えですよ。。。完璧な人間なんて居ないのだから、旦那の疑い深い性格は、競輪・競馬にハマっている「元カレ」よりはマシですよ。。。だから、離婚するよりも今の生活を守る方がよっぽど賢明な考え方です。。。離婚しても、今の旦那よりも良い人物に巡り会える可能性は、客観的に見て少ないです。。。離婚しても、もっと悪い男を掴む可能性のほうが高いですよ。。。
そうでしょうか?
小百合さんは、結局、熟年離婚したから、沙莉奈さんに離婚の道があることを示唆するけれど、離婚がすべての問題の解決ということにはならない。。。
でも、どうしてデンマンさんは、そんなことまで知っているのですか?
沙莉奈さんがメールを寄越したのですよ。。。
でも、離婚して一人で生活するという生き方もあるのですわァ〜。。。
それは、小百合さんは、子供を3人産んで妻と母親の役目を果たして、熟年以降は自分の時間を持ちたいということで離婚したのですよ。。。でも、沙莉奈さんは、これから子供を産んで、育てて、妻と母親の役目を担ってゆくのです。。。立場が違うのです。。。「元カレ」とヨリを戻すつもりのない沙莉奈さんは、むしろ良妻ですよ。。。だから、僕は、離婚など考えないで、今のままの生活を続けてゆけば、旦那もきっと理解してくれると返信しましたよ。。。
【卑弥呼の独り言】
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ですってぇ~。。。
あなたも、、人を理解するということは、とっても難しいと思いますかァ〜?
ええっ。。。「そんな事はどうでもいいから、もっと楽しい話をしろ!」
貴方は、そのような強い口調で、あたくしにご命令なさるのでござ〜♪〜ますかァ〜。。。
分かりましたわ。。。では、興味があったら次のビデオ・クリップをご覧になってくださいませぇ〜。。。
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では。。。
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だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。
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