ぶんぶく茶釜
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件名:おはよう!鰻重はうまかった!
ありがとう!きゃはははは。。。
♪┌(・。・)┘♪
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日付: Sat, 24 Oct 2009 12:03:14 +0900
差出人: "green@infoseek.jp"
宛先: "dominis@yahoo.co.jp"
CC: "barclay1720@aol.com"
昨日は、思い出を作ってくれてありがとう!
鰻重(うなじゅう)はうまかった。
あのキモのお吸い物は生まれて初めて飲みましたよう。
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昨日、東行田駅から家に帰る途中で「かどや」に寄って焼きそばを4人前買いました。
ちょうどおばさんが行田病院へ行って留守でした。
お昼ごろ病院に行って帰ってきたのが5時ごろで、
4人前の焼きそばを包んでくれましたが、
作るのには間に合わなかった。
おじさんが作りました。
でも、同じ味でした。
それにしても、病院は大混雑だったとか??
お昼から5時までかかるのだから、日本は病人天国、いや、病人地獄?になったのか?
\(*^_^*)/ キャハハハ。。。
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初めて、あの101歳のおばあさんと話をしました。
あんなに元気な100歳以上のおばあさんを見るのは初めてでしたよう。
元気ですよね!
ビックリしましたよう。
明治41年生まれですからね。
家に帰ってさっそくお袋と焼きそばを食べました。
小百合さんに鰻重をご馳走になったことを話題に出して。。。
ムシの知らせと言うのでしょうか!?
小百合さんから、まもなく電話がありました。
珍しく電話機のそばに居たお袋が出たのだけれど、
小百合さんの名前を覚えていたらしく、「デンマンがご馳走になったそうで、ありがとう」と言うのが聞こえました。
ブログ以外のことでは、小百合さんの事をお袋には、ほとんど話しているのですよう。
お袋は最近、物忘れが激しくなったけれど小百合さんのことは、よく覚えているようです。
今日のブログの記事は「おばんざい」
2008年8月4日に書いたものを再掲載したものです。
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■『おばんざい(2009年10月24日)』
バンクーバーから成田に向けて飛び立つ(10月6日)前、9月30日の午後11時40分に上の記事をライブドアのブログに予約投稿しました。
時間があったら読んでみてね。
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■『ムカついているの?(2009年10月23日)』
すぐ上の記事は10月22日に書いた小百合さんへのメールを使っていますよ。
この記事も時間があったら、ぜひ読んでみてね。
小百合さんもムカつくことがあるけれど、
めれんげさんのムカつきとは本質的に違うんだよね。
どのように違うの?
上の記事を読むと、それが理解できますよう。
\(@_@)/ キャハハハ。。。
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夕べはNHKの深夜番組で『日本の祭り2009』の「阿波踊り」を観ましたよう。
午前1時10分から3時12分まで。
8月21日の再放送で2時間番組でした。
解説は前半が娯茶平連の連長さん、後半が天水連の連長さん。
ゲストは朝ドラ「ウェルかめ」の出演者で倉科カナさん、羽田美智子さん、星野知子さんの3人。
藍場浜演舞場と両国での輪踊りを中継。
映し出されたのは蜂須賀連、扇連、悠久連、うきよ連、娯茶平連、うずき連、天水連、阿呆連、無双連、ゑびす連、かずら連。
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確か番組の殿(しんがり)に出てきたと思うのだけれど、阿呆連の踊りが一番印象に残りました。
自由で、躍動的で実に良かった。
お祭りっていいよね。
観ていると“日本人の血”が踊り出しますよう。
やっぱり、僕は日本人だと、しみじみと感じました。
400年の伝統・鍛え抜かれた技と美。
臨場感たっぷりの2時間。
う~♪~ん・・・
まさに、その通りでした。
小学生から初老の男女まで、みな熱くなって一生懸命に踊っていたのが伝わってきましたよう。
日本人の元気の源(みなもと)を感じて、僕も元気をもらいました。
「かずら連」の解説で踊る人の浴衣のすそに描かれていた“かずら橋”を見て急に思い出が鮮明に蘇(よみがえ)りました。
あああア~、なつかしい!
30年前に訪れた祖谷川(いやがわ)に沿ったカーブの多い一車線の道は忘れられない。
まかり間違えば、祖谷渓谷に落ちて死にそうなスリルを感じてゾクゾクとしたものでした。
世界に飛び出す前に、まだ行ったことのない四国に行ってみたい。
そう思って選んだ場所が“かずら橋”でした。
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秋には紅葉の景色が見事だと聞いていたけれど、行ったのは確か夏休みだったと思う。
紅葉には記憶がない!
弘法大師が祖谷に来たとき困っている村民のために架けたと言う伝説。
平家の落人(おちうど)がこの地に潜み、追手が迫ってもすぐ切り落とせるように葛(かずら)を使って作ったと言う伝説もある。
歴史馬鹿の僕は、そういう伝説に惹かれて行ってみたのでした。
とにかく、クネクネと曲がりくねった一車線から深い渓谷を観ながら、運転を間違えば、谷底へ落ちて死んでしまうような恐怖を味わいながら橋まで行ったスリルが未だに忘れられませんよう。
しかも、山野に自生するシラクチカズラで編まれた吊り橋は、全長45m、水面からの高さ14m。
歩くたびにユラユラと揺れてスリル満点。
渡し木と渡し木のすき間から見える渓谷の美しさもスリル満点。
ゾクゾクしました。
400年も続く伝統の阿波踊りが、洗練され、躍動的な現代の踊りになって観る僕の“日本人の血”を沸かせた!
そして、僕は祖谷渓谷に落ちて死ぬかもしれない、あのゾクゾクとするスリルを改めて思い出したものでした。
残念ながら、阿波踊りをまだ現地で観たことがない。
でも、テレビ画面の中に日本人の原点を見たようで、本当に元気をもらいました。
400年の伝統・鍛え抜かれた技と美。
そうだよね。
日本と日本人は、やっぱり素晴らしいと思いましたよう。
でも、現在の日本は歪(ゆが)められている。
病(や)んでいる。
テレビを見ていても悲惨なニュースは後を絶ってないよね!
自殺者は1年に3万人以上!
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10月19日には、18歳の少女がヨットスクールの屋上から飛び降り自殺した。
派遣切りに合い、仕事がなくなって、生活保護も受けられず
30代の男が一人さびしく餓死をした。
この男のことを10月8日にNHKの「クローズアップ現代」が取り上げていましたよう。
「“助けて”と言えない~いま30代に何が」
見ていて本当に悲惨な事件だと思いましたね。
働き盛りの30代が餓死している現状。
民主党政権は“コンクリートから人へ”と言っているけれど、
言っているだけ!
日本の未来を本当に素晴らしい国にしようとするビジョンを持った政治家が居ない!
ビジョンを持たないグータラな世襲の政治屋のために貴重な小百合さんの人生、家族の生活を無駄にすることはないのですよう。
世界に羽ばたく。
そういう選択もあるのです。
そして海外から日本を良くする選択だってある!
今日は残念ながらどんよりと雲っている。
しかし、日本の政治が駄目でも、日本は僕のふるさとですからね。
ふるさとは、やっぱり素晴らしい。
この素晴らしさだけは、政治が駄目でも存続してほしい。
“国敗れて山河あり!”
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祖谷(いや)渓谷の小便小僧
戦後の復興を立ち上げた政治家が今は居ない!
ビジョンを持たず日本を悪くする政治屋だけが馬鹿なことをやっている。
しみじみと、そう感じるこの頃です。
でも、今日もウィンナコーヒーを飲みながら
のんびりと楽しんで書いていますよう。
小百合さんと再会して幸せを噛み締めています。
ヽ(´ー`)ノ きゃはははは。。。
ありがとう。
じゃあね。
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(+'.'+)
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『鰻重と阿波踊り (2009年10月26日)』より
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デンマンさん。。。また阿波踊りのメールを持ち出してきたのでござ~♪~ますわね?
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いや。。。今日は阿波踊りの話ではないのですよう。
鰻重のお話でござ~♪~ますか?
タイトルに書いたとおり、ぶんぶく茶釜の話です。
小百合さんとご一緒に見たのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。茂林寺へ小百合さんと一緒に行ったのです。
どうしてお寺などへ行ったのでござ~♪~ますか?
茂林寺というのはあの「ぶんぶく茶釜」で有名なのですよう。卑弥子さんだって聞いたことがあるでしょう?
茂林寺 (もりんじ)
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茂林寺は群馬県館林市堀工町にある曹洞宗の寺院である。
室町時代中期の応永33年(1426年)に大林正通禅師により開山した。
山号は青竜山(せいりゅうざん)。
本尊は釈迦牟尼仏。
分福茶釜で有名。
分福茶釜には、お伽話としての「ぶんぶく茶釜」と伝説としての「分福茶釜伝説」の二通りの逸話がある。
また「狸コレクション」と称する全国の狸にまつわるグッズや狸の剥製が多くが展示されている。
境内の至る所に信楽焼の狸が配置されている。
境内には約20体ほどの狸の像が参拝客を迎え、タヌキのお寺を感じさせる。
また、1980年(昭和55年3月31日)に館林市の保存樹に指定された、
見事な「シダレザクラ」があり本堂に宝物として保存されている「分福茶釜」は、一般参拝者の見学も可能である。
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2002年(平成14年)から毎年4月に狸桜祭を開催。
岩佐鶴丈の薩摩琵琶『分福茶釜』の演奏や、講談、舞踊などが披露され、先着100名には餅が振る舞われる。
寺院の北には県指定の天然記念物である茂林寺沼湿原が広がり、湿原植物の生育地として保護されているほか、湿原内の茂林寺沼ホタルの里では6月下旬から8月にかけてヘイケボタルが見られる。
茂林寺の釜
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茂林寺の釜とは松浦静山の随筆『甲子夜話』に登場する化け狸の話である。
昔話『分福茶釜』のモデルとされる。
応永年間のこと。上州(現・群馬県)の茂林寺という寺に守鶴という優秀な僧がいた。
彼の愛用している茶釜はいくら汲んでも湯が尽きないという不思議な釜で、僧侶の集まりがあるときはこの釜で茶を振舞っていた。
あるときに守鶴が昼寝をしている様子を別の僧が覗くと、なんと守鶴の股から狸の尾が生えていた。
守鶴の正体は狸、それも数千年を生きた狸であり、かつてインドで釈迦の説法を受け、中国を渡って日本へ来たのであった。
不思議な茶釜も狸の術によるものであったのだ。
正体を知られた守鶴は寺を去ることを決意した。
最後の別れの日、守鶴は幻術によって源平合戦の屋島の戦いや釈迦の入滅を人々に見せたという。
この説話をもとにして、昔話の『分福茶釜』が創作されたと言われている。
ぶんぶく茶釜
分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)とは、日本中で語り継がれている昔話のひとつ。
文福茶釜とも表記する。
タヌキがあらわれ、化けて人を騙す場面が見られる。
江戸時代の赤本や絵本に、茶釜から顔や手足を出した狸の姿や傘を持って綱渡りをする姿がデフォルメされたことによって、そのイメージが広範にそして甚だしく笑話化されて伝えられてしまった。
もともとは狐の恩返しをテーマにしたものであり『日本昔話大成』の中の「狐と博労」、「狐遊女」と同種の昔話である。
そのルーツは群馬県館林市の茂林寺に伝わる伝説で、茂林寺には現在も狸が化けたとされる茶釜が伝わっている。
茂林寺にある茶釜は、1394年から1428年の間に住職であった守鶴が愛用した茶釜で、一度水を入れると、一昼夜汲み続けても水がなくならないという伝説が伝えられている(松浦清山著『甲子夜話』に所収)。
「分福」という名の由来については諸説ある。
この茶釜はいくつもの良い力を持っていたが中でも福を分ける力が特に強くかったことに由来し、「福を分ける茶釜」という意味から分福茶釜と呼ばれるようになったという説。
水を入れると突然「ぶくぶく」と沸騰することから「ぶんぶく」となったのではいかという説。
どれが本当かははっきりしていない。
「ぶんぶく茶釜」のあらすじ
貧しい男が罠にかかったタヌキを見つけるが、不憫に想い解放してやる。
その夜タヌキは男の家に現れると、助けてもらったお礼として茶釜に化けて自身を売ってお金に換えるように申し出る。
次の日、男は和尚さんに茶釜を売った。
和尚さんは寺に持ち帰って茶釜を水で満たし火に懸けたところ、タヌキは熱さに耐え切れずに半分元の姿に戻ってしまった。
タヌキはそのままの姿で元の男の家に逃げ帰った。
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次にタヌキは、綱渡りをする茶釜で見世物小屋を開くことを提案する。
この考えは成功して男は豊かになり、タヌキも寂しい思いをしなくて済むようになったという恩返しの話である。
茂林寺の伝説ではタヌキが守鶴という僧に化けて寺を守り、汲んでも尽きない茶を沸かしたとされている。
普通、物怪(もののけ)は鉄を嫌うが、このタヌキはその鉄の茶釜に化けており金の精霊たる所以を表している。
柳田國男による分析
民俗学者・柳田國男によると、基話の狐の恩返しを基にすれば、動物と人間との交渉を物語る昔話の根幹には“動物援助”の考えがあり、選ばれた人間に神の使いである鳥獣が富を与えるのだという。
そこで動物の危機を救ってやり報恩を受けるのを見ると、動物が献身的に尽くす好意も理解できる。
動物援助から動物報恩に移行する過渡的な様相を帯びた話といえる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
名前だけは聞いたことがありますけれど、「ぶんぶく茶釜」と茂林寺が関係あるとは知りませんでしたわ。デンマンさんは茂林寺に特別な思い出でもあるのでござ~♪~ますか?
あのねぇ~、僕が小学校2年生か3年生の頃、行田市の下町(しもまち)地区の遠足で「ぶんぶくヘルスセンター」へ行ったのですよう。
それは“スーパー銭湯”とか“健康ランド”のようなものでござ~♪~ますか?
スーパー銭湯
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スーパー銭湯は、日本における公衆浴場の一形態。
本来の銭湯の機能のほか、露天風呂、各種アイテムバス、サウナなど付加的な風呂設備をもち、さらに外食などの各種施設及び店舗を併設する公衆浴場を指す。
健康ランドが広がる中、より低料金で回転率がよく、付帯設備が少なく、設置費用がかからない施設として建設されていったものがスーパー銭湯であるといえる。
時期的には1990年代以降の発生といわれているが、実際には1980年代後半より各地で開店している。
1985年に富山県高岡市にオープンした「万葉ポカポカ温泉」がスーパー銭湯発祥である。
(愛知県が発祥との説もある)
多くは水道水や井戸水を沸かして使用していたが、天然温泉をボーリングによって掘りあて、そこが新たな温浴施設になったものや、温泉ではなかった温浴施設に温泉を掘って温泉付きとなったスーパー銭湯が増えている。
また1990年代以後、近場の温泉からトラックでお湯を運んできて沸かしているスーパー銭湯も見受けられるが、この方法はボーリングよりも比較的簡単に天然温泉を確保できる。しかし天然温泉を繰り返し循環によって使うことになるため、泉質の劣化が激しいという欠点がある。2000年代以後に流行している岩盤浴がついているところもある。また、建物の作りを和式にしているところが比較的多い。
このタイプの銭湯が登場してから「銭湯が家族のレジャーランド」となったが、その反面、従来は単に親に合わせるものである子供の混浴を問題化する人々も現れた(男児の身長による制限等)。
近年、子供の成長が早いことも考慮して、法律による禁止だけでなく独自の「混浴年齢制限」を設けている店もある。
またこれとは別に最初から「小学生以下入店禁止」を通達している店もある。
ラクーアなどでは18歳未満の入店を禁止している。
誰もが手軽に近場で安価に温泉気分が味わえる利点もあるが、身体を洗わないまま脱衣所から風呂場へ直行するなどと言った、一部の利用客のマナーの悪さも問題視されている。
【スーパー銭湯と健康ランドの違い】
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入浴料金が安く設定されている。
厳密な意味でのスーパー銭湯ならば、銭湯と同一の基本料金設定をもち、それにサウナ利用料など付加的料金を加え、入浴料として700~800円に設定している。
ただし、その場合でも《銭湯と同一の基本料金》は店頭に明示されないこともある。
また、上記以外にも入浴料金1000円程度までの類似施設が一般的にスーパー銭湯と呼ばれる。
タオルなどの貸し出しは別料金になることが多く、健康ランドにあるような館内着はふつう用意されていない。
地域によっては、シャンプーや石鹸などの備え付けがない店舗もある。
特に料金の安い店で、この傾向が見られる。
24時間営業に近い施設は少ない。
オールナイトによる深夜から早朝の営業を行うところはある。
健康ランドは半日~まる一日をそこで過ごす長時間滞在を前提とし、スーパー銭湯は健康ランドより比較的短い時間(2~3時間程度)の滞在を前提とする施設といえる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
“スーパー銭湯”も“健康ランド”も1980年代にできたものだけれど、「ぶんぶくヘルスセンター」は1960年代にあった。似たようなものだけれど、サウナはなかったと思う。
。。。んで、何が特徴だったのでござ~♪~ますか?
大きな温水プールがありましたよう。もちろん、それはプールじゃなくて、風呂なのだけれど。。。、確か混浴だったような気がします。小学2年生か3年生だったから女性の裸を見る楽しみがまだ分からなかったから、混浴だったかどうだか?はっきりと覚えていないけれど、僕のお袋も一緒に入ったような気がしますよう。
どのくらい大きなものだったのですか?
子供の目には25メートルプールのように大きなものに見えた。でも、長方形ではなくて“えんどう豆”のような形をしていましたよう。
何か面白いものでもあったのでござ~♪~ますか?
いや。。。とりわけ面白いイベントは無かったけれど、ただ、今でも忘れずにはっきり覚えていることは、“水泳禁止”だった。
それにもかかわらずデンマンさんは泳いだのでござ~♪~ますか?
そうですよう。子供の目には温水プールとしか見えなかった。第一、お湯の温度だって普通の風呂の温度よりぬるい。たぶん、体温と同じぐらいでした。しかも、水深が1メートルから1メートル20センチぐらいだったから、泳ぐのには、おあつらえ向きにできている。仲間と一緒に泳ぎまくったのですよう。
でも、水泳禁止だったのでござ~♪~ますでしょう?
そうなのですよう。大人のお客さんに迷惑だと見えて、50歳ぐらいの監視員のおじさんが10メートルから15メートルぐらいの“竹ざお”を持って風呂の周りを歩きながら監視しているのですよう。
。。。んで、泳いでいる子供を見つけると、どうなさるのでござ~♪~ますか?
その竹ざおの先で、泳いでいる子供の頭をピシャピシャとたたくのですよう。
それって、児童虐待になりませんか?
その当時は、今のように「児童虐待」なんて人道的な考え方は無かった。「水泳禁止」と張り紙がしてある大きな浴槽で泳いでいる子供を竹ざおでたたいて注意するのは当たり前の事だったのですよう。どの親も誰も文句を言いませんでしたよう。
それで、デンマンさんはどうなさったのですか?
竹ざおの先で頭をたたかれるのは痛いから、監視員のおじさんが近づいてくると水に潜りましたよう。僕の実家は忍川(おしかわ)のそばだったから、幼稚園にあがる以前から泳いでいたのです。だから、泳ぐのだって、もぐるのだって得意でした。
つまり、監視員のおじさんの竹ざおをかわしながら泳ぎまくったのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。うしししし。。。
デンマンさんは、かなりの悪ガキだったのでござ~♪~ますわね。
うへへへへ。。。そうなのですよう。その竹ざおをかわしながら泳ぎまくるのがとっても楽しかったのですよう。
それで、「ぶんぶくヘルスセンター」は今でもあるのでござ~♪~ますか?
残念ながら、とっくの昔になくなってしまったそうです。その跡地は芝桜の名所になっているそうですよう。
それで、子供の頃にも茂林寺へ行ったのでござ~♪~ますか?
間違いなく茂林寺へも行ったはずなんだけれど、僕の記憶に全く無いのですよう。ただし、「しょうじょう寺の狸ばやし」だけは、何度も聞いたことがあるのです。
「証城寺の狸ばやし」
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作詞・野口雨情
作曲・中山晋平
証 証 証城寺
証城寺の庭は
つ つ 月夜だ
皆出て 来い 来い 来い
おいらの友達ァ
ぽんぽこ ぽんの ぽん
(間奏)
負けるな 負けるな
和尚さんに 負けるな
来い 来い 来い
来い 来い 来い
皆出て 来い 来い 来い
証 証 証城寺
証城寺の萩は
つ つ 月夜に 花盛り
おいらは 浮かれて
ぽんぽこ ぽんの ぽん
(すでに歌詞は著作権失効)
この曲も「著作権消滅曲」です。
また、MIDIは「童謡・唱歌の世界」サイトより拝借しました。
<EMBED src="http://beaverland.web.fc2.com/sound/tanuki.mid" hidden="true" autostart="false" name="tanuki" loop="false">
(morinji7.gif)
それで、この記事を書くまで、僕は茂林寺の通称が「しょうじょう寺」だと思い込んでいたほどですよう。
マジで。。。?
大真面目ですよう。調べてみたら「しょうじょう寺」というのは千葉県木更津市にある證誠寺のことだそうです。僕は、かなり致命的な思い違いをしていたのですよう。
証城寺の狸ばやし
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木更津市内の證誠寺
証城寺の狸ばやしは日本の童謡である。
台湾では同じ旋律を流用して、『小白兎愛跳舞』という童謡に改編された。
朝鮮でも同旋律を流用し、『北岳山の歌(북악산의 노래)』という童謡に改編されている。
證誠寺境内にある童謡記念碑詩人で童謡作詞家であった野口雨情が千葉県木更津市を訪れた際、童謡の題材にと木更津市内の證誠寺に伝わる「狸囃子伝説」を提供された事を契機に作詞を行い児童雑誌「金の星」1924年(大正13年)12月号で発表。
その後、中山晋平がその歌詞を元に改作し曲を付けて児童雑誌「金の星」1925年(大正14年)1月号で発表した。
なおこの際、野口は旅行中で連絡がつかず掲載は「金の星」主宰・齋藤佐次郎の独断であった。
中山の詞は最初の出だし「しょ、しょ、しょうじょうじ~♪」に見られるように、同じ音の繰り返しを多用する事でリズミカルで軽快な音楽になっている。
野口の表記は漢字表記で「証城寺の狸囃子」としているが、児童向けの童謡である事から「しょうじょうじの狸ばやし」とひらがな表記にしている場合もある。
余話
童謡『証城寺の狸囃子』は木更津市富士見に実在するお寺「證(証)誠寺」の狸囃子伝説を元としているが、“じょう”の表記を実在のお寺は誠、童謡のタイトルは城の字を用いているのには諸説ある。
野口雨情が作詞の際に参考にした文献『君不去』で「しょうじょうじ」の表記が間違えており、それが間違いだと気付かずそのまま紹介してしまったため。
童謡の歌詞を読んだお寺の関係者から「お寺の住職がタヌキと一緒に踊るなんて事があるはずなく不敬である」という抗議があったため。
最初から意図的に城の字を使った事による。
証城寺と表記し歌に登場するお寺を架空の場所であると位置付けすることで、特定の地域の単なる民謡とするのではなく全国の子供たちに歌ってほしいという意図から。
1946年(昭和21年)に放送されたNHKラジオ英語会話教室のテーマソングとして、『証城寺の狸囃子』の替え歌『Come Come EveryBody』が使用された。
1955年、アメリカ人エンターテイナーのアーサー・キット(Eartha Kitt)が『証城寺の狸囃子』を『Sho-Jo-Ji』(通称『The Hungry Raccoon』)という題名でカバー。
日本では文化放送『ユア・ヒットパレード』でチャート1位を記録した。
同曲は1984年(昭和59年)にはアサヒビール「生とっくり」のコマーシャルソングに起用された。
木更津駅の発車メロディに『証城寺の狸囃子』が採用されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
それで、茂林寺へ小百合さんとご一緒に行かれて、どうでござ~♪~ました。
小学生の頃、「ぶんぶくヘルスセンター」へ行った時に訪ねたはずなんだけれど、記憶を手繰(たぐ)り寄せても、茂林寺のどの部分も全く思い出せなかった。
狸の置物がたくさんあるのでしょう?
そうなのですよう。でもねぇ、同じような狸の置物は茂林寺以外のところで僕は何度も見ているから、とりわけ狸と茂林寺は僕のオツムの中で直接結びつかない。ただ、「しょうじょう寺の狸ばやし」を聞くときだけ「しょうじょう寺」が館林にあるお寺だと僕は思い込んでいたのですよう。だから、茂林寺の思い出といえば、「しょうじょう寺の狸ばやし」だけだった。
それで、実際に茂林寺を見て何か印象深いことでもあったのでござ~♪~ますか?
あのねぇ~、見事な「シダレザクラ」と書いてあるけれど、僕と小百合さんで見上げた時には桜の花はひとつも咲いてなかった。観光客も僕らの他に一組しか居なくて、その桜の枝も、まさに枯れ枝の集合のようで、なんとなく寂しいものでしたよう。
結局、茂林寺はデンマンさんにとって、つまらない観光スポットだったのでござ~♪~ますか?
いや。。。決してつまらない観光スポットという訳でもなかった。
楽しい事があったのでござ~♪~ますか?
あのねぇ、観光客が一人か二人だけの境内で僕と小百合さんは心行くまで誰に気兼(きが)ねすることも無く談笑することができたのですよう。
ただ、お話をしただけでござ~♪~ますか?
実わねぇ、境内にサワラの大木があったのですよう。僕は杉の木かヒノキだと思ったのです。
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これがそのサワラの大木でござ~♪~ますか?
そうなのですよう。なんと、樹齢が推定で280年。木の周りが4.9メートル。二人で手をつないでも囲めないのですよう。木の高さが40メートル。
それで、何か面白いお話でもあるのでござ~♪~ますか?
あのねぇ、小百合さんが次のように言ったのです。
「あらっ。。。サワラだわ。。。ヒノキとサワラって
葉っぱの裏の模様が
X か Y かで区別が付くのよねぇ…」
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この葉っぱの裏の模様はヒノキのものです。
白い Y 字は気孔線と言うそうです。
ヒノキはY字型。
サワラはX字型。
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上のヒノキの気孔線は Y と Y が逆さにつながった長い X に見えます。
この白いラインで区切られた一区画が一枚の葉だそうです。
サワラは Y と Y がつながっている部分が無く、短い X になっているようです。
その事がデンマンさんにとって楽しい思い出になったのでござ~♪~ますか?
いや。。。僕は、ヒノキもサワラにも特に興味があるわけではない。
それなのにどうして小百合さんがおっしゃった事をはっきりと覚えているのでござ~♪~ますか?
あのねぇ、小百合さんは次のようにミニスカートで現れたのですよう。
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ミニスカートが珍しいのでござ~♪~ますか?
いや。。。ミニスカートが素晴らしいわけではないのですよう。
何が素晴らしいのでござ~♪~ますか?
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小百合さんが、ちょうどこのような格好でサワラの葉をつまんで僕を見ながら次のように言ったのですよう。
「あらっ。。。サワラだわ。。。
ヒノキとサワラって
葉っぱの裏の模様が
X か Y かで区別が付くのよねぇ…」
あのォ~。。。マジで。。。小百合さんがビキニ姿になったのでござ~♪~ますか?
やだなあああァ~、10月の下旬ですよう。。。いくらポカポカした陽気だったとは言え、小百合さんがビキニ姿になるはずがないじゃありませんかア!んも~~。。。寒すぎますよう。
だったら、どうしてビキニ姿の写真など貼り付けたのでござ~♪~ますか?
だから、僕はその時、サワラの葉っぱの事よりも小百合さんの腰に注目していたのですよう。
あらっ。。。いやだわあああァ~♪~。。。デンマンさんはヤ~らしく妄想したのでござ~♪~ますか?
いや。。。妄想したのではありませんよう。意外にムッチリとした熟女の魅力に僕は改めて感嘆したのですよう。
つまり、些細なことから、茂林寺で小百合さんの熟女の魅力にメチャ惹かれたのでござ~♪~ますわね?
そうなのですよう。うしししし。。。
初出:2009年11月21日
【卑弥子の独り言】
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ですってぇ~。。。
つまり、デンマンさんは小百合さんの熟女の魅力にとりこになってしまったお話をしたかったのでござ~♪~ますわよう。んも~~
ええっ?あたくしが小百合さんの熟女の魅力を見せ付けられて僻(ひが)んでいるのかってぇ~。。。?
あ~♪~らァ、実はあたくしだって、結構ムッチリとしたお腰をしているのでござ~♪~ますわよう。
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うふふふふふ。。。
あたくしだってぇ、けっこう、すみに置けないでしょう?
ええっ。。。デンマンさんはどうして、あたくしの魅力に注目しないのかってぇ。。。?
それわねぇ、次の記事を読むと分かるのでござ~♪~ますわ。
■『衝撃の角度(2008年6月1日)』
つまり、あたくしは大胆に自分の魅力をデンマンさんに見せすぎてしまったのでござ~♪~ますわ。
小百合さんのように、さりげな~♪~く、小出しに見せると効果がある事をこのような形で、あたくしに教えようとしているのですわ。
あてつけがましいのですけれど、デンマンさんだって、あたくしの魅力に、実は、参っているのでござ~♪~ますわよう。うふふふふ。。。
とにかく、興味深いお話がまだ続きますわ。
あなたもどうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいましね。
では、またぁ~。。。
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こんにちは。ジューンです。
ヒノキとサワラは良く似ていますけれど、
アスナロ(翌檜)もヒノキに似ていますよね。
でも、ヒノキよりも枝や葉が幅広く、
また、ヒノキと異なり
数年間枝についている間に
葉の幅がより広くなります。
なお、名称の由来はヒノキに似ていることから
アスナロの木が「明日(はヒノキに)なろ(う)」
それで、あすなろ、になったと言われています。
でも、一部の図鑑では俗説であると否定されていますわ。
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ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。
時間があったらぜひ読んでみてくださいね。
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では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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