リチャード3世(PART 1)
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デンマンさん。。。 どういうわけでリチャード3世 を取り上げたのですか?
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実は、バンクーバー市立図書館で DVD を借りて次のドキュメンタリーを観たのですよ。。。
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■『実際のページ』
デンマンさんはイギリスの中世史に関心があるのですか?
いや。。。 特にイギリスの中世に関心があると言うわけではないのですよ。。。 ただ、今日、リチャード3世を取り上げたのは、DVD のカバーの説明に文法的に可笑しな文章を見つけたからなんですよ。。。 たぶん間違いだと思うのです。。。 読んでみてください。。。
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In 2001, a group of archaeologists made an incredible find: Buried beneath a parking lot they uncovered the bones of King III, hunchbacked, with an arrow through the spine.
Richard is considered by many as the most evil king to have ruled England.
He is also renowned as a fearsome warrior, despite the extreme curvature of his spine.
Now, scientists are testing the bones to learn and training a "body double" in medieval battlefield techniques to determine
whether Richard could have fought so ferociously with such a severe deformity.
The back of the DVD (Branch Call Number:942.046 R43s)
上の赤字にした文は文法的に間違っていると思いませんか?
どこが間違っているのですか?
あのねぇ~、僕が高校で英文法を学んだ時には、先生が、こういう「過去分詞節」が典型的な間違いだと教えてくれたものですよ。。。
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Buried beneath a parking lot,
the archaeologists uncovered the bones
of King III, hunchbacked,
with an arrow through the spine.
上の文に文法的に間違いがあるのですか?
あれっ。。。 ジューンさんには上の文が すんなりとオツムに入ってくるのですか?
特に間違っているとは思いませんけれど。。。
あのねぇ~、上の赤字にした箇所は「過去分詞節」というのですよ。。。 正しい使い方の例は、次のようになるのです。。。
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Used efficiently,
the PC's battery will last longer.
上の文を省略せずに書けば次のようになりますよねぇ~。。。
If it is used efficiently,
the PC's battery will last longer.
確かに、上のようになりますわ。。。
。。。でしょう! ところが、上の間違った文では次のようになってしまう!
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While the archaeologists (NOT the bones) were
buried beneath a parking lot,
the archaeologists uncovered the bones
of King III, hunchbacked,
with an arrow through the spine.
つまり、上の文では駐車場に埋もれていたのは考古学者たちだということになってしまう。。。 正しくは次のようになるはずですよ!
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Buried beneath a parking lot,
the bones were uncovered by the archaeologists.
なるほどォ~。。。。 「過去分詞節」というのは、会話ではほとんど使わないので、間違い易いのですわねぇ~。。。 こうして例文として目で見ると、間違いが判りますわァ。。。 つまり、主格(この場合 bones)が一致しなければならないのですねぇ~。。。
そうです。。。 しかも、リチャード3世は背骨に異常があったのだけれど、いわゆる hunchback[猫背] ではないのですよ。。。
リチャード3世は強度の脊椎側彎症だったのですよ。
リチャード3世
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リチャード3世(英語: Richard III, 1452年10月2日 - 1485年8月22日)は、ヨーク朝最後のイングランド王(在位:1483年 - 1485年)。
薔薇戦争の最後を飾る王である。
エドワード3世の曾孫であるヨーク公リチャード・プランタジネットとセシリー・ネヴィルの八男で、エドワード4世とラトランド伯エドムンド、クラレンス公ジョージの弟。
即位前はグロスター公に叙されていた(在位:1461年 - 1483年)。
護国卿でもあった(在位:1483年)。
戦死した最後のイングランド王であるが、他に戦死した王は1066年にヘイスティングズの戦いで敗死したハロルド2世と、1199年に矢傷がもとで死亡したリチャード1世がいるのみである。
1484年1月に王直属の機関として紋章院を創設したことでも知られる。
旗印は白い猪、銘は“Loyaulté Me Lie”(ロワイオテ・ム・リ)で、意味は古フランス語で「忠誠がわれを縛る」。
生涯
幼くして父を失ったリチャードは、兄エドワードや母方の従兄にあたる実力者ウォリック伯リチャード・ネヴィルの庇護をうけて成長した。
ウォリック伯の元で少年期を過ごし、騎士としての修業を積み、1461年に兄がエドワード4世としてイングランド王に即位するとグロスター公に叙位された。
政権内の争いから、1470年にエドワード4世がランカスター派に寝返ったウォリック伯によって追放されたとき、ウォリック伯の誘いを拒否して一貫してエドワード4世に忠誠を誓い、翌1471年の兄王の復位に貢献した。
1472年、ヘンリー6世の継嗣エドワード・オブ・ウェストミンスターの寡婦であったウォリック伯の娘アン・ネヴィルと結婚した。
アンの姉イザベル・ネヴィルの寡夫であったリチャードの兄クラレンス公ジョージが1478年に処刑されると、リチャードは広大なウォリック伯領を独占相続して、名実ともに実力者としての地位を確立した。
その後、王妃エリザベス・ウッドヴィル一族が政権内で勢力を伸ばすと、これと対立するようになる。
1483年にエドワード4世が病死するとその息子(リチャード自身にとっては甥)であるエドワード5世の摂政(護国卿)に就任。
まもなくリヴァーズ伯アンソニー・ウッドヴィルらの王妃一派を捕らえて粛清し、協力者のヘイスティングス男爵ウィリアム・ヘイスティングスも処刑、さらにエドワード5世とその弟リチャード・オブ・シュルーズベリーをロンドン塔に幽閉した。
2人はそのまま消息不明になり、殺されたとみられる。
3ヵ月後の同年6月26日、エドワード5世の正統性を否定した議会に推挙されて(エドワード4世とエリザベス・ウッドヴィルの結婚は無効、2人の間の子供は庶子とされた)、イングランド王リチャード3世として即位した。
同年、支持者の一人ジョン・ハワードにノーフォーク公位(ロンドン塔に幽閉された甥リチャードから剥奪された)を与える。
1483年10月、リチャード3世政権の樹立に貢献のあったバッキンガム公ヘンリー・スタッフォードが反乱を起こすとこれを鎮圧したが、反乱の噂は絶えず、政情は不安定なままに置かれた。
1484年4月には一人息子のエドワード・オブ・ミドルハムが夭折し、1485年3月には王妃アン・ネヴィルも病死する。
唯一の子供であったエドワードの死後、リチャード3世は一時、自身と王妃の甥であるクラレンス公の幼い遺児ウォリック伯エドワードを王位継承者に指名したが、王妃の死後にそれを取り消し、
代わって別の甥(姉エリザベス・オブ・ヨークの息子)であるリンカーン伯ジョン・ド・ラ・ポールを王位継承者に指名した。
1485年8月、ランカスター派のリッチモンド伯ヘンリー・テューダー(後のヘンリー7世)がフランスから侵入し、ボズワースの戦いで国王自ら軍を率いて決戦する。
この戦いでリチャード3世は味方の裏切りに遭い、自ら斧を振るって奮戦したが戦死した。
遺体は、当時の習慣に従って、丸裸にされ晒された。
遺体
2012年8月、リチャード3世の遺骨が、記録された埋葬場所と一致するレスター市中心部の駐車場の地下から発見された。
遺骨は頭蓋骨に戦闘で受けたとみられる複数の傷があり、また脊柱に強い脊椎側彎症が確認された。
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王の遺骨発見に大きく貢献した歴史家のジョン・アッシュダウン・ヒル博士によって探し出されたリチャード3世の姉アン・オブ・ヨーク(en, 1439年 - 1476年)の
女系の子孫(カナダ人マイケル・イブセン)のミトコンドリアDNA鑑定をレスター大学が行い、2013年2月に遺骨をリチャード3世のものと断定した。
また、同チームは遺骨からDNAを採取し、ゲノム解析のうえ髪や瞳の色などの容姿の特定、ならびに健康状態の調査をする方針を2014年9月に発表している。
その後、遺骨を法医学的に分析し、ボズワースの戦いでは11カ所の傷を負っていたことが明らかになった。
そのうち9カ所は兜によって防護されていなかった頭部にあり、頭蓋骨にはのこぎりのような武器で削いだ傷や、骨を貫き脳にまで達した刺し傷もあった。
致命傷になったとみられる2カ所の傷は、脳内に数cmから10cm程度入り込む頭蓋骨への刺し傷であり、この傷によって一瞬にして意識を失い、その後心肺が停止したと考えられる。
リチャード3世のY染色体DNAが、曾祖父の兄であるジョン・オブ・ゴーントから続く同家系の男系の5人の子孫が共通に持つY染色体DNAと一致しなかったことから、
ある時点で5人の共通祖先あるいはリチャード3世の祖先(リチャード3世自身を含む)には、公式の家系図に書かれていない父親を持つ男子がいたことが判明した。
その結果、ランカスター朝のヘンリー4世、ヘンリー5世、ヘンリー6世と、ヘンリー7世から始まりヘンリー8世とその3人の子に至るまでのテューダー朝全体に、嫡出に関する疑念が生まれている。
これはさらに、ヘンリー7世の嫡出子孫である後継のステュアート朝、ならびに21世紀初頭の時点でイギリス君主の座にあるウィンザー朝の正当性に疑いがあることを意味している。
その他、リチャード3世が96%の確率で青い目の、77%の確率で金髪の持ち主だったとの結果が出ている。
2015年3月26日、調査が終了した遺骨はレスター大聖堂に再埋葬された。
出典: 「リチャード3世 (イングランド王)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バンクーバー市立図書館のDVD の担当者は、間違いに気づいて次のように書き直しました。。。
(richard3p.jpg)
In 2011, a group of amateur historians made an incredible archaeological find: the bones of King Richard III, hunchbacked, with an arrow through the spine.
Now, scientists are testing the bones to find out more about the king and also conducting fascinating experiments to determine whether Richard could have fought so ferociously in battle with such a severe deformity.
でも、hunchbacked は間違ったままです。。。
Nobody is perfect. ですわ。。。
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(すぐ下のページへ続く)
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