あんどん かつどん
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あんどん (あんかけ丼)
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かつどん (かつ丼)
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てんどん (天丼)
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デンマンさん。。。 あんどん というのは「あんかけ丼」のことでござ〜ますかァ〜?
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京都でもあんどん というのは「あんかけ丼」と言うのですか?
いいえ。。。「あんどん」というのは、時代劇に しばしば出てくる照明器具ですわァ〜。。。
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「あんどん」と言えば、日本全国でこの時代物の照明器具を意味するのではござ〜ませんかァ〜? デンマンさんの埼玉県の故郷ではレストランで「あんどん」と言うと、「あんかけ丼」が出てくるのですか?
いや。。。そういうことはありません。。。レストランで「あんどん」と言ったら、おそらく注文を取りに来た女性が、不思議な顔をすると思いますよ。。。
じゃあ、「あんどん」が「あんかけ丼」を意味するのは、どこの地方の方言なのでござ〜ますかァ〜?
僕の知る限り、そういう方言はないと思います。
じゃあ、どういうわけで「あんどん」を持ち出したのですか?
あのねぇ〜、最近、記事を書いて頭が疲れた時など、息抜きに落語を聴くのですよ。。。2,3日前に古今亭志ん朝の次の落語を聴いたのです。。。
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「首提灯」という面白い話なのですよ。。。
落語「首提灯」
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首提灯(くびぢょうちん)は古典落語の演目の一つ。
原話は、安永3年(1774年)に出版された笑話本『軽口五色帋』の一遍である「盗人の頓智」。
元は小噺程度の短いものであったが、4代目橘家圓蔵が一席物にまとめた。
古今亭志ん朝は『頭山』と並んでSF落語の嚆矢としている。
後に上方にも伝えられたが、まったく異なる話となった。
主な演者には、6代目三遊亭圓生(この噺で芸術祭文部大臣賞受賞)、そして林家彦六などがいる。
あらすじ
酩酊状態の男が品川遊郭へ行こうと人気のない夜の芝山内に差し掛かった時だった。近頃、芝山内には追い剥ぎや辻斬りが出るという噂が立っており、さっさと通り抜けようとするところ、男は背の高い侍に突如声をかけられる。
侍は道に迷ったと言い、麻布へはどう行けばいいかと尋ねてくる。
噂の辻斬りと疑い内心で焦っていた男は虚勢を張るが、侍の口調に訛りがあることに気づくと酔いも手伝って田舎侍と罵倒を始める。
怒るものの、しょせんは酔っ払いが相手だと穏便に対応する侍であったが、これに気を良くして男はさらに増長し、罵詈雑言を浴びせた末に、痰を吐き掛ける。
これについに侍は激怒し、目にも留まらぬ居合抜きで男の首を斬ると、その場を去る。
あまりにも見事な居合だったために、自分が斬られたことに気づかない男はそのまま歩みを始める。
しかし、声が喉から漏れたり、段々首がズレたり、首元を触れば血糊がべったりとしていて、ようやく首を斬られたと気がつく。
男はニカワでもあれば元に戻るかなどと軽口を言っていると、道先で火事が起こっていることに気づく。
既に大量の野次馬がおり、人混みを無理に掻き分け進むと首が落ちてしまうだろう。
そこで、男は首を掴むと提灯のように持ち「はいごめんよ、はいごめんよ」。
上方版(上燗屋)
上方に移る際、まったく別の話となった。
まず立ち飲み屋(上燗屋)での店主と客のやり取りが主となる。
演者は泥酔した客を演じ、初めてきた上燗屋の酒や料理を仕切りに褒める。
やがて会計の段になり、客は細かい持ち合わせが無かったためにツケにしようと浅い策を練るが、店主にあっさり拒絶される(この最後の場面をサゲとして「上燗屋」という題で演じられる場合もある)。
仕方なく客は近くにあった古道具屋に入り、仕込み杖を買って金をくずして支払う。
その後、酔客は家路につくが、せっかく買った仕込み杖を使いたいとウズウズとする。
そこであえて家を無防備で留守であるかのように見せる。
すると案の定、泥棒が入ってくる。
そして泥棒が中の様子を見るため首を伸ばしたところを、スパンと一刀の下に斬る。
しかし、泥棒は首が斬れているのに死なず、慌てて家の外に飛び出し首を斬られたとボヤく。
すると近所で火事があり、自分の首を提灯のように持ってその場を逃げる。
備考
江戸時代、提灯には明かり以外に名札としての役割があった。
提灯には紋や屋号を特注して入れ、これで遠目にも誰であるか容易に特定できるようになっていた。
この演目のサゲ(オチ)はこのことが前提となっている。
コトバンクでは、「首や胴が切られても活動するという奇抜な発想がおもしろく、この種の咄はほかに『胴取り』『胴斬(ぎ)り』などが現代に残されている」と評している。
落語評論家の山本益博も解説で取り上げている。
1995年に古今亭志ん朝が高座で取り上げ、NHKにおいて放送された。
放送の際、志ん朝が自身で解説を行った。
林家彦六から稽古をつけてもらったこと、冬の話なので夏には出来ないこと、SF落語の嚆矢として他に『頭山』を引き合いに出すなどの話をした。
演者としては、その志ん朝がよく知られた他、上方に移った演目では桂枝雀が得意としていた。
出典: 「首提灯」
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この話に入る前の「枕」で、最近の20才前後の若者は、古今亭志ん朝さんが若い頃に知っていた日本語が解らないという話をするのですよ。。。その話の中に「あんどん」が出てくる。。。若い女性に尋ねると、「あんどん」と語呂が似ている「かつどん」や「てんどん」の連想から「あんかけ丼」のことですか?…という返事が帰ってきたと言うのです。。。
あらっ。。。知らないとは言うものの、絶妙な答えではありませんかァ〜。。。おほほほほほほ。。。
確かに、「行灯(あんどん)」を知らなければ、語呂が似ているので「あんかけ丼」だと思うかもしれません。。。
デンマンさんは、当然知ってますよねぇ〜。。。
もちろん、知ってます。。。僕が子供の頃は時代劇映画をたくさん見ましたからねぇ〜。。。夜の場面では、行灯が必ずお屋敷の座敷に出てましたよ。。。
他に、どのような日本語を志ん朝さんは取り上げたのですか?
次のような言葉が出てくるのですよ。。。
にこごり(煮凝り):魚を似た汁が、冷めて固まったもの
そこつ(粗忽):そそっかしい
せっちん(雪隠):トイレ
はばかり(憚り):トイレ
しきい(敷居):引き戸や障子などを開けたてするための床や畳のそばにある横木
かもい(鴨居):引き戸や障子などを立てる、溝のある上の横木
このような言葉の後で、古今亭志ん朝さんが昔 サントリーのCM(コマーシャル)に出たことがある、という話が続くのです。。。
その時の撮影現場でスタッフの人達と話をした時に、たまたま『オーケー牧場の決闘』の話になったと言うのです。。。。
OK牧場の決闘
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OK牧場の決闘(英語: Gunfight at the O.K. Corral)とは、1881年10月26日、アリゾナ州コチセ郡トゥームストーンのO.K.コラル近くの路上で起こった銃撃戦。
1881年10月26日、ワイアット・アープらを始めとする市保安官たちと、クラントン兄弟(父親オールド・マン・クラントンはこの2ヶ月前に既に物故)をはじめとするカウボーイズがアリゾナ州コチセ郡トゥームストーンの町で撃ち合い銃撃戦となった。
これは正式な意味での決闘ではなく、表面的には市保安官が銃不法所持者を武装解除しようとした際に発生した銃撃戦と言える。
そして実際にはアープ組とカウボーイズ組とのさまざまな確執の結果であるというのが今日の見方である。
すでにダッジシティで保安官として名を馳せたワイアット・アープが、1879年の12月1日、銀鉱山であるトゥームストーンへ一旗揚げようと兄弟のジェイムスとバージルの家族と共にやって来た。
当初はまだカウボーイズらとの仲は悪くなかったと言われている。
それが銃撃戦にまで至る事情はおおむね次のような原因が重なったためと言われている。
トゥームストーンでワイアットは2番目の(しかし内縁の)妻のマティと不仲になり、その頃郡保安官ジョン・ビアンと付き合っていたジョセフィン・サラ・マーカスと三角関係になり、結局ジョセフィンを手に入れる。
カウボーイズらの郡党(County Party。民主党支持)と、アープ組の法と秩序党(Law And Order Party。共和党支持)の対立。
それは1880年10月、カーリー・ビルによるフレッド・ホワイト保安官殺害事件となり、両陣営の亀裂をさらに深める。
1881年7月、駅馬車強盗の容疑者として、ドク・ホリデイがジョン・ビアンにより逮捕される。後に無罪判決となる。
駅馬車強盗の犯人に関する闇取引(アイク・クラントンに対して、仲間を売るように持ち掛けた)に関する諍いで、アイク・クラントンはワイアット、ドク・ホリデイ双方と喧嘩状態になる。決闘前夜にドクとアイクは酒場で喧嘩となる。
このようないきさつにより、アイク・クラントンは、「アープ兄弟と決闘だ」、「ワイアットを殺す」と町の仲間らに言いふらしており、アープらも「決着」をつけなければいけない気持ちになっていた。
ドク・ホリデイは、肺結核を患っており半ば死に場所を探しているような節があり、最初からこのいざこざに加勢するつもりでいた。
当日は、「フライ写真館の隣にある空き地から、フリモントストリートに出たあたりで、カウボーイズ組が銃を所持しているので、武装解除するべきだ」と市民の忠告を受けた、バージル・アープは、彼らをただ武装解除するだけのつもりで出かけた。
決闘は、郡保安官の仲裁も失敗に終わり、約30秒、30発の銃弾でほとんど至近距離での撃ち合いとなった。
決闘後、アープ組は全員殺人罪で起訴されたが、全員無罪となった。
この判決を受け、カウボーイズ組はバージルとモーガンを闇討ちし、バージルは腕を、モーガンは命を失う。
その後、ワイアット・アープら自警団は、モーガン殺害の実行犯と見られたフランク・スティルウェルをツーソン駅構内で殺害したと言われている。
その後、ワイアットとドクはロサンゼルスへと移ったが恩赦はおりず、貧困を極めたが、やがて1920年代に当時映画撮影の中心地となったハリウッドで西部劇の決闘の演技を指導する仕事に就いた。
そしてその折りにワイアットはこの決闘を題材として売り込んだと言われている。
決闘の名称について
「OK牧場の決闘」の名称は、1957年にジョン・スタージェス監督が制作した西部劇映画『OK牧場の決斗』の邦題に由来する。
映画の原題(および英語での事件名)であるGunfight at the O.K. Corralは直訳すれば「OKコラルの銃撃戦」となる。
コラルとは家畜の囲いを意味し、牧場の畜舎を指すこともあるが、ここでは旅の集団が牛や馬を一時的に預けたり繋いでおくために用いられる、西部開拓時代特有の囲い場を指し、実際に映画の中で描かれている「O.K. Corral(オーケー・コラル)」も町はずれにあって柵で囲ってあるだけの簡素な囲い込み場で、一般的な意味での牧場ではない。
しかしこの映画の日本公開にあたり、配給会社が「OKコラルの決闘」では分かりにくいので「OK牧場の決闘」と意訳し、この映画を受けて日本では史実の決闘のことも「OK牧場の決闘」と呼ぶようになった。
映画の題名がそのまま史実の名称として語られることになった珍しい例といえる。
関係者
アープ組
バージル・アープ - 市保安官で、ワイアット・アープの兄 右太腿負傷
ワイアット・アープ - 市保安官 無傷
モーガン・アープ - ワイアット・アープの弟 負傷
ドク・ホリデイ - ワイアット・アープの友人 大腿部打撲
カウボーイズ組
アイク・クラントン - オールド・マン・クラントンの子 決闘には不参加(逃走)
ビリー・クラントン - オールド・マン・クラントンの子・アイクの弟 死亡
フランク・マクローリー - アイクの友人 死亡
トム・マクローリー - フランクの弟 死亡
“ザ・キッド”ビリー・クレイボーン - カウボーイズの知り合い 決闘中に逃走。リンカーン郡戦争で有名なビリー・ザ・キッドとは別人。
出典: 「OK牧場の決闘」
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この有名な「OK牧場の決闘」を扱った映画は、何度か映画にもなっている。。。だから、、僕もバンクーバー市立図書館でDVDを借りて 2本「OK牧場の決闘」を扱った映画を観てます。。。
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この映画に出てくるドッグホリデーが労咳(ろうがい)病(や)みで、…今で言う肺炎(肺結核)を病んでいて、健康な人よりも、こういう病弱な人が決闘のような場面に出てくるところが格好がいい、と志ん朝さんが言うわけです。。。日本ならば、さしずめ平手造酒(ひらてみき)だろう、と志ん朝さんが続ける。。。
平手造酒
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平手 造酒(ひらて みき)は、江戸時代幕末の剣客。
本名は平田 深喜、名は深木、三亀とも書く。
仙台藩あるいは紀州藩の藩士など諸説あるが、流浪の末下総国香取郡松崎(現在の神崎町松崎)の名主宅に身を寄せ剣術道場を開いていた浪人といわれる。
博徒の親分笹川繁蔵と知り合い、天保5年(1844年)8月6日、飯岡助五郎との大利根河原の決闘に笹川方の助っ人として参加し闘死した(臨終は翌日の朝6時ごろ)。
享年30、あるいは30代とも。
争闘は笹川方優位に決し、笹川方で死んだのは造酒一人のみと伝わる。
墓所は千葉県香取郡東庄町の延命寺。
また、神崎町松崎の心光寺にも、身を寄せていた名主の建立した平田三亀の墓がある。
講談や浪曲の『天保水滸伝』では、江戸は神田お玉ヶ池の千葉道場で、北辰一刀流千葉周作門下の四天王のひとりとされた俊英であったが、酒乱のため破門されて胸の病におかされながら博徒の用心棒となった素浪人として語られ、笹川繁蔵や飯岡助五郎に劣らぬキャラクターとして人気を博した。
平手造酒を扱った作品
一連の騒動を別個に取材した宝井琴凌と5代目伊東陵潮が、お互い材料を持ち寄って1856年(安政3年)にひとつの台本に仕上げたとされる講談『天保水滸伝』が有名である。
これとは別に、河竹黙阿弥作の歌舞伎『群清滝贔屓勢力(むれきよたきひいきのせいりき)』が1867年(慶応3年)に上演されている。
浪花節では、正岡容脚色による2代目玉川勝太郎が人気を博した。
講談
飯岡助五郎:改良天保水滸伝(講演:松の家太琉 他)
小説
天保水滸伝(高木為鎮)
半身のお紺(笹沢左保)
今朝もまた夢―平手造酒外伝(笹沢左保)
武蔵野水滸伝(山田風太郎)
花も刀も(山本周五郎)
月とよしきり(津本陽)
浪曲歌謡
大利根月夜(唄:田端義夫)
大利根無情(唄:三波春夫)
大利根ながれ月(唄:氷川きよし)
映画
平手造酒(1925年、監督:大久保忠素、平手造酒:森野五郎)
祐天吉松(1925年、監督:中山呑海、平手造酒:尾上多見太郎)
天保悲剣録(1927年、監督:山崎藤江、平手造酒:坪井哲)
平手造酒(1927年、監督:村越章二郎、平手造酒:光岡龍三郎)
平手造酒(1928年、監督:志波西果、平手造酒:大河内伝次郎)
阪東侠客陣 第一篇・中篇・最終篇(1928年、監督:仁科熊彦、平手造酒:片岡左衛門)
天保水滸伝(1928年、監督:丘虹二、平手造酒:葉山純之助)
天保水滸伝(1930年、監督:押本七之輔、平手造酒:澤村國太郎)
天保水滸伝(1930年、監督:押本七之輔、平手造酒:明石緑郎)
平手造酒(1930年、監督:山口哲平、平手造酒:葉山純之輔)
平手造酒(1931年、監督:星哲六、平手造酒:明石潮)
決戦大利根の暁(1932年、監督:橋本松男、平手造酒:片岡左衛門)
喧嘩道中記(1932年、監督:青山正雄、平手造酒:清水隆之助)
闇討渡世(1932年、監督:伊丹万作、平手造酒:片岡千恵蔵)
平手造酒 白衣剣鬼録(1933年、監督:山口哲平、平手造酒:葉山純之輔)
一刀流酒供養(1933年、監督:石山稔、平手造酒:海江田譲二)
一刀流闘士陣(1933年、監督:渡辺邦男、平手造酒:鳥羽陽之助)
八州侠客陣(1933年、監督:石田民三、平手造酒:木村正二郎)
平手造酒(1934年、監督:西原孝、平手造酒:市川百々之助)
天保水滸伝(1936年、監督:山本松男、平手造酒:杉山昌三九)
義憤の血煙(1936年、監督:山本松男、平手造酒:大河内龍)
八州侠客陣(1936年、監督:マキノ正博、平手造酒:清水英朗)
平手造酒(1937年、監督:稲葉蛟児、平手造酒:海江田譲二)
春秋一刀流(1939年、監督:丸根賛太郎、平手造酒:片岡千恵蔵)
関東剣豪陣(1941年、監督:田崎浩一、平手造酒:原健作)
天保水滸伝 大利根の夜霧(1950年、監督:佐伯清、平手造酒:山村聡)
平手造酒(1951年、監督:並木鏡太郎、平手造酒:山村聡)
天保水滸伝 利根の火祭(1952年、監督:安達伸生、平手造酒:坂東好太郎)
やくざ狼(1953年、監督:萩原遼、平手造酒:杉山昌三九)
地獄の剣豪 平手造酒(1954年、監督:滝沢英輔、平手造酒:辰巳柳太郎)
潮来出島 美男剣法(1954年、監督:安田公義、平手造酒:黒川弥太郎)
関八州大利根の対決(1957年、監督:志村敏夫、平手造酒:丹波哲郎)
天保水滸伝(1958年、監督:渡辺邦男、平手造酒:鶴田浩二)
花の遊侠伝(1958年、監督:安田公義、平手造酒:千葉敏郎)
あばれ街道(1959年、監督:小沢茂弘、平田深喜:戸上城太郎)
遊太郎巷談(1959年、監督:田坂勝彦、平手造酒:植村謙二郎)
関の弥太っぺ(1959年、監督:加戸敏、平手造酒:千葉敏郎)
血闘水滸伝 怒涛の対決(1959年、監督:佐々木康、平手造酒:大友柳太朗)
大利根無情(1960年、監督:的井邦男、平手造酒:三波春夫)
草間の半次郎 霧の中の渡り鳥(1960年、監督:内出好吉、平手造酒:須賀不二男)
美男の顔役(1961年、監督:沢島忠、平手造酒:鈴木金哉)
座頭市物語(1962年、監督:三隅研次、平手造酒:天知茂)
男度胸のあやめ笠(1962年、監督:佐々木康、平手造酒:黒川弥太郎)
勢揃い関八州(1962年、監督:佐々木康、平手造酒:近衛十四郎)
天保遊侠伝 代官所破り(1965年、監督:山内鉄也、平手造酒:内田良平)
天保水滸伝 大原幽学(1976年、監督:山本薩夫、平手造酒:高橋悦史)
テレビドラマ
東芝日曜劇場 第125回「剣」(1959年、平手造酒:木村功)
平手造酒(1960年、平手造酒:嵐寛寿郎)
新国劇アワー / 地獄の空ッ風(1960年、平手造酒:辰巳柳太郎)
講談ドラマ / 孤影(1963年、平田深喜:御木本伸介)
甲州遊侠伝 俺はども安(1965年、平手造酒:平幹二朗)
新・日本剣客伝 第4話「平手造酒」前編・後編(1969年、平手造酒:鶴田浩二)
日本任侠伝 第1シリーズ 第2話「笹川繁蔵」(1969年、平手造酒:宗方勝巳)
女殺し屋 花笠お竜 第23話「女ごころを酒が呼ぶ」(1970年、平手造酒:高宮敬二)
めくらのお市(1971年、平手造酒:丹波哲郎)
青空浪人 第8話「血風お玉ヶ池」(1971年、平手造酒:上野山功一)
遠山の金さん捕物帳 第119話「平手造酒を斬った男」(1972年、平手造酒:若林幾夫)
天下堂々(1973年、平手造酒:村野武範)
天保水滸伝 平手造酒(1973年、平手造酒:栗塚旭)
必殺仕事人意外伝 主水、第七騎兵隊と闘う 大利根ウエスタン月夜(1985年、平田深喜:樋口隆則)
必殺まっしぐら! 第11話「相手は向島の元締」(1986年、平田深喜:内藤剛志)
必殺スペシャル・秋! 仕事人vsオール江戸警察(1990年、平田深喜(平手造酒):滝田栄)
女無宿人 半身のお紺(1991年、平手造酒:萩原流行)
名奉行遠山の金さん 第3シリーズ 第18話「美女の陰謀!関八州あばれ旅」(1990年、平手造酒:寺田農)※スペシャル
あばれ八州御用旅 第4シリーズ 第1話「男涙の大利根無情!抜荷街道の謎を追え!」(1994年、平手造酒:萩原流行)※スペシャル
秋のスペシャル時代劇 / 平手造酒 利根の決闘(1997年、平手造酒:古谷一行)
御家人斬九郎 第4シリーズ 第3話「大利根の月」(1999年、平手造酒:近藤正臣)
出典: 「平手造酒」
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日本では、確かに、平手造酒は色々な作品に登場して有名なのですよ。。。ところが、古今亭志ん朝さんがサントリーのCMに出て、その時の撮影現場でスタッフの人達と話をした時、平手造酒を持ち出すと、知っている人はたったの一人だったと言うのです。。。
あたくしは、詳しいことは知りませんけれど、名前だけは度々聞いたことがござ〜ますわァ〜。。。それに、平手造酒が出ている時代劇の映画も、おぼろげながら観たことを覚えていますわ。。。。デンマンさんは平手造酒の映画をご覧になったことがあるのでござますかァ〜?
もちろん観てますよ。。。僕はバンクーバー市立図書館でDVDを借りて『座頭市物語』を観て、その中に出てきた天知茂が扮している平手造酒を見ています。。。
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あらっ。。。上の映画を2013年の1月に観てコメントを書き込んだのですわねぇ〜。。。
そうです。。。平手造酒の映画を観るつもりではなかったのですよ。。。僕は『座頭市』にハマっていて、座頭市シリーズは 26作品ある内で、バンクーバー市立図書館にあるものは全て観ました。。。平田造酒は1962年に制作された 上の第1作目に出てきたのです。。。この話をしてから、志ん朝さんは家に帰って、丁度いい機会だからというので息子を呼んで、平手造酒の話をしたと言うのです。。。「平手みきなんて、僕は知らないよ。もしかして女性歌手?」 息子さんは、そう言ったそうですよ。。。
そういえば、女性歌手に仲宗根美樹と言う人がいましたわねぇ〜。。。
その名前の連想で「平手みき」が別の女性歌手だと思ったのですわねぇ〜。。。
そういうことなのですよ。。。平手造酒と書いて、「どうして造酒を《みき》と読むんだい?」と逆に尋ねたそうです。。。
確かに「造酒」は、普通ならば「ぞうしゅ」、あるいは訓読みにしても「つくりざけ」としか読めませんわねぇ〜。。。おほほほほほ。。。
志ん朝さんは 1938年3月10日に生まれて 2001年10月1日に亡くなっているのですよ。。。今の若者とは時代が違うから、話が通じないのも無理はありません。。。
デンマンさんは志ん朝さんのお話を聞いて違和感はありませんでしたかァ〜?
僕は戦後生まれでも、今の若い20代の人たちよりは、志ん朝さんの世代に近いから、それほどの違和感はありません。。。それに、平手造酒が出てくる『座頭市物語』も観ていましたから。。。
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【ジューンの独り言】
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ですってぇ〜。。。
あなたも、平手造酒が出てくる映画を観たことがありますか?
ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」
あなたは、そのような強い口調で あたくしに ご命令なさるのですかァ〜?
分かりましたわァ。。。。
では、あなたもビックリするような
忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。
なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!
無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。
つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。
浅野内匠頭がどうしてヘマをしでかしたのか?
そのへんのところが詳しく映像に残っております。
観るだけの値打ちがありますわ。。。
では、どうぞ。。。
ところで、どうして小百合さんが
「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
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あなたは ご存知ですかァ?
実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわァ。
そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。
現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。
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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。
そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。
軽井沢・雲場池の紅葉
軽井沢のイルミネーション
秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩
とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。
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メチャ面白い、
ためになる関連記事
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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』
■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』
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■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に
別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』
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■ 『センスあるランジェリー』
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。
卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。
(zurose2.jpg)
■『女帝の平和』
■『アタマにくる一言』
■『悪女レオタード@昌原市』
■『スウィートビーン』
■『ガチで浦島太郎やし』
■『ご苦労さま』
■『デンマンのはなし』
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■『室生犀星と人間学』
■『松平春嶽ダントツ』
■『英語は3語で伝わる』
■『くだらない物』
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■『面白い漢字テスト』
(hama10.jpg)
(godiva05.jpg)
(byebye.gif)
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