黒人差別
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デンマンさんは、黒人を差別するのですかァ〜?
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いや。。。1960年代までにアメリカ人が黒人を差別していたような差別はしていません。。。
でも、やっぱり黒人を見ると差別したくなるのですか?
僕はアメリカ人が差別していたようには黒人を差別していませんよ。。。
でも、黒人を見るとデンマンさんは、ムカつくのですかァ〜?
別にムカつきません。。。ジュンコさんは、どうして僕が黒人を差別していると思うのですか?
だってぇ〜、タイトルに そう書いているではありませんか?
あのねぇ〜。。。僕が黒人を差別しているのでタイトルに「黒人差別」と書いたわけじゃないのです。。。たまたまバンクーバー市立図書館でDVDを借りて観ていたら次の映画に出くわしたのですよ。。。
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TILL
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『ティル(TILL)』は、チノニエ・チュクウが監督し、マイケル・ライリー、キース・ビーチャム、チュクウが脚本を書き、ビーチャム、ライリー、ウーピー・ゴールドバーグが制作した2022年の伝記ドラマ。
この映画は、1955年8月28日に14歳の息子エメットが殺害された後、母親が正義を追求した映画。
母親のメイミー・ティルは、後年、教育者となり、人権活動家として活躍した。
この映画は、彼女の実話に基づいて制作された。
メイミー役でダニエル デッドワイラー、エメット役でジャリン ホールが出演している。
制作者の一人であるウーピー・ゴールドバーグもエメットの祖母として出演している。
この映画は2020年8月に正式に発表されたが、エメット・ティル殺害に関するプロジェクトは数年前から進行していた。
翌年の夏には主要キャストの多くが参加し、その秋にジョージア州バートウ郡で撮影が行われた。
これは、テレビシリーズ「ウィメン・オブ・ザ・ムーブメント」に続き、2022年にリリースされるメイミー・ティルを題材にした2番目の主要メディア作品となる。
この映画はメイミー・ティルの生涯と功績を追悼するものであり、その公開は2022年10月にミシシッピ州グリーンウッドでエメット・ティルを偲ぶ銅像の除幕式と同時期に行われた。
あらすじ ネタバレ注意!
1955年8月、14 歳のエメット ティルは母親のメイミーとシカゴで暮らしている。
エメットがミシシッピ州マネーの親戚に会うために出発する前に、メイミーはエメットに白人の周りでは特に注意するように警告する。
駅でティル家はメイミーの叔父であるモーズ・“プリーチャー”・ライトとエメットの従兄であるウィーラー・パーカーと会う。
小作農場で綿花を摘んだ後、エメットと彼の従兄弟たちはブライアントの食料品店でキャンディーを買う。
レジでエメットはキャロリン・ブライアントに、財布の中に入っている白人少女の写真を見せる前に、彼女は映画スターのようだと言う。
でも、黒人の少年にバカにされたとムカついて、キャロリンはピストルを持ち出す。
キャロリンは店の外で口笛を吹くエメットの後を追う。
その姿にビックリして、エメットと彼の従兄弟たちは車に乗り込んで逃げる。
8月28日の早朝、キャロリンの夫ロイと異母兄弟ジョン・ウィリアム・“JW”・ミラムがライツの家に到着し、強引に中に入る。
彼らはエメットを寝室の1つで見つけ、彼を誘拐する前に服を着るように強制した。
エメットの大叔母エリザベスは男たちに金を提供するが、ミラムは断る。
出発する前に、ミラムは銃を持ってライトを人質に取る。
他の車両の中でキャロリンはエメットを特定し、ブライアントは夜陰に向けて車で走り去る。
その後、エメットはひどく殴られ、射殺され、遺体はタラハッチー川に捨てられた。
シカゴに戻ったメイミーは、息子が誘拐されたことを知らされる。
この時には、まだ殺されていることまでは分かっていなかった。
彼女のいとこのレイフィールド・ムーティは、シカゴのNAACP支部の顧問であるウィリアム・ハフと会うように彼女を説得する。
メイミーの個人的な経歴が尋問されるため、ハフはオフィスでメイミーの過去の結婚について尋ねる。
一方、警察は川沿いでエメットの死体を発見する。
その知らせを聞いたメイミーはショックで倒れてしまう。
ムーティの助言にもかかわらず、メイミーは息子の遺体をシカゴに移送するよう頼む。
その直後、エメットの棺が電車で到着し、それを見たメイミーは苦痛のあまり泣き叫ぶ。
解剖台の上で息子のグロテスクな死体を見たメイミーは、息子に何がされたかを明らかにするために息子の棺を開けたまま葬式を行う。
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エメットの殺害と葬儀は全米の見出しを飾った。
ロイ・ブライアントとJ・W・ミラムはエメット殺害に関連した行為で起訴された。
メイミーは父親に付き添われ、エメットの裁判に出席するためマウンド・バイユーへ向かう。
TRMハワードが率いる地域評議会で、ハワードはメイミーに、彼女の活動が黒人アメリカ人に対する投票権に対する連邦政府の支援を活性化するのに役立つ可能性があるとして、裁判後の将来について考えるよう求める。
公判初日、別の証人が出たことを知った検察官は休廷を要請し、裁判官はこれに同意して休廷する。
休憩中に、検察はエメット殺害の目撃者であるウィリー・リードを突き止める。
翌日、ライトとリードは証言を行い、前者はミラムが家族に銃を突きつけた犯人であると特定する。
次にメイミーは裁判に出廷し、死体が自分の息子であると特定できると証言する。
弁護側はその後、メイミーがミシシッピ州での身の振り方についてエメットに警告したと「有色記者」に語ったとして反対尋問する。
その後、証言台でキャロリン・ブライアントは、エメットが彼女に性的な誘いをかけたと証言する。
メイミーは怒り、判決はすでに決まっているようなものだと言い、判決が出ないうちに法廷を後にする。
約1時間後、陪審はエメット殺害のロイ・ブライアントとJ・W・ミラムに無罪判決を下す。
1か月後、ハーレムで開催されたNAACPの集会で、メイミーはミシシッピ州の刑事司法制度が被害者を非難していることと、平等な正義の約束を怠っている米国を批判する。
彼女は家に帰り、エメットの部屋でエメットの思い出に涙する。
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映画でのエメットと母親のメイミー
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実際のエメットと母親のメイミー
(デンマン訳)
出典: 「Till (film)」
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裁判ではエメットを殺害した二人は無罪になったのですか?
そうです。。。陪審員はすべて白人だったのですよ。。。当時は、黒人に対するリンチは当たり前のように行われていた。。。
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だから、エメットが殺害されたのも、そのようなリンチの一つだと考えられたから、白人の陪審員たちは、殺されたエメットに同情する者は一人もいなかった。
でも、14才の少年が些細なことで殺されたのですよ。。。どう考えても非人道的ですわァ〜。。。
でも、当時は、白人女性に黒人が妙な事を言うことは、今で言えば「セクハラ」と考えられていた。。。白人の目には、それは「レイプ」にも等しい、やってはいけないことだった。。。
そもそも、差別することはアメリカでは法律で認められていたのですかァ〜?
1964年まで法律で認められていたのですよ。。。
ジム・クロウ法
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ジム・クロウ法(Jim Crow laws)は、1876年から1964年にかけて存在した、人種差別的内容を含むアメリカ合衆国南部諸州の州法の総称。
ジム・クロウ制度とも呼ばれる。
主に「黒人の一般公共施設の利用を禁止、制限した法律」を総称していう。
しかし、この対象となる人種は「アフリカ系黒人」だけでなく、「黒人の血が混合している者は全て黒人とみなす」という人種差別法の「一滴規定(ワンドロップ・ルール)」に基づいており、黒人との混血者に対してだけでなく、インディアン(先住民)、ブラック・インディアン(インディアンと黒人の混血)、日系人などアジア系といった黄色人種などの、ヨーロッパ系の白人以外すなわち非白人の「有色人種」(Colored)をも含んでいる。
経緯
南北戦争以前、北部州(共和党支持基盤)は「奴隷制廃止」を掲げていた。
しかし、伝統的な南部11州(民主党支持基盤)は反対に「奴隷制維持」を掲げていた。
南北戦争終了後の南北統合期(リコンストラクション)初期、この対立の元に、合衆国軍占領下の南部11州は先手を打って、解放奴隷を抑圧して黒人の準奴隷システムを正当化するような「黒人法」(英語: Black Codes、黒人取締り法とも)を制定した。
当時工業で発展し始めていた北部都市(デトロイト・シカゴなど)と異なり、南部では黒人労働力による農業が依然として経済の基礎であった。
そのため、「黒人が白人と平等になっては困る」というのが、南部経済を支える有力な白人農園主たちの本音であったと考えられる。
この黒人取締り法が、ジム・クロウ法の礎になっていった。
南部各州での「黒人取締り法」は制定直後、合衆国議会で1866年公民権法が成立したことによって廃止されたが、リコンストラクション後に連邦政府の干渉が少なくなった中、南部諸州では次々とジム・クロウ法が制定された。
1945年以降、公民権運動が高まるとジム・クロウ法に対して裁判闘争が行われ、1954年から1955年にかけて、連邦最高裁判所は、プレッシー対ファーガソン裁判で確立された「分離すれども平等(separate but equal)」という判例法理を覆し、公立学校における人種別学制度は違憲とする判決を下した。
1964年7月2日、リンドン・ジョンソン政権は公民権法 (Civil Rights Act) を制定し、南部各州のジム・クロウ法は即時廃止となった。
名の由来
ジム・クロウという名は、ミンストレル・ショー(Minstrel Show、白人が黒人に扮して歌うコメディ)の1828年のヒット曲、『ジャンプ・ジム・クロウ(英語版)』(Jump Jim Crow) に由来する。
コメディアンのトーマス・ダートマス・ライス (Thomas Dartmouth "Daddy" Rice) が演じて人気を博し、顔を黒塗りして黒人に扮するブラックフェイス・パフォーマンスを全米に広めた。
ジム・クロウは田舎のみすぼらしい黒人を戯画化したキャラクターであり、着飾った都会の黒人であるジップ・クーン (Zip Coon) とともにミンストレル・ショーの定番キャラクターとなった。
1837年までに、ジム・クロウは黒人隔離を指す言葉としても使われるようになっている。
州法の例
アラバマ州法
病院:白人女性の看護師がいる病院には、黒人男性は患者として立ち入れない。
バス:バス停留所には白人用と有色人種用の2つの待合場が存在し、乗車券販売所も白人用と非白人用があった。座席まで区別されており、モンゴメリー・バス・ボイコット事件の発端になった。
電車:人種ごとに車両が選別されるか、同一車両内でもバスと同様、人種ごとに席が分けられた。
レストラン:白人と有色人種が同じ部屋で食事ができるようなレストランは違法になりさえもした。
フロリダ州法
結婚:白人と黒人の結婚は、禁止された。なお、4世代前までに黒人の血が一人でも含まれれば(16分の1)、純粋な黒人と同様、『黒人』として扱われた。
交際:結婚していない黒人と白人は(結婚自体既に禁止されているが)一緒に居住してはならないし、共同の部屋で夜を過ごしてもならない。この犯罪には12か月以上の禁固刑、もしくは$500(当時)の罰金が科せられた。
学校:白人学校と黒人学校は、厳密に区分された。
ミシシッピ州法の例
平等扇動罪:パンフレット・出版・公共場での演説などで社会的平等・異人種間結婚を奨励すれば、6か月以下の懲役、もしくは$500以下の罰金。
上記州以外に、ジョージア州、ルイジアナ州、ノースカロライナ州、ワイオミング州が類似した法律を持っていた。
ほとんどの南部州では過剰な投票税を課すなどして、黒人が投票するのを防止しようとした。
出典: 「ジム・クロウ法」
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エメットを殺害した二人は、結局、無罪放免になったのですか?
そうです。。。でも、1956年にルック・マガジン(Look Magazine)のインタビューに答えて、二人はエメットを殺害したことを認めたのです。。。
それでも、裁判のやりなおしにはならないのですか?
アメリカには、いったん裁判で無罪の判決が出たら、その事件で2度と裁判はやらない(double jeopady clause)という法律があるのです。。。だから、二人はインタビューに答えて本当のことを話したのですよ。。。
それってぇ、納得のゆかない法律ですわねぇ〜。。。
確かに、冤罪で刑務所に入っていた人が、新たな証拠が見つかって裁判のやり直しで無罪となって釈放されることがあるのだから、その逆もあってもいいと思うのですよ。。。
それなのに、なぜ同じ事件で2度と裁判をやらないのですか? 殺したことを認めたのだから、有罪にして刑務所に入れるべきですわ。。。。
でもねぇ〜、人道上の問題があるのですよ。。。裁判で充分にヒヤヒヤした思いを味わったのです。。。それに、罪の意識で、良心は傷ついているのですよ。。。しかも、キリスト教信者の多い国だから、「許す」ということでキリスト教信者は許すことにより救われるのですよ。。。
でも、素直に頷(うなず)けませんわ。。。
無罪になった二人に対しては、裁判をやらなかったけれど、事件の再捜査をやったのですよ。。。
再捜査
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関係者のその後
ミランとブライアントは、数年間テキサスに居住した後、ミシシッピーに戻った。
ミランは、1980年に61歳でガンにより死亡した。
ブライアントは、テキサスにいる間は溶接工として働いたが、その為彼の後半生は半盲となった。
ブライアントとキャロラインはある時期離婚し、ブライアントは1980年に再婚した。
彼は、ミシシッピーのルービルで商店を経営していたが、1984年と1988年にはフードスタンプの扱いに関する詐欺の罪で有罪になっている。
ブライアントは、1994年に63歳でガンにより死亡した。
エメット・ティルの母は、ジーン・モブリーと再婚し、教師の職を得て、そして彼女の息子に起こった出来事について人々を啓発する活動家として、彼女の人生を費やした。
1992年、ロイ・ブライアントがエメット・ティルの殺人への関与について取材されている間、ティル-モブリーはそれを聞く機会があった。
ティル-モブリーが聞いているとは知らないブライアントは、エメット・ティルが彼の人生を滅ぼしたと主張し、後悔の面は表さず、「エメット・ティルは死んだんだ、なんで死んだままでいてくれないんだ、俺には分からない」と述べた。
再捜査の決定
1996年、ドキュメンタリー映画製作者キース・ボーシャンはエメット・ティルの開かれた棺の写真に大いに心を動かされた。
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エメット・ティルの事件を扱ったドキュメンタリー作品の製作開始に伴い、キース・ボーシャンは事件の背景調査を開始し、再婚したキャロライン・ブライアント・ドーハムを含む14人が事件に関与していた可能性がある事を主張した。
モーセ・ライトは、ライトの前庭で、ブライアントとミランがエメット・ティルを連れ去る直前、誰かの「小さな声」を聞き、それが、エメット・ティルを探していた者の声だったと確信した。
ボーシャンは「エメット・ルイス・ティルの知られざる物語」(The Untold Story of Emmett Louis Till)の製作に9年費やし、2003年に完成した。
同じ年、PBSは、テレビシリーズ「アメリカン・エクスペリエンス」の中で、「エメット・ティルの殺人」の特集を組み、放送した。
スティーブン・ホイットフィールドが1991年に本を出版し、別の本が2002年にクリストファー・メタースによって書かれ、またメイミー・ティル・モブリー自身の回想録も翌年出版された。
それらによって、誰が殺人に加担し、また犯人隠匿に関わっていたか、そして川から引き上げられた遺体の身元特定の問題が解決するに至った。
2004年、アメリカ合衆国司法省は、ミランとブライアント以外の人物が関わっていたかどうか再調査する為、この事件の再捜査を行う事を公表した。
アラバマ大学教授で歴史研究家のデーヴィット・ベイトーは、「エメット・ティルの事件は、『ケネディ大統領暗殺事件』と同様に、今や神話としての価値にまで昇華して行った」と述べている。
2005年、遺体は掘り出され、改めてクック郡検死官によって検視が執り行われた。
DNAテストに於いてエメット・ティルの親族と比較した結果、その遺体は十分にエメット・ティルである事が証明できた。
頭蓋骨の大きな損傷、左の大腿骨折、両手首の骨折が認められた。
45口径のピストルの銃弾と認定できる金属片が、銃創と一致する頭蓋骨内で見つかった。
大陪審での結論
2007年2月、主に黒人の陪審員で構成されたレフロア郡大陪審において、黒人の主任検察官ジョイス・チャイルズは、14人がエメット・ティルの誘拐と殺人に加担したというボーシャンの主張について、信用できる根拠が見つからなかったと結論付けた。
ボーシャンは、その決定に激怒したが、ドキュメンタリー「Eyes on the Prize」の製作に携わったデヴィット・ベイトーとファン・ウィリアムズは、歴史を蒸し返し、他の未解決事件から注意をそらす行為だとして、ボーシャンに批判的だった。
同様に大陪審は、キャロライン・ブライアント・ドーハムに対する告訴の十分な理由を見出す事が出来なかった。
ボーシャンによって共犯者として指摘されたヘンリー・リー・ロギンズに関しては、FBI も大陪審も共に、事件に関与したという僅かな信用できる証拠すら発見出来なかった。
ロギンズ以外に、事件に加担したとされる人物の名を公表する事を、2010年現在、ボーシャンは拒否している。
出典: 「エメット・ティル」
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キース・ボーシャンは事件の背景調査を開始し、再婚したキャロライン・ブライアント・ドーハムを含む14人が事件に関与していた可能性がある事を主張したけれど、結局、事件に関与したという信用できる証拠は見つからなかったのですわねぇ〜。。。
そうです。。。再捜査を始めたのが1996年です。。。1955年の事件から すでに41年が経っているのですよ。。。記憶も薄れているし、証拠が残っていて有罪になるだろうと心配している人がいたとしたら、とっくの昔に証拠を隠滅してますよ。。。再審査が遅すぎたのです。。。
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【ジューンの独り言】
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ですってぇ~。。。
あたなたも、デンマンさんが言うように、証拠が残っていて有罪になるだろうと心配している人がいたとしたら、とっくの昔に証拠を隠滅していたと思いますかァ〜?
ええっ。。。 「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」
あなたは、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?
分かりましたわ。。。 じゃあ、面白い動画をお目にかけますわァ。。。
ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!
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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」
あなたは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?
わかりましたわァ。。。
では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。
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