神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

他者という鏡。

2021年01月29日 | キリスト教
【複製禁止】ルネ・マグリット


 先週、だったか、先々週だったか忘れてしまったのですが、学校のクラス内で「あまり話したことのない男子」から、「こいつ、よく話したことない奴のこと、めっちゃ睨んでくる」と言われて落ち込んだ……といった投稿内容が、ラジオのDJさんに読まれているのを聞きました。

 確か、中学生か高校生くらいの男の子だったと思うのですが、一度そう言われただけでなく、そのあとも「あいつめっちゃ睨んでくるぞ~」みたいに何度も言われて凹んだ――みたいな投稿内容だったと思います。対するDJさんの対応は、「気にしないほうがいいよ!」というものだったのですが、そうですよね。そう励ます以外、対処の仕様がないというか……。

 でも、自分的にこのことと関連して、ちょっと思い出したことがありまして。。。

 わたしが23くらいの頃なので、相当前の話ですが(笑)、某本屋さんで働いていた時、アルバイトの男の子がひとり、突然上司にクビを言い渡されたことがありました。わたし自身はパートという身分で、記憶定かじゃありませんが、大体三時半くらいでわたしは上がりで、そのあとお店が閉まるまでの間、高校生のその男の子が本を整理したりレジ作業を担当する……みたいな感じだったんですよね。

 で、某デパート店内のテナントのことではなく、そのデパートが直営している本屋だったので(あまりに売上が悪かったらしく、わたしがやめた何年か後になくなりました^^;)、面接して雇った人(マネージャー)と、マネージャーよりも上の役職にある人(統括)というのが別だったのです。

 それで、この統括さんが、この高校生のアルバイトくんをある日突然クビにしたんですよ。彼がクビを宣言された翌日、わたしともうひとりいたパートさんとで、入ってきた本を手分けして並べていると……「新しく入ってきたばかりの△□君、クビになったって」、「ええっ!?なんで?」、「なんかねえ。ちょっと顔にブツブツっていうか、ニキビみたいのがあったのが問題なんだって。それで、統括が言うには、そのブツブツがお客さんに不快感を与えるとかなんとか……」、「何ソレっ。サイッテー!!」、「みんなそう言ってるよ。どういうふうに言ったのか知らないけどさあ、対人恐怖っていうのはそういうところからはじまるってのに、あの統括も何考えてんだか……」みたいな会話をした記憶があります。

 ちなみに、この「みんな」っていうのは、そのデパートの同じ階にいた他の売場の人もみんな、「あいつ何考えてんの」、「馬鹿じゃないの」みたいに言ってる――といった意味だったりします(いえ、売場とかエレベーター挟んで離れてても、結局バックヤードやら食堂やらロッカーやらで顔合わせるので^^;)。

 その子、実際のところすっごーく素直そうな、感じのいい子でした。たぶん、その本屋で働くのがアルバイト初体験だったんじゃないかなって思うんですけど……もうひとりいたパートのKさんは、すでにお子さんがふたりいるとか、そんな感じだったので、自分のお子さんのことを考えてみても尚さら、「あの統括の馬鹿はなんなんだ」みたいに思ったと思うんですよね。

 相当昔のことなのに、わたしがこのこと覚えてたのってたぶん、Kさんの口から「対人恐怖」という言葉を聞いた、そのせいだったかもしれません。「その君の顔のブツブツがお客さまに不快感を与えるから……」なんて、そんな馬鹿みたいな言い方はしてないと思うのですが、それでも、初めてのアルバイト体験で突然クビを宣言されるって、かなりのところショックな出来事だと思うんですよね。しかも、普通に真面目に感じよく、一生懸命働こうとする姿勢の見える感じの子だったのに……そんな子をクビにすること自体、やっぱり頭おかしいとしか思えないというか、なんというか

 で、ですね。前にも神経症のことを書きましたが、対人恐怖とか視線恐怖って、思春期の頃にきっかけを持ってる方って、結構多いと思います。自分の視線が錐のように鋭く相手に突き刺さっているのではないかと感じたり、逆に人の視線がレーザーか何かのように鋭く突き刺さるような感覚があって、短時間の外出でも異様なほど消耗して家まで帰ってくるなど……なので、最初に書いた「あいつ、めっちゃ睨んでくる」と言った男の子自体はたぶん、相手がそんなに傷つくとは思ってなかったにしても――大体こういうところに視線恐怖の発症の原因はある、ということについては、一応言っておきたい(書いておきたい)と思いました。

 そういう時には、天才高校生Adoさんの「うっせえわ」でも聴くに限ると思いますし、同じように「うっせえわ!」と言い返してやるのが一番とも思います。。。





 でも、それが出来ないからこそ「落ち込むんだ……」という場合は、軽く自己分析してみるというのも、ひとつの手かもしれません。視線恐怖、表情恐怖、対人恐怖といった症状は、大体のところをいって、「他者の鏡を通して自分を見る地獄」ということだと思うんですよね。簡単にまとめて言ったとすれば。

 鏡に映った自分の目や顔の表情を「他者がどう思うか」というのは、相手から返ってきた顔の表情・言葉・雰囲気などによって判断するしかありません。この時、相手からはっきり不快な顔の表情などによって「キモい」と言われたとすれば、その人・あるいは4~5人いた集団からそのように指摘されたとすれば、返ってきた本人にとって「それが自分の評価なんだ」ということになると思います。

 でも、ここで人の対応というのは分かれます。もちろん、人から「キモい」とか、睨んでもいないのに「あいつ、めっちゃ睨んでくる」と言われたとすれば――落ち込んだり傷ついたりするのが普通の反応です。人によっては、たった一度のそうした経験で部屋に閉じこもって出て来なくなってしまう人もいる一方、人から通りすがりに「デブ」と言われようと「ブス」と言われようと、気にせず明るく生きている人もいます。

「まあ、太ってるのは事実だからね」と、軽く笑ってすませられる方もいれば、「てめえこそ、自分の顔一回鏡で見てからもの言えや、コラァ!」と言い返せるような強い方もいらっしゃいます。もちろん、神経症というのは、「そうとわかっていても気にする」、「気になる」、「くよくよしてしまう」……といったことなので、理論を説いても無駄といえば無駄なのですが、でも何かをきっかけに「開き直る」というのが、立ち直るためには大切なのかなって思うんですよね。

 簡単にいえば、「他者の鏡を通して自分を見ているような人生はつまらない」ということです。この場合は、他者の視点が自分の視点になってしまっているので、自分が主体の人生に変えていく必要があるのではないでしょうか。

 かといってこれは、「じゃあ明日から、ボサボサの頭で、ボロボロのコートを着て、穴の開いた靴をはき、人目を気にしない訓練をするぞ!」といったこととはもちろん違います(笑)。

 そもそも、わたしたちにとっての他者って誰のことでしょう?その中には「自分の人生にとってどーでもいいヤツ☆」という範囲の人も、結構含まれているはずです。それよりも、「この人といる時はあまりそういうことが気にならないな」という人とのつきあいのほうが、遥かに大切なのではないでしょうか。

 ただ、学校とか職場はもう、自分にとって内心「どーでもいいヤツ」なんだけど、つかず離れずといった距離感で、「そこそこうまく」つきあっていかなきゃならない……といった事情があるので、そこが悩ましいところではあるんですけど(^^;)。

 それではまた~!!







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