獲得された絶望感(盲人ウエカジ公式ブログ)

~網膜色素変性症と司法試験とモー娘。と・・・~

1年ぶりに大学病院に行った。

2011-07-28 21:13:17 | 網膜色素変性症と私
 夏休みの貴重な1日を病院通いでつぶすのは残念なことだがしかたがない。

 1年ぶりに大学病院にいって視野検査とかをした。小学校の教室の机や椅子を見てこんな小さかったけと思うけどそれは机やいすが小さくなったのではなく私が大きくなったため。

 1年ぶりの大学病院は実に不親切に感じた。入口からの点字ブロックがなくなってるし(と思う)、眼科の待合室から検査室へとつづく床には赤と青のテープがはってあるのだがそれが床と同明度みたいでコントラストがはっきりしない。待合室の椅子もうす緑で床の色とコントラストがはっきりしない。

 受付まで時間があったのでトイレにいこうと廊下をあるいていたけど、右折する廊下の曲がり角がわからない床と壁の色が同系色でコントラストがはっきりしないからどこが曲がり角かわからない。

 そんな今日だったが、1年前に来たときは全くそんなことは感じなかった私デスペア。病院が変わったのでなく、私の目が悪化したため。去年のブログではたしか来年は白杖を手にしていかないといけないかもしれないなと書いていたがその通りになった。

 デスペア的病院ポイント

1、子供と眼科
 トータル3時間半ほど待合室でまっていたのだが、いろいろな患者がいる。小学低学年お女の子とおじいさん(のようなつきそいの人)。女の子だけで視力検査をうけに視力検査室へ。するとまもなくして視力検査室から男性の検査技師の声。

 「はい ドラえもんのほうをじっと見て」
 「はい 目をぱちくりぱちくりさせない」

 しばらくして、おじいさんがその検査技師によばれてなにやら言われていた。(おそらく目をぱちくりぱちくりしてうまく検査ができなかったとの報告だったのだろう)

 もっとやさしく接してあげればいいのにと思う私デスペア。しばらくして女の子とおじいさんが待合室にもどってきて次の検査を待っていた。女の子は半べそをかいてないかなとおもったが、ケロッとして楽しそうに話しいていた。こどもらしいなと思った。

 それから数時間して私の視野検査。別の暗室にとおされて視野検査を受けていた私。私のとなりのとなりのとなりから女性の検査技師と楽しそうに話すあの女の子の声、かたわらにはおじいさんの声。

 うすぐらい部屋での不安や恐怖をやわらげようと、女性検査技師は女の子に話しかけている。夏休みの話題になり、

 技師「夏休みやったら 宿題いっぱい出たでしょう?」

 女の子「うん! うちなぁ 体にしんどいがあるから 特別支援学級から宿題出てん!」

 この会を聞いて、視野検査中であった私は涙をこらえるのがやっとだった。目に涙がたまって目の前の黒い点のなかの小さな黄色のひかりがより一層ぼやけた。

 昔私が中学生のころ大きな病院の眼科に親につれらていったとき、待合室でまってると、小さな3歳ぐらいの男の子が若い父親にだきかかえられていた。その男の子はなきさけんでいた。 

 「くらいよーーー見えない 見えない 見えない」

 泣き叫びながら父親の胸に頭をうずめて泣きさけんでいた。わが子を抱きかかける若い父親のあの時の不安げな顔。

 涙をこらえるのに必死だった当時の私。子供と眼科はなぜだか胸がしめつけられる。

2、視野検査

 はじめの視野検査では針の穴のようなちいさなひかりが見えたら手元のブザースイッチをおすのだけど、まったくその小さな光が見えなかった。

 何度も検査技師に、「もっと大きな光はでないのですか?」とたずねる私。この器械は大きな光はだせないんですとのこと。

 結果、次に別の視野検査機で大きな光(1円玉小ぐらいの大きさ)のでる検査器で検査した。大きな明るい光だと見えた。ただ去年よりもその光がまぶしくかんじた。


 1200すぎにすべての検査が終わったので病院内の飲食店でうなぎでもたべていこうかとおもったが、動向をひらく目薬のせいでさらに白くぼやけてたどりつけそうになかったのでやめた。

 帰り眼鏡屋とヤマダ電機によったのだが、目薬のせいでより一層視野がせまく白くかすみがかってみえて、何度も通りすがりの人に声をかけられた。それほど私の足元がおぼつかない、行く先を見定められていない状態だったのだろう。

 この目薬をいれられた状態の私は何ん絵後の私なんだろうか。

コメント (1)
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