ショパンのエチュード(PART 1)
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デンマンさん。。。 どういうわけで急にショパンのエチュードを取り上げるのですか?
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オマエは不満なのォ~?
特に不満と言うほどのことではありませんけれど、ちょっとその理由が知りたいだけです。。。
あのさァ~、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのだよ。。。
テレビの力
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「101回目のプロポーズ」というテレビドラマをおぼえておられるだろうか。
中年のさえないおじさんが、美しい女性をいとめる物語である。
それぞれの役は、武田鉄矢と浅野温子が演じている。
ヒロインは、チェロを弾く演奏家。
3年前に亡くした恋人のことを、彼はピアニストでもあったが、忘れられずにいる。
新しい出会いにも、なかなかふみこめない。
そんな彼女に、主人公は舞い上がる。
中堅建設会社の係長という設定だが、もうぜんとアタックをしはじめた。
ことわられても、臆せずに。
奥の手と言うべきか。
くだんの係長は、彼女の心へくいこむために、ピアノの練習を開始する。
今はなき恋人がよく弾き、彼女も好きだったショパンのエチュード(10-3)を。
その演奏を聴いた彼女は、魂を揺さぶられる。
どうして、あたしのためにそこまですることができるの。
それは、あなただからです。
とまあ、以上のようなやりとりをへて、二人は結ばれる。(略)
このドラマは、1991年7月から9月にかけて、放映された。
(中略)
私は、大阪・梅田のさるピアノ教室で、先生たちから話を聞いたことがある。
あのころは、洪水のように中年男がおしよせた。
みんなショパンのエチュードをやりたいって、言ってたよね。(略)
通勤のあいまに練習するサラリーマンが、1年や2年で弾きこなせるような曲ではない。(略)
にもかかわらず、「101回目のプロポーズ」は、多くの男をピアノへ走らせた。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
38-40ページ 『大阪的』
「おもろいおばはん」は、こうしてつくられた
著者: 井上章一
2019年1月20日 第4刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎
なるほどォ~。。。 かなり ふざけた話ですねぇ~。。。
でも、分かるような気がするのだよ。。。 本当に好きな女性がショパンのエチュードが好きだと言えば、彼女の心を射止めるために、その曲を習ってピアノで弾こうとするのも うなづけるよ。。。
デンマンさんも、同じようなことをするのですか?
たぶんねぇ~。。。
そう言えば、似たような話をデンマンさんも書いてましたよねぇ~。。。
ん? クラシックで片思い?
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そうなんですよね。
僕は多分、恵美子さんに片思いしていたと思うんですよ。
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中学校に入学して間もなくだった頃だと思いますが、
全校生徒が体育館に集まった時に
同学年の恵美子さんが“乙女の祈り”をピアノで独奏したのです。
僕はその時初めてこの曲を聴いたのですが、すばらしいと思いました。
感動しました。
曲も良かったけれど、あの恵美子さんが弾いたのだという事も感動的でした。
この恵美子さんは小学校のとき6年間隣のクラスに居た可愛い女の子だったのです。
よく目にした事はあっても口をきいたことが一度もなかったのです。
初恋の人ではなかったのですが、僕の気に入った女の子でした。
遠くから見ていて、可愛い女の子だなぁ~と思っていたのです。
小学校ではクラス替えがなくて6年間同じメンバーだったのですが、
中学校では学年毎にクラス替えがあったので、この恵美子さんと同じクラスになる事を期待していたのです。
しかし、とうとう同じクラスになる事はありませんでした。
(こういう思い通りにならない事って、人生にはずいぶんとあるものですよね!?)
とにかく、僕が気に入っていた“乙女”が弾いた“乙女の祈り”が忘れられなくて、僕はどうしてもこの曲が弾きたくなった。
大学に入学して下宿から通うようになった頃、下宿にピアノがあったので楽譜を買ってきて、独習で弾き始めたのです。
とにかく、一生懸命に独習したので、何とか全曲を弾けるようになったのです。
自分では結構マシに弾けると思ったので、ぜひ恵美子さんに聞いてもらいたいなぁ~と思い始めたんですよ。
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そう思ったら、何が何でも恵美子さんに聞いてもらいたいと思うようになった。
それで、夏休みに帰省した時に思いきって恵美子さんに電話したのです。
当時、恵美子さんは音楽大学に通っていました。
恵美子さんはビックリするだろうと思ったのですが、極めて落ち着いて冷静に受け答えしていたので僕のほうがその落ち着き方に内心ビックリしたほどでした。
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これまでに一度も言葉を交わしたことのない女性に初めて電話して僕のピアノの演奏を聞いて欲しいと言ったのですからね。
もちろん、どうしてそういう気持ちになったのか、かいつまんで説明しましたが、
今から思うと“すっご~い心臓”を持っていたものだと、自分ながら呆れる思いです。
その後、恵美子さんがコンサートピアニストになったのかどうか、僕は、もうぷっつり連絡していないから全く分からないのです。
僕は社会人になると間もなく海外へ出てゆきましたから。。。
当時、彼女の家にはグランドピアノがあって、その頃でもピアノ教室が別棟にあって、そこで子供たちに教えていました。
とにかく、恵美子さんに会ったのは前にも後にもそれっきりなんですよね。
電話した事もなければ、手紙を書いたこともない。
本当にその時会ったのが初めで最後!
まず、このように書いても誰も信用してくれないと思いますが、これは実話です。
恵美子さんの名前は本名です。
僕の生まれは行田市です。
もしかして、この記事を恵美子さんが読む事があれば、すぐに僕が誰かと言う事が分かるはずです。
もちろん、僕は恵美子さんにまた会いたくなったから、と言うのでこの記事を書いているわけではありませんよ。
小学生のときに芽生えた“乙女”に対する思いが僕の“乙女の祈り”の演奏を聴いてもらう事によって完結した。
言ってみれば、そのような儚(はかな)くも淡い“恋”ではなかったのか?
もちろん、それは“片思い”にすぎなかったのだけれども、僕はその片思いをあのような形で完結したのだと。。。
今から思い返すと、そう思えるのです。
しかし、ずいぶんと下手くそで間違った演奏を聞かせたものだと、気恥ずかしくなりますよ。
この記事を恵美子さんがもし読む事があったら、夢のような馬鹿ばかしい思い出として、苦笑しながら思い出すことでしょう?
お恥ずかしい事ですが、クラシックだと言われている“乙女の祈り”を誰が作曲したのか?
この記事を書くまで知らなかったという“おまけ”までがついていますよ。うへへへへ。。。。
ついさっき調べたら次のような事が分かりました。
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1856年作曲
乙女の祈り (La prière d'une vierge)
テクラ・バダルジェフスカ (Tekla Badarzewska)
(1834年1月1日~1861年9月29日)
生誕地:ワルシャワ、 ポーランド
なんと、この人物は27歳で亡くなっているんですよね。
冥福を祈りたいですね。
とにかく、この人物が“乙女の祈り”を作らなかったら、
僕は恵美子さんに会うことはなかったんですよ。
小学生の時に、恵美子さんのことを可愛い女の子だなぁ~と思っていただけで、
一生会って言葉を交わす事はなかったはずです。
クラシックの“威力”なのでしょうか???
実は、この片思いの事は6月13日に書いた記事の一部です。
全文はもっと長いのですよ。
興味があったら次のリンクをクリックして読んでみてくださいね。
クラシックに限らず音楽好きの人なら面白く読めると思います。
■『ん? クラシック興味ある?』
Realogで書いた、この記事に対してRealogのメンバーの藤守美愛さんから次のようなコメントをもらいました。
ありがとね。 (デンマン注: 残念ながら、Realogは閉鎖・消滅しました。)
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初です☆
クラシック好きなので、
タイトルに釣られて来てしまいました。
コントラバスしてたんですか?
私はペットとパーカッション&ドラムしてました(^O^)
乙女の祈りはエレクトーンで弾いたので懐かしい~
独学でピアノは大変ですよね。
とても素敵な想い出だと思います=^▽^=
by 藤守美愛 2006/06/14 03:45
『ん? クラシックで片思い?』より
(2006年6月19日)
『乙女の祈りと老人』にも掲載。
(2016年2月2日)
普通の神経を持っている人なら、恥ずかしくって とてもデンマンさんのようには書けないものですよ。。。
あのさァ~、クラシックに関心のある人ならば、上のエピソードを読んで、藤守美愛さんのような感想を持つのだよ!
一般の人にとっては、上のデンマンさんの話は、現実にはありえないと思うのですよ
そうだろうねぇ~。。。 僕も、今 思い出すと、あれは、ありえない話だと思うのだよ!
当然でしょう! あり得な過ぎて、映画にもドラマにもなりません! 多少は、あり得そうな話じゃないと 映画にもドラマにもならないのですよ。。。
だけど、最初に引用した「101回目のプロポーズ」というテレビドラマだってぇ、僕はあり得ないと思うのだよ! だいたい、一人の女性に101回もプロポーズするような男は、絶対に精神に異常をきたしているよ!
確かに言われてみればそうですよね。。。 普通の女性ならば、現実に生きている女性ならば50回目ぐらいでストーカーとして相手を警察に訴えるはずですよ!
オマエも、そう思うだろう? でも、他に いいネタがなかったので 非日常的なエピソードとして、テレビのプロデューサーがドラマにしようと思ったのだよ。。。 でもさァ~、愚かな男が居るものじゃないかァ! 「101回目のプロポーズ」なんてぇ~、現実にはあり得ないのだよ! それにもかかわらず、テレビを見て、そういう可能性もあると信じた中年男がピアノ教室に通ってショパンのエチュード(10-3)を習おうとしたのだよ! 僕は、初めて上の箇所を本で読んだ時に、この中年男たちは馬鹿だと思ったよ!
でも、いいじゃないですか! それが、サラリーマンの中年男の夢なのだから! デンマンさんが恵美子さんの演奏を聴いてしびれて、それで「乙女の祈り」を弾いたようなものですよ!
それは、全く違うよ! 僕は生の演奏を聞いてしびれたのだよ! でも、この愚かな中年男たちは、現実にはあり得ないテレビのドラマを見て、スケベ心を動かして、よりによってショパンのエチュード(10-3)を習おうとしたのだよ! これはショパンに対する冒涜だよ!
デンマンさん! そんなにムキになることはありませんよ!
あれっ。。。 オマエは愚かな中年のサラリーマンを弁護するのォ~?
別に弁護するつもりではありませんけれど、中年のサラリーマンがテレビドラマを見て、ショパンのエチュード(10-3)を習おうとしたのは、非日常のロマンを夢見る一つの現実逃避ですよ!
もしかして。。。、もしかして。。。、オマエも、その愚かな中年のサラリーマンの一人だったんじゃないのォ~?!
冗談じゃありませんよ! 「101回目のプロポーズ」が放映された1991年7月から9月には、オイラはすでにカナダに移住してましたよ! それに、オイラは、それ以前にショパンのエチュード(10-3)を弾いてました。。。
それは信じられない!
信じてくださいよ! オイラは、これでも早稲田大学の理工学部数学科を優秀な成績で卒業したのです!
それと、ショパンのエチュード(10-3)とは、全く関係ないだろう!?
関係ありますよ! 偏差値30台のクソ大学を追い出されるようにして卒業した、あの「現実主義者」と名乗る男には、絶対にショパンのエチュード(10-3)を弾くことはできません! 女性にも興味がないし、音楽にも興味がないのだから。。。 しかも、自分を「廃人」だと思い込んでいる!
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■『現実主義者 馬鹿の見本』
その点に関する限り、僕もオマエに同意するよ。。。 でも、早稲田大学の理工学部数学科を優秀な成績で卒業した奴でも、音楽に興味のない者は ピアノでショパンのエチュード(10-3)を弾こうなどとは思わないものだよ!
オイラは、数学も、音楽にも才能があるのです!
そうだとしても、女性に関する限り、オマエには才能がないのだよ!
その証拠があるのですか?
あるじゃないか! オマエは次のように書いていたのだよ!
私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。
長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。
家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。
私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。
その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。
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Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。
私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。
ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。
しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。
S.D.G
コーダ(蛇足):
私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。
【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。
S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者
S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。
F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家
56ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月
『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)
あの心優しい奥さんと「日本語も通じなくなってから何年にもなる」という事実は、とりもなおさずオマエには女性とうまくやってゆく才能がないのだよ!
(うつむいて、何も言えません。)
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