デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

学徒出陣の明暗

2024-10-11 01:29:23 | 歴史四方山話


 

学徒出陣の明暗

 


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デンマンさん。。。、どういうわけで学徒出陣を取り上げるのですかァ〜?


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あのねぇ〜、久しぶりに僕が編集した次の動画を観たのですよ。。。

 


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学徒出陣で戦場に出てゆく学生も、それを見送る女学生も心に悲痛な思いを抱いていたのですわねぇ〜。。。



そういうことですよ。。。

。。。で、上の動画のどこが気になったのですか?

特攻隊員として敵艦に体当りした学徒も可哀想だけれど、生き残った学徒も心にトラウマを抱えて大変だと思ったのですよ。。。それで、ある本を読んでいたら次の章に出くわした。。。

 



答辞を読んだ東大生の悪い噂

 


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学徒室人は悲劇として、戦後も語られてきた。
その反面、出陣学徒を代表して答辞を読んだ東京帝大の学生には不当な噂が流された。
確かに戦場で亡くなった学生も多いのだから、誰かにその不満をぶつけたいとの心理もあり得た。

戦後すぐに、この学生はあの答辞を読んだ見返りに即日帰郷となり、軍隊生活を送らなかったという噂が流れた。
あるいは特別扱いを受け戦地に送られなかったとも囁かれた


等の学生、江橋慎四郎はこういう声に一切反論、抗弁はしなかった。江橋は、日本の体育学を体系立てた人物で、戦後は東大教授から新設の鹿屋体育大学の学長になっている。

江橋に対しての批判の中には、極めて感情的な意見を吐くグループがいた。
それが表面化したのは、わだつみ会(日本戦没学生記念会)を率いていた山下肇東大名誉教授が、平成5(1993)年に刊行された『学徒出陣50年』の中で「宣誓学徒のその後」と題して次のように書いたからだった。
「なんとその東大生は、聞くところでは、いわゆる『即日帰郷』で入隊しないで帰宅を許されたそうで、病気が理由かどうかそれはわからない。当時一般の『即時帰郷』は病気の場合もあったが、裏口の特権的ケースも少なくなかったようだ。(以下略)」

山下はいかにも弾劾するとの筆調で、噂話をよりどころに、この人物は戦後はわだつみ会にはいるべきだ、と奇妙な論で江橋の姿勢を批判した。
これに対して江橋の戦友たち11人が、そんなことはない、彼は空軍教育隊に属して各地の航空隊を回り、終戦は滋賀県八日市で迎えたことなどを明らかにした。
「即日帰郷」などあり得ないというのである。
江橋も50年ぶりに新聞記者の質問に答えて、あの時の状況を語った。

 (中略)

私(保阪正康)が江橋慎四郎に会ったのは2012年の夏だったように思う。
湘南地方のある街に住んでいたのだが、年齢は90歳に達していた記憶がある。青年期からさまざまな運動で鍛えただけに、老いを感じさせない強健さが全身からあふれていた。

「出陣学との壮行会で答辞を読んだのは、全くの偶然なんです。当時、東大の中には運動会という名の運動部の上部団体があって、私は文学部から出ているそこの役員だった。
それで壮行会の代表は、文学部からとなり、私は教育科で海後宗臣(ときおみ)先生のゼミだったんですが、海後先生がこの委員会の役員でもあり、君がやりなさい、となったんです」

優秀だからとか希望を出したからではなく、街を歩いていて交通事故にあったようなものだと、江橋は述懐していた。
それで文書を作れと言われたけれど、簡単な文章を持っていった。「こんなものダメだ」と言われて、国文学の教授が改めて書き直してくれた。
「教授の名前? 忘れたよ」
うまく書いているなあと思いはしたが、私はそれを読んだだけ、と言う。
「勧進帳を読んだようなものだった。感動なんかない」と繰り返した


 (中略)

「青年の命をあんな形で戦場に送り出す軍事指導者の考えは単純そのものです。戦争が限界にきていたのではありませんか」という彼の言葉は、歴史に残さねばならないほどの重みがある。




pp.271-275『陰謀の日本近現代史』
2021年3月20日第3刷発行
著者 保阪正康
発行所 朝日新聞出版




学徒出陣で生き残った学徒も、戦後、汚名を着せられて戦わねばならなかったのですわねぇ〜。。。



そういうことですよ。。。僕も、初めてオリジナルの動画を観た時に、答辞を読んだ江橋慎四郎さんが、その後どうなったのか? 気になってウィキペディアで調べてみたのですよ。。。そこでは、次のように書かれていた。

 



江橋慎四郎

 


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1920年(大正9年)6月14日 - 2018年(平成30年)4月8日)

 

江橋 慎四郎(えばし しんしろう)、は、日本の体育学者。
専門は社会体育学・レクリエーション学。東京大学名誉教授。

神奈川県鎌倉市生まれ。
旧制湘南中学(現在の神奈川県立湘南高等学校)から、旧制二高を経て東京帝国大学文学部に入学した。
学生時代には体育会系の水泳部マネジャーと体育会の総務を務めていた。
当時の大学生は徴兵が猶予されていたが、兵力不足を補うため、江橋ら文系の学生の学徒出陣が決定した。

戦後、文部省体育局勤務などをへて、東京大学教授。
その後鹿児島大学教授や中京大学教授を歴任した。
さらに、日本初の国立体育系単科大学である鹿屋体育大学の創立に尽力し初代学長となる。
定年後は東京大学名誉教授となる。

2018年4月8日、心不全のため死去。97歳没。

学徒出陣
1943年(昭和18年)10月21日に開催された神宮外苑での学徒出陣壮行会では、答辞を読んだ。
以下全文。

 




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明治神宮外苑は学徒が多年武を練り、技を競い、皇国学徒の志気を発揚し来れる聖域なり。
本日、この思い出多き地に於て、近く入隊の栄を担い、戦線に赴くべき生等(せいら。自分達。以下同じ)の為、斯くも厳粛盛大なる壮行会を開催せられ、内閣総理大臣閣下、文部大臣閣下よりは、懇切なる御訓示を忝くし、在学学徒代表より熱誠溢るる壮行の辞を恵与せられたるは、誠に無上の光栄にして、生等の面目、これに過ぐる事なく、衷心感激措く能わざるところなり。

惟(おも)うに大東亜戦争宣せられてより、是に二星霜、大御稜威の下、皇軍将士の善謀勇戦は、よく宿敵米英の勢力を東亜の天地より撃攘払拭し、その東亜侵略の拠点は悉く、我が手中に帰し、大東亜共栄圏の建設はこの確乎として磐石の如き基礎の上に着々として進捗せり。

然れども、暴虐飽くなき敵米英は今やその厖大なる物資と生産力とを擁し、あらゆる科学力を動員し、我に対して必死の反抗を試み、決戦相次ぐ戦局の様相は、日を追って熾烈の度を加え、事態益々重大なるものあり。

時なる哉、学徒出陣の勅令公布せらる。
予ねて愛国の衷情を僅かに学園の内外にのみ迸しめ得たりし生等は、是に優渥なる聖旨を奉体して、勇躍軍務に従うを得るに至れるなり。

豈に感奮興起せざらんや。
生等今や、見敵必殺の銃剣をひっ提げ、積年忍苦の精進研鑚を挙げて、悉くこの光栄ある重任に獻げ、挺身以て頑敵を撃滅せん。

生等もとより生還を期せず
在学学徒諸兄、また遠からずして生等に続き出陣の上は、屍を乗り越え乗り越え、邁往敢闘、以て大東亜戦争を完遂し、上宸襟(かみしんきん)を安んじ奉り、皇国を富岳の寿きに置かざるべからず。

斯くの如きは皇国学徒の本願とするところ、生等の断じて行する信条なり。
生等謹んで宣戦の大詔を奉戴し、益々必勝の信念に透徹し、愈々不撓不屈の闘魂を磨礪し、強靭なる体躯を堅持して、決戦場裡に挺身し、誓って皇恩の万一に報い奉り、必ず各位の御期待に背かざらんとす。

決意の一端を開陳し、以て答辞となす。

昭和十八年十月二十一日。


答辞は教授の添削を受けたが、「生還を期せず」は自ら考えたものだった
出陣後、航空整備兵として内地で陸軍(大日本帝国陸軍)に所属する。

「答辞」の体験については、終戦後は語りたがらなかった。
67年後に朝日新聞の大久保真紀編集委員のインタビューに答えて、「答辞は我が身にとっては名誉なこと。だが、戦没者のことを思えば何も言えない」と、戦後ずっと黙していた心の内を語った。

壮行会から満70年となる2013年には毎日新聞において、「僕だって生き残ろうとしたわけじゃない。でも『生還を期せず』なんて言いながら死ななかった人間は、黙り込む以外、ないじゃないか」と述べ、戦後に事実と異なる噂やデマによる中傷にも反論しなかったことを明かしている。

同じ記事では「自分が話すことが、何も言えずに亡くなった人の供養になる。最近そう思っている」と記されている。




出典: 「江橋慎四郎」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



この2つの引用文を読んで、私(江橋慎四郎)はそれを読んだだけ、と言う。「勧進帳を読んだようなものだった。感動なんかない」と繰り返した、と江橋慎四郎は語ったのだけれど、「感動なんかない」というのは本心を語ってないと思う。。。動画の答辞を聞けば、感情がこもっているのが実によく分かる。。。ただ読んでいるだけじゃない! しかも、「生還を期せず」は江橋慎四郎が自ら考えたものだったんですよ。。。つまり、江橋自身に生還を期待しない心構えができていたのです。。。



そうですわねぇ〜。。。江橋さん自身が「僕だって生き残ろうとしたわけじゃない」と言ってますから、江橋自身に生還を期待しない心構えができていたのだと、私も思いますわ。。。それなのに、どういうわけで悪い噂が立ったのでしょうか?

山下肇東大名誉教授が噂を広めたように書いてあるけれど、すでに噂は広まっていたのですよ。。。

なぜ、噂が広まっていたと判るのですか?

あのねぇ〜、「竹槍事件」を調べると、どうして噂が立ったのか? それが解りますよ。。。

 



竹槍事件

 


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竹槍事件とは、第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)2月23日付け『毎日新聞』第一面に掲載された戦局解説記事が原因でおきた言論弾圧事件。

問題となった戦局解説記事は、毎日新聞社政経部および黒潮会(海軍省記者クラブ)主任記者である新名丈夫(しんみょう たけお)が執筆した記事(見出し作成は山本光春)で、「勝利か滅亡か 戦局は茲まで来た」という大見出しの下でまず「眦決して見よ 敵の鋏状侵寇」として南方における防衛線の窮状を解説し、続いて「竹槍では間に合はぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」として海軍航空力を増強すべきだと説いている。

この記事は海軍航空力増強を渇望する海軍当局からは大いに歓迎されたが、時の東條英機陸相兼首相は怒り、毎日新聞は松村秀逸大本営報道部長から掲載紙の発禁および編集責任者と筆者の処分を命じられた。

毎日新聞社は編集責任者は処分したものの、筆者である新名の処分は行わなかったところ、その後ほどなく新名記者が37歳にして召集された

 

新名の「懲戒召集」

毎日新聞は責任者を処分したが、新名は退社させず、逆に編集局長が賞を与えるなどした。

記事執筆から8日後、新名に召集令状が届く。
新名本人も周囲も、この「指名召集」を東條首相による「懲戒召集」だと受け止めた

新名は郷里、高松に行き、二等兵として丸亀の重機関銃中隊(第11師団歩兵第12連隊)に1人で入営した。
中央からは、激戦地となることが予想される硫黄島の「球」部隊へ転属させるよう指令が届いていた。
ただし、「球」の通称号を持つ部隊は硫黄島ではなく沖縄に配置された第32軍である。

これに対し、新名が黒潮会主任記者であり、軍需物資の海軍配当割増という海軍の要求を代弁させた結果の事件であったことから海軍は召集に抗議した。
新名は、海軍の庇護に加え、日中戦争当時に善通寺師団の従軍記者をしていたこともあって、中隊内で特別待遇を受けつつ3か月で召集解除となった。

その際、便宜を図ってくれた中隊長からは「近いうちに再召集の命が下るだろうから、内地にいないほうがよい」と忠告されている。

その後、陸軍は再召集しようとしたが、既に海軍が新名を海軍報道班員として外地、フィリピンに送っていたため、再召集を逃れている。

新名が徴兵検査を受けたのは大正時代のことで、それまでその世代は1人も召集されていなかった。
そのため、海軍は「兵隊をたった1人取るのはどういうわけか」と陸軍を批判した。

それに対し陸軍は、新名と同じ30代後半で大正時代に徴兵検査を受けた人間を250人召集し、歩兵第12連隊に入営させて辻褄を合わせた
新名によれば、彼と違い再招集された老兵達は「球部隊」(第32軍)に配属され、硫黄島の戦いで玉砕・戦死したと戦後にきいたという。
ただし「球部隊」は硫黄島に展開していない。

 

海軍側の反応

当時の海軍報道部長であった栗原悦蔵少将は、「もう太平洋の東の制空権はほとんど失ってしまったと」「海軍としては国民全体に知らせたいと思って、私もずいぶんその黒潮会にもお願いいたしましたけれども、なかなかそれを書く人がない、そこを大胆に新名さんが書いてくださいましたので、われわれとしては、たいへん喜んで絶賛したわけですね」と証言している。




出典: 「竹槍事件」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



 



つまり、東条さんは、自分を批判した人間を要職から外したり、戦死する確率の高い最前線に送るような懲罰招集をしたり、弾圧的なことをしたのですよ。。。



…という事は、東条さんの気に入ったことをすると、要職につけたり、特別待遇を受けられるということですか?

そうです。。。学徒出陣の壮行会で江橋慎四郎さんが読み上げた答辞は東条さんを感動させたのですよ。。。

それで、東条さんは江橋さんを戦場に送らないで内地の部隊に配属になるように配慮したのですか?

東条さんのやり方を見ていたら誰もがそう思うはずです。。。実際、江橋さんは戦場にはゆかずに内地の部隊に配属になったのですよ。。。だから、悪い噂が立つのはごく自然の成り行きだったのです。。。



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【ジューンの独り言】


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ですってぇ~。。。

それにしても新名丈夫さんと一緒に招集された250名は、硫黄島に送られて、全員 戦死したというのですから、悲劇ですよねぇ〜。

竹槍事件が起きなかったら、招集されることもなかった人たちなのです。。。

とばっちりもいいところですよねぇ〜。。。

あなたが、その250人の内の一人だとしたらどうですか?

死にきれないでしょう!?

お化けになって、東条さんを殺したいと思うでしょうねぇ〜!?

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような激しい口調で、わたしに ご命令なさるのですかァ〜?

分かりましたわァ〜。。。

デンマンさんが立ち上げたピンタレストには 400以上のボード(カテゴリ)があります。。。

あなたが興味を持っているカテゴリがかならず見つかるはずです。。。

 


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『拡大する』

『実際のページ』

『ホームページ』


 

ぜひ覗いてみてください。

ええっ。。。「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」

あなたは、更に、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?

分かりましたわ。。。

じゃあ、ホログラムを使った面白い動画をお見せしますわァ~。。。

 



 

「面白いけれど、それだけじゃつまらん。他に何か面白いことを話せ!」

貴方が 更に そう言うのでしたら、ワンワンちゃんの面白い動画をお目にかけますわ。。。

ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!

 


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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

あなたなは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?

わかりましたわァ。。。

では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。

日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。

次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。


天智天皇は暗殺された

定慧出生の秘密

藤原鎌足と長男・定慧

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?



ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。

興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。

 


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『後家殺し』

『奇想天外』

『下女のまめは納豆』

『オペラミニ』

『三角パンツ』

『サリーの快楽』

『ラーメン@ゲブゼ市』

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『女性の性欲研究』

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『女と反戦』

『裸女に魅せられ』

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『博士の異常な愛情』


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『縦横社会』

『村上春樹を読む』

『パクリボット』

『露出狂時代』

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『オナラとサヴァン症候群』

『検疫の語源』

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『オックスフォードの奇人』

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『群青の石deロマン』

『露出で検索』

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『第6感』

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『無重力の性生活』

『パパは何でも知っている』

『音の力』

『ソフタ』

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『くだらない』

『アルゴー船』

『無重力』


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『集団行動』

『ブラック・ダリア猟奇事件』

『殺し屋火山の謎』

『彗星に着陸』

『日本の貧困親子』

『ホログラム』

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『めでたい動物たち』

『初笑い@動物』

『桜屋敷』

『吉展ちゃん事件』

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『奇抜な動物たち』

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『USEN @ 馬車道』

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『記憶売ります』

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『余暇を楽しんでる?』

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『七つの顔を持つ女』

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『ハッシュタグ』

『女中と中間』

『和歌山カレー事件』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。


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『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』

 


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ィ~ハァ~♪~!

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エロい古文の絵

2024-10-11 01:11:23 | 歴史四方山話


 

エロい古文の絵

 


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デンマンさん。。。 エロい古文の絵 にハマっているのでござ~♪~ますかァ?


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ん?。。。卑弥子さんは僕がエロい古文の絵 にハマっている、と思っているのですか?

だってぇ~、上に貼り出した画像を見れば誰だって そう思うのでござ~♪~ますわァ~。。。

僕は、特にエロい古文の絵にハマっているわけではありません。

じゃあ、どなたがエロい古文の絵にハマっているのでござ~♪~ますかァ?

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


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『拡大する』

『エロい源氏物語』


 



これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で6月18日の午後5時14分から翌日19日の午前0時50分までのアクセス者の記録なのですよ。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。。。



GOOGLEで検索して『エロい源氏物語』を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。

そうです。。。リファラ のリンクをクリックすると次の検索結果が出てくるのです。。。

 


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『拡大する』

『現時点での検索結果』


 



エロい古文の絵 を入れて画像検索したのですわねぇ~。。。



そうです。。。検索結果の中から赤枠で囲んである画像をクリックしたのです。。。

 


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『拡大する』

『現時点での検索結果』

『エロい源氏物語』


 



拡大された画像の下に出てきた エロい源氏物語:徒然ブログ をクリックして記事を読んだのです。。。実は、埼玉県富士見市に住んでいる亀田亀助君が読んだのですよ。。。

 


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亀助君は、『エロい源氏物語』を読んでエロい絵を見つけてスキップして喜んだのですか?

 


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こうしてスキップして喜んだのですよ。。。



どの絵を見て喜んだのですか?

次の絵ですよ。。。

 



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昔、「須磨返り」という言葉があって、『源氏物語』を通読しようとした者の大抵が、12帖目の「須磨」の巻あたりで息切れし、いやになって投げだしたという。
そんな自嘲(あるいは、ひやかしか)の語が流行するくらいだから、54帖全巻を読み通した者は稀なのであろう。

 (中略)

江戸時代はどうだったのだろう。
国学者はともかく、一般庶民は、この世界最古の長編小説を読んでいたのだろうか?
庶民文芸の川柳に、次のような句が見える。
「又文(またふみ)か そこらへ置けと 光る君」
「膳立(ぜんだて)を してはよばれる 光る君」

いずれも女性にもてもての主人公を詠んでいる。
文はラブレター、二句目の膳立は、女性のお誘い。
「据え膳」のことである。

 (中略)

江戸人はどこで『源氏物語』を知り、読んだのだろう?
現代のように、手軽に原文が入手でき、読めるような時代ではない。
川柳に詠むほどの知識を、どこから得たか。

庶民にとって最も身近な情報源、といえば、貸本屋だろう。
風呂敷に書物を包んで、家々を回った。
しかし、これらの貸本屋は、いわゆる古典は持ち歩かない。
ほとんど読み物である。
古典の引き合いは、まず無かったのではないか。
かわりに、備えていた本がある。
春本である。
江戸の貸本屋は実はこちらで稼いでいた節がある。

そうだ、江戸っ子は、春本で紫式部を知り、『源氏物語』を学んだのではないだろうか。
「本歌取り」を得手とする春本だから、貴公子の恋の遍歴『源氏物語』は、格好の種本ではあるまいか。

そこで調べてみた。 ある、ある。
『亥中(いなか)源氏須磨琴(ごと)』 『偽紫(にせむらさき)女げんじ』 『偽勢(にせ)紫浪華(なにわ)源氏』 『源氏思男貞女(しなさだめ)』 ……
いづれも枕絵といわれる春画本(艶本〔えほん〕という)である。
『艶紫娯拾余帖(えんしごじゅうよじょう)』 『花鳥余情吾妻源氏』 『正写(しょううつし)相生(あいおい)源氏』


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  『艶紫娯拾余帖』


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  『花鳥余情吾妻源氏』


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  『正写相生源氏』


この三冊は、浮世絵師、不器用亦平(ぶきようまたへい)こと歌川国貞の枕絵本で、「国貞三源氏」と呼ばれ有名である。

(読み易いように改行を加えました。
赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)




146-149ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社新潮社


 



上に出てきた絵を見て亀助君は喜んだわけですか? 単純な人なのですわねぇ~。。。



そうです。。。でも、上の絵を見て源氏物語に興味を持ったのです。。。

あらっ。。。マジで。。。? 上の絵を見て源氏物語に興味を覚えたということも、単純な性格から来ているのですわァ~。。。うふふふふふ。。。上の絵を見て源氏物語に興味を持ったというのは、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している身にとって、いささか不本意でござ~ますわ。

でもねぇ~、あんな長編の物語を普通の人は読みたいとは思いませんよ。。。

そうでしょうかしら?

だってねぇ、正直に言うと僕だって源氏物語の54帖全巻を読んでませんよ。

あらっ。。。 でも、デンマンさんは知ったような事を記事に書いているではござ~ませんかア?

実は、54帖全巻には目を通しましたよ。 でもねぇ~、僕は現代文のダイジェストを読んだだけなのですよ。 原本で読む気はさらさら起こらない。

でも、高校生の頃、古文で勉強したのでしょう?

だから、その時、先生に源氏物語の本の一部を読まされたけれど、まったく面白くなかった。 それで、食わず嫌いになったのですよう。 第一、『源氏物語』の原文を読むことは現代日本人にとって、かなり難しい。 他の王朝文学と比べても語彙は格段に豊富で、内容は長くて複雑で、専門的な講習を受けないと『源氏物語』の原文を理解するのは難しいのですよ。

だったら、谷崎さんや、円地文子さん。。。あるいは瀬戸内寂聴さんの現代語訳を読めばいいではありませんか!?

源氏物語に関しては評論やエッセーや、いろいろなものを読んだから、もう知ったつもりになってしまったのですよ。 だから、「今更、原文を読むなんてぇ~。。。」という気持ちになってしまって、駄目ですよう。 とても読む気になれません。

ダイジェストで済ませているなんてぇ古典を勉強する邪道ですわ。

でも、何も読まないよりはダイジェストでもいいでしょう。 アメリカには、ちゃんとリーダーズ・ダイジェストという会社がありますよう。

アメリカはアメリカですわ。 日本には日本の古典という素晴らしい物が存在するのでざ~ますう。 だから、原文で読まなくても、せめて現代語訳で54帖全巻を読むべきですわ。

あのねぇ~、源氏物語は、昭和初期には「皇室を著しく侮辱する内容がある」との理由で、不敬の読み物だとされていた。 光源氏と藤壺女御の逢瀬などを二次創作物に書き留めたり上演したりすることなどを大日本帝国の政府は厳しく禁じたのですよ。

それは軍国主義が華やかな頃でござ~ますわ。 一時的な現象ですう。 そのような狭い考え方に凝り固まっている人たちが大日本帝国の政府に居たから戦争に負けてしまったのでござ~ますわ。 デンマンさんも書いていたではござ~ませんか!

ん。。。? 僕が。。。? なんてぇ~。。。?

アメリカは戦争に勝つためには日本人の心と文化を研究しなければならないと一生懸命に日本語を情報将校に学ばせたにもかかわらず、日本では英語の使用を大日本帝国政府が禁止してしまったと。。。

うん、うん、うん。。。 確かに日本では軍国主義や皇国史観に毒された人たちが政治や文化を主導していた時期には源氏物語はワリを喰ったのですよ。 でもねぇ~、室町時代や江戸時代にだってぇ、『源氏物語』は猥褻な書物であり、子供に読ませてはならないというような事を言ったり書いた人が居たのですよ。

つまり、江戸時代に源氏物語の春本が出回らなかったら、『源氏物語』は死滅したとデンマンさんは言うのでござ~ますか?

いや。。。 そこまでは言いません。 でもねぇ~、古本屋のおっさんが書いていたように春本に惹かれて『源氏物語』を知った人は江戸時代の庶民にはたくさん居たと思いますよ。

つまり、亀助君も源氏物語のエロい絵に惹かれて『源氏物語』に興味を持ったというのですか?

そういうことです。。。

。。。で、『エロい源氏物語』のどこに興味を持ったのでござ~ますかァ~?

「国貞三源氏」の一つである『正写相生源氏』のエピソードです。 昭和30年4月10日に原文が伏字無しで初めて出版されたのですよ。

つまり、映倫に引っかかるような極めてエロい。。。 うふふふふふ。。。 猥褻な。。。 やらしい文章で書かれているのでござ~ますか?

卑弥子さん。。。、鼻息を荒々しくして、そのように身を乗り出さなくてもいいですよ。 ちょっと近寄りすぎです。 もう少し離れてください。 卑弥子さんの鼻息が僕の顔にマジで吹きかかっているのですよう。 んもおォ~。。。 歌川国貞の枕絵は4枚のみ。。。 でもねぇ、ノーカットで掲載されているのです。 エロに厳しかった昭和30年代としては勇気のいる出版だったのですよ。

。。。んで、『源氏物語』のどの帖なのでござ~ますか?

あのねぇ~、それが『源氏物語』の54帖のどれとも直接のかかわりはないのですよ。 ただし「ここに何れの御時にや。。。」と『源氏物語』の書き出しに似せて始まっているのです。 京は北嵯峨のあたりに、表に冠木の門を構え、築山(つきやま)や川の流れを備えた庭のある洒落(しゃれ)た屋敷があり、40歳ばかりの未亡人と14歳のひとり娘、それに二、三人の女中、老僕が住んでいるのですよ。

それで。。。?

母を浅香(あさか)といい、娘を音勢(おとせ)というのです。 家屋敷は借金の抵当(かた)に入っている。 つまり、この母と娘は貧乏な暮らしをしているのですよ。 でも、娘がチョ~美人で京の都では評判になっている。 その噂を聞きつけた21歳になる光源氏ならぬ吉光公(よしみつこう)が御所に上げよと言ってきた。

。。。で、母親はお金に目がくらんで娘を御所に上げるのでござ~ますか?

そうしないと話が進まない。 でも、この母親がどこからか吉光公の噂を聞きつけてきた。

どのような。。。?

この吉光公は好色で、その上、巨根の持ち主だという。 まだ初潮を迎えたばかりの音勢(おとせ)には荷が重過ぎる。 そこで母親は近所のお金持ちで弓削道足(ゆげのみちたる)という名の50歳になる男に性教育を頼んだのですよ。

あらっ。。。 なんとなく、あの有名な弓削道鏡をもじったような名前ですわね。

それもそのはず。 この弓削道足(ゆげのみちたる)という男も巨根の持ち主なのですよ。

あらっ。。。 50歳になる巨根の持ち主に14歳の娘の性教育を頼んだのでござ~ますか?

そうなのですよ。 娼家では生娘(きむすめ)を店に出す前に、世慣れた年寄りに「水揚(みずあ)げ」をしてもらう。 つまり、男女の道を実地に教えるわけですね。 この初老の男は、かなり乗る気で「10両出すからぜひワシにやらせてくれ」と言う。 母親はお金が欲しいから二つ返事でお願いしますと言った。

でも、14歳の娘には、母親は何と言って説得したのでござ~ますか?

御殿勤めに必要な作法だから一生懸命に勉強するようにと。。。

あらっ。。。 そのようなことを。。。? マジでござ~ますか?

そのように話が進んでゆくのですよ。

あのォ~。。。 前置きはこのぐらいでけっこうでござ~ますから。。。 あのォ~。。。 エロいお話をしてくださいなァ。 うふふふふふ。。。 そろそろこの記事を読んでくださっているネット市民の皆様も退屈していると思うのでござ~ますわァ。

あれっ。。。 卑弥子さんも退屈し始めているのですか?

あたくしの事はどうでもよいのですわ。 それよりも、この記事を読んでくださっているネット市民の皆様にエロいお話をしないといけませんわ。 「エロい古文の絵」というタイトルを掲げたのですものォ~。。。、エロいお話がないと誇大広告になってしまいますわァ。

分かりました。 亀助君も次の小文を読んでマジで「エロい源氏物語」にますます興味を持ったのですよ。。。

 


音勢(おとせ)は夜に入っても帰らない。
(母親の)浅香の酌で酒を飲んだ吉光公は、したたかに酔い、横になる。
浅香がまめまめしく尽くす。
当然のなりゆきとなる。

 (ここからは読み下し文)

浅香は久しく男の傍らを、遠ざかりつることなれば、歳はとっても何となく、初々しさに気もときめき、自由になれば吉光は、やがて抱きしめ手をやつて、山繭の腰巻を、探りひらきて内股へ、わり込み給へば思ひの外、肌ざわりさへすべすべし、毛はふつさりと房やうじを、並べていぢる如くなる、


(kunisa52b.jpg)

だんだん奥へさしこむ手先に、紅舌(さね)はさはれどこの辺り、吐淫ぬらぬら溢れ出て、滑(ぬめ)りて紅舌もつままれず、況(ま)して陰門の両淵は、流るるばかりのありさまに、吉光もはや堪(たま)りかね、両手でぐつと内股を、おし広げて足を割込み、鉄火に等しき一物をあてがひて二腰三腰、おせば下より持ち上げる、はずみにぬるぬる毛際まで、何の苦もなく押し込めば、その開(ぼぼ)中の温かさは、いふも更なり忽地(たちまち)に、子宮(こつぼ)ひらけて鈴口を、しつかと咥(くわ)へて内へひく、

その心よさ気味よさは、何に喩(たと)へんものもなく、吉光は目を細くなし、口をすぱすぱ吸いながら、大腰小腰九浅一深、上を下へとつき立て給ふに、浅香は子供を二三人産みたる開(ぼぼ)にて、さまざまの道具だてさへ多ければ雁首(かりくび)より胴中へ、

ひらひらしたもの巻きついて出しいれのたび玉茎(たまぐき)をしごくやうにてえも言はれず、吉光あまたの側室を抱へ、いろいろ楽しみたりといへど、かかる稀代の上開(ぼぼ)は、いまだ覚えぬばかりにて、それいくいくア、またいくと、浅香が背中へ手をまわし、力一ぱい抱きしめて、嬌(よが)り給へばさらぬだに、浅香は誠に久しぶり、殊(こと)には太く逞しき、一物に突きたてられ、ヒイヒイフウフウム、フウと、声をも立てず最初から、精をやりつづけて息もはづみ、正体もなき折からに、


(kunisa53b.jpg)

アアソレいくよまたいくよと、男に嬌(よが)りたてられて、何かは以(もっ)てたまるべき、五臓六腑を絞るばかり、陰水どろどろずるずると限りもあらず流れ出て、昔を今にかへり花、たのしく其夜を明したり。

 (ここから現代文)

そもそも浅香は色好みの性で、15歳で大納言蟻盛卿のおそば勤め中にお手がつき、というより浅香の方から手を取りて、あげくは妊娠、卿は実家に帰らせる。


(kunisa54b.jpg)

産まれたのが音勢である。
世間の手前、出産前に婿を迎えたが、とんでもない食わせ物で、すぐさま離縁した。

(読み易いように改行を加えました。
赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)




158-160ページ 『春本を愉しむ』
著者: 出久根達郎
2009年9月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社新潮社


 



亀助君も、この部分を読んでますます「エロい源氏物語」に興味を持ったのでござ~ますかァ~?



そうです。。。古文を勉強して上の「読み下し文」をじっくりと読み味うことができるように頑張ると言うのですよ。。。

あらっ。。。亀助君は単純なお人柄なのですわねぇ~。。。うふふふふふ。。。




初出: 2021年7月4日



(foolw.gif)


【卑弥子の独り言】


(himiko22.gif) 

ですってぇ~。。。 

あなたも「エロい源氏物語」に興味を感じましたか?

ええっ。。。 「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのように あたくしにご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。

分かりましたわ。

では、話題を変えて 天の川の不思議に迫るクリップを お目にかけますわ。。。

 


(milkyway2.jpg)



 

どうでした?

ええっ。。。 「夜眠れなくなるから、そういう動画は見せるな! 気分直しに何か他に もっと面白いことを話せ!」

あなたは、あたくしに向かって、更にご命令なさるのでござ~ますか?

いけすかないお方ァ~。。。!

分かりましたわァ。。。 あなたが、そうおっしゃるのだったら、まずジューンさんの次の写真をご覧になってくださいまし。。。

 


(senya020b.jpg)

 

千夜一夜物語の衣装を着たジューンさんに魅せられて、女性に成りすます男性が たくさん居るのでござ~ますわァ!

ええっ。。。 信じられないのですかァ?

じゃあ、ちょっと次のYouTubeのクリップを見てくださいまし。。。

 


(xdress02.jpg)



 

いかがでござ~ますかァ~?

男性が女装していると思いますかァ?

あたくしは、素直に信じることができませんわァ~。。。

どうですかァ~? けっこうなものでしょう!?

いつまでも見とれていても仕方がありませんわよゥ。

あなたのために古代史の面白い記事を用意しました。

ぜひ お読みください。

では。。。

天武天皇と天智天皇は

同腹の兄弟ではなかった。
 

天智天皇は暗殺された 

定慧出生の秘密 

藤原鎌足と長男・定慧 

渡来人とアイヌ人の連合王国

なぜ、蝦夷という名前なの?

平和を愛したアイヌ人

藤原鎌足と六韜

古事記より古い書物が

どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は

日本人でないの?


マキアベリもビックリ、

藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。

だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。

じゃあ、またねぇ~。。。


(hand.gif)


 

ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)


『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(costa04b.jpg)


『なぜ蝦夷なの?』

『プリキュアとヒトラー』

『戦争絶対反対よね』

『怨霊の歴史』

『色欲@歴史』

『紫式部と敗戦』

『ラピスラズリと源氏物語』


(annasalleh.jpg)

『性と愛@古代史』

『仙台を離れて』

『美人とブス@大奥』

『絵の中のウソ』

『阿倍仲麻呂@ベトナム』

『バイクガール』

『六条御息所』

『卑弥子さんの大学』

『元寇と捕虜』

『マキアベリにビックリ』

『痴漢が心配』

『びた一文』

『卑弥子@ブカレスト』

『エロい源氏を探して』

『ラピスラズリの舟形杯』

『平成の紫式部』

『隠元豆と国性爺合戦』

『おばさんと呼ばれて』


(zurose2.jpg)

『女帝の平和』

『アタマにくる一言』

『悪女レオタード@昌原市』

『スウィートビーン』

『ガチで浦島太郎やし』

『ご苦労さま』

『デンマンのはなし』

『卑弥呼の墓』

『室生犀星と人間学』

『松平春嶽ダントツ』

『英語は3語で伝わる』

『くだらない物』

『漢字で体操』

『面白い漢字テスト』


(hama10.jpg)

『放屁女に罰金』

『アヤメとカキツバタ』

『日本の閨房術』

『大団円』

『ペルシャ人@Anzio』

『紀元前のメイフラワー号』

『あたまにくる一言』

『更級日記の作者も見た』

『平安のスバル』

『行田市長選挙@黒い霧』


(maria05.jpg)

『日本のエロい文化』

『女のオナラ』

『良寛さん』

『季準基』

『行田のフジコ』

『清少納言もビックリ』

『焚書坑儒と馬鹿の見本』

『江戸の閨房術に誘われ』




軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


(byebye.gif)
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