デンマンのブログ

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昭和の表象空間(PART 1 OF 3)

2015-06-16 17:41:00 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 

昭和の表象空間(PART 1 OF 3)

 


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デンマンさん。。。なんだか難しいタイトルを書きましたわねぇ~。。。 もしかして、タイトルだけ場違いなモノにして、またバレンタインのことを書くのではないでしょうねぇ~。。。


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いや。。。 いくらなんでも、バレンタインの事を続けざまに書くのは、僕もうんざりしますからねぇ~。。。 今日はバレンタインの話ではありませんよ。

それにしても、難しい。。。 なんだか文学部の卒論のようなテーマですわねぇ~。。。 どういうわけで、上のようなタイトルを付けたのですか?

あのねぇ~、夕べ本を読んでいたら次の箇所にぶち当たったのですよ。



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加藤(周一)氏によれば、「日本文化の中で『時間』の典型的な表象は、一種の現実主義である。

現在または『今』の出来事の意味は、それ自身で完結していて、その意味を汲み尽くすのに過去または未来の出来事との関係を明示する必要がない」(『日本文化における時間と空間』)。

実際、加藤氏の言う通り、『枕草子』も『徒然草』も『玉勝間』も「現在」にしか関心を抱いていないわけで、「今の武蔵野」に対する(国木田)独歩の執着は、結局、そうした随筆文学の系譜の末端にきわめて居心地良くその位置を得て、そこから逸脱するいかなる出来事性も孕んでいない保守的にして伝統的な心的態勢にすぎないように思われる。

「日本では人々が『今=ここ』に生きているようにみえる」と加藤氏の言う、その「今・ここ」を、福地桜痴は「情報」の発信と受信の相互作用のゲームとして組織したのだし、国木田独歩は「今の武蔵野」とそれを描写しつつある「今の自分自身」との完璧な同期・同調として叙述したのである。


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  国木田独歩

「今・ここ」への焦点化に関わる近代文学の試みとして、これより興味深いのはむしろ、名前を持った登場人物のドラマが希薄ながらも素描されているという意味ではむしろ「武蔵野」より物語的な「忘れえぬ人々」(『国民之友』明治31年4月発表)の場合であろう。

溝口の旅籠屋で偶然同宿の客になった「大津」と「秋山」の対話という形式をとるこの短編小説の眼目をなすのは、過去に出会った「忘れえぬ人々」をめぐって展開される「大津」の回想である。

「恩愛の契(ちぎり)もなければ義理もない、ほんの赤の他人であって、本来をいふと忘れて了つたところで人情をも義理をも欠かない」が、にもかかわらず「終(つい)に忘れて了ふことの出来ない人」というものがいるのだと「大津」は言う。

たとえば、「19の歳の春の半頃(なかごろ)」帰郷のために瀬戸内海を航行する汽船に乗っていたとき船上から目撃した、小さな島の磯で「何か頻りに拾つては籠か桶かに入れてゐ」た男。

また、「今から5年ばかり以前」に二人連れの旅の途次、阿蘇の裾野の道で橋の欄干に凭れて休んでいたとき、馬の手綱を引き馬子唄を歌いながら彼らの方を見向きもせずに通り過ぎていった若者。

これらは、記憶の中に頑なに滞留し続けるある特権的な「今・ここ」の表現にほかならない。

そこで重要なのは、その特権性を正当化するものが何一つないという点である。

或る時・或る場所でたまたま立ち会ったどうでもよい(フランス語で言えばquelconqueな)瞬間としての「今・ここ」が、何の理由もないまま「忘れえぬ」体験として結晶する。

それを言葉で表現したものが自分にとっての文学なのだと「大津」は---すなわち独歩は---主張しているかのようだ。

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




633-634 『明治の表象空間』
著者: 松浦寿輝
2014年5月30日 発行
発行所: 株式会社新潮社




なるほどォ~。。。 デンマンさんが読んだ本のタイトルが『明治の表象空間』だったので、それを捩(もじ)って“昭和の表象空間”としたのですわねぇ~。。。



そういうことです。。。

。。。で、赤字で強調した所に、デンマンさんは惹かれたのですか?

その通りですよ。。。 小百合さんにも、「恩愛の契(ちぎり)もなければ義理もない、ほんの赤の他人であって、本来をいふと忘れて了つたところで人情をも義理をも欠かない」が、にもかかわらず「終(つい)に忘れて了ふことの出来ない人」がいるでしょう?

そうですわねぇ~。。。

どうですか?。。。 すぐに思い浮かぶような人がいますか?

ええ。。。 そう言われてみると、私にもそういう印象深く 思い出の中に刻み込まれた人というのがいますわ。

どういう人ですか?

かつて デンマンさんにメールで書いたことがありましたわ。 覚えているかしら?



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美味しかったです

投稿日時: 2007-11-29 10:13AM

デンマンさんが帰国する前日(11月10日)、お会いしましたが
忙しかったのですね。
あれから デンマンさんにいただいた
"フライマップ"を見て
お薦めの「かどや」に寄りました。


(frymap02.png)

『実際のマップ』

夕方だったので お酒をのんでいる人がいて二人。
でも私はきどってないので、その方達と話しながら、
やきそば、ゼリーフライ、
それに、とってもでかい行田のフライを食べました。
あの日もずっと移動でお腹が空いて速く食べたくて 食べたくて。。。

2人のおじさんは 私が地元の人でないと分かると、
すぐ館林と当てました。
学校も。

正田美智子さんの話や花山のことや
分福茶釜のことも飛び出しました。
私はあんな20分位の時間を一生忘れない思い出にしてしまいました。

いつも病院通いです。
移動してばかりいます。
最近の私には楽しいことさえ無く、おいしい物さえ食べてなく
ただ息してました。


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美味しかったです。
特にゼリーフライ(2枚)

なんなんなん?
と思うぐらい不思議なものでした。

コロッケでもなく もちでもなく、
パン粉がついてないのでパクパクと食べられました。

ゼリーといっていいかもしれない。
熱いくず粉のソース味のゼリーでした。 
原料は葛ではないだろうけど感触が私には葛に似ていた。

カラシ付けて食べるお肉のシュウマイでなく、
葛のような色が透明で玉ねぎ味のソースを付けて食べるシュウマイを
デンマンさんは知ってますか? 
おまえ 何でできてるの?といつも不思議です。


(shrimp2.jpg)

お肉のシュウマイは3個でご馳走様だけど
あれは6個ぐらい 食べられます。

スーパーボウルのように透明で、子供のおもちゃのような、
食堂の入り口に飾ってある食べられないサンプル商品のように
かじったら、口のなか ろうそくの味になってしまいそう。

カナダには無いと思う。
あのシュウマイの次に不思議な食べ物でした。
。。。というか 物体でした。
行田のフライも大きくて色からして物体でした。


(gyoudafry3.gif)

焼きそばは鉄板の味がして
自分が作る物とは違い、屋台の味です。
お腹きつくなって、あの日実家に泊まったのでご飯も作る気もなく
「かどや」で夕飯を済ませました。

こんな コメントでデンマンさん がっかり?
おいしい アツアツの物体でした。  

 

by 小百合


(sayuri3.gif)




『愛しい人』より
(2008年11月14日)



 (すぐ下のページへ続く)

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