神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

禍福はあざなえる縄のごとし。

2017年07月18日 | キリスト教
【芝弁天池】川瀬巴水


 今回は、仏教聖典からのお話ですm(_ _)m


 >>ある家に、ひとりの美しい女が、着飾って訪ねてきた。

 その家の主人が、

「どなたでしょうか」

 と尋ねると、その女は、

「わたしは人に富を与える福の神である」

 と答えた。主人は喜んで、その女を家に上げ手厚くもてなした。

 すると、すぐその後から、粗末なみなりをした醜い女が入ってきた。

 主人がだれであるかと尋ねると、貧乏神であると答えた。

 主人は驚いてその女を追い出そうとした。

 すると女は、

「先ほどの福の神はわたしはの姉である。わたしたち姉妹はいつも離れたことはないのであるから、わたしを追い出せば姉もいないことになるのだ」

 と主人に告げ、彼女が去ると、やはり美しい福の神の姿も消えうせた。

 生があれば死があり幸いがあれば災いがある。

 善いことがあれば悪いことがある。

 人はこのことを知らなければならない。

 愚かな者は、ただいたずらに、災いをきらって幸いだけを求めるが、道を求めるものは、この二つをともに超えて、そのいずれにも執着してはならない。

(和英対照仏教聖典/仏教伝道教会刊より)


【禍福はあざなえる縄のごとし】

<意味> 禍福は糾える縄の如しとは、幸福と不幸は表裏一体で、かわるがわる来るものだということのたとえ。

<注釈> 災いと幸福は表裏一体で、まるでより合わせた縄のようにかわるがわるやって来るものだ。不幸だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりする。
 成功も失敗も縄のように表裏をなして、めまぐるしく変化するものだということのたとえ。

(故事ことわざ辞典さまよりm(_ _)m)


 いえ、一応お断りしておくとですね、わたしクリスチャンなので、こうして仏教聖典から引用したからといって、仏教+キリスト教という形で混合的に信じているとか、そうしたことは一切ないのです

 ただ、仏教の中にはキリスト教にも通じる教えがあったり、言い方が違うだけで、本質的には同じことを言ってるんじゃないかな~と感じる箇所などがあると思いますので、まあなんていうか、読んでちょっとばかり「へえ~☆」みたいになっていただけたらと思い、引用してみたといったところでしょうか。。。


 >>多くの者は言っています。
「だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか」
 主よ。どうか、あなたの御顔の光を、
 私たちの上に照らしてください。

(詩篇、第4編6節)


 >>にわか水が突然出て人を殺すと、
 神は罪のない者の受ける試練をあざける。

(ヨブ記、第9章23節)


 >>順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。

 私はこのむなしい人生において、すべての事を見てきた。正しい人が正しいのに滅び、悪者が悪いのに長生きすることがある。

 あなたは正しすぎてはいけない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。

 悪すぎてもいけない。愚かすぎてもいけない。自分の時が来ないのに、なぜ死のうとするのか。

 一つをつかみ、もう一つを手放さないがよい。神を恐れる者は、この両方を会得している。

(伝道者の書、第7章14~18節)


 とりあえず、わたしが先の仏教聖典の箇所を読んだ時に、パッと思いだしたのが聖書のこの三つの箇所でしょうか。

 一応、誤解のないようにつけ足しておきますと、ヨブ記の>>「にわか水が突然出て人を殺すと、神は罪のない者の受ける試練をあざける」というのは、本当に神さまがそのことをあざけっているということではなく、人の目にはそのように見えるとか、そうしたことですよね(^^;)

 この「にわか水」というのは、他の聖書の訳で「鉄砲水」と訳されているのを見たことがあります。

 つまり、こうした時に人を襲うことがある不可避的災難によって人間が死ぬのを、神はどう考えておられるのか、ということですよね。

 このことの他に、悪人が栄え、善人が虐げられなければならないのは何故かといったことについてなど、聖書はズバリ答えそのものというよりも、「人にそのことを考えさせる知恵」を与えたり、そうしたことを考える時に基準となる尺度を与えたり、その導きだされる答えとしては、こういうことではないだろうか……という、そうした事柄を与えてくれるものだと思います。

 とりあえず、このことについて書きはじめると長くなりますので、今回はこのへんで♪

 それではまた~!!





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