神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

あなたは何を祈っているのか?

2022年06月11日 | キリスト教
【聖霊降誕】エル・グレコ

 ええと、今までわりと「祈り」のことについて書いたりすることがたま~にあったりなかったりしたわけですが……でも記事の最後あたりで「祈っています」みたいに書いて終わったりとか、パターンとして多いかな~と自分でも思ってはいて。。。

 でも、たとえば今であればウクライナの戦争の問題とか、1つ下の記事であれば、自殺のことであるとか……まあ、「あなたは祈ってると言うけれども、それで祈ってなんになるのか?」という疑問がある気がするわけです(^^;)

 いえ、クリスチャンの方であれば、大体のところ意味は通じると思うのですが、ノンクリスチャンの方が通りすがりにどっかの記事でもちらっと読んだ場合――「祈ろうと祈るまいと、戦争は終わるときゃ終わるし、終わらないときゃ終わらない」……そう思われるかもしれないなあと、そう思ったりしたわけです。

 わたしも、クリスチャンになって祈りはじめた最初の頃、たとえば「世界が平和でありますように」と祈ったとして、なーんか、祈りとして薄っぺらくて実感わかないなあ……とか思ってました。でも、ある時ふとこう思ったわけです。もし仮にわたしが「アフリカの人すべてが食糧に満ち足りておりますように」と祈ったとしても、それで一体何が変わるかというより、その中のひとりの人が誰か、何か奇跡的な方法によってでもその日の食べ物が見つかって、家族全員で分けて食べた――ということがあるかもしれない、そう思ったというか。


 >>もし私が一人の心の傷をいやすことができるなら
 私の生きるのは無駄ではない
 もし私が一人の生命の苦しみをやわらげ
 一人の苦痛をさますことができるなら
 気を失った駒鳥を
 巣にもどすことができるなら
 私の生きるのは無駄ではない
 
(『エミリ・ディキンスン詩集~自然と愛と孤独と~』中島完さん訳/国文社刊)


 そうです。それと同じように、祈ることも決して無意味とか無駄ということはありません。

 ウクライナの戦争に関することで言えば……今この瞬間も、世界のどこかで必ずこの戦争が一日も早く一分でも早く一秒でも早く終わることを神さまに祈っている人が間違いなく絶対にいます。

 でも、それでも戦争は終わりません。それなのに、何故偽善的にでもなく、クリスチャンと呼ばれる人々が根気強く祈り続けることが出来るかというと……まず、今回の戦争の場合は特に、ウクライナに住む人々にキリスト教徒の方が多いということも、理由のひとつとしてとても大きいかもしれません(※これはその国にイスラム教徒が多かったら、祈ってもしょうがないとか、そうした意味ではありません)。

 正直、わたし自身個人的にウクライナに知り合いひとりいるわけでもありません。けれども、毎日のように祈ることは出来ます。それは、それがどのようなことでも祈りの原則というものは同じと信じているからです。世界のどこかの国で地震などの災害があったと聞けば、必要な物資がすべての人に届くように祈るのは当然のことですし、実際のところ、綺麗ごとではなくすべての人に必要な目に見える現金を与えてくださいということも祈っています。そして、その前に祈ることというのが、すべての人から戦争に対する不安や恐怖を取り除き、これからどうなるのかわからないという不安や恐怖を取り除き、イエスさまの平安の霊によってお満たしくださいということを必ず祈っています。

 他にも細々、病院といった施設が守られること、そこで働いている医療スタッフの方の霊と肉体が守られ、強められておりますようにということや、新型コロナウイルスからの守り等など……避難民の方のストレスの軽減、食べ物や必要な物資が(赤ちゃんのミルクやオムツ、あるいは女性の生理用品に至るまで)すべて十分に行き渡っておりますようにということや、祈ることは色々あるかと思います。

 何故祈ることが大切か、重要かといえば、クリスチャンの方が何人か集まる祈り会などに参加するとわかるかもしれません。それは基本的に理屈でもなければ、偽善的にただ祈りの言葉を並べているということでもなく、祈りというものは何よりも霊、聖霊さまを通して祈るものだからです。

 つい先日の日曜日が今年のペンテコステだったわけですが、これは新約聖書の使徒の働き第2章に書き記された聖霊降誕日のことで、イエスさまはご自身が十字架で血潮の御業を完成させてのち、三日目に甦り、その後弟子たちに姿をお現しになったわけですが、その前から弟子たちには自分はそのような死に方をするが甦る、またその後、あなたがたに聖霊を送る――とおっしゃっていた、その御言葉が成就した日のことです。


 >>あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。

 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主(聖霊)をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。

 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

(ヨハネの福音書、第14章14~17節)


 >>このことをわたしは、あなたがたといっしょにいる間に、あなたがたに話しました。

 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるものとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。

『わたしは去って行き、また、あなたがたのところに来る』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。あなたがたは、もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くことを喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです。

 そして今わたしは、そのことの起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったときに、あなたがたが信じるためです。

(ヨハネの福音書、第14章25~29節)


 >>イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。

 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。

「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです」

(使徒の働き、第1章3~5節)


 以降、イエスさまが生きていた時代、イエスさまのことを信じた人々のみならず、イエスさまの十字架と復活を信じるすべての人々に、イエスさまを信じた時以降(信仰告白して以降)、この聖霊さまはすべての信者に与えられています。

 そして、聖霊さまを通した祈り、また信者の方同士の、聖霊さまを通した一致した祈りというのは非常に力があります。たとえば、わたしはウクライナに知り合いなどひとりもいない……と書きましたが、この場合そのあたりのことは関係ないのです。わたしのことを教え導く聖霊さまと、他のクリスチャンの方に与えられている聖霊さまも、まったく同質のひとつの霊、一致したイエス・キリストの霊、神さまの霊であるわけですから、この霊を通してすべてのキリスト教信者は兄弟であり姉妹であるわけですから。

 また、そのように祈っているのに、戦争は終わらないじゃないか……と、言われる方もやはりあるでしょう。でも、全世界の人々が祈れば、戦争はそれだけ終わるのが早くなるということだけは絶対に確かです。このたとえは前にもどこかで書いた気がしますが、わたしの持っている祈りのレンガはひとつだけです。そして、そのレンガを一日一個、野原に置いているわけです。次の日は二個、セメントでくっつける。その次の日は三個……そして、どうにか基礎が出来、壁らしきものが出来たと思ったら悪魔(サタン)がやって来て壊していったその残骸を見るわけです。でも、大抵のクリスチャンの方はこうした敵の攻撃についてもよく知っておりますので、このことも神さまに感謝し、再び祈りの家を建造していくという、ただそれだけです。

 でも、これを世界中の人が一度にやると、人が住むのにいい建物など、あっという間に建って、「さあ、次はふたつ目だ!」ということになるでしょう。それに、敵がやって来ないように交替で見張りにつくことも出来ます。こうして祈りの家が出来、そこにウクライナの人々に入ってもらって、肉体的にも霊的にも精神的にも、あらゆる意味で神さまに守ってくださいと祈るということ、これがとても大切なことです。


 >>声高く戦うのは勇ましい
 だが悲痛の騎兵隊を
 胸に秘めるひとは
 もっと勇ましい

 勝っても国々は眺めない
 負けてもだれも気付かない
 その瀕死の瞳をどの国も
 愛国の情で見守ってくれない

 きっと羽根かざりをつけた天使たちが
 かれらのためには進むだろう
 足並み揃え 隊伍をくんで
 雪の制服をまとって

(『ディンスン詩集』新倉俊一さん訳編/思潮社より)


 本当に、一日も早く一刻も早く一秒も早く、ウクライナの戦争が終わることを心から願っています

 それではまた~!!

 




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